第75-1話 神薙玲於奈はどこからきたのか
アルカパとの“打ち合わせ”を終えた後、しばらくして神薙真姫奈は目を覚ました。
「……」
まず視界に入ったのは木目の天井。
二十畳ほどの広い和室だった。
真姫奈にとっては見知らぬ場所だが、さほど動揺はしていない。
アルカパから事前にこう説明されたのだ。
――貴女は伊城木芳人によって捕らえられ、今は鴉城邸で眠っています。
要は捕虜であり、これまでの悪行を考えればマトモな待遇は期待できないだろう……と覚悟していた。
だが意外なことに傷の手当てはなされ、ズタズタの巫女装束も新しいものに替わっている。
しかも布団はフカフカの羽毛。
二度寝の誘惑に駆られつつ、真姫奈はゆっくりと身を起こした。
「……随分と丁重な扱いじゃないか」
苦笑交じりに呟くと、
「もしや姉さんは座敷牢をご希望でしたか」
ちょうどそのタイミングで和室に入ってきた少女が、平坦な調子で声を掛ける。
「自分から苦境を欲しがるなんてイイ趣味してますね。真姫奈のMはそういうことですか。ならば玲於奈のRは何でしょう? ロリ? ぺたんぺたたん胸ぺったん? これからは舌足らずのはわわ路線に切り替えましょうか。『はわわ、ご主人様。捕虜を殺っちゃいました!』みたいな」
「……それは遠回しな殺害予告のつもりか」
身構えつつ玲於奈に視線を向ける。
というのも、普段の飄々とした様子とは異なり、どうにも不穏な空気を漂わせていたからである。
たとえるなら毛を逆立てた猫のよう、というか、
「なんだ、その格好は」
「眼には眼を、歯には歯を。そして獣には獣です。ひとの食事を奪う獣を倒すため、私も獣になるのです。がおー」
玲於奈は両腕を高く掲げた。
彼女の装いは巫女装束でもカジュアルでもなく、着ぐるみ風の猫パジャマだった。
頭にはネコミミのフード、両手には肉球型の手袋。
がおー。
「ああ、うん。そうだな。ところで――」
真姫奈にしてみれば玲於奈の奇矯さなど慣れたものである。
適当に頷きを返しつつ、別の話題へと持っていく。
さもなければ愚妹はひたすらに自分の世界を語り続けるだろう。
「いったい何の用だ。まさか私を見舞いに来たというわけでもないだろう」
「まあ、当たらずとも遠からず、でしょうか」
「何だと?」
「お見舞いはお見舞いですが、『一発お見舞いしてやる』のお見舞いです。先日の決着をつけましょう。安心してください。私にしては珍しく、正々堂々とやるつもりですから」
鴉城邸の一角はかなり大きな道場となっている。
普段は退魔師らが修業に使っているものの、今は真姫奈と玲於奈の2人のみであった。
「防具はいいでしょう。私たちの場合は布きれの代わりにもなりませんし」
「……お前がそれを着るのは珍しいな」
玲於奈は猫パジャマから別の衣服に着替えていた。
全体のデザインとしてはいわゆる巫女装束に相違ないが、その色調はまったく異なる。
本来なら白であるはずの箇所がすべて黒に染まり、“静謐な禍々しさ”と呼ぶべきものを漂わせていた。
退魔師の家にはそれぞれ正装と言うべきものが存在する。
ただし“神殺しの神薙”においては例外的に2つあり、簡言すれば表と裏。
表は純白の誠意で神を奉るためのものだが、裏はその逆。
漆黒の殺意で刃を向け、冥府の底へと失墜させる。
一種の決戦正装と呼ぶべき姿であった。
「姉さんの分も用意していますが、どうしますか」
「私はいい。神薙の正統後継者はお前だ」
「……人の命を狙ってたはずの姉さんが殊勝なことを言い出した件について。自分で死亡フラグを立ててどうするんですか」
軽い口調で答えつつ、しかし、玲於奈の構えに隙はない。
互いに得物は竹刀。
とはいえ両者の力量を考えれば、生半可な剣士が刀を振るうよりも遥かに凶悪な武器となるだろう。
「ご存知とは思いますが、姉さんの事情についてはアルパカだかアルルナジャだかの女神からおおよそ聞いています」
真姫奈が芳人の救出に手を貸す理由。
その説明についてはアルカパに一任してあったが、おそらく、先程の話し合いの後にでも実行してくれたのだろう。
