第8話 関東の義朝⑦─大庭兄弟(前編)─
1
改めて静岡の地を発ったのは、桜が咲き始めた3月初めのことだった。
「もう君たちが発つ日が来るとはね」
「4ヶ月も間、お世話になりました」
俺と正清はそう言って、深々と頭を下げた。
「気にすることはねぇよ。もしお前たちに何かがあったとき、微力ながらも力になろう」
「ありがとうございます」
「そうだ。この前君と戦ったのは、実は正清と計画していたんだよ」
「え!?」
驚きのあまり、一瞬声を失った。数か月前の対決は、仕組まれたことだったのか。
当然のことのように正清は言う。
「そうだぞ」
「なんで最初から言わなかったんだよ」
「だって、そうしたら、お前絶対手抜くから」
「俺はいつでも真剣勝負だ!」
そう俺は言い返そうとしたとき、正清の父は俺の肩を叩いて、
「お前に主君としての器があるかどうかを試すためだよ。自分の意地と誰かの言葉を聴く力、そして、それに相応しい実力。人の上に立つ者には、この三つが必要だ。でも、君にはその三つが揃っている。自信を持って坂東へ行くといい」
と激励の言葉を送った。
「はい」
「よし。また来いよ。待ってるからなー」
「くれぐれも風邪をひかないでね」
手を振って、正清の両親は見送ってくれた。
2
駿河の鎌田家をたった俺と正清は、伊豆を経由し、箱根山を越えて相模へ入った。
小田原へ入り、酒匂川を渡って大磯へと向かおうとしていたとき、
「お前たち、源氏の者たちだな」
稚児髷を結い、甲冑を着て馬に乗り、軍勢を率いた少年が俺と正清の前に立ちはだかった。稚児髷の少年は言う。
「おれは鎌倉権五郎景政の末大庭景親。亡き父上の遺言に従い、大庭御厨と鎌倉の地を守護している。お前たち兄上の手のものか?」
「違うな。ただの旅の武士だ」
そう義朝が返そうとしたとき、正清は、
「違うな。俺たちは源義朝の家臣だ。ここを通させてもらいたい」
「源氏か。やってしまえ」
景親は背後にいた郎党たちに命じた。
「やるしかないようだな」
「ああ」
腰に帯びた刀を抜いて、迫りくる景親と名乗る少年の率いる軍勢と対峙した。
景親の率いる軍勢はおよそ30人。二人で対峙するにはちと多すぎるか。おまけに背後には川。逃げたら溺れ死ぬ。負けたらここで首をはねられる。勝っても無傷では済まない。一か八か、やるしかない。
二手に別れ、一人15人を相手に戦う。
さすがに一人で一気に15人全員を殺すのは無理がある。なので、力の限り走って、追いついてきた下人を斬っては逃げ、また斬っては逃げを繰り返した。
おかげで5人ほど倒すことができたが、下人の一人が放った矢が肩に命中し、落馬した。
落馬したのを好機と見た下人たちは、これみよがしに薙刀の切っ先や刀の白刃をきらめかせ、俺の首を取ろうとしてくる。
(もう、ここまでか)
俺は死を覚悟した。短い旅だった。目的は達成できなかったけれど、楽しかったからもういいや。正清ごめんな。強く生きろよ。
諦めて念仏を唱えようとした。だが、そこへ立派な鎧を着た軍勢3人がこちらへ向かってきた。
正清が殺された、という最悪の事態を想像した。
だが、意外なことに、俺の首を取ろうとしてきた軍勢に攻撃を仕掛けてきた。
「あ、ありがとう」
お礼を言うと、仲間と一緒に戦っていた総髪の少年がこちらを向いた。
少年は景親と同じ顔をしている。
(どういうことなんだ?)
何のことだか、さっぱりわからない。
景親そっくりな兄弟ということも考えてみた。顔かたちがそっくりな兄弟というのがたまにいる。彼らはそんな世にいるそっくり兄弟の一組なのだろう。
戦いながらこちらを再び振り向いた景親と同じ顔の総髪の少年は、
「私は大庭景義。大庭家の正当な跡取りです。わたし達の軍勢が景親の軍勢を食い止めている間にあなたたちは、逃げてほしい。絶対にお守りします。命があったら会いましょう」
と名乗りを挙げた。どうやら敵ではないらしい。
「何だかわからないが、ありがたい」
景親と瓜二つの総髪の少年景義に助けられ、何とか逃げることに成功した。
3
小田原を出た俺たちは、大磯に出た。
大磯では、俺の傷の治療を兼ねて、荒れ寺で雨風をしのいでいた。
大磯に来て、4日目の破れた障子の隙間から射し込む春の夜の月明かりがまぶしい夜のこと。
矢傷の治療のため、正清から新しい包帯を巻いてもらっていたときに俺は、
「しかし、あの少年たちは何者だったんだ」
とつぶやいた。
包帯を巻きながら、正清は聞く。
「どうしたんだ?」
「討ち取られそうになったとき、景親と同じ顔をした少年率いる軍勢に助けられた」
「ほう。こっちも追い詰められたときに、武者が5人やってきて助けられた」
「あいつらは誰なんだ?」
「あいつらは鵠沼辺りを支配している大庭家の小僧だろうな」
「ほう」
初めて聞く氏族だ。
親父から何も教えられずに育ってきた俺は、東国の事情については疎かった。せいぜい知ってるのは、下野と上野にいとこがいるくらいで、武蔵にはこういう家、相模にはこういう家があるということは、ほとんど知らない。
「大庭家は鎌倉権五郎の末裔で、源氏に代々仕えている家柄だ」
「なるほど。では、なぜ、景親は俺たちに矢を向けた? 俺たち源氏が主家なら、それは不忠にあたるはずだが……」
「きっと、何かしらの事情があるのだろう。もし、考えられることがあるとすれば、東国の武士たちは忠義よりも身内の愛情を優先する。ただ一つのことを除いてな」
「身内の愛情?」
「ああ。東国の武士たちは、みんな親戚みたいなもんだからな。だから、連帯感が強いんだよ。ただ一つの例外は、ちとややこしい話になるから省略させてもらうが」
「ほう」
初めて知った。東国の武士たちがみんな親戚だったとは。
後で義明や広常たちから家系図を見せてもらったことがある。そのとき二人の先祖が高望王に行きつくことを知った。清盛の先祖もそうだ。
「貴族たちとは違うんだな」
感想を俺は述べようとしたとき、鎧の板がぶつかり合う音がした。
腰に帯びた刀に手を触れ、出方を伺う。
(景親の追手が、ここまで来たか)
と考えると、少し不安になってくる。この義朝、関東下向を甘く見すぎていた。家出感覚で出てきたが、いざ出てみると、価値観があまりに違いすぎて、ついていくのでやっとだ。
音の持ち主がこちらへやってきた。胴や盾の上に鎧直垂を着た下人だった。
「何用だ?」
俺たちを見るや、下人は跪き、
「あなた方が、源義朝公と鎌田正清でしょうか?」
と聞いてきた。
「ええ」
「景義殿が探しています。共に参りましょう」
「そう言い切れる証拠はあるのか?」
「それならば──」
下人は鎧直垂の懐から、書状を取り出した。
そこには、源義朝公及びその臣鎌田正清、我が館のある懐島まで来てほしい、という旨のことが書かれていた。本人の花押と思しきものもしっかりある。
「わかった。行こう」
「では、明日の朝またこちらへ伺いますので」
鎧を着た下人は、俺たちに馬の手綱を引いて東へ向かっていった。