第3話 関東の義朝②─熱田神宮のお姫様─
1
由良の家は、庭付きの寝殿造りという都の貴族さながらの邸宅だった。さすがは、代々三種の神器の一つ草薙剣を守っている神官の家柄だけある。
母屋の方へ、由良は俺と正清を案内した。
そこにいたのは、立派な束帯姿で、束ねた髪に白いものが見え始めた初老の男だった。
初老の男は、床板に頭がぶつかる音が部屋中に響くくらいの勢いで頭を下げて、
「娘を助けてくださり、ありがとうございます。私は尾張国一之宮熱田神宮の神主をしております、この子の父 藤原季範。そしてこちらは、娘の由良です」
お礼、そして自分と娘の紹介をした。
「改めてよろしくお願いします」
そう言って由良は頭を下げた。改めて見ると、彼女の黒髪は艶やかで、つい見てしまう。
「当方は?」
「いいえ。ただの通りすがりの──」
武士です、と俺が言おうとしたときに正清が、
「こちらのお方は、かの武勇の誉れ高き八幡太郎義家のひ孫源義朝」
と手を向け、
「そして私が、第一の郎党にして乳兄弟であり親友の鎌田正清です」
と自己紹介し、頭を下げると同時に、俺の頭を左手で強引に下げた。
季範は座っていた円座から吹き飛び、
「か、かの有名な八幡太郎義家公の御曾孫でございましたか! 尾張の熱田宮へ、遠路はるばるよくお越しになりました!!」
先ほどよりもさらにかしこまった態度で頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
そう言ったあと、正清は俺の肩を叩いてきた。
「どうした?」
小声で俺は、正清の耳にささやいた。
「こういうときこそ、お前の出自を使わずしてどうするんだよ」
「おい、そのことは内密にしろよ。あと、俺は源氏の棟梁になるつもりはない」
「でも、棟梁になるにしても、独立するにしても、人脈は必要だ」
「めんどくさいな、そんなの後で築けばいいだろ」
「今築かなくてどうする。立派な武士になるためには、武力だけでなく人脈も必要だ。お前の先祖だって、平家だって、そうして今の地位を築きあげて来たんだ」
「はいはい。そうですか」
正清の言い分に、俺は降参した。
口のやり取りと頭の方では、正清に勝てない。ガキのころからそうだった。
俺が何か言えば、正清は圧倒的な知識量で言い負かしてくる。言い負かされてムシャクシャすることもある。けれども、頭の良くない俺にとっては、足りない部分を補ってくれる大切な存在。だから、今でも彼のことは、どの郎党たちよりも大切に思っている。
2
「義朝殿。よかったら由良を正室に迎えてくれませぬかな?」
夕食時、義父殿はこのようなことをこぼした。
「こんな俺に、妻を?」
「君もそろそろ、結婚のことを考え始めてるころだろう?」
「結婚かぁ」
頭の中は武芸のことばかりで、結婚のことはつゆ塵も考えてもいなかった。いずれはするものなのだろうとは思っていた。けれども、
(こんな貧乏な武家に誰が嫁ぐだろうか)
とか、
(俺たちが普段していることを理解してくれるだろうか)
と考えると、頭がおかしくなってきそうだから、考えないようにしていた。
武家は人殺しを生業としている。人殺しを生業としているから、相手や両親が特別信心深い人だと、何を言われるかわからない。
俺が結婚について考えていたとき由良は、
「何で私が落ち目の源氏の正室に? おまけにチビだし、お金持ってなそうだし」
膳を思いっきりひっくり返した。
「こら、由良。将来の夫となるかもしれない人に失礼なことを言うものじゃない」
「気にするな。チビだとか貧乏侍だとか言われるのには、もう慣れてる」
俺は笑って由良の粗相を許した。女はわがままで強情な生き物。それを許してやるだけの度量を持てないのなら、武士として、いやそれ以前に男として失格だ。
大きなため息を一つついて、季範は言う。
「うちの由良はわがままでね。この前の国司さまとの縁談も断っちゃったんですよ」
「ははは。女はメンドくさい生き物ですから」
先ほどは心のなかでカッコいいことを思い浮かべていた。だが、いざ生身の女と接するのは、やっぱり面倒くさい。
3
熱田神宮に俺たちは3日ほど逗留した。
厄介になっているだけでは悪いので、社務などを手伝いながら暇をつぶしていた。
「社務」といっても、掃除や境内の警備、周辺の社領の見回りといった簡単なもの。
「君たちはお客様なんだから、わざわざここまでしなくてもいいのに」
そう義父殿は止めようとしていた。だが気晴らしにもなるし、東国へ下る際に必要になってくる銭も手に入るから、嫌ではなかった。
