第75話 平治の乱・序①─急変─
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「如是我聞...」
内裏の持仏堂で、信西は読経をしていた。
お経を読み終え、念仏を唱え終えたあと、後ろに気配を感じた。
振り返ると、そこには従者であり忍びでもある武沢が控えていた。
「殿、大変です」
深刻そうな顔で、武沢は申し上げようとする。
信西は、どうした? と尋ねる。
武沢はひざまずき、頭を下げて、
「六条の源氏屋敷に、不穏な動きあり」
と答えた。
「詳しく」
「先ほど六条堀川の源氏屋敷の偵察をして参りましたが、屋敷に鎧を着た武者たち数百人が参集しておりました。気になった私は、警備の抜け穴を突いて、源氏屋敷の中を見て参りました。そうしたら、左馬頭殿が、標的は内裏と三条西洞院にある信西の屋敷、そして院の住まう御所と言っておりました」
「なんと!?」
信西は驚いた。義朝を諭したことはあった。真意を話して納得してくれた様子だったから、謀反を起こそうと思ってないと考えていた。が、表だけでは推し量れないのが人間。納得したように見せておいて、心の奥底では恨みに思っていることだってある。きっと、自分の恩賞のことを恨みに思って自分を殺そうとしているのだろう。そう思った。
(待てよ、それだったら、殺されるのは自分だけでいいはず。まさか──)
信西は組織的犯行を疑った。義朝の裏に自分をよく思っていない勢力がいて、彼らが自分を殺すのと同時に、帝や院を押し込めようとしているのではないか? だが、今は家族や使用人の命を何とかして救わねばならない。
深呼吸をした信西は、
「家に戻る」
と言って、
「武沢は家族にこの旨を伝えてくれないか? そして集まってほしいとも」
と言伝をした。
「わかった」
武沢はうなずき、自分の背丈より高い築地を飛び越えて信西の家族のもとへ向かった。保元4年12月4日の辰の刻のことである。
信西入道は急ぎ家に戻り、家族を集め、源氏一門の襲来を伝えた。
妻である紀伊局やその息子たちは、緊急事態に慌てふためいている。
信西は静かにするよう言った。
ひとまず騒ぐのを辞め、家長の方を見る信西一家。
「みんな、よく集まってくれた──」
信西は改めて、武沢から入った急変について話した。
「私たちはどうすればいいのですか?」
信西の妻である紀伊の局は聞いた。
「なるべくバラバラに散ってほしい。一緒に逃げたら、相手も感づくだろう」
「でも、貴方はどうするおつもりで?」
「私は後で逃げる。大和にある領地へな」
「そんなことをしているうちに源氏の大軍が来たら、どうするつもりですか!?」
強い口調で、紀伊の局は聞いた。
「……まあ、大丈夫だろう。お前たちも大事だが、それと同じくらいに、ここに仕えている者たちの命も大事だ。このことを伝えなければ」
「でも……」
貴方の命が何より大事です、と言おうとした紀伊の局を信西は遮り、
「一刻も早く、ここを離れろ。時間がない!!」
と一喝した。
「もう、知りません!!」
紀伊の局はヒステリックを起こし、部屋を出ていった。
「よくも、母上にあんな態度を」
信西の息子の一人静憲は声を荒げて言った。
「まあ落ち着け」
信西は怒る息子をなだめたあと、
「お前が怒りたくなるのもわかる。でも、あいつには生きていて欲しい。だから、あえてあんな態度を取ったんだ。もしあいつが生きていたら伝えてくれ。愛してる、って」
と言った。
信西の言伝を聞いた静憲はしばらく考えたあと、
「わかりました」
と言った。
「それでいい。生きていたら、大和で会おう。絶対に死ぬなよ」
最期の言葉を聞いた静憲は、支度をしに向かった。
「さてと……」
従者たちへの説明を終えたあと、信西は藤原師光、同成景、同師清、清実ら4人の武者を呼び出した。
