怖い話 短編
バイト帰り。
俺に働ける時間の中で最も遅い24時まで仕事をしていた。
暗い。車の通り道ばかり光をさして、自転車の通る歩道はライトがないと近くの電柱が見えないくらいに暗い。
あ、なんだか怖いな。
夏のねっとりとした空気と、どっぷりと浸かったような黒。全くの無音ではなく、どこかで車の走る音や空気の流れる音が首筋を爪でなぞるように流れる。ライトをつけていても自分の漕いでいる足が見えない。
今。
脚を握られたら、誰が掴んだかなんてわからないだろう。もし後ろに人がいたとして。俺はその人の顔を見れないだろう。
こんな深夜でも、人が通る。彼らは本当に人だろうか?いや、今はなんだか怖い気分になっているからこんな考えが浮かんでくるだけだ。
ぬるい、緩い風が吹く。子供の笑い声のような。ケタケタケタ。汗が首筋を舐める。すぐ近くに誰かの顔があるかのようだ。そっと手を触られるような、何か喋りかけたそうな。
唐突に、自転車のライトが消えた。
何も見えない。なぜ急に消えてしまったのか。焦る、自転車を漕ぐ足が加速する。早く帰ろう、早く帰ろうと汗をかく。冷や汗だろう、鳥肌も立っているんだろう。
漕いでいるのに、進んでいるのだろうか。進んでいるはずなのに、今この瞬間が長く感じる。ちゃんとこの自転車は走れているのだろうか。まるで水の中を泳いでいるようだ。
あそこに人影が。あそこに誰かいる。
俺は見ない。見ないようにして通り過ぎる。
またあそこに人影が。気配を感じる。
気のせいだ、さっきのも看板の影だったに違いない。
そう、気のせいだ。考えを変えて見てみろ。いい夜じゃないか。誰もいない?自由ということだ。不穏な空気?かっこいいじゃないか。
そんなことを考えていたら家に着いた。よかった。家だ。
そこで、何かを自転車が引いた。自転車を握る手にその感触が伝わってきた。明かりをつけていなかったから、なんだったかわからないが、まるで人間の腕のような、柔らかいがしっかりとした踏み心地があった。
思わず俺は自転車から降りて、確認した。
蛙だった。
俺は蛙を轢き殺してしまったのだ。
突然の目眩で倒れて病院に搬送された。熱が出たのか、ずっと体がストーブのように熱く、頭の方に痛みが響いた。
次に目が覚めた時、私はベットの上だった。
体調はまだ悪いのか、足や手が重い。生理とはまた違った、何をやるにも元気がないというよりは単純にパンパンのバックを背負ったかのような。
メガネがないせいか、あまり周りがよくわからない。私は今どういう服を着ているのだろう。こういう時、私は何をすればいいのだろう。大人しく先生を待ったほうがいいのだろうか。
しかし、いくら待てども誰も来ない。それどころか、人の気配がない。こういう時は、ナースコールだ。何か、ボタン的なものが……
ない。ナースコールらしきボタンも、それどころかこの病室には点滴すらなく、ただ私の寝ていたベットだけがある。
流石におかしい。私はなんとか重い体を起きあげて、這うようにして病室を出る。
しばらく歩いても、人の気配は一切ない。何も履かずに病室を出たからか床の冷たさが足の裏を舐める。
しばらく歩いてここが異常な場所であることに気付く。部屋の中には誰もいないし、治療室のようなところにも誰もいない。段々と不安が込み上げてくる。そもそも、ここはどこだろう。私はいったい、どうなってしまったのだろう。
すると近くの角からぬらりと其れが現れた。一瞬何かの置物かと思ったが違う。同じくらいの身長なのに、人間の形をしていなかったそれは、ゆっくりと私に近づいてきた。
大きな蛭のような体つき、ブヨブヨと動く脂肪のようなそれが全体を覆い丸くなっている。するりと伸ばすその指はシワシワにやつれていて、人の腕よりも長い。その元の手は丸い体の点々としたところに生えていて、這い出るウジのように動く。
そしてその頭はボサボサの髪のようなものが垂れ下がり、のっぺらぼうのように目や口がないのだが、シワの形がシミュラクラ現象で顔のように見えている。
私は声も出なかった。このまま其れに食べられるのだろう、なぜだかそんなことを思ったが、其れは私に気づかなかったのかそのまま通り過ぎていった。
私は走った。とにかく出口を探す、あまり周りが見えないが、それっぽい方へと走るのに必死だった。体が重い、うまく走れない。これは夢なのではないだろうか。いや、この地べたを走るこの感覚は現実のものだ。
しばらく走ると外へと繋がるドアがあった。ようやく帰れる。森の中だろうか、緑と茶色が視界を塞ぐ。
そして、人に会う。人だ、よかった。おおい、助けてくれ。
だが彼らは私を見ると、発狂し、逃げ去ってしまった。
その時に落としたスマホを覗く。屈むようにして顔を近づける。
其れがそこには映っていた。
芸人として修行中の俺があの有名な芸人さんの前座として呼ばれた。
これはチャンスだ、もちろん客の目当ては俺の後の芸人だろうが、いつもより人が多いのは確かだろう。
俺はここで面白いと思わせる。こんな機会は滅多にない!とびっきりのネタを用意して、俺は本番に備えた。
当日。
舞台に上がって、ギャグを披露する。
自分が面白いと感じるものをみんなに教えたい、そしてできれば周りのみんなにも面白いと思って欲しい!
だが数分でそんな思いはすぐに消えた。
「この後、老人がすっ転ぶで!」
「あははははは」
客に一人、俺のネタの先を言う奴がいた。
それどころか。
「わしならここでこういうわ。それショートケーキのいちごを落とすようなものやん!」
「うわー、くっそつまらん笑いやな!どれわしが裸になって戯けてみよかー?」
そいつは俺の舞台を滅茶苦茶にしてきた。客の何人かは純粋に俺のギャグを楽しみにきた人なのに。クソつまらない合いの手で俺のギャグが潰されているのだ。
しかし、本当につまらない合いの手だ。笑っている方も愛想笑いで、迷惑がっていることがわからないのか。
俺のギャグが面白いと思って、笑ってくれる人がいる。だが、あいつがそれに被せてきて、笑えなくなってしまう。
俺はたまらず触れてしまった。
「ちょいちょいお客さん、困りますって!俺のギャグ殺されとるやないか!」
「あははははは!」
戯けていっているが、本当はこの腹は煮えくり返っている。もうやめてくれ、もう俺を殺さないでくれ。
「は?お前のことなんか興味ないねん。さっさと帰れやヘボ芸人!」
静寂。
誰も何も言わない。
俺も何も言えない。
結局。俺は、なぁなぁで終わらせるしか、できなかった。
結局。俺のギャグで、誰も笑わなくなってしまった。
これが俺の最も怖かった話だ。