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第62話 信西の過去④─人としてできることの限界─


   1


 学者として、貴族としての実績を積んでいき、俺は少納言へと昇進していた。そして、妻は鳥羽院の四の宮としてお生まれになった、現在の上皇様の乳母をつとめるようになっていた。

 これだけ見れば、順調かもしれない。だが、私は限界を感じていた。このままではいけない。宮中では、官位が高くなければ、どんなに実力があっても、そして、多くの人を救い、このクソみたいな世の中を変えるという大願も成し得ることはできない。

「高階の姓」

「家柄の差」

 数々のしがらみが、私のやりたいことを邪魔してくる。都やその周辺だけじゃなくて、もっと離れたところにいる人たちも救いたいのに。

 この日本が、宋国みたいに、努力や才をもって人を評価する国だったら、どれだけ良かっただろう。

 だが、現状の日本という国は、生まれが全てだ。貴族、とりわけ皇族や摂関家の一族に生まれれば、衣食住にも苦労はしない。出家するにしても、だ。

 彼らは髪を剃って仏門に入っても、仁和寺や醍醐寺、延暦寺みたいに有名な寺院やその子院の頂点や別当として君臨している。

 地方に下っても同じだ。

 受領として任国に入り、租税や官物と称して現地民から、これでもかと収奪している。そしてそこで得られた利益は、自分たちのためだけに使われている。

 でも、自分たちはどうだ? 出家してもただの僧侶として生涯を終え、地方に下ったところでも、せいぜい土着して代々武士になるくらいが関の山ではないか。

「なら、妻が我が子と一緒に養育している四の宮様を帝にすればいいじゃないか」

 そんな思いもよぎってくる。だが、帝に据えるにしても、この日本という国では家柄と立場が文句を言う。だから、四の宮様を帝に据えることは、まずできない。

 それに、上皇様は、とても扱いにくいお方であられた。今でもその扱いにくさは健在である。が、今の上皇様は、3年前に帝となられて以来幾分マシにはなられているが。


   2


 ある日、若き日の上皇様に学問を教えるため、白河にある讃岐院の御所へ出向いた。

 この日は、いつもより屋敷の西側が騒がしかった。

 管弦の宴でもやっているのだろうか? でも、歌声が聞こえる。

 不審に思いながら、上皇様の住まう部屋を尋ねると、中では正装をした楽師が琴や笙を奏でたり、鼓を打ったり、笛を吹いたりしていた。そしてその旋律に声と身を任せ、水干を身に纏い、烏帽子を被った女たちが歌い踊っている。

(何だ、これは……)

 荘厳とも異様ともとれる光景に、私は呆気にとられた。

「おお、通憲か」

 華やかな装束の集団の中で一人浮いている私を、若き日の上皇様はお見つけになられた。

 気になった私は、上皇様に、この様子はどういうことなのか尋ねた。

 上機嫌に上皇様は、

「私は最近今様という歌にハマっていてな。見たくなったので、白拍子を連れてきてこうして聴いているのだよ」

 と答えた。答えたときの表情は、とても幸せそうであった。が、上皇様のやるべきことは、今様を歌い、極めることではない。

「い、今様など、四の宮様たるお方が嗜むものではございませぬ」

 毅然とした態度で、私は申し上げた。

 上皇様は幸せそうな顔から一転、怒りというか不満に満ちた鋭い目で答える。

「通憲。私は四の宮、そして一院おちちうえに疎まれている待賢門院の腹で、新院あにうえの弟だ。皇位なんて、就けるはずがなかろう。どうせ口減らしに出家でもさせられるか臣籍に落とされるかの二択だ。親王である今だからこそ、こうして楽しんでいるのではないか」

「四の宮様は親王。それにお若いゆえ、日本国民の若者の手本となるべきお方。これではいけません」

 今様にハマってからの上皇様は、ますますひどいどんちゃん騒ぎをするようになった。

 その度に私は上皇様をお諫めしたが、若き日の上皇様は一切聞く耳を持たず、学問そっちのけで今様の練習ばかりをしていた。酷いときは、今様の練習のし過ぎで、声が出なくなることもあった。

(ざまあ見ろ)

 不敬ではあるが、声が出なくて困っている様子を見ていた私は、内心そう思っていた。親王様という恵まれた立場にあるのに、ろくに学問をなさらず、ただただ今様という卑しの芸の練習ばかりしている天罰が当たったのだと。

