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第1話 動き出す者たち


   1


 ──ここまで俺は朝廷に尽くしてきたのにどうして。

 春の除目が終わったあと、蕾が膨らみはじめたばかりの左近の桜を眺めながら、源義朝みなもとのよしともは心の中でつぶやいた。あのとき策を講じたのに、身を粉にして為朝を追い詰めたのに……。それに操られてはいたが、和解した父を自分の手で殺めた。それでも自分は五位のままで、ろくに昇進もしていない。

 大きなため息をついた義朝のところへ、

「義朝ちゃんお久しぶり」

 豆大福のような顔をしたふくよかな男が声をかけてきた。中納言ちゅうなごん 藤原信頼ふじわらののぶよりだ。

「こ、これは武蔵守むさしのかみ様」

 義朝は礼をした。

「お正月からこんな暗い顔をしてどうしたのかしら?」

「いえ、何もありません」

 必死で困った様子を隠そうとする義朝。

「もしかして、清盛ちゃんに差をつけられたのが悔しいのかしら?」

「そんなわけじゃ」

 戸惑う義朝の耳元へ信頼は近づき、

「それでは確かに不憫よね。信西入道に取り入ってもらったけれど、左馬頭さまのかみにしか取り上げられなかったんだもの。対して清盛ちゃんは信西と仲良しこよし。それで播磨守はりまのかみ太宰大弐ださいのだいに(大宰府におけるナンバー2の官職)の位に登り詰めている。理不尽だと思わないかしら?」

 と囁いた。

「清盛を悪く言うな!」

 声を張り上げて、義朝は言った。

「あら怖い。でも、貴方は源氏の棟梁。平家とは本来であれば敵対する身よ。自分でよく考えて行動なさい。源氏の未来を心から憂う身ならばね」

 そう言って信頼は肩をぽんと叩き、義朝の目の前を去っていった。


   2


 後白河帝は昨年、息子の守仁もりひと親王に皇位を譲り、院となられた。曽祖父の白河院、父の鳥羽院のように、治天の君となって政務を司る。そう思われていたが、後白河帝改め後白河院は、政務を信西や信頼に任せきりで遊んでばかりいる。


  熊野へ参るには

  紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し

  広大慈悲の道なれば

  紀路も伊勢路も遠からず


 この日も後白河院は、庭先で上機嫌に今様の練習をしていた。低く、澄んだ水のように清らかな歌声が御殿中に響き渡る。

 後白河院の爽やかな歌声を聴いた信西は大きなため息をついて言う。

「また今様ですか」

 信西の問いに後白河院は、いつものすました顔で、

「おお、信西か。また小言でも言いに来たか?」

 と聞いた。

「院がこうして今様の練習ばかりしているのを見ていると、小言の一言や二言も言いたくなります。一体何のために御譲位なされたのですか!?」

「私は皇位という重荷を降りて、こうして歌い暮らしていたかっただけ。お前に院政を指図されるためではない」

「それでは示しがつきません」

「皇位など守仁にくれてやったではないか。信西、そなたは毎日忙しいようだが、たまにはこうして息抜きをするのも大事ぞ」

 ろくに仕事をしていないお前に言われたくないわ。そう信西が言おうとしたところで、後白河院の意見に同調した信頼が、

「そういつも気張っていると、心身が持たないわよ、信西殿」

 と優しげな声で言った。

「信頼殿、君主が政治から目を背けた王朝が哀れな歴史を辿っているのは、お前でもわかるだろう」

「それでも優秀な近臣がいれば、案外主上や院が無能でも持つものですわよ。摂関政治の例をお忘れかしら?」

「けれども今は、摂関家も衰えている。だからこそ、皇室のさらなる権威向上をしなければいけない。そのためにも、院には積極的に政治に関わってもらわねば」

「そんなご立派なことを口にしているけど、本心では、自分が衰えた摂関家に取って代わってやろうとお思いなのでは?」

「……」

 黙り込む信西。一人の男として生まれたのならば、自分も一度は院の側近となり、自分の能力を存分に振るいたい。これも出家の動機の一つだからだ。けれども、少納言の位だけでは、国政を動かすにはあまりに物足りなかった。だから、出家をしてから、俗人だったよりも頑張り、後白河院の後見役という大任を任された。摂関家が衰えてからは、壁はほとんどない。あるとすれば、腐敗したこの国の仕組みだろうか。矛盾しているかもしれないが、かつての摂関家の立ち位置につき、これを変えなければ、新しい時代はやって来ない。

「はぁ......」

 言い返せず、ため息をつく信西。

 対して信頼は、信西がここにいないかのように、

「今日の歌声は一段と良かったですわ」

 黄色い声で後白河院の歌声をほめちぎった。

「信頼よ、かたじけない。私の全身全霊の歌声を理解しているのは、この世でお前ただ一人だ」

「アタシは院が世の中の全てが敵になっても味方でいるわ」

「頼りにしているぞ、信頼」

 そう言って後白河院はまた、歌い始めた。


   3


 当時の朝廷では、2つの勢力が力を持っていた。後白河院に曽祖父や父のように院政を取ってもらいたい「院政派」、そして昨年皇位に就いた二条天皇の親政を望む「二条親政派」だ。

 二条帝の即位以来、院政派と二条親政派は、互いにいがみ合っていた。

 いがみは最初、院政と二条帝の親政どちらがいいかの対立であった。だが、昨年の終わりごろから、思想だけでなく、政策の方向性にも影響を及ぼすようになった。

 昨年末に行われた会議では、こんなことがあった。

 このとき、租税の取り立てについての審議を行っていた。一部の国で、租税の取り立てが滞っていたことがわかったためだ。

「鎮西の一部では、租税の徴収が滞っていたことがわかった。幸い、大宰大弐(大宰府の官職において二番目に偉い役職)に着いた清盛殿が納税を徹底したおかげで、廃れた宮中行事や内裏の復興ができた。清盛の報告によれば──」