「逃げるぞ、私たちも」
「はっ」
信西も逃げる準備を始めた。
このまま逃げると相手に悟られる危険性があったので、途中山伏の格好に身をやつし、自身の領地がある大和を目指して逃げ出した。
3
9日夜。後白河院のいる三条殿では、宴が開かれていた。
三条殿の庭には屋根のついた舞台が建てられ、その上で楽人たちの奏でる琴や笛、笙の音に乗って、後白河院は白拍子たちと謳い、踊っていた。篝火に照らされた遊女と貴人の舞は、天界の天人たちの舞にも似た神々しさがあった。
その雅やかな空間の中に、一人の甲冑を着たやつれた男が乱入した。
「上皇様、アタシよ」
歌っていた後白河院は、痩せた男の顔を見た。
「誰だ、お前は?」
後白河院は目の前の男に尋ねた。
男は、信頼よ、と答えた。
「おお、信頼か。どうした、こんなにやつれて? 夜更けにこんな甲冑なんかをつけて?」
「大変よ! 貴方を討ち取ろうと、信西入道が挙兵をしたわ!!」
「ほーう。とうとうこの私に愛想を尽かしたか」
後白河院は笑みを浮かべた。
「今義朝ちゃんが助けに来たわ。牛車があるから乗って!!」
「わかった」
後白河院は信頼たちに守られ、院の御所を出た。
それを脱出を合図に、三条殿の寝殿に一気に押し寄せて来る武装した兵士たち。その中から白馬に乗り、大鎧に身を纏った義朝が現れ、自身の率いる兵士たちに号令をかけた。
「三種の神器の複製と信西入道を殺せ!」
4
後白河院のいる三条殿に源氏軍が攻め入ったのと同じころ、内裏にも源氏軍の兵士たちが押し寄せていた。
源氏軍の兵士たちは、防衛する左右の衛府の役人たちや滝口らと交戦している。
「どうすればいいんだ」
滝口の武者らにより経箱の中に隠された二条帝は、怯えている。源氏の武者が乱入してきて、寝ている自分を無理やり起こし、どこかへ連れ去ろうとしてきた。幸い滝口の武者に助けられ、騒ぎが収束するまでここに隠れているよう言われた。
刀や薙刀が合わさる音、兵士たちのどよめき、殺されゆく舎人や官女らの断末魔が、京都の冬の凍てつく空気に混じって、経箱越しに聞こえてくる。
「怖いよ、怖いよ……」
今はまだ滝口の武者や左右の衛府の役人が守ってくれているからいい。でも、いずれは見つかって捕まってしまう。もし見つかったら、自分はどうなるのだろう? そう考えると、怖くて仕方なかった。
「見つけたぞ!」
一人の胴丸を着た兵士が蓋を開け、二条帝を見つけた。
(見つかった……)
やばい、殺される。そう思った二条帝は、心の中で「南無観世音菩薩」と必死で唱えた。
「帝、さあこちらへ」
手を差し伸べる源氏軍の武者。
恐怖でうずくまっている二条帝。
「恐れることはありません。私たちは、帝をお助けするため、内裏に攻め入った所存。悪いようにはしませぬ」
そう言って、武者は仲間たちに目配せをし、二条帝のいる経箱の周りを取り囲む。
(もうダメだ......)
そう思った矢先、一人の白い狩衣を着た青年が現れた。場違いな青年は、武者たちの間に入り、
「開けたまえ」
と言って経箱に近づき、
「遅くなって、申し訳ございませぬ。師仲です」
と二条帝に手を差し伸べた。
「師仲か。会いたかった」
頼りになる臣下の一人が駆けつけてくれたことで、二条帝は安堵し、気を失った。
「怖かったろう」
二条帝を抱きかかえた師仲は、武者の方を見た。
「貴様!!」
武者は師仲に向かって、斬りかかった。
「こんなものなど、効かん」
師仲は手を出して結界を張った。
放たれた刀は、突如できたガラスの膜のようなものに跳ね返され、折れた。
「こいつ、人間じゃねぇ!!」
何もせずに刀を折った青年を見た武者は、恐れをなして逃げ出した。
「参りましょう、上皇様のもとへ」
二条帝を守りながら、師仲は去っていった。




