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第6話 関東の義朝⑤─縁切りの代償─


   1


 鎌田家に逗留して3日が経った夜のこと。

 寝ようとしていたときに、蔀戸を叩く音がした。

 誰だ、と思って音のした方を見ると、正清の父上がいた。

 正清の父上は小声で、

「義朝くん、ちょっといいかな? 話したいことがあるんだ」

 と呼び出した。

「わかりました」

 そう言って俺は、正清の父のいる部屋へとやってきた。涙が出そうなくらいに凍てつく冷たさが、床板から伝わってくる。

 棚から火打石と紙を取り出し、正清の父上は、よっこらしょ、と言って円座に腰をかけた。炭の残っていた火桶に火をつけ、重々しい口どりで話す。

「実は俺は、お前の父と自分勝手な理由で縁を切ったんだ」

「ほう」

 俺の父と縁を切ったと聞いて、俺はそのわけをなんとなく察した。

 俺の父は、ろくでもないやつだった。職もないうえに、親類に金を借りても返さない。そのくせ、好きなものは女遊びと酒という最悪の組み合わせ。おまけに臆病者と来たものだから、尊敬できるところは何一つなかった。きっと、正清の父上が縁を切ったのもそういうことなのだろう。

「お気持ちお察しいたします」

「そうか。実を言うとな、俺はそのことについて、悔いている」

 火桶に起こした灯に手を当てながら、正清の父は語った。友に似た黒い瞳に反射する光と、顔の彫りにできる影は、どこか悲哀を感じさせる。

「なにゆえに!?」

「それは、自分から切ったからだよ」

「そうだったのですか!?」

「ああ、弟やお前の親父から聞いてなかったのか!?」

「ええ、今日初めて聞きました」

 親父とはまともに口を効いたことがない。だから、乳兄弟や友人、郎党との交流についての話を聞いたことは、一度もなかった。

「『あいつのため』といっても、今になって思えば、俺のただの自己満足なんだろうと思うのだがね。まあ聞いてくれ。こんなオッサンの拙い語りをな」

 自嘲気味な口調で、正清の父は語り始めた。


   2


 ──俺とあいつは、若いころはよき友だった。

 お前と正清のように、子どものころからずっと一緒にいたから、あいつのいいところやダメなところも、誰より知っている。

 初陣のときに勝ったとき、初めて官位をもらったときの爽やかな笑顔。祖父義家公に怒られたとき、同い年の忠盛に叶わなくて涙したとき。もう縁は切ってしまった。けれど、こうして語っていると、あいつとのいろんな思い出を思い出してくるな。

 だが、北面を辞めてから、あいつはどこか変わった。

 北面にいたときまでは、あいつにはやる気と源氏の棟梁としての自覚があった。ダメな奴ならダメな奴なりに努力しよう。平家を絶対に追い抜いてやる。そんな前向きさがあった。

 けれども、北面を辞めさせられてからは、狂ったように酒と女に溺れている。

 今思えば、源氏の棟梁として平家に勝たねばならないという強迫観念が、彼を追い詰めていたのが大きいと思うけどね。そこに、理不尽な理由で前の法皇さまから北面を辞めさせられたことが重なり、行き場のない鬱憤をぶつける場所がそこしかなかったこととかも。

 最初は郎党たちもあいつを諫めていた。でも、あいつは聞く耳を持たずに、

「うるさいな!」

 と言って、家臣たちに怒鳴ってばかり。酷いときは暴力を振るうこともあった。だから、広常のような忠義に薄いような奴は、まず先にと辞めていったよ。

 ちなみに俺は、傷心のあいつを遠くから見守ってやることしかできなかった。

 傷ついているときは関わらない。話を聞いてやったり、何か力になってやるのもいい。それも優しさの形の一つだ。けれども、今の落ち込んだ状態のままでいるのか、進むのかを選ぶのは自分。今は、そっとしておくのがいいのかもしれない。そう考えていたからだ。