社務の合間、庭の片隅で俺は、真剣を片手に素振りをしていた。
素振りを終えたあと、俺はいらなくなった茣蓙をもらい、居合の練習をすることにした。
素早く抜刀し、杭にくくりつけた藁を三等分する。
杭ごと切断された茣蓙は、宙を舞ったあと、きれいに三等分されて地面に落下した。
「きれいな動きですね」
「いやいや。褒められるようなことじゃない。武士たるもの、日々の鍛錬は怠ってはいけないからな」
こんなことを由良に言ったが、内心俺はうれしかった。母親や姉妹、叔母や祖母といった身内以外の異性に褒められた経験が少なかったからだろうか。
「もう一度、由良の前でやってみてください」
「そんなお姫様のためにも、この義朝、全力でやってみましょう」
茣蓙の巻かれた杭の前で一礼したあと、呼吸を整えて抜刀し、茣蓙を四等分した。
斬り終わったあと、俺は軽々と持っていた刀を回し、刀身を鞘へと納めた。
「すごい! 由良もやってみたいです」
「そうか。汗をかくから、着替えてから来てくれ」
「はい」
そう言って、唐紅や銀杏色の袿を着た由良は、着替えのために御殿へと戻っていった。
「これで、いいんでしょうか?」
赤い袴と白い襦胖に着替えて由良はやってきた。きれいな黒髪と白い肌は、巫女装束によく似合う。
「ああ」
俺は腰に帯びていた刀を由良に渡した。
渡された刀を抜き、由良はそれを大上段に構え、茣蓙を袈裟に斬った。
茣蓙の半分ぐらいまでのところまで斬れたところで、斬撃が止まり、刀身が食い込んだ。
「重いし、なかなか斬れません」
「最初は誰だってそんなもんさ。もう一度構えてみて」
「は、はい」
再び由良は刀を大上段に構えた。
「ちょっといいか?」
折れそうなほどにか細い由良の腕をつかんだ。
「ちょっと、何するんですか!?」
「やましいことはしないから安心してください」
俺は、つかんでいた由良の腕を曲げさせた。曲げた腕と持っている刀が「コ」の字になるようにするために。
「この体勢から斬ってごらん。そして、腕の力だけじゃなく、体全体の力を使って」
「は、はい」
そう言って由良は、持っていた刀を思いっきり振った。
先ほどは刀身が食い込んで斬れなかったが、二回目は正しい体勢と力加減を学んだおかげか、しっかり斬れた。初めてにしては上出来だ。
「さっきよりも斬れました」
「よくできたじゃないか」
ほめられるのは、やっぱり悪い気持ちにはならない。
談笑しているときに、突き刺すような視線をどこからか感じた。
視線のする方を見てみると、そこには正清がいた。呪ってやる、と言わんばかりに殺気を込めた目線で、俺の方をじっと見つめながら、
「義朝、何やってんだお前」
とつぶやいた。
「何って、別に邪なことをしてないからいいじゃないか」
「いいなぁ。お前は源氏の御曹司でよ」
「お前だって、こんな陰気臭くなければ、普通にモテるだろうよ」
「こんなところでのろけてないで、見回り行くぞ」
普段より強い力で、正清は俺の袖を強く引っ張った。
「わ、わかった」
「ふふっ、仲いいんですね」
「まあ、昔からの付き合いだからな、いや、失礼しました。昔からの付き合いですからね、でしたね」
白い面長な顔を赤らめ、正清は言い直した。
「これでお相子ってことでいいだろ、もう」
「納得できないが、そういうことにしておいてやるよ」
不満そうに正清がそう言ったあと、一緒に社領の見回りへと行った。
このときの正清との見回りは、少し気まずかった。
4
7日目に事件は起きた。
俺と正清が社領の見回りから帰ってきたときのことだった。
屋敷の門の前に立って、馬から降りた。そのときに門を見た。
矢が刺さっていた門の扉には、薙刀で斬られ真っ二つになった門番の死体が広がっていた。
「何があった」
突然のことに、俺は少し混乱した。
ここを出たときには、まだ神人や巫女、侍女たちが普通に出入りしていた。少しもしないうちにこうも荒れ果てるとは、一体何があったのだろうか。そんな疑問と同時に、義父殿と由良の行方が心配になった。賊たちにさらわれ、殺されたり人質になったりしていないだろうか。そう考えてしまうと、気が気でならない。
俺の心配をよそに正清は、
「とりあえず、中へ入ってみよう」
といつもと変わりない淡々とした口調で言い、門の敷居をまたいだ。
「そ、そうだな」
「屋敷に入れば、生存者がいるかもしれない。その後どうするかは、生存者からことの顛末を聞いてからだ」
「ほう」
門の前で死んでいた門番の亡骸に軽く合掌をしたあと、俺は荒廃した義父殿の屋敷の門の敷居をまたいだ。