第4話 関東の義朝③─初陣─
1
御殿の中へ入った。
庭の中にある池には、神人たちの死体が浮かんでいた。池はその血で染まっていた。ちょうど庭に植えられた紅葉のように、真っ赤だった。子どものころ、寺で見せられた地獄絵図にあった、血の池地獄を思い出す。
「酷いありさまだ──」
それしか言葉が出ない。
「中へ入ってみよう。どこかに隠れて生き残っている者がいるかもしれない」
「そうだな」
生存者を探すべく、荒れた御殿の中へ俺と正清は入った。
「誰か生きてないか」
蔀戸を開け、俺は声をかけながら生存者を捜した。
薄暗くなった部屋へと入ろうとしたとき、何か冷たいものが足に当たった。同時にねっとりした気持ち悪い感じが足の裏からした。
何だろう、と思って下を見てみる。
足元には薙刀を持ったまま首と胴体が真っ二つになった神人と巫女の死体が横たわっていた。床に流れる血だまりと、倒れた神人の苦悶の表情がここで起きた惨状を物語っている。
「やられているようだな」
足音が聞こえてきた。
腰に帯びていた刀を、俺と正清は構える。
足音の持ち主は、怯えるようにこちらへ近づいてくる。そして、蔀戸に手をかけ、俺たちのいる部屋へと入って来ようとした。
俺と正清はすぐさま刀を抜き、構えようとしたそのとき、
「うわあぁあ!」
と声を挙げ、
「命だけは、どうか助けてくれ!!」
と甲高い震えた声を上げ、腰を抜かした。
薄暗うえに束帯と顔が煤で汚れていたので、よく見えなかった。だが、よく目を凝らして見てみると、顔だちからして義父殿だとわかった。
混乱している義父殿に俺は、
「賊ではない。俺たちだ」
と言った。
安堵の吐息を見せた義父殿は、
「君たち、帰ってきたのか。頼みがあるんだ」
「先ほど一体何があったのでしょうか」
「お前たちがいないころ。この屋敷を盗賊が襲ってきたんだ。神人を殺し、若い侍女や巫女を捕まえたあとに、由良が、さらわれたんだよ、賊に」
「何!? 奴らは今どこにいる?」
「わからない」
「正清、今から俺は賊を斬りに行ってくる」
由良を助けに俺は行こうとしたとき、
「義朝落ち着け、その前に場所を把握しないとダメだろ?」
と正清は俺の手を握った。
「こんなことがあって、呑気にしてられるか!」
「まあ落ち着け。事を起こすには順序ってものがある」
「こうしている間に──」
辱められていたらどうするんだ、と言おうとした俺の言葉を正清はさえぎり、奴らの根城を知っているか、と義父殿に尋ねた。
「前捕らえられた賊の子分を神人が拷問したところによると、岩倉の五条川のほとりらしい」
「ここからどれだけ離れてる?」
「五里」
「五里か。わかった」
「今無傷または軽傷の兵士はどれだけいる」
「おおよそ70人ほど」
「わかった。50人を俺たちに貸してくれないか」
義父殿から無傷ないし軽傷の神人50人ほどを借り、俺たちは賊の本拠地がある岩倉を目指し、夕闇の中を駆けた。
2
五条川の河原で、賊は仲間たちとともに酒盛りをしていた。燃え上がるかがり火は、秋の空を焼く勢いで燃え盛っている。
大がかりな火を囲み、盗賊たちは拉致してきた女たちに酌をさせながら、飲めや歌えやの大宴会を開いている。身の丈六尺はありそうな夜叉明王の入れ墨をし大男が、賊の棟梁だろうか。
ちなみに由良はと言うと、顔かたちの優れた侍女たちと一緒に、賊の仲間たちから舞を強要されている。
「奴らか?」
「ああ」
「見たところ、警戒心は薄いようだ」
茂みを少し掻き分け、正清はその隙間から垣間見えた賊の様子を伝えた。
確かに、奴らは警戒心が薄い。襲われる恐れがあるというのに、見張りの兵を付けることなく、勝利の美酒に酔っている。その様子を見て、俺は、
「なら、攻められそうだ」
腰に差していた刀をきらめかせ、号令をかけようとした。そこへ正清は、柄を持っていた俺の右手を触って言う。
「まだその時ではない」
「じゃあ、今攻めず、いつ攻めるんだよ?」
「下手に数に勝る俺たちが囲んだとしても、相手は死にもの狂いになって戦うだろう。奴らは俺たちをおびき寄せて殺すため、由良をさらってきた」
「そうか……」
汚い手段を使うのが奴らの常套手段であることは、俺も知っている。
「とにかくここは、俺の指示に従ってくれ」
「わかった。任せた。こういうことは、お前の方が得意だからな」
「まず、さっきも言ったように、相手は隙が多い」
「ああ」
「隙が多いということは、同時に『それだけ戦闘力に余裕がある』ということも考えられる。だから奇襲をかけようと思う」
「ほう」
「俺たち30人が奴らに攻撃を仕掛ける。酔っぱらった賊たちが俺たちとの戦闘に気を取られている間に、義朝は賊の棟梁を討ち取り、由良や囚われの身となった侍女や巫女を助けてくれ」
「わかった」
俺はうなずいた。