 だが、あいつが源氏第一の郎党義明や穏健派の一人であった常重に見捨てられたのを聞いたとき、さすがの俺も我慢がならなくなった。


 郎党一同が六条の源氏屋敷に集まる日。俺は頭を下げて言う。

「殿、申し訳ございません」

「どうした、通清?」

 そうあいつが聞くと、俺はしばらく沈黙したあとに、重い口を開いて、

「もう、こんな殿には、ついていけません」

 と怒鳴った。

「通清、お前も行くのか。どうしてだ、通清?」

 仕事もろくにせず、朝から酒と女におぼれている。俺はありのままのことをあいつに言った。

「そんなことを言われても──」

「私はこれにて」

 立ち上がり、俺は屋敷を出ようとした。そのとき、あいつは俺の着ていた直垂の袖を強くつかんで、

「せめてお前だけでも、そばにいてくれ」

 と引き留めた。そのときのあいつの目には、孤独由来の悲しみを帯びていた。

 情にほだされて、ここで立ち止まってしまったら、あいつのためにやってることがすべて水の泡になる。だから、袖をつかむあいつの手を俺は振り払い、

「もう無理だ。今日で、俺たちはおしまいだな」

 そう言い残し、あいつの前を去っていった。自分の主君であり、幼少のころからの理解者であったあいつを見捨てた。

 屋敷の廊下を駆ける。無言で、ただ駆け抜けた。

 厩にいた自分の馬を出し、東へ駆けた。

 馬の手綱を握りながら、俺は心の中で、

「あいつをまっとうな道に戻すには、こうするしかなかったんだ」

 と必死で自分に言い聞かせた。

 腐った人間には、何を言っても無駄だ。諫言を言ったり、ためになることをしたりしても意味がない。そういう人間の意識を変えるには、極端な行動に出るしかない。恨まれたり、憎まれたり、大事な関係を切ってしまったりするのは、覚悟の上でね。

「ごめんな、ごめんな」

 一人そうこぼしながら俺は、京を出た。そして、生まれ育ったこの駿府の地に帰った。


   3


 あいつを見捨てて数年が経った。俺は家督を弟に譲り、駿府の地で隠棲していた。

 隠棲して数年が経ったある日。京都にいた弟が帰ってきた。

 そのとき、弟の口から、

「殿が摂関家の斡旋により検非違使の職に就かれたそうだ」

 ということを聞いた。

「そうか──」

 あいつにしては、頑張ったじゃないか。お疲れ様。そう思えて少しうれしくなった。

 けれども、あいつの元にまた戻りたいかと言えば、違う。出でいった分際で、相手が出世したのを聞いてまた戻ってくるなんて、あまりに虫が良すぎる。それに、本音を言えば、落ち込んでいるときに、耳が痛くなるようなことばかり言っていたやつの顔なんて、見たくもないだろう。

「いっそ、家督を戻して、もう一度殿にお仕えしてはどうですか?」

「いいよ。俺はこうして、ここで暮らしてゆく。あいつはもう、俺の顔を見たくもないだろうからな。むしろ、屋敷にいた方が、俺は気楽だ」

「本当に、いいのですか?」

「ああ、畑を耕してたり、草鞋を編んだりする生活は、俺も気に入っていてな」

 正直、静岡での生活は気に入っている。

 朝には霊峰富士を拝み、朝食を取る。朝飯を食べ終えた後は、準備運動がてら、鍬を片手に畑を耕す。瓜に実ができれば、それを取る。大根やかぶ、里芋が立派になれば、それを畝から抜く。そしてそれは、朝夕のおかずやお汁の材料として使ったり、間食として食べたりする。もちろん、自分で手塩に掛けて作る野菜だから、当然おいしい。

 昼からは武芸の練習をする。隠者のような生活をしているが、これでも一介の武士。もしものときに備え、弓矢や剣術の稽古は鍛錬は欠かさずにやらなければいけない。特に、法もクソもない東国で生きていゆくのであれば、なおさらのこと。

 そうして夕方には夕食を食べ、湯殿で温まって寝る。

 そんな人間らしい生活が、俺にとっては都のそれよりもかなり性に合っていたのだ。

「そうか。これを見ても、変わらないか?」

 俺の弟は、懐から文を取り出し、俺に渡した。

 包み紙には、下手くそな字で「通清へ」と宛名が書かれていた。

「どれ」

 俺は包み紙をとって、中にあった本文を読む。

 そこには、こんなことが書かれていた。


 元気にしているか。俺は元気にしている。

 俺は忠政殿と一緒に、摂関家に仕えているんだ。そして、その斡旋で、検非違使の職をもらった。

 その前は大変だった。食うものに困って、物乞いにまで身を落としてしまったこともあったよ。

 そのときになって、俺はお前の忠言の意味がわかった。もうお前のことは恨んでいない。もう一度、お前に会いたい。戻ってきておくれ。いつでも待ってるからな。


        源為義


「為義……」

 あのとき散々言ったおれのことを、許してくれるなんて。なおさら戻りたくなくなるじゃないか、バカヤロウ。

 このとき俺は、あいつのもとへ戻りたい、と心の奥底から思えた。でも、後でよく考えてみれば、口先や紙の上では、きれいごとなんていくらでも言える。手紙にはこのように書いていても、心の奥底で本当に悔い改めたかまでは、わからない。だから、恨んでいない素振りを見せていても、心のどこかで俺のあの言葉を気にしているかもしれない。そしてさっきも言ったように、嫌で辞めたのにまた戻ってくるなんて、あまりに都合が良すぎる。

「どうすればいいんだよ──」

 どうすればいいかなんて、わからない。弟は、好きにしたらどうですか、と言うが、そう簡単には決められない。何も決められないまま、月日だけが過ぎてゆく。あいつへの奉公を弟や妻、正清に任せて、気が付けば30を超えたオッサンになっていた。

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