「芳くんの妹――みあみあは『使えるのなら過去は問わん』と男前な宣言をかましてくれました。静ぽんは『いろいろ複雑な気持ちだけど、芳人様を助けるためには必要だから』と納得しています。あやのんお嬢様も受け入れる気のようです。……とはいえ」
ゆっくりと玲於奈は竹刀を持ち上げる。
「大好きなカレがピンチだから? 今までのことは水に流して? みんな仲良くお手々つないでかごめかごめ? 私としてはちょっと待ったコールですよ。どうにもこうにも引っかかります。姉さんの内心がイマイチ見えてこない。不気味に思えます」
「随分と疑り深くなったのだな、玲於奈」
「つい先日まで人を『裏切者』だの『愚妹』だのと罵ってきた相手が、別人のような態度で接してくる。不審がるのも当然でしょう。裏切りフラグとしか思えません。……それに、別件ですが気になることもあります」
果たしてそれは何だろう。
真姫奈の側には心当たりなどないかに思われたが、
「私は、本当に姉さんの妹ですか?」
突き付けられたのは、予想外の、そして、にわかには答えがたい質問であった。
「ナーガーラジャだったかブラシャーだったか、あの女神の話を聞いて思ったんですよ。初対面の時から芳くんとは妙にウマが合いましたし、クローンの013なんて性格がまるきり同じじゃないですか。けれど私の顔は姉さんそっくりで、だから――」
玲於奈の言葉を、真姫奈はただ黙って聞くばかりである。
窓から強めの風が吹き込み、後ろで一本にまとめた長い黒髪を大きく揺らした。
「神薙玲於奈の、遺伝上の父親は誰なのか。……私が勝ったら、洗いざらいすべて話してもらいます」
神薙の剣術とは、神という絶対者を討滅するための手段である。
つまりは究極の格上殺しであり、ゆえにこそ「柔よく剛を制する」ことに要訣を置く。
では仮に神薙流どうしが立ち合えばどうなるか。
初手においては先の先を競い、そこで決着がつかなければ、互いが互いの攻めを封じる読み合いとなる。
玲於奈の竹刀が真姫奈の面を狙って振り下ろされるものの、その剣先に威力が乗るより早く、真姫奈がその軌道を阻む。
竹と竹がぶつかる音は、しかし、通常の剣道よりもずっと小さい。
敵手の斬撃を絡め取るように逸らし、反撃に転じる。
神薙流においては初歩の初歩、真姫奈はそれに忠実だった。
胴を狙った薙ぎを放つ――放とうとするも、やはり技の出初めで玲於奈に封じられる。
そんな鬩ぎ合いが十、二十、三十とひたすらに繰り返され、周囲に旋風を飛ばす。
余人が迂闊に近づけば、ほんの数秒で無残な撲殺死体と化すだろう。
どちらも致命打が決まることなく戦いは続き、やがて状況は少しずつ玲於奈の側に傾き始めた。
重ねてきた年月は真姫奈の方が長い。
以前はその技量ゆえに玲於奈を上回っていたものの、ここに来て思わぬ事態が起こっていた。
毎秒ごとに玲於奈の速度が増している。
否、物理的な速さは変わっていない。
ほんの少しだけ無駄な隙が減り、ほんの少しだけ見切りが鋭くなった。
要するに、動きの精度が高まっているのだ。
本来なら十年単位の修練を重ねるうちに到達するはずの段階。
それを玲於奈は凄まじい勢いで駆け上りつつあった。
本人の才能だけでは説明がつかない。
真姫奈の技術を盗み取っているのだ。
今までに何度か剣を合わせたことはあるが、このような事態は初めてである。
真姫奈は驚愕しつつ、同時に、歓喜を覚えていた。
ああそうだ、それでいい。
その程度には規格外でなければ困る。
なぜなら。
おまえは本来、芳人を蘇らせた後のつがいとして生み出した存在なのだから。
胸に広がるのは満足。
神薙流は上位者へ向ける逆襲の刃、ならば担い手の精神は飢えと渇きに苛まれていることこそが望ましい。
この時、真姫奈は本質的な前提条件を欠いてしまった。
ゆえに、訪れる結果は畢竟――。
「取りました」
乾いた撥音とともに、竹刀が床に弾き落とされる。
玲於奈はその剣先を真姫奈に突き付けた。