 それでも、私にとってみれば、上皇様も我が子と同じ、未来を背負うものとして、愛さずにはいられなかった。だから、誰よりもいけないと思うことは言うし、いいことをすれば褒めたくなる。


   3


「くやしい……」

 何もかも上手く行かない。官位は上がらないし、官職は少納言のまま。おまけに面倒を任されている四の宮様については、自分の忠言など一切聞こうとしない。

 どうしたらいいかわからない私は、家成卿と忠盛にこのことを話した。

「困ったなぁ」

 家成卿は頭を抱えた。

「もう私はここまでなのか」

「君たち、いや、ここにいるみんなはまだ若い。君も、いつかはいい目が巡ってくることだって、あるかもしれないよ。だから、諦めちゃいけない」

「いいよな。忠盛は武士だけど、とんとん拍子で出世してる。それに比べ、私はただの学者で、少納言のままだ。このままでは、この腐った世の中を終わらせることはできない」

「私の力が足りず、申し訳ない」

 家成卿は申し訳なさそうに言った。

「家成卿は日々頑張っていらっしゃる。おかげで私もこうして学者になれた。感謝しています」

「そうであったか。よかったよ」

 顔を赤らめて家成卿がそう言ったあと、不服そうな顔でこちらを見つめていた忠盛が口を開いた。

「占いをしてもらってはどうだろうか?」

「占い、か」

 占いほど迷信めいているものはない。手や顔の血色を見て健康状態を見る程度のものならまだしも、手の線から勝手に判断したり、何本もの竹から選んだり、文字を適当に彫った亀の甲羅や牛の骨を火であぶって吉凶を判断するのは、ハッキリ言って意味が分からない。

 同時に、私同様占いを信じていない忠盛の口から、どうして「占いに行こう」という趣旨の言葉が出たのか気になる。

 疑心暗鬼になっているところへ忠盛は、

「確かに占いは迷信めいてはいるが、迷っているとき、悩んでいるときには参考になるものさ」

 と言った。

「そうか」

「ああ。お前がそういうのを信じない口の人間なのは、俺もよく知っている。けれども、気晴らしに話だけでも聞いてもらうだけでもいいんじゃないか?」

「わかったよ」

「占いか。ならば、熊野にいい占い師がいるから紹介しよう」


   4


 後日私は忠盛が紹介してくれた占い師に占いをしてもらった。

 占い師は、熊野からやってきた黒衣の僧侶であった。

 占い師はじっと私の顔を見つめたあと、一の字に結んでいた口を開いて、

「君は高い志を持って努力し、ここまで自分の力で登ってきた」

 と言った。

「よくぞお分かりで」

「そして、これからも出世はするだろう。しかし──」

 占い師は小刻みに震えながら、私の宿命について話した。

「では、どうすればいい?」

 小さな声で私は聞いた。彼から発せられた言葉は真に受けていないけど、少し恐怖を感じるものであったから、どうしたらいいか、とりあえず聞いてみた。

 気まずそうな表情で占い師は、

「このときは君の天命と思うしかない。どうしても怖いなら、出家でもして、大原や嵯峨野に庵でも建ててひっそりと暮らすことをお勧めします。もちろん、もう政には関わらないで」

 と薦めた。


「出家、か」

 私は占い師から勧められた出家について考えた。

 出家ほど、意味のないことは無い。ただ飯を喰らい、ただ意味のない儀式やまじないばかりをしているのだから。それに、僧侶にはろくな奴がいない。もちろん高潔なお方も数多くいることは、私もよく知っている。だが、実際はどうだ? 叡山も、三井寺も、鞍馬寺も、興福寺も、お釈迦様が説かれた教えとは正反対のことをしているではないか。武器を持って神威や仏罰を楯に主上や院の住まう御所を取り囲んで抗議活動を行っている。酷いときは、滝口や北面の武士と殺し合うことなんてざらにあった。私も武士をやっていたときは、何度あの白い頭巾を被った黒衣のいかつい集団と戦ったことか。

 僧侶の悪行は、これだけではない。困窮している人に金を貸し付けることもしているのだが、その利子がとてつもなく法外なのだ。そしてそれが払えないと、仏罰や神罰を楯にしてこれでもかというほど搾取する。

 こればかりは畏れ多くて言えないが、私は叡山や興福寺が武力を持っていることは害悪であるから、軍を率いて討伐し、力を削ぐべきであると思っている。

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