第5話 関東の義朝④─駿府─
1
戦いが終わったあとも、俺たちはしばらく熱田神宮に滞在した。神人たちの怪我が治るまで、社務の手伝いにということで残ったのだ。
熱田へ着いてから20日が経った日。暖かそうな陽の光が射しているが、冷たい風が吹く中で、俺と正清は義父殿の屋敷を旅立つことにした。
「もっといてくれればいいのに」
寂しそうに、義父殿は俺たちを引き留めた。
「そもそも俺たちは、先祖ゆかりの坂東を目指していて」
「そうか。なら、これを持っていくといい」
鼠色の狩衣の懐から、義父殿は何かを取り出し、俺と正清に渡した。
義父殿から受け取ったもの。それは、御守だった。
「これは、うちで作ったお守りでございます。きっと、熱田の神が、義朝殿と正清殿の旅路をお守りしてくれることでしょう」
「ありがとうございます」
義父殿が差し出してくれたお守りを、俺は直垂の懐へ入れた。その後、由良の方を向いて、名前を呼んだ。
「どうしましたか?」
「良かったら、俺と、結婚してくれないか? チビで、清盛のところみたいに金持ちじゃないけど、頑張るよ」
「いいですよ。その代わり──」
「日本一になれなくても、せめて坂東一か東国一の武士になれたら、ですけどね」
「こら、由良!」
娘が出した要求に、義父殿は注意した。そのときの義父殿が少しうれしそうに見えたのは、気のせいだろうか。
俺はうなずいて、こう答える。
「ああ、約束だ。絶対になってやる。楽しみにしてろよ」
「はい」
「また会おう!」
由良と婚姻の約束を交わした後、俺と正清は熱田を後にした。
2
東海道を経由し、俺たち2人は正清の故郷である駿河国へと入った。
右脇には無限に広がる海。目の前には連なる山々。
そして、山脈の中で一際大きく、天にも届くのではというほどの高さの青い山があった。富士山だ。
富士山の頂上は雪で真っ白になっている。確か山部赤人の歌にも、こんな情景を詠んだ歌があったな。あ、あと、かぐや姫が月へ行ったのを悲しんだ帝が、不老不死の秘薬と手紙を燃やしたのもここ富士山だったな。そんなことをふいに思い出した俺は、
「富士の山だ」
と言ってみた。
「それがどうした?」
さも当然かのように正清は言った。何度か駿河へ帰ってきているし、暮らしている間は毎日見ているから、きっと見飽きているのだろう。
初めて見る日本一の山。感動と興奮が止まらない俺は、
「富士の山って言えば、日本一の山じゃないか!」
と大きな声で言った。
先ほどと変わらない口調で正清は、
「ああ、そうだ」
と返した。やっぱり、見飽きていた。
「いずれは、俺も武士として、あの富士山のような存在になりたいものだ」
「仮にお前が殿上人になれたとしても、せいぜい五位か四位止まりだと思うぞ」
冷めた口調で正清は返した。
「絶対登って見せる!」
「できるかな……。まあ、お前がいい位に着くころには子どもの代になってるんじゃないか」
「絶対」
俺の代でやってみせるさ。そう言い返そうとしたときに、後ろから潮騒に混じって蹄の音が聞こえてくるのが分かった。
「誰だ!?」
刀を構え、音のする方向へ振り向いた。
そこには、立派な大鎧や胴丸を着た武者たちの一団がこちらへ向かってくるのが分かった。
向かってきた武士の集団は、俺たちの前で馬を停め、降りてひざまずいた。集団の真ん中にいた立派な大鎧で着飾った24、5ごろぐらいの青年は名乗りを上げる。
「私は尾張国の住人 長田忠致」
「ほう」
「この前尾張国に源氏の御曹司がいると風の噂で聞きまして。それで熱田神宮へ来たのですが、御曹司のご一行は去ったと聞きました。このままでは終われない。何としてもと思い──」
忠致青年が話している途中で、正清はあきれた声で、
「前置き長すぎ」
と不満げな声で言った。
「これは失礼しました。もし何かあったとき、力になりますので以後お見知りお気を」
そう言って忠致は馬に乗り、颯爽と砂浜を駆けて行った。
「あいつ、信用していいのか?」
「わからんな。まあ、二人しかいない流離の武士団の味方になってくれるんだ。味方にしておけばいい。多いほうが、後で役に立つこともあるからな」
「ほう」
「とりあえず、俺の家へ行こう」
「そうだな」
馬の手綱を引き、俺と正清は目的地である正清の実家を目指して駆けた。
後ろを振り返ったときにあったのは、砂浜にできた蹄の跡だけだった。
