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第64話 信西の過去⑥─出家─


   1


 宇治から都にある家に帰ろうとしている帰り道のことだった。

 宇治から伏見へ行こうと賀茂川を渡ろうとしたときに、枯れた葦原の中から、黒づくめの男たちが、刀を持って、襲撃してきた。

「刺客か」

 私は牛車から出て、刺客たちと対峙した。

 相手は12人くらいだったか。全員黒い水干を着、顔には僧兵のように頭巾を巻いている。だが、普通の僧兵と違うのは、体格がやたら貧弱なのと、頭巾が黒であることであろうか。

「来るなら来い!!」

 私は徒手空拳の構えを取った。

 武器を持っていないと見た刺客の一人は、刀で私を目がけて袈裟に斬りかかった。

 私は低い位置から相手の脛に蹴りを入れた。そして体を崩したところで、彼が腰に帯びていた短刀を引き抜き、それを首に斬りつけて絶命させた。

 一人を殺したあと、持っていた刀を左手に持って、残る刺客数人と対峙した。

 ──相手は残り11人か。

 分が悪い。こちらには護衛が5人いるが、一人で二人を相手するのはできないわけではないが、難しい。

 手段は二つ。一つは、このまま逃げて戦力を分散させる。二つ目は、ここで戦闘を続けて、騒ぎを聞きつけた検非違使が来るのを待つ。

「みんな、逃げるぞ!!」

 私は護衛や従者たちに指示を出し、逃げ出した。

「待て!!」

 追いかけてくる黒ずくめの集団。まず足が速い者から順に、自分のところへと駆け上ってくる。そこへ従者が立ち塞がり、斬っていく。

(術中にかかった)

 そう思い、伏見へと逃げようとした。だが、

「く、そ……」

 私は敵に斬られてしまった。

 かつては私の体を流れていた鮮血は、勢いよく噴き出し、辺りを真っ赤に染めていく。

 赤い鮮血に染まっていく地面を眺めながら、私は倒れた。

 忠盛に連れられて占い師に言われたことが、これで成就した。あの時から既に、私は出家でもして密かに暮らしていればよかったのだ。


   2


「生きてた、か」

 目を覚ました。視線の先には、いつもと違う天井が見えた。近くには丸坊主の若い男がいる。とすると、斬られたときに誰かが助けに入って、ここに運び込んだに違いない。

「目を覚まされた、通憲殿がお目覚めになられた!! 誰か三条の屋敷と院に遣いを出せ!!」

 目を覚ましたことを知った若い僧侶は、私が目覚めたことをこの支院のみんなに伝えた。

 私は、目を覚ましたことを伝えた青年僧侶に、ここがどこか聞いた。

 簾を下げた僧侶は、

「ここは伏見」

「ほう」

「たまたま通りかかった血まみれの水干を着た侍の少年2人により、この僧坊に運ばれて来ました」

「本当に、申し訳ない」

 予想通りだった。そして、予言が外れてしまったことに、私は安堵した。そもそも予言なんて、金に目が眩んだ僧侶や神官の言う戯れ言である。あてになんかしてはいけないのだが。

 でも、今回の襲撃でわかったことは、一つある。それは、自分の信念を貫いてきたせいで、みんなから嫌われたということだ。命の危険まで来たら、もう引き際なのかもしれない。ここら辺で出家でもして、残り少ない余生を所領の田辺で庵を結んで過ごすのも悪くはないかもしれない。


   3


 傷が快癒したあと、私は鳥羽院の元へと向かった。出家の意思を伝えるためである。

 出家することにしたことを知った鳥羽院は、目を大きく見開き、

「私に何か不満があるのか?」

 と尋ねた。

 私は、ございません、と答えて続ける。

「上皇様には家格の低い私を重く用いてくれたこと、感謝しております。ですが、私はもうここまでのようです。1ヶ月前、私の不徳により刺客に命を狙われ、死の淵を彷徨いました。これ以上政務を続けるのは、困難だと感じまして、出家という選択に至った次第でございます」

