美食家ぷくぷく令嬢は、婚約破棄なんてどうでもいいのでご馳走を食べ尽くしたい
「まあ、なんて素敵な眺めなのでしょう! 最っ高です! 世界中のどんな絶景より美しく素晴らしい!」
煌びやかなパーティー会場を包むのは、思わず涎が出そうになるほどの美味しい匂い。
それを鼻いっぱいに吸い込むと、ゆったりとしたドレスの裾を整えながら私は早速椅子に腰を下ろします。
「見てくださいませ、子豚令嬢ですわ」
「以前よりさらにぷくぷくになっていらっしゃいますわね、レイシー様ったら」
「暴食令嬢にかまわない方がよろしくてよ。わたしたちまで食べられてしまいますわ」
令嬢たちのひそひそ声が聞こえて来ましたが、ああいうのは無視に限ります。
気分を悪くして、せっかくの美味しい料理を味わえなくなるなんてこの上なくもったいないことですからね。
さて、何からいただきましょうか。
たくさん並べられたテーブルの上、並ぶのは豪華な食事の数々。赤ワインも用意されています。
食べたいものはたくさんありますが、まずオードブルからいただきましょう。
しっかりと前掛けをし、フォークとナイフを手に持ち、ワクワクしながら口を開けた――その時でした。
「レイシー、お前のようなだらしない体つきの女は俺の婚約者に相応しくない。よってlお前との婚約を破棄する!」
そんな、どこかで聞き覚えのあるようなないような声が聞こえて来たのは。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――子豚令嬢。
たっぷりした体つきのせいでそう揶揄されるようになったのは、いつ頃からだったでしょう。
他にも暴食令嬢、ぷくぷく令嬢などと呼ばれている私ですが、自分では一流の美食家と自負しております。
富んでいるわけでも貧しいわけでもない、中流の伯爵家の三女として生まれた私が美食に目覚めたきっかけは何だったかといえば、特に深い理由があるわけではなく、たまたま出席したとある公爵家の食事会で振る舞われた料理が美味し過ぎたからという単純なものです。
柔らかなパンにトマトのスープ。
私の実家でも、普通に毎朝のように出るメニューです。それなのになぜかその時の料理は信じられないほど美味で、私を虜にしました。
それ以来、実家の伯爵家で出される食事が物足りなく感じてしまうほどに。
――もっと美味しいものを食べたい。
八歳にして、私は食の探求を始めました。
どんな取り合わせがより美味しいか。父に腕のいい料理人を雇ってもらい、それでも飽き足らず各貴族家で開かれるパーティーや食事会に出席するようになり、十歳の頃には海外の美食までも取り寄せるようになったのです。
平民が食べる質素な家庭料理が美味しいことを知りました。
森の奥深くに住まう民が口にする肉の丸焼きの旨味に、目が飛び出るほど驚くこともありました。
それでもまだ、私は満足できなくて。
他のことなど放ったらかしで美食の高みを目指して突き進んでいるうち、いつの間にか、子豚令嬢と呼ばれるほどに横に大きく、そして顔には肉がたっぷりとついて醜くなってしまっていたのでした。
もちろん後悔してはいません。おしゃれなどにかまけている暇があるのなら、グルメやデザートをいただいている方がよほどいいですからね。
本日は前々からとてもとても楽しみにしていた食事会でした。
何故ならこれは全て、私が強く国王陛下におねだりして隣国から取り寄せていただいたものなのです。
デザートなどもこの国のものと違うものが用意されるということで、楽しみでなりませんでした。
満足できるまで食べ尽くしたいものです。
……そうして浮かれていた私を、食事の直前に邪魔する者がいました。
美食の前に、不要な余興は禁物。なんということをしてくれるのでしょう。
私のことをレイシーと呼び捨てにするのは、確かこの国の第二王子殿下だけだったはずです。
名前は忘れてしまいましたが、そういえば彼は私の婚約者であったことを思い出しました。何度か第二王子殿下に王宮での食事を振る舞っていただきましたが、王宮の料理の数々は残念ながらさらなる美食を知ってしまっていた私の心を昂らせることはなく、二、三度会っただけで王宮に赴かなくなったのでした。
ああ、そんなことより今は料理です。
早く食べないと冷めてしまいますね。ここはとりあえず聞こえなかったフリをして食べ始めることにしましょう。
思い切ってフォークを口へ運ぶと、野菜のほんのりとした甘味とさっぱりしたレモン汁が合わさった絶妙な味が舌に広がりました。
そして素晴らしいアクセントになっているのが、中に入っている赤い果実。このほのかな渋味が全体の味を引き立てていることはすぐにわかりました。あとで料理人の方にこの果の名前を教えていただかないと。
「おい、聞いているのかレイシー! 婚約破棄だぞ婚約破棄。食べてばかりいないで返事をしろ!」
オードブルを完食すれば、お次は隣国でだけ収穫できるコーンという野菜を使ったスープ。
まだ一度も食べたことがないので楽しみです。匂いを嗅ぎ、味を想像するだけでニヤけてしまいます。
「何を笑っているんだ、薄気味悪い。
どうせ食のことを考えているんだろうそうだろう! お前は食べる以外の能がないのか。それだから子豚令嬢だの何だの呼ばれるんだ!