帯にぶら下げていた腰巾着から、正清は紐のついた笛を2つ取り出し、
「討ち取ったら、この笛を思いっきり吹いてほしい」
と言って俺に渡した。
「わかった」
「襲いかかるタイミングは、俺の持ってる笛で合図する」
「了解」
「残りは奴らの周りを囲っておくように。そして、必ず逃げ道は作っておけ。最後に言っておくが、打ち物には袋や鞘をしておくこと。いいな」
神人たちは小さな声で、ははっ、といって早速戦闘態勢に入った。
3
戦闘態勢に入った。
俺と正清、そして神人たち50人は、月明かりを頼りに、音をできるだけ立てないよう抜き足差し足で賊に近寄る。薙刀を持った兵士たちは、反射した光で居場所がバレないよう、鞘や袋を付けている。
正清は俺の方を見てうなずいた。
「わかった」
と俺は答え、腰に帯びていた刀を抜き、音が出ないくらいの速度で降った。
矢を持った神人たちは、一斉に矢を構え、端っこにいた部下たちを射殺した。
「誰だ!?」
賊の棟梁は、雷鳴のような大きな声を挙げ、背負っていた野太刀を抜いて矢の飛んできた方向を睨み付けた。手下たちも持っていた武器を構え、戦闘態勢に入る。
すると、後方から正清率いる神人20人ほどが薙刀や刀の鞘や袋をとり、大音声を挙げて攻めかかった。
「やっちまえ!!」
襲い掛かってきた軍勢に、驚くことなく下知をとる賊の棟梁。襲いかかる神人たちを持っていた野太刀で斬ってゆく。
賊の棟梁が5人ほどを斬ったところで、正清は笛を吹いた。
茂みに隠れていた俺は、攻めかかるよう預かっていた神人たちに下知をかけ、攻め込んだ。そして、賊の棟梁を見つけて、
「お前の相手はこっちだ」
刀を八双に構えながら、賊の棟梁へ向かった。
「この夜叉丸様に喧嘩を売るとは、いい度胸だな。こんな小兵に、何ができるってんだ?」
「貴様を殺すことさ」
「面白れぇ。やってみろ」
賊の棟梁である夜叉丸は、野太刀を大上段に構え、思いっきり俺の脳天をめがけて振り上げた。
夜叉丸の一閃をよけ、間合いに入った俺は、右薙ぎに一撃を入れた。
傷口から噴き出してくる赤黒い血。地面に滴り落ちて、河原の砂利を真っ赤に染めてゆく。
「うっ……」
苦悶の表情を浮かべながら、夜叉丸は倒れた。
間髪を入れることなく、俺は夜叉丸の首をはねた。
4
「そうだ、由良を捜さないと」
夜叉丸を殺した時に殺したときの興奮が醒めた俺は、本来の目的を思い出した。人を斬るとき、戦うときというのは、どうも気分が高まってしまい、本来の目的を忘れがちになる。
襲撃前に正清からもらった笛を吹き、賊の棟梁を討ち取ったことを報告した。
襲い掛かってくる賊の手下を斬り捨てつつ、由良を捜す。
混乱した戦況の中、一人色鮮やかな着物を着た背の高い黒髪の女性が右往左往していた。
「おーい、助けに来た」
念のため、声をかけた。
振り向く女性。振り向いたときに見えた、鼻筋の通った紛れもなく由良だった。
「来てくれた」
安堵の表情を見せた由良。
「行こう」
彼女の折れそうなほど細い手を俺は取ろうとしたとき、賊の部下の一人が胸の下あたりを左手でつかんだ。
「離して!」
必死で抵抗する由良。だが、男の力で絞められているので、身動きができない。
賊の部下の一人は、腰に差していた短刀を抜いて、
「この女がどうなってもいいのか?」
由良の首に当てた。
「卑怯なやつめ」
刀を抜けば、賊を殺すと同時に由良も殺すことになる。最悪の場合、抜いた瞬間賊の部下の一人が殺してしまうことだって考えられる。反対に抜かなければ、由良を助けることができない。
俺は刀の柄に手をかけながら、足りない知恵を必死で振り絞る。どれを選んでも、最悪の結果にしかならない。どうしたらいいんだ。
呆然と立ち尽くしているところへ、
「この女には手は出さない方がいいぞ」
正清がやってきた。
「な、何なんだ!?」
相手にできた一瞬の隙を正清は見逃すことなく、腰に帯びていた太刀を抜き、短刀を持っていた右腕を斬った。
賊の腕は血しぶきとともに弧を描いて宙を舞う。
正清が納刀したときには、鈍い音を立てて賊の右腕は河原の砂利へ落ちた。
「命だけは、命だけは」
右腕を失くし、怯える賊。
無慈悲にも、無抵抗の賊の喉元を正清は無言で突き刺した。
首元からとくとくと血を流しながら、賊は倒れた。
「もう心配しなくていい。お前の父上も待ってるぞ」
「怖かった……」
血まみれになった着物を着た由良は、俺に抱き着き、気を失った。
「さあ、帰ろうか」
と微笑みながら、俺は彼女にささやき、抱き上げた。
賊たちを全滅させたあと、由良と拉致された侍女や巫女たちを連れて、熱田へと帰った。
残りの賊徒たちは、逃げ道から少し離れた場所に伏していた神人たちの攻撃を受け、全滅した。とあの戦いに参加した神人から聞いている。