第3話 生後6ヶ月のルンパライダー
自宅で過ごすこと半年。
オヤジはほとんど家に帰ってこず、水華さんとは二人きりの生活が続いていた。
「ふー。ふー」
目の前にはトロトロのおかゆ。
離乳食が始まったのだ。
「よ、芳人さま、どうぞ……!」
スプーンを持つ水華さんの手は、緊張でブルブルと震えている。
うっかりすると目玉に突っ込まれかねない。
タイミングを見計らい、俺からパクリと食いついた。
「きゃっ、きゃっきゃきゃきゃきゃ!」
米。
それは日本人のソウルフード。
異世界じゃパンばっかりだったから、感動もひとしおだ。
ついつい笑顔になってしまう。
「~~~~!」
嬉しそうに悶える水華さん。
猫耳としっぽがパタパタと暴れている。
食事のあと、俺はかねてからの計画を実行に移すことにした。
水華さんはキッチンで洗い物をしている。リビングの様子はあまり見えていない。
チャンスだ。
いきなりの話で申し訳ないが、俺の家にはルンパがある。
丸くって自動で掃除をしてくれるアレだ。
え? 「ルンパ」じゃなくて「ルン〇」だろうって?
悪いな、商標的にアレだから察してくれ。
「だうー、だうだっだだうだーだうう!」
誰もが一度は考えたはずだ。
ルンパに乗ったら楽しいんじゃないか、って。
赤ちゃんなら小柄で軽い。大丈夫なはずだ。
異世界で培った騎乗スキルを見せてやるぜ!
「あばばだだうだう、あばうばだだうだう、るんぱ!」
意味もなく詠唱してから電源をスイッチオン。
そしてライドオン。
ブルルルルルルルルルと唸りをあげるルンパ。
おおう。
これ……ちょう楽しいな!
壁にぶつかるぶつかる……と見せかけて方向転換。
いきなりピタリと止まったかと思えば、そのままグルグル三回転。
ほどよいスリルが心地いいぜ。
直進のスピードもなかなかで、いま、俺とルンパはひとつになった。
人馬一体ならぬ、ルンパ一体!
全然うまいこと言えてないな、ごめん。
「芳人様?」
おっと。
ルンパに夢中になるあまり、水華さんのことをすっかり忘れていた。
これは怒られるかなー、と思ったら。
「ちょっとお待ちください」
軽やかな足取りで二階に向かい、ハンディカメラを手に戻ってきた。
「芳人様、こっちに視線お願いします! 笑顔で!」
すげえ親バカだよこの人!?
「きゃ、きゃっ!」
いつも俺のために頑張ってくれてるし、こういう時くらいはサービスしておこうか。
普段の三割増しくらいのスマイルを水華さんに向ける。
そうやって謎の撮影会をやっていると――
「二人とも、何をやってるんだい……?」
呆れ顔のオヤジが帰ってきた。
くっ、邪魔しやがって。
俺はルンパから降りると、テーブルの上に置いてあった哺乳瓶を掴む。
「よ、よ、芳人、落ち着け、落ち着くんだ」
オヤジは真っ青になっていた。『ロケットパンチ』のトラウマが蘇ったのだろう。
「僕はパパだ、敵じゃない。その哺乳瓶から手を離すんだ」
「……直樹さま、自分の息子に怯えてどうするのですか」
嘆息する水華さん。
俺と遊んでる時とは別人のように、キリッとした顔つきだ。
ただ、彼女の視線はチラチラとルンパに向けられていた。
――そして事件は、翌日に起った。
「芳人様、お昼寝をしましょう」
昼の二時くらいだったか、水華さんが急にそんなことを言い出したのだ。
俺を抱っこすると二階の部屋へと運ぶ。
「それでは失礼いたします……」
俺が眠ったのを確認すると、水華さんはひっそりと去っていった。
「ば、だだうだだだっだう」
もぞもぞと身を起こす。
なんだか水華さん、やけに切羽詰まった様子だった。
いったいどうしたのだろう。
気になる。
気になるぞ。
……昼下がりの猫耳美女、その秘密。
こう言い表してみると、やたらエロい。
そういや水華さん、ネコマタ何だよな。
やっぱり猫みたいに発情期があるんだろうか。
ゴクリ。
ちょ、ちょっと下の様子を見てこようかなー、なんて。
水華さんにしては迂闊なことに、ベビーベッドに柵をかけていなかった。
しかも部屋のドアもちゃんと閉まっていない。
抜け出すのは簡単だった。
「ばっだうだだうばだうだだだう……」
桃色の期待に胸をふくらましつつ、細心の注意で下へ降りる。
やがて一階が近づいてくると、リビングのドアの向こうからブルルルという振動音が響いてきた。
まさか、これはバイブレーションな大人のナントヤラではないだろうか。
しかも時々「にゃ」とか「きゃ」とかいう高めの声も聞こえてくる。
これは……ドア一枚を隔てて、淫靡なアレコレが繰り広げらているんじゃなかろうか。
紳士ならそっと立ち去るべき場面だろう。
けれど、美人のおねーさんのヒミツが気になるのは、男子共通の本能のはずだよな。
ちょっとくらいなら、うん、覗いてもセーフかなー、って。
俺は一階に降り立つ。
半開きになっているリビングのドアから、そっと中を窺った。
そこには――
ブルルルルルルルルル!
