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第74話 大乱前夜


   1


 師仲から命をうけた俊寛は、惟方に案内され、そのまま信頼のいる山奥の山荘へと向かった。

 山には、生気のない目をした人間たちがたくさんうろついている。木の根元で独り言をブツブツつぶやく者、見えない何かに怯えている者、奇声を上げている者。

「信頼、様ですか?」

 目の前にいた信頼は、今までの服を着せた雪だるまのような姿ではなかった。

 こけた頬。鶏ガラのように骨の浮き出た腕。ボサボサに伸ばし、虱や蚤の湧いた髪。ボロボロに破れた衣。今までの面影は全くといっていいほど無い。

 声をかけられた信頼は、俊寛のいる後ろを向き、

「そうよ」

 と答えた。

「覚えていますか? 俊寛ですよ」

「覚えているわ」

「お久しぶりです。信頼様」

 挨拶をしたあと、俊寛は山へ登るときに見た不気味な人間たちのことについて聞こうとした。

 信頼は俊寛の疑問を遮り、

「今から面白いものを見せてあげる」

 と喜ばしそうに牢に入った人間を見た。

 牢に入れられた人間は、子ども、若い女性、白髪を蓄えた老人であった。彼らは先ほど山で見たときの人間とは違い、まだ正気を保っている。

 信頼は下人に頼んで子どもを出してもらった。そして少年の頭を触って呪文を数回唱える。

 呪文を唱え終えると、少年はいきなり涙を流して、

「父ちゃん! 母ちゃん!!」

 と叫び始め、手を出して暴れはじめた。

 突然の出来事に、俊寛は耳を塞いだ。

「この子人買いが売っていたから買ったの。手を当ててこの子の記憶を覗いて見たのだけど、両親を盗賊に殺された見たいね。食えなくなって自らを商品として人買いに差し出した。両親が殺されるところを思い出させてあげたのよ。あ、こんなこともできるようになったわ」

 信頼は若い女性を呼び出した。

 が、若い女性は頑固として動かず、牢の中でうずくまっている。目には生気が無く、その下には大きな隈が出来ている。そして口元を小刻みに動かし、許せない、とボソボソつぶやいている。

 頑固として出ないと察した、信頼は自ら牢へ入り、若い女性の頭を触った。そして呪文を唱えた。

 すると、どうだろうか、若い女の顔に生気が戻り、先ほどよりも明るくなっている。

「あれ、めちゃくちゃ元気出てくる!!」

 先ほどの様子が嘘であったかのように、女は立ち上がり、信頼にこの牢から出すよう言った。

 若い女を牢から出したあと、信頼は、

「この人は男に捨てられたかわいそうな人よ。泣いているところを私が拾ってあげたの。さっきは彼女の『男に捨てられた』という記憶を消してあげたわ」

 と解説した。

「す、すごいです……。」

 これしか言葉が出なかった。

 信頼の持つ「記憶を操る能力」は、対象となる人物の記憶を操作することで、一人の人間を破壊したり救ったりできるのだ。この力をもし、力のある人間に使い、ある特定の方向に向かわせることができたのなら、どれだけ恐ろしいか想像がつかない。

「俊寛君、君が来たということは、そろそろこの力を使う出番が来たのかしら?」

 信頼はそう聞くと、俊寛は、うん、とうなずく。

 俊寛は、車も用意しているので、早く来るようにという旨のことを伝えた。

「わかったわ」

 俊寛に導かれ、信頼は師仲の用意してくれた牛車に乗る。


   2


 由良の死後、義朝は黒衣となった。

「頼朝、今日からお前が棟梁だ」

「そんな、まだおれは」

「大丈夫。お前ならやれるさ。ほら、餞別だ」

 義朝は普段使っていた鬼切丸の分かれを頼朝に差し出した。

「この剣は俺たちの直接のご先祖様である頼信公が惣領の先祖頼光公から勝ち取り、代々受け継がれてきたものだ。もとは七尺ある一本の大太刀であったが、義平が義賢との戦いで折られて以来、二振りの太刀となっている。お前には既に一振り与えているが、俺のもう一振りを預ける。受け取れ」

「そんな、鬼切丸を二本なんて……」

 頼朝は首を横に振った。

 断る頼朝の手を取り、無理やりもう一本の鬼切丸を手渡した。

「いらないなら、今若や乙若、もしくは常盤がこれから産むお前の新しい弟に与えてやれ。弟の幼名は、牛若丸と決めている。このことを伝えてやってくれ。じゃあな、新たな源氏の棟梁」