3
「着いたぞ」
正清の家に着いた。入口の前には櫓や水の張った堀、そして上に竹の植えられた土塁がある。京都にある武家のそれとは違い、戦いに備えて作られたものだ。
「父上、いらっしゃりますか?」
門を叩き、しばらくすると、橋の向こうから、
「おお正清、帰ってきたか」
紺色の直垂を着た、優し気な雰囲気の中年男が出てきた。
「お久しぶりです」
正清は父に向って一礼した。
俺がいることに気が付いた正清の父は、
「そこにいるのは義朝だろ?」
と聞いた。
「ええ」
「会いたかったよ。君のことは、本家の山内首藤の爺さまから聞いていた。小柄なところがあいつによく似ている。顔は似なかったようだね。さあ、入りなさい。都から駿河のド田舎まで疲れたろう。寒い中立ち話をするのも難だろうから、お入り」
そう言って正清の父は、俺の手を引っ張り、屋敷の中へと入れた。
正清の家は、田舎武士の館を絵に描いたような感じだった。
広い屋敷には、小さめの母屋を中心に、その周りには畑と馬場がある。そこでは、郎党たちが流鏑馬や犬追物などの武芸、畑作などに精を出している。京の武家のそれとは大きく違う。
「あり合わせのもので申し訳ないけれど、どうぞ」
膳を持ってきた正清の母は、主人である正清の父、息子の正清、そして食客の俺に差し出した。
「ありがとうございます」
そう言ったあと、俺は、いただきます、をして、出された料理に手を付けた。
「遠慮なくこの子はいろいろ言うから扱いにくいでしょう?」
「いえ、いつもお世話になってます。げんに正清がいたからこうして駿河まで来れたものですし」
「俺は正直お前の方がめんどくさいがな」
いつものツンとした感じで、正清は言った。
「せっかく友達が来てるんだから、そういうことは言うものじゃありませんよ」
「だって、本当のことだし」
「何、棟梁たるもの、少し面倒くさいが調度いいんだ。だいぶ面倒な奴は御免被るがな!」
膳の上にあった酒を飲みながら、正清の父は豪快に笑いながら言った。酔っているときと素面のときでは、かなり性格というか気分に落差があるように感じる。
正清は俺の方を向いて、いきなりこんなことを聞いてきた。
「そういえば、お前はこれからどこを拠点にして生きていくんだ?」
(そう言われてもな……)
ただ家にいるのが嫌だから。武士としての心得を武士の本場で学びたかったから。それだけの理由で東国へ飛び出してきた。だから、拠点をどこに定めようかとか、考えてもいなかった。
拠点にするなら、俺は上野のような山間でも上総や下総、常陸のような海のある場所でもいい。最初は不便だなと思っても、そこで暮らしていて、いいな、と思える。それだけでも、十分立派な理由だ。
「いつまでも流浪の身でいるわけにもいかないだろう。武士には拠点となる土地が必要だ」
「ほう」
どこにしようか。そう考えているときに、正清の父は、
「それだったら、静岡はどうだ? 俺が全力で支援してやる!」
と顔を赤らめ、明るい声色で提案してきた。明らかに酔った勢いのそれだった。
「いや、父上。義朝には鎌倉がいい。河内源氏の棟梁となるお方だから」
「鎌倉、だと!? 駿府じゃ不満なんか? 駿河じゃダメなんか!?」
不満そうに聞く正清の父。素面のときと、酔っているときではかなり差がある。
「鎌倉、か」
鎌倉。それは俺たち河内源氏の聖地だ。先祖である頼信が拠点として以来、頼義、曾祖父の八幡太郎義家が拠点とした。どういうわけか、俺の父は鎌倉の地に足を踏み入れたことがないのだが。けれども、子どものとき、東国出身の郎党や正清から散々聞かされた。だから、河内源氏にとって鎌倉がいかに神聖な土地なのかは嫌というほど知っている。
「遠慮しておく」
「どうしてだ?」
正清は聞いた。
「俺は家出をしに東国へ下った身。そんな、鎌倉に身を置く資格なんて、俺にはない」
「そうか、じゃあ、駿府にしようぜ、な!」
「父上は黙っていてくれ」
しつこく絡んでくる正清の父を、正清は一喝して、
「義朝、お前はどうしたいんだ? 武士にとって土地は命。拠点となる土地がなければ、武者修行以前に、食っていけないぞ」
「自分の拠点くらい、自分で探すさ。だから、鎌倉以外でもいい。その代わり、一緒に拠点を探す時間をくれ」
「そうか」
いつもの暗い感じに少し失望が混じった感じで、正清は返した。