第71話 崩れる平穏
1
義朝には、多くの妻がいる。
一人は三浦義明の娘、二人目は熱田神宮宮司藤原季範の娘由良、三人目は相模の豪族波多野氏の娘、四人目は遠江にいる遊女、最後は常磐御前である。
「義朝の妻が多すぎないか?」
「遠隔地に住んでいるのに愛が冷めないのか?」
という指摘もありそうなので言っておくが、当時の平安貴族はこれが普通であった。
義朝たちが生きていた頃の結婚観は、鎌倉から現代とは違い、男が女の元へ通うのがスタンダードであった。もちろん鎌倉以降と同じように、1つ屋根の下に住むという形態もあったが、こちらはあまり一般的ではなかった。
義朝は由良と一緒に六条の源氏屋敷で暮らしている。他にも、彼女との間に生まれた希義、彼の異母兄で波多野氏の娘を母としているある朝長、今若、乙若、娘たちが暮らしている。
常盤御前も暮らしていたが、前の騒動があったので、お腹の子供に障るとよくないということで、別邸に疎開している。
彼女との間に生まれた頼朝とは去年まで一緒に暮らしていたが、武士としての心構えを学んでほしいということで、彼の育ての親でもあり師匠でもある頼政のところへ預けている。
「そうだ、今度久しぶりに清水へ行かないか?」
夕食の時、義朝はふとこんな提案をした。
「いいですねぇ。最近は紅葉もきれいでしょうし」
「最近いろいろ忙しくて、構ってやれなかったからな」
時兼と常胤が乱心して六波羅の平家屋敷へ討ち入ったこと。信頼に武芸を教えなければいけなくなったこと。お盆時に平家方が襲撃をかけ、大混乱になったこと。今年の春に入ってから義朝の一日は多忙であった。
それだけではない。源氏軍団は平家とは違い、血族や住んでいる場所、生活習慣、文化・風習も違う者たちの集まりである。だから、京都方式が通じないこともあるから、どうすればいいかを考えねばならない。また、郷に入っては郷に従えという言葉がある。そのため、長年暮らしていると、いくら彼らが地方から上洛してきたからといって、他所者だからという一言では済まされない。京都の慣習を教えなければいけない。
問題はそれだけではない。家臣や貴族たちとの同士のいざこざなどの話を聞いて仲裁することも彼の役目である。
大変なことばかりで怒り出したくなる日々。だが、由良や息子たちといった家族の存在が、こうした日常の憂いことを忘れさせてくれる。特に由良の存在は大きい。彼女は、政略結婚ではなく、互いの好意で結ばれているから。もし彼女がいなかったら、逃げていたことだろう。
「では、9月の中ごろに行こうか」
「わかりました」
2
9月20日。義朝は数人の護衛を引き連れ、清水へと向かった。
岩場に組まれた高いお堂の下には、枝を伸ばした楓の葉が紅に染まり、紅葉となっていた。
紅葉となった葉は、秋風に揺れて宙を舞い、朝露に濡れた参道に落ち、真っ赤に染め上げている。
観音堂を参拝したあと、清水の舞台の上に立った。
貴族の屋敷、荒廃した羅城門、東寺の五重塔、神泉苑の池、大内裏とそれを取り巻く役所。清水の舞台からは、霜に包まれた京都の街を一望できた。
舞台の下を見てみる。
舞台から地面までの距離は、飛び降りたら、骨折どころでは済まないくらいの高低差があった。その高低差のある舞台と地面との間で組まれている柱と梁の間を、真っ赤に色づいた紅葉の葉が染め上げている。
「きれいですね」
京都一帯を見渡せる清水の舞台から見える紅葉を見ながら、由良は言った。
「ああ」
感慨深そうに義朝はうなずいた。
清水寺に祀られていた観音を拝んだあと、近くにあった音羽の滝へと向かった。
清水寺からの帰り道。五条大橋を渡ろうとしていたとき、一人の男が倒れているのを見かけた。
脂汗をかいた男は、うめき声を上げながら、腹を抱えて倒れている。
「大丈夫ですか!?」
由良は倒れている老人に声をかけた。
「痛い、痛い……」
息切れをしながら、老人は苦しそうに言った。
「あまり構うな」
義朝は制止した。そして左に帯びている鬼切丸の柄に手をかける。
「どうして制止するのですか!?」
「ああいうのには関わらない方がいい。大体橋のど真ん中で大の字になってのたうち回っている時点で怪しいと思わないのか」
「でも、顔色が悪いですよ」
改めて義朝は、倒れている男の方を見てみた。
男はこの時期には似合わないほどの脂汗を額に浮かべているうえ、顔色も青白い。由良の言う通り、彼は本物の病人である。助けてあげないと。
「わかった。助けてやれ」