 清盛の報告について信西が話そうとしたとき、

「信西殿」

 二条親政派の一人である権中納言 源師仲みなもとのもろなかが、話を遮るように名前を呼んだ。

「どうした師仲、申してみよ」

「受領もしっかり帝に税を納めております」

「でも、九割九分のはお前たちの欲で穢れたその懐に入っているだろう?」

「帝や院にもしっかり献金していても、税をしっかり納めていることと変わりはないでしょう」

「ろくな実力もないのに縁故と金の力で官職をもらい、ろくでもない政治をする。その精神が卑しいのだ! 国が乱れたのは院の政治ではなく、貴様らの腐った性根のせいだ!」

 院全体に響くほどの大音声で、信西は二条親政派の者たちを一喝した。

 信西の鬼気迫る怒号に、怯える公卿たち。

「落ち着いてください、信西殿」

 必死になだめる師仲。対して信西は握りこぶしを作り、

「貴様らのような無能は、ここから出ていけ!」

 と殴りかかった。

 そこへ信頼が出てきて、

「信西ちゃん、落ち着きなさい。ここは院の御前だわ」

 と羽交い絞めにして静止した。

「信頼、院の様子を誰よりも見ているお前ならわかるだろう。帝の職務がいかに大変なのか、後ろ盾がいないことが、どれだけ心細いかを」

「怒鳴っても何も変わらないわ」

「それぐらいわかっている。けれども、世の中をあるべき姿に再び戻すためには、こうした不正も厳しく目をかけないといけない」

 演説を始める信西に、葉室惟方はむろこれかたは冷ややかな口調で言う。

「信頼の言う通りですぞ。いくら貴様一人が有能だからと言って、世の中の全てを回してると思いこむのは傲慢。受領たちの献金もあって、この朝廷は成り立っているのですぞ」

「一人の力で世の中を動かしているわけではないことは、俺もわかっている。感謝の念は、忘れた日はない。けれども俺は、民の期待に応えるべく、日々誠心誠意政務に励んでいる。お前たちのように、自分の利益のためだけに動いてるんじゃないんだ」

 力強く、信西は惟方に反論した。

 静まり返る殿上。黙っている殿上人の中には、信西の名演説に心打たれた者が5割、ぐうの音が出ない者が5割といったところだろうか。

 尺を落としても誰かが反応しそうな静けさの中で、師仲は、

「さあさあ、ギスギスした話し合いは終わりにしましょうか」

 と白く小さな顔にある真っ赤な唇に笑みを浮かべて言い出した。

「そうですな。こんな生産性のない話し合いをしていても意味がない。ささ、皆の者、今日はここでしまいだ」

 そう惟方が言うと、彼らに与する公卿たちは、ぞろぞろと院を出ていった。

「待て、話は途中だ。逃げるな」

 逃げるように院を出てゆく師仲一派を、信西は引き留めようとした。だが、信西の言葉に従う師仲一派の者は、誰もいい。


   4


 正月明けの、まだ凍てつく夜風が吹く夜。伏見にある師仲邸では、二条親政派たちの密談が行われていた。

 密談に参加していたのは、屋敷の主人である師仲、故藤原家成の嫡男成親なりちか、惟方。いずれも二条親政派の主だった顔ぶれだ。

「帝の親政を実現させるには、どのような方策がある?」

 親政派の筆頭である師仲は、密談の参加者に知恵を求めた。

 手を挙げた成親は答える。

「信西を殺しましょうか」

 そう成親が答えたとき、気まずい空気が師仲と惟方の間に流れる。

「成親、さすがにそれはまだ時期尚早すぎる」

 同じく二条親政派の一人であった惟方は、過激な発言をした成親を諫めた。

 会議の主催者である師仲は惟方に続いて言う。

「確かに、今信西を殺すのはよくない。殺したら、背後にいる平家がどう動くかわからないからね」

「師仲殿の言う通り。京都で指折りの兵力と財力を要する平家が出てきたら、滝口や源氏だけで勝てるかどうか」

「そうですか……」

 下を向いて、成親は小声で言った。

 平家には、強大な兵力と日宋貿易で培った莫大な財力がある。もし仮に信西が危機に陥るようなことがあれば、日ごろから仲良くしている棟梁の清盛が黙っていない。強力な家人や傭兵を率いて、確実にこちらを潰しにかかるだろう。

「困ったことに」

 そう言って師仲が大きなため息をついたときに、

「なら、俺にいい策がある」

 と声がした。

「誰だ!?」

 惟方と成親が振り向いたその先にいたのは、20代後半ほどの赤色の直垂を着た青年竹内克弥だった。

「貴様何者だ!?」

「俺か? 竹内宿禰たけうちすくねさ」

「竹内宿禰」

「なぜ大昔の人間がここに?」

「ま、そう来るだろうとは思ってたわ」

 そう言って竹内は、足元から波紋のようなものを出し、惟方と成親を眠らせた。そして師仲の前へ座る。

「これは竹内殿、お久しぶりです」

「久しぶりだな、師仲」

「策とはどのようなものですか?」

 柔和な顔に微笑を浮かべて、師仲は聞いた。

「そのためには、まず俺と手を組まないか? 話はそれからだ」

「わかりました」

 そう言って師仲はうなずいた。

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