「ニャ♪ ニャ♪」
ルンパに乗って楽しそうに歌うネコが一匹。
満面の笑みを浮かべている。
その尾は黒く、二股。
たしかネコマタの「マタ」って、尻尾が分かれてるって意味だよな。
じゃあ、アレ、水華さんか?
こういう時に役立つのが、【鑑定】だ。
……。
…………。
はい、水華さんでした。
どうやら【猫化】スキルを発動させているらしい。
ルンパに乗って遊ぶために、わざわざ俺を寝かしつけたのだろうか。
「ニャッ!?」
あ。
目が合った。
「ニャ……きゃああああああああああああっ!?」
ぽわん。
その身体が煙に包まれたかと思うと、【猫化】が解除されて人間の姿に戻る。
一糸纏わぬ裸体。
まるみを帯びた白い臀部と、そこから伸びるしっぽのコントラストがまぶしかった。
「うう、まさか二階から降りてくるなんて」
いろいろと精神的なショックがデカかったのだろう。
水華さんは服を着るとそのままソファで寝込んでしまった。
「頭が、グルグルします……」
まあ、ルンパって回転しまくるしな。
ずっと乗ってれば平衡感覚もおかしくなるはずだ。
「すみません芳人様。夕食はきちんと準備いたしますので、しばらく休ませてくださいませ」
どうぞどうぞ。
むしろ、いつも俺の世話でお疲れ様です。
一食くらいは抜いても何とかなるんで、遠慮なく眠ってください。
「くぅ……すぅ……」
やがて水華さんは静かに寝息を立て始めた。
――それからしばらくが過ぎ、夕刻。
「うう、あぁ……ううっ……」
突如として、水華さんが、魘され始めた。
「ぐっ、あ、ああっ……」
額には脂汗を浮かべ、息苦しそうにもがいている。
「だあうう! だあうう!」
ダメだ。
どれだけ揺すっても起きやしない。
それどころか。
「だうだたうだ……?」
黒いモヤのようなものが、彼女に纏わりついていた。
それが蠢くたび水華さんは苦しそうに身をよじる。
似たようなものを、異世界で見たような気がする。
対象の生命力を奪い取って死に至らしめるわざ――呪術。
誰がこんなことをしているのかは分からないが、今はそれよりも重要なことがある。
水華さんを助けないと。
深呼吸。
意識を集中させ、全身の魔力を活性化させる。
半年前に比べれば魔力量も増えている。
この程度の呪いだったらなんとか祓えるだろう。
「――《光聖術式》・《我が祝福は破邪祓魔の清流である》」
ルビは気にするな。
水華さんの頭上で空間がゆらぎ、そこから輝きとともに雨が降り始めた。
雫のひとつひとつが呪いに対しての特効薬であり、みるみるうちに黒いモヤが小さくなっていく。
十秒と経たずに完全消滅。
これにて一件落着。
……あっ。
いつものクセで《破邪祓魔の清流》を使ったが、ここは室内ということを忘れていた。
ソファごとあたりはビショビショになっていた。
「よしと、さま……?」
水華さんが目を覚ます。
雨に濡れたブラウスが肌に張り付き、うっすらと下着が透けていた。今日は青色のレース。
その記憶を最後に俺は意識を手放した。
魔力切れだ。
その夜、珍しくオヤジは家に帰ってきた。
どうやら水華さんが呪いの件を電話で知らせたらしい。
二人は色々と夜遅くまで話し合っていたが、俺は水華さんの胸に抱かれて眠る……ふりをしつつ、密かに聞き耳を立てていた。
曰く、
・オヤジと水華さんは一年前、タチの悪い呪術師と戦った。
・あと一歩のところまで追い詰めたが、呪術師は逃走。
・復讐のために水華さんへ呪いをかけたのかもしれない。
・ルンパに乗っていたのとは関係なく、偶然の一致。
問題はここからだ。
「芳人様は、赤子ながら高々位の呪詛を祓ってみせました」
高々位? あれが? 向こうの世界じゃ中の下レベルなんだが、魔法技術に格差があるのか?
「育て方によっては歴史に名を残す退魔師になるかもしれません。やはり我々の里で――」
「悪いけれど、それはできない」
遮るように反論するオヤジ。
「今日、君が殺されかけたのがいい例だ。
僕たちの業界は殺したり殺されたり、ロクでもないことばっかりじゃないか。
そんな道に子供を進ませるわけにはいかないよ、親としてね」
「ですが」
「この件に関して反論は許さないよ。近いうちに芳人は親戚に預ける。予定じゃ2歳か3歳まで育てる気だったけど、僕らの因縁に巻き込みたくはないからね」