第40話 おめでたい出来事
1
正月気分が抜け始めてくる1月8日。清盛は乳父の家貞と縁側で茶を飲みながら語らい合っていた。
「ゆっくり過ごす正月もいいものですな」
家貞は、出された温かいお茶を飲んだ。
清盛は一息ついて、
「おう。最近こういうことは、なかなか無かったからな。そんなゆとりのある時期には、熊野詣に行きたいな」
と言った。
「熊野詣といえば、殿がまだ安芸守だったころに行きましたな」
懐かしそうに家貞は、清盛が安芸守であったときの思い出を振り返った。
「懐かしいな。あのとき海路で行ったけど、その途中で、でっかい鱸が入ってきたんだっけ?」
「そんなこともありましたな」
感慨深そうに、家貞はお茶を飲んだ。
清盛の語った鱸の話についてはこうだ。
清盛がまだ安芸の国司であったころ。熊野詣に行ったことがあった。
伊勢から海路で熊野を目指している途中、船の甲板の上に大きな鱸が飛び込んできた。
飛び込んできた白くて大きい鱸は、甲板の上でばたばたと踊っている。
突然鱸が飛び込んできたので、甲板にいた者たちは驚いた。
そこへ道案内として同行していた熊野の僧侶が、
「これは吉兆ですな。遥か昔、周の武王の船に白魚が飛び込んできたということがありましてな」
と言ってきた。
「なるほど」
「食べたら絶対おいしそうだろうけど、今は熊野へお参りに行く身。殺生は控えたい」
「いや、これは食べた方がいいでしょう」
「なら、そうしよう」
船に乗った清盛一行は、飛び込んできた鱸を切り身にし、塩や味噌で味付けをして食べた。
「あのとき食べた鱸は脂がのっていてとてもおいしかった」
目を輝かせながら、家貞は当時のことを振り返った。
「そうそう! あれはおいしかった。また食べたいな。あ、そうだ。今度の熊野詣はいつにしよう」
「2月4日にしましょう」
「2月4日か。暖かくなる時期だから、ちょうどいい」
暖かくなるころだし、梅もきれいだ。山の中だから、寒暖差は少しあるかもしれないが。そう考えた清盛は、
「ああ。そうしよう。ちょうど暖かくなる時期だしな。じゃあ家貞、準備は任せたぞ」
と家貞の提案に賛同した。
「はい」
活気に満ちた返事をした家貞は、来月に控えた熊野詣の準備をするべく、清盛の部屋を急ぎ足で出て行った。
2
15日。平家屋敷で元服の儀式が行われた。
元服したのは、清盛と時子の間に生まれた三男平三であった。
与えられた名前は、
「宗盛」
であった。
「ついに、ついに俺の家系から平家の次期棟梁が出たぞ!」
叔父である時忠は、うれし涙を流しながら、屋敷中に響き渡る声で叫んだ。
「喜び過ぎです」
一人喜ぶ弟に、姉時子は冷静な突っ込みを入れた。
「姉ちゃん、今度は入内だ。年の離れた妹の滋子を帝か上皇様に入内させて、皇子を産ませるんだ。そしてその子を次の帝に……」
「そんなの無理に決まってるでしょ。平氏の高棟王の系統は、皇孫でも、かなり遠く離れているから、家格なんて摂関家や大臣などを歴任している家と比べたら、遥かに劣っていますからね」
時忠のお願いに、時子は現実的な答えを返してきた。
事実、桓武天皇の孫である高棟王の流れを汲んでいる時忠や時子の実家は、代々堂上の貴族ではある。だが、清盛や義朝が生きていた時代の皇位や家督の継承は、皇子の母方の家柄や財力も強く関わっていた。だから、仮に時忠のいる実家から滋子を入内させたとしても、生まれた親王は皇位継承の範囲外として扱われるだろう。
「ちっ。夢がねぇな。兄貴、頑張って上皇様に掛け合ってくれよ」
「そういうお願いは、少しできかねるかな......」
困惑した表情で、清盛は言った。
時忠は手を合わせて頼み込む。
「頼む、一生のお願いだからさ」
「本当に困るからさ──」
やめてくれないかな。そう清盛が言おうとした矢先、頼盛が入ってきて、
「宴の準備ができました」
と報告をしてきた。
「というわけで、ここまでだ」
清盛は束帯を直すため、部屋へと入っていった。
3
同じころ、源氏屋敷でも元服の儀が行われた。
こちらは義朝と由良との間に生まれた三男鬼武者だった。
烏帽子親である藤原信頼の「頼」と父源義朝の「朝」を取って、
「頼朝」
と名付けられた。
烏帽子を被せ、
「あら、凛々しいいい男じゃない」
うれしそうに言った。そのときの目は、獣が獲物を狙うときの目そのものだった。
「似合ってるぞ、頼朝」
烏帽子を被った初々しい姿の頼朝に、義朝は祝いの言葉をかけた。
両親と烏帽子親である信頼、そして郎党たちの前で頼朝は、
「父上、母上、そしてここにいる郎党の皆様、これまでありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」
堂々とした口上であいさつをした。
「これで、源氏の将来も安泰だな」
「これは期待が高い」
義明と常胤は、立派な若者に賛辞を贈った。
それに続き、頼朝の元服の儀に参加していた東国武者たちは、拍手や歓声を送る。
立派で優秀な嫡男が主役のお祝いムードの中、正清は、
(しかし、なぜここまで、藤原信頼は義朝に優しいのだろうか……)
心の奥底で考えた。
信頼という男とつながりがあっても、悪いことはない。義平の一件を揉み消してくれたのも、関東で自由に行動できるのも、みんな信頼のおかげだ。これに関しては、感謝の一言しか出てこない。だが、落ちぶれた河内源氏の一族に、どうしてここまで優しいのだろうか。何か裏があるのではなかろうか。
みんなが頼朝元服のお祝いムードに浮かれている中、信頼の意図についてあれやこれやと考えているところへ、信頼は、
「どうしたのかしら、正清くん」
と声をかけてきた。
「いえ、何も。ただ感慨深くて」
「あら、そう。でも、心の中では、アタシがなぜ落ち目の源氏に優しいのと考えてたでしょ?」
「そんなことは考えてない」
「別にアタシには、君たちを利用してどうこうしようという意図はないわ」
「勝手に邪推して、すいませんでした」
正清は頭を下げた。
頭を下げた信頼は、
「わかればいいのよ」
菩薩のような優しい微笑みを浮かべた。が、その後に、
「でも、これ以上深くは考えない方がいいわよ」
鬼神のような恐ろしい目つきで付け加えた。
「本当に、すいませんでした……」
「さて、これから宴にしましょう」
信頼は先ほどの仏にも似た神々しい顔つきに戻り、
「そうだな。宴だ」
義朝はそう言って、下人に酒や肴の準備をするように命じた。
平宗盛と源頼朝。同じ三男、同じ嫡男、同じ日に元服をしたこの二人の少年は、平家と源氏の未来、そして歴史を大きく動かしていくことになる。