「父上……」

 この日、六条の源氏屋敷から義朝は姿を消した。

 冬の到来を告げる冷たい風とともに、墨染めの衣を着た義朝の錫杖の乾いた音が鳴り響く。


   3


 小春日和の穏やかな陽ざしが縁側に降り注ぐ六波羅の平家屋敷の縁側で、盛国と清盛は薙刀の練習をしていた。

「とどめだ!」

 盛国は木でできた模擬戦闘用の薙刀の切っ先を転んでいる清盛の目の前に向けた。

「くそ、また負けたや」

 悔しそうな、けれども楽しそうに顔で清盛はつぶやいた。

「お前は平家の棟梁。それだけでも価値があるから、弱いでは困るんだ」

 薙刀の構えながら、盛国は真剣な面持ちで忠告した。

「みんな強すぎるんだよ。ちっとは手加減してやったっていいだろ?」

「前みたいなことがあっては俺たちも守り切れない。それに、一軍の大将が弱いとあっては、平家としての矜持に関わる。ほら、次もやるぞ!」

「はいはい」

 強い剣幕で盛国に言われ、再び木刀を構える清盛。

「精がでておりますな」

 清盛と盛国が稽古をしている目の前を、直垂を着た家貞がやってきた。

「おう、家貞か。こいつを鍛え直してやってくれよ」

 盛国は清盛の手を強くつかんだ。

「痛い、痛いって!!」

 痛がる清盛。

 家貞は苦々しい顔で、

「私は遠慮しておきます。もう年なので……」

 と断った。

「いくら殿が可愛いからといって、甘やかすのはよくありません」

「まあ、がんばりなされ」

 そう家貞が言おうとしたとき、清盛は、あっ、とつぶやいて、

「家貞、待ってくれ」

 と引き留めた。

「どうなさいましたかな、殿?」

「来月熊野へ行きたいと思っている」

「ほう」

「この前亡くなった義朝の妻の供養、そして一門のこれからの隆盛のために、熊野へ行きたい」

「ふむふむ」

 優しい笑みを浮かべ、家貞はうなずいた。

「助けられなかったのは、心残りだ。あいつは誰よりも奥さんを愛していたからな。だから、せめて供養ぐらいはしてあげたいなって思って」

 熊野詣へ行きたい清盛の理由を一通り聞いたあと、

「よい心がけと存じまする」

 もっともらしくうなずいて、こう続けた。

「ですが、問題は前のようなことが起こるかもしれぬゆえ、準備は秘密裏に行わなければいけませぬな」

「ああ──」

 平家の棟梁である自身が不在となれば、どんな影響が出るかわからない。近ごろはいろいろ物騒な世情だから、また前みたいに源氏家臣団の誰かが蜂起するということだって考えられる。脅威はそれだけではない。信西と敵対している藤原信頼と源師仲率いる二条親政派がクーデターを企てることだって十分あり得る。

「そうならないように、いや、そうなっても対処できるように、頼んだぞ、家貞」

 幼少のころから自分によく仕えてくれる乳父であり一門の重臣である家貞に、清盛は声をかけた。

「わかりました」

 家貞はうなずき、清盛の前を去っていった。

 この後清盛は俊寛を呼び出し、熊野詣の件を一門の者たちに伝えるよう命じた。


   4


 連絡を終えたあと、俊寛は伏見の師仲の屋敷へ向かい、清盛が熊野詣に行く日時を伝えた。

「そうか。12月1日か。当日か二日目にやると確実に帰って来るだろうな。でも、さすがに3日後ともなれば、清盛たちもさすがに紀伊や大和の山奥にいることだろう。決行はその日にする」

「わかりました」

「疲れているところ悪いが、みんなをここに集めてくれ」

 俊寛は師仲の配下の者たちに、先ほどの師仲の口から出た命を伝え、指定の人物に伝えるよう命じた。


 戌の刻。師仲の臨時招集により5人の同志たちが、この師仲邸に集まった。

「みんな忙しい中よく来てくれたことに感謝する」

「そろそろ決戦の時が近づいたのですかな?」

 惟方が楽しそうに聞くと、師仲は、ああ、とうなずき、こう宣言した。

「惟方の言う『決戦』についてだ。12月4日夜に、三条西洞院にある信西入道の屋敷と帝のいる内裏、そして上皇様のおわします高松殿を襲う!」

 ざわつく同志たち。日本の歴史において、崇峻天皇のように暗殺された事例はある。が、帝と上皇を幽閉するなど、前代未聞のことである。

「正気ですか!?」

 同志の一人で最年少の成親は、師仲のトンデモ発言が正気かどうか聞いた。

「ああ、正気だ」

「兵力はどうするのでございましょうか?」

「義朝を使う」

「でも、あの人は──」

「そのための『記憶を書き換える能力』さ。あいつを捕まえて記憶を書き換えれば、造作もない」

「左典厩は強うございます。あの男に勝てる者など、彼の師である頼政ぐらいしか──」

「いや、ここにいる。私がそうだ」

「貴方にそのような力があるようには……」

 思えませぬ。そう言おうとしたとき、師仲の瞳は金色に輝いた。白目は燃えるような紅に染まっている。爪は鋭くなり、犬歯は牙へと変わる。そして尻からは黄色い鱗を持った尻尾が生えてきた。

 師仲が変化するのと同時に地鳴りがした。その後に強い揺れが起こり、庭の灯篭を落とし、池を波立たせた。そして左手で成親の首をつかみ、右手の人差し指の爪の先を喉元に突きつけ、

「これでも、義朝に勝てないと思うのか?」

 と聞いた。

 涙目になりながら成親は、

「勝てます。だから許してください……」

 と命乞いをした。

「それでいい。そもそも軍勢なんていらん。だが、能力を使って何の力もない人間たちを殺せば、奴らが総がかりで私を殺しに来るから渋々そうせざるを得ないのだ」

 そう言って師仲は人の姿に戻り、恐怖で立てなくなった成親を解放した。

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