由良と義朝は老人を助けることにした。従者に検非違使を呼ばせた。検非違使が来るまで、義朝と由良は老人の世話をして待った。
3
義朝たちが日帰り旅行から帰ってきた日の夜。京都から離れた場所にある山荘で、師仲は老人と話をしていた。
老人はボロボロの色褪せた藍色の水干を着、よれよれの烏帽子を被っている。とてもではないが、一目見ただけでも、師仲のような貴人と相対する身分の者ではないとわかる。
「やったか、惟方」
師仲は自身の目の前にいる卑しい格好をした老人に声をかけた。
「ええ、やりましたとも義朝のやつ一瞬でワシのことを哀れな病人だと思い込んだわ」
老人の変装をしていた惟方は、老人とは思えぬ張りのある声で、高らかに笑った。
「これで計画は完璧だ。源氏と平家の対立は、より表層的なものになるであろう」
うれしそうな笑みを浮かべ、師仲は言った。
師仲にとって、後白河院を傀儡とし、貴族の世を破壊しようとしている信西は邪魔者である。
その貴族の邪魔者信西を守っているのが、平家である。平家をどうにかせねば、自身の計画に支障が出る。最悪の場合島流しもしくは斬首にされるのも覚悟しておかなければいけない。
平家と同じくらい邪魔である存在が、源氏である。
源氏には信頼の監視が入っているが、彼らも野蛮な武士。何かあったら自分たちを殺しかねない危険な存在。
師仲たちとは系統は違えど、義朝や頼政も同じ「源」の姓を持つ者。伊勢斎王の予言に準拠すれば、ここから末法より100年の後に現れる弥勒菩薩が生まれる可能性だってある。仮にあんな卑しい河内源氏や摂津源氏から弥勒菩薩が出たなら、源の姓を持つ者たちの中で一番の力を持つ村上源氏の面に泥を塗ることになる。
その源氏と平家であるが、仲は悪くない。式神の報告によれば、彼らは時折親善試合をしたり、宴を催したりしていると聞いている。これも、貴族たちにはよくない兆候である。
仲のいい私兵集団の集まりである源氏と平家を信西は一つにし、嵯峨帝の御代に廃止した国軍を復活させようとしている。仮にそうなれば、彼の警備もより強固なものになるだろうし、自身に反抗する者たちへの対処もしやすくなる。
それを阻止するためには、まず源氏と平家を争わせ、弱体化させる必要がある。その後に信西を殺さなければいけない。そして、二条帝の後見という信西の後釜に自分がなる。
また、信西の権力強化は、師仲のような代々続く貴族にとって、存在の根幹を揺るがす一大事なのである。もし彼が国軍を復活させたなら、その力でもって、違法な荘園を一斉摘発をするだろう。だから、何が何でも、信西だけは殺さねばならない。そして、数百年続いた貴族社会を存続させなければいけない。
4
義朝と由良は、清水から帰ってきた。
玄関で足を洗い終え、家の中へ入ろうとしたときに正清に声をかけられた。
「どうした、正清?」
「奥方様より怪しげな気を感じたが、何か心当たりはあるか?」
突拍子もない質問に、義朝は首を傾げた。
「特にないが」
「こんなことを言って悪いが、奥方様から能力者の気を感じた。かなり邪な気だ」
「気のせいだろう」
「お前からは彼女ほどではないが、わずかに感じる。本当に、何か気がかりなことはないんだろうな?」
「病人を介抱しただけだ。何も悪いことはしていない」
次の日の朝。
掻い巻きを上げ、義朝は起きた。
(何か、寒いな)
ブルブルとする寒気を感じる。もう10月も終わりだから朝も冷え込むから仕方ない。そう思いながら、掻巻から出て立ち上がってみる。だが、寒さは倍になって義朝の身体に染み渡る。
(風邪を引いたか)
何たる失態。義朝は風邪を引いた
普段義朝は風邪は引かない。流行り病が起きたときでも、罹らずにピンピンしている。そんな自分が、今こうして熱で臥せっている。自分は何か神仏の意に背くようなことをしたのであろうか? 確かに自分は、殺生に殺生を重ね、今の地位にいる。竹内に操られてはいたが、実の父をこの手で殺めている。おまけに神仏とかはあまり好きではないから、あまり参詣することはないし、念仏とかを日々唱えることはしない。
(今まで無信心だったから、観音様が罰をお与えになられたのか……)
それならば仕方がない。
この日は日課としていた素振りは辞め、一週間ほど大人しくしていた。
異変が起きたのは、義朝が風邪から回復した頃だった。
由良が高熱で倒れたのである。
熱は次第に酷くなっていき、皮膚には赤い斑点がちらほらと見られるようになっていた。
義朝はすぐに薬師を呼び、由良を診てもらった。
薬師の診断は、
「疱瘡」
であった。