 鳥羽院はしばらく黙り込んだあと、

「ほう。本当にいいのか? 今一度頭を冷やして考え直すとよい」

 といって、

「あ、そうだ、そなた大学頭になりたかったのであろう!! そうであろう。ならば──」

 大学頭にしてやる宣旨を出すから俗世に留まってくれ、と鳥羽院が言おうとしたところで私は、

「もう、心に決めたことです。たとえ帝や院が何と言おうと、私は出家を致します」

 と答えた。

「怖いんだろう? 命を落とすのが。お前には上皇という名の最強の味方がついている。案ずるな」

 私は立ち上がり、

「もう、疲れた」

 とつぶやき、上皇様の御前を罷った。

「待たれよ、待たれよ!!」

 鳥羽院は私を追いかけた。

 私は早足で院のいる部屋を出て、早足で退出した。

  家に帰った後、私は髪を剃り、僧形となった。

 今まで髪があったせいなのか、坊主にしたときは頭がスースーして、冷たく感じられた。

 僧形となったあと、家族に別れを告げ、今まで住み慣れた三条西洞院の屋敷を離れた。そしてそのまま、忠盛のいる六波羅の平家屋敷へと向かった。

 坊主頭になった私の姿を見て、忠盛は、

「本当に、いいのか!?」

 と聞いた。

「ああ。清盛と家盛には、たまに遊びに来てくれ、と言ってくれ。あと、家成卿は師光を頼んだ」

「待て、本当に、いいのか!? 俗世にいれば嫌なこともたくさんあるけど、同じくらい──」

 幸せなことだってある、家成卿がそう言おうとしたところで、忠盛は彼の袖を強くつかんで、首を横に振った。

「忠盛」

 悲しげな目で、家成卿は忠盛を見つめた。

 忠盛は首を横に振って、

「なりませぬ。これは男の別れ」

 といった。

「惜しい男を失うことになるのだぞ、それでもいいのか!?」

「これは通憲殿の選択。尊重してやるのが道理というものよ」

 忠盛がそう言うと、何かを思ったのか家成卿はしばらく黙り込んだあと、涙を流しながら、

「そうか。達者でな」

 と言った。

「みんな、ありがとう。では、さらばだ……」

 黒い衣に身を纏った私は、長年世話になった二人の盟友の前を去っていった。

 田辺へと向かう足取りとともに鳴る錫杖の音は、行き交う人並みの中で空しく響く。


   4


 出家した私は、南都より「信西」という法名を賜った。そして私の領地である田辺で庵を結んで暮らしていた。

 田辺の庵での日常は、朝早くに起きて、念仏とお経を唱える。唱えたあとは朝食を作り、それを食べる。

 食べ終えたあとは、鍬を持って近くにある畑を耕す。余力があるときは、集落に住む人の分も手伝うことがあった。

「そんな、聖殿にそのようなことをさせるとは何とも畏れ多い」

「気にするな。私は困っている人を放っておけないんだ」

 人助けをしているうちに、私は集落の人たちに認知されるようになった。

 集落の人たちと仲良くなっていくと、近くの農民が自宅で作ったものを持って来ることがあった。近所の人が作ってくれるものは、とてもおいしかった。自分もこの恩に報いたいと思い、拙いながらも何かを作ってお返しをする。

 そんな日々が、2年続いた。


 隠棲してから2年目の春、山桜の花が咲きはじめる時分だった。

 ある日私は畑仕事から帰り、夕食の準備をしようとしていたときに、戸を叩く音がした。

 誰か確認するため、窓を少し開けてみると、そこには立派な揚羽蝶の家紋が入った鞍を乗せた馬がいた。その周りには、胴丸を着、打物や弓を持った武者たちの姿もある。

 戸を叩く音がした。

 念のため、様子をうかがっていると、戸の向こう側の人物は、

「通憲。いや、今は信西はいるか?」

 と聞いてきた。

 声の持ち主は、低く落ち着いた優しい声だった。忠盛だ。

「忠盛か。世捨て人に何の用だ?」

「声が聞けて、うれしい。出てきて前と同じように話がしたい」

「もう、いいんだ。私はこの生活が気に入っている。邪魔をしないでくれ」

「そうか、悪いな。前みたいに姿を、見せてくれないか?」

「それはできない。帰ってくれ」

 扉越しに私は叫んだ。

 困惑した口調で忠盛は説得を続ける。

「それでは困る。お前がいなくなってから、内裏の腐敗が一層進んでいる。前関白様の我儘が増長したり、延暦寺が強訴を起こしたりな」

 もう、世の中のことなんてどうでもいい。誰が天下を取っても変わることは無い。それだったら、勢至のことなんか考えるのは辞めて、こうして楽しく暮らしていたい。説得をした忠盛に私は、その思いをぶつけた。

 忠盛はしばらく黙り込んだあと、一緒に来ていた家貞に、

「家貞、れいの者たちを連れてきてほしい」

 と伝えた。

「承知致しました」

 そう言った家貞は手を叩いた。

 下人の足音と誰かが庵の前に立ち止まる足音がした。

 立ち止まった一人は、大きな声で、

「信西殿、私はあなたのおかげで救われました。おかげでこうして、家族を養うことができています」

 と叫んだ。どうやら私に救われた民を連れてきたらしい。情でほだして元に戻そうという作戦か。

 続けてもう一人が叫ぶ。

「俺は本当であれば、殺されているはずだった。けれども、貴方様のおかげで死罪を免れ、職を得て、こうして生きている」

 次々と、私への感謝や好意を民たちは叫び始めたのだ。

 最初は忠盛の作戦だと思っていた。けれども、民たちの叫びには、嘘偽りが無かった。

「無駄じゃなかったんだ」

 涙が、あふれてきた。自分がやってきたことは無駄ではなかった。

 そして、自分は官位のために働いているのではないことに改めて気づかされた。やりたいことをするために、どうしても官位が必要だった。だから、ずっと出世をするためのことを考えていた。原点を忘れていたのだ。

「ごめん。勝手に逃げ出して」

 そう言って私は、戸に手をかけ、開けた。

 目の前には忠盛と家貞、そして私が救ったであろう民の姿があった。

 笑みを浮かべた忠盛は、

「さあ、帰ろう。京都へ。みんな待っているぞ」

 私は、うん、とうなずき、その手を取った。

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