お前の婚約者でいる俺の身にもなってみろ。お前がそんなぷくぷくなおかげでダンスの一つも踊れやしない」
スープを静かに啜り、それと同時にナイフで切り分けたパンを口に含みました。
パンは理想的な硬さで、スープはとろりと柔らかい。それは基本的なこととして、スープの甘みと中に入ったコーンのコロコロとした舌触りがたまりません。
ああ、この味をもっと早く知っていれば良かった。外交上の問題で――長らく冷戦状態にあったのです――隣国の料理をなかなか取り寄せることができなかったのを、私のゴリ押しのおかげで国王陛下が解決してくださったのでこうして食べられるようになりました。今まで味わえなかったことを悔やむと共に、これから好きなだけ食せると思うと喜ばしい限りです。
コーンスープとパンを、じっくりゆっくり味わいました。
「おい!!! 返事をしろよレイシー・グリーメ伯爵令嬢!」
ご丁寧に家名まで添えて呼ばれていますが、私が聞こえないふりを続けます。
続いていただくのはメンディッシュである肉料理。滴る油、こんがり焼けた表面。なんと美味しそうなのでしょう。私はキラキラと目を輝かせました。
そうしている間に、今までは遠くから叫んでいるだけだった第二王子殿下がツカツカと歩いてきて、私の目の前に立ちます。
……食事を妨害するつもりなのでしょう。
「食べるのをやめろ。これ以上太ったら早死にするぞ」
もう聞こえないふりでは通せなさそうです。
さすがに物理的に邪魔をされると困るので、仕方なく答えました。
「ごきげんよう、殿下。この肉料理、一緒にいただきませんか? この食事会のメニューは全て隣国から取り寄せられた食材で作られたもの。どれも絶品ですよ」
「美味そうだな……って、食事の話はもういいんだ!
俺だって食事を楽しみたい。だがお前が大食いの早食いなもんだから俺が一皿食べてる間に机の上の料理が全部消えてるじゃないか!」
確かに私は食べるのが早い方だというのは認めます。
でも、
「それを理由に食事を楽しめないと言われても困ります。私並みに早く食べればいいだけの話でしょう?」
話している間にも肉料理を頬張ります。
ああ、美味しい。いつまでも味わっていたい。しかし宮廷料理というのは一品一品の量がそんなに多くないせいもあって、すぐに食べ終えてしまうのです。
それから海が豊かな隣国で獲れた魚で作ったムニエルなどをいただき、前後左右の机四つに並べられていた料理を綺麗にたいらげました。
……その後も、もう少し食べたかった故に欲を出して、他の机の料理にも手を出してしまいましたが。
「はしたないだろう。それにお前、いい加減に話を聞け。本気で、本気で婚約破棄してやるからな!」
「申し訳ございませんが、婚約破棄とかどうでもいいです。それより今はご馳走を食べ尽くしたいので」
「どうでもいい!? 第二王子だぞ、俺!」
私、身分にはこだわらない主義なので。
第二王子殿下と婚約を結んだのは、単に国王陛下との繋がりを持って美食を提供していただきたかったから。もちろんその縁が切れるというのは惜しいですが、他にもいくつもコネは持っていますしさしたる問題ではないでしょう。
さて、いよいよデザートです。
給仕の人たちの手によって運ばれて来たのは、甘い香りを漂わせるスイーツの数々。
令嬢たちは歓声を上げ、我先にとがっつき始めます。
まったく品がない……なんて、私が言うべきことではないのかも知れませんが。
私も手近なテーブルに置かれたパフェのグラスを引き寄せ、中にスプーンを突っ込んで、味わい始めました。
パフェは一つで何層にもわかれ、たくさんの味を堪能できるのが魅力的です。中身は我が国ではなかなかお目にかかれない食材ばかりで、私の肥えた舌は飽きることなく最後まで食べ切ることができました。
しかしお楽しみはまだまだ。
次に手をつけるのは、ぷるんとした美しいプリンです。
プリンは美味しいのですが、最高の美食とは私は思いません。でもだからこそいい。この混じり気のない甘さが、無性に欲しくなる時があります。
「うん、美味しい」
