表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

別に勉強をしているやつが偉いわけじゃない

作者: 竹内謙作

 別に勉強をしているやつが偉いわけじゃない。知識をひけらかすものは、知識に飲み込まれて自分自身がまるで知識か何かのように振る舞っているだけだ。別に成績が良い人たちが偉いわけじゃない。成績が人間のステータスだと思っている人たちは、つまり成績だけが人生の優越のすべてだという社会のシステム化されたまやかしに毒されているだけだ。

 勉強をすればするほど、虚しさが自分のなかに押し寄せてくるのだ。自分の無知がはっきりと認められる。わかればわかるほど、だんだんとわからなくなってくる。無力。あまりに無力。わたしたちは学問を何のためにやっている?人類全体の幸福のためだ。しかし学問の研究を深めれば深めるほど、わたし自身は人間の弱さを感ぜずにはいられないのだ。いっそう自分が不幸になっているような気がするのだ。

 謙虚さだけが、研究者が目指すべき姿勢なのではないか。学問を究めれば究めるほど、わたしたちは結局何もわからない、何も知らないという態度が研究者の正しい生きる道なのではないか。しかしそういう謙虚さが現在の人間には少なすぎる。知識を豊富にもっているという、そういった幻想を幻想だとわからずに威張りきっている人たちが多すぎる。

 ソクラテスが唱えた「無知の知」というあの観念、わたしたち人間の尊厳はそこにある。知れば知るほど、その知るという意識は幻だというまた別の意識に人類は知らず知らずのうちに苦しめられているだろう。なぜなら、わたしたちは前提に前提を重ねて論理を進めているに過ぎないからだ。そして重ねすぎて、一番大事なこと、何のためにやっているのかというその目的ーすなわち人類の幸福のために奉仕することーをすっかり忘れてしまっているのだ。一体どれくらいの人が人類の幸福、その学問のもっとも重要な前提を意識して生活しているのだろうか。数学、天文学、化学、物理、そういった科学の叡知が人間の幸せを引き合いにして成り立っていると考える人がどれくらいいるのだろうか。わたしたちは、科学の人間味を帯びていない厳しい目ー人間を人間としても扱わない極めて物質に縛られた視線ーにさらされながらも、科学の叡知を通して人間を見つめなければならない。人間ではないところに、人間との関係性を見出ださなければならないのだ。

 学問。その一部に見受けられる自分自身が正しいのだという、歪められた真理への探求に虚構があるのは至極当然のことだ。議論というのも、とどのつまり自分が正しいということを示すための人間の醜い闘争にほかならないのだ。科学的な議論よりも飲み会の方が人間同士の融和が実現するのではないか。これは逆説ではない。一つの真実だ。事実だけを追い求めていてはどこかに人間を置き忘れていく。わたしたちが、己の意見をとりとめもなく話し、みながそれについて思う。そういうコミュニケーションの中に人間が生きる術があるのではないか。正しいとか、正しくないという話ではない。相手を打ち負かすというのがコミュニケーションではない。しかしそういうことがわかっていても、わたしたちは無意識にそういう傾向に議論を持っていってしまうのだ。それは人間の幸せとかそういうことを抜きにして、人間を排した真実だけを考えているからだ。しかしそんな真実は何の意味もないことだ。真実であっても、人間につながっていなくては意味がない。

 一体学校も生涯行ったことがなく、学問も何も受けていないわたしたちが未熟児と呼ぶような働く若者と、あらゆる学問の恩恵を一心に受けた科学に従順な研究者のどちらが人類の幸福を考えているといえるのだろうか。わたしたちはこの二人のどちらも選ぶことができない。なぜなら、学問に関係なく未熟児の若者も人生とか、人間の幸せの探求に身を投じているに決まっているからだ。彼がその自分を意識していなくても、社会の中で生きているうちに、そして人間とふれあい、人間と戯れ、人間を恋し愛し合ううちに人生を考えずにはいられないだろう。学問をひたすら学び、人間を考える機会を多くもっている研究者の方がむしろ、皮肉にもそういう人間の幸福のための探求などはつまらないものと忘れてしまうのだ。それは結局は学問が人間とは違うものであるという意識を自分のなかに植え付けてしまっているからにほかならない。

 人間。わたしたち人類の叡知は結局人間に向けられなければならない。そして個人の幸福ではなく、人類全体の幸福のために生きなければならない。奉仕をしなければならない。自分のために生きる人間は、人間は死んでしまうものだという滅亡への道としか人生を考えられないだろう。わたしたちは、金儲けのために、享楽のために、自分勝手な愛のために生きているわけではないのだ。学問を志す人間にも同じことが言えるだろう。自分一人のために学問をする人間は決して救われない。他人のために、そして人類全体のためにある学問こそが、わたしたちにとって最も重要なものであろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