他の令嬢たちがクッキーやパウンドケーキなどの焼き菓子に夢中になっている間――私に配慮して、私の周りだけ高級スイーツが置かれているのです――私は実質食べ放題。
プリンに、モンブランケーキに、生クリームがたっぷり乗ったロールケーキ。赤ワインと合わせて食べるとさらに美味しくなり、手が止まりません。
そして仕上げはトリュフチョコレート。
トリュフ、以前から存在だけは知っていましたが食べるのは初めてです。
チョコ特有のねっとりとした苦味。そして柔らかな甘味。それは筆舌に尽くし難いほどの美味で、私は思わず目を見開きました。
控えめに言って、最高だったのです。
第二王子殿下はそんな私の様子に気づいたのか、「そんなに美味いのか……?」と隠しもしない呆れ顔で問うてきます。
私は頷き、彼に一つ差し出します。
「どうぞ、殿下も」
「…………いただく」
渋々といった様子の殿下でしたが、トリュフを口にしてくださいました。
素晴らしいでしょう、と私が微笑むと殿下は力無く呟きました。
「可愛い……」
美味しい、ではなく可愛い?
トリュフチョコレートは丸く、とても可愛らしく見えます。そのことをおっしゃっているんだとすぐわかると、私も同意します。
「まったくです。この至高の味に加えてこの見た目、心を掴んで離しませんよ」
同意したはず、なのですが。
「菓子の話じゃない」
「は?」
「可愛いのはお前だよ! なんでそんな豚みたいな醜い顔のくせに笑顔が可愛いんだ。それだから俺はお前のことが嫌いになれないんだろうが!」
パクリとトリュフを頬張りながら、私は首を傾げずにはいられません。
私が可愛い? トリュフではなく?
一体何を言っているんでしょう、この人は。美食に目覚める前の幼少期以外は可愛いなどと言われたことなど、一度もないのですけど。
「殿下の目は節穴だと思います。美食より、私を称賛するなど。それに婚約破棄したかったはずでは?」
おそらくは、料理に夢中な私の注意を引こうとして、婚約破棄などという馬鹿なことをやったのでしょうけど、その程度で私の心が動こうはずもありません。
私が恋するのは料理。第二王子殿下に対しては、これっぽっちも興味がないのですから。
トリュフの苦味の余韻を味わい、その後で赤ワインをグビリと飲み干せば、デザートは終了です。
半時間もかからずに全て食べ終えてしまいましたが、満腹感に満たされ、私はこの上なく満足していました。
「ご馳走様でした」
今日は本当に美食揃いでした。
これを作らせた隣国出身の料理人の腕を買い取った方がいいかも知れません。こんな美食、毎日食べないと損というものです。
早速料理人を探しに歩き出そうと思い立ちましたが、それとほぼ同時に第二王子殿下の怒声が爆発しました。
「本当は婚約破棄なんてしたくないんだよぉぉぉぉ!! 好きだ! 幼い頃のお前に一目惚れしてそれからずっと好きなんだ!!! なのに全然俺のこと見てくれずに料理ばっかり!!
俺は豚みたいな女は嫌なんだ! お願いだから昔みたいにスリムで愛らしい普通の令嬢に戻ってくれ――!」
「それは無理な相談ですよ、殿下」
本当にしつこいですね。
食事会でギャアギャア騒ぐなど、なんと迷惑な方なのでしょう。
その上、告白したも同然の私の現在の体型を貶し、ご自分の好みを押し付けるなんて、失礼にも程があります。
口の周りにへばりついたクリームをナプキンで拭き取りながら、私は静かに言いました。
「私に振り向いてほしければ、至高の美食を食べさせてください。そうしたら私、あなたのことも食べる気になれるかも知れませんよ?」
第二王子殿下は顔を赤くし、それきり黙り込んでしまいました。恥ずかしかったのかも知れません。
ようやく静かになってくれた彼を見やりながら、私は食べ過ぎていつも以上に重くなった腹を抱えて立ち上がり、その場を立ち去ります。
彼が追ってくることはありませんでした。
この時の私はまだ、想像もしませんでした。
まさかこのたった一年後、世界各国を巡って必死に料理修行に励んだ第二王子殿下によって、紛れもなく世界一の手作り料理を食べさせていただくことになるなんて。