第15話 物理反射はみんなのトラウマ
タール状の何かも、それを包んでいた漆黒の鎧も消滅していた。
食い破られたはずの右脇腹は、なぜか、元通りになっている。
「すごい……」
静玖は目を白黒とさせていた。
「侵食してきた相手を、逆に取り込むなんて……すごいです、ご主人様」
「……ご主人様というのは、やめてくれ」
戦いが終わり、頭が冷えてくる。
それとともに俺の中二病回路もオフになったんだが、何だこの痛い子。
幼稚園児に向かって「ご主人様」はどうなんだ。
「じゃ、じゃあ……紙飛行機の君とか」
なんじゃそりゃ。
「伊し――いや、吉良沢芳人だ。苗字か名前で呼んでくれないか」
「じゃあ、芳人さまですねっ!」
「待ってくれ。なんでそんなに俺を上に置きたがるんだ。こっちはまだ4歳だぞ」
「14ひく4で10だから……はう、そんな年下の子に命令されちゃうなんて……」
恍惚の表情を浮かべる静玖。
変態だ。
変態がいる。
どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。
ステータスに「相鳥家当主」とか書いてあった気がするんだが、この家の行く末が心配すぎるぞ。
うちのオヤジといい、退魔師ってのは頭のネジが外れた連中ばっかりなのか?
まったく。
マトモなのは俺くらいだな、うん。
「きっとこのあと、役に立たなかったことを責められながら宿でお説教を、ひゃぅぅ……」
何やらピンク色の妄想を繰り広げている静玖はさておき、公園に張り巡らされた結界を壊すとしよう。
「――《破綻術式》・《何人も我を繋ぐこと能わず》」
術式が発動し、パリン、と硬質の音が響く。
「わぁ、きれいです……!」
砕かれた結界がキラキラとした光の粒になり、公園へと降り注ぐ。
周囲の景色はひどいものだ。
あちこちで地面が抉れ返り、遊具も街灯もひしゃげている。
誰かに目撃されると面倒なことになりそうだ。
さっさと家に帰ろう――と、思ったものの。
「面白い子ね、貴方」
「……ッ!」
俺は身構える。
すぐそばに女性の姿があった。
銀色の髪が夜風に靡いている。
手足は細く、すらりと長い。
瀟洒な白いドレスを纏い、その出で立ちはまるでどこかの姫君のよう。
顔立ちも気品が漂い、「可愛い」というより「美しい」という言葉がよく似合う。
正直。
数秒ほど、見惚れていた。
『ご主人様!』
静玖からの念話で我に返る。
『そいつです! そいつがわたしの追っている研究者、《赫夜の月姫》フィリスイリス・F・クラシアです!』
『《赫夜の月姫》って何だ、《赫夜の月姫》って』
『わたしが考えた二つ名です!』
おまえが勝手につけたのかよ!
なんて迷惑なヤツなんだ。
危うく公式の名称かと勘違いするところだった。
「《無貌の泥》が暴走するのは予想の範疇だけれど、吸収されるとは思ってなかったわ。貴方、何者なの?」
「……お前に教える名前はない」
さっきまでフル回転だった中二病回路の後遺症だろうか、ちょっとばかりキザなセリフを吐いてしまう。
「あら、つれないのね。……まあいいわ、貴方についてはこれからじっくり調べさせてもらうから」
「嫌だ、と言ったら?」
「ありえないわ。だって貴方は、今から自分の意思で付いてくるもの。――『そうでしょう?』」
「っ!?」
瞬間。
女――フィリスイリスの金色の瞳が、妖しく輝いた。
精神に、甘いしずくを垂らされるような感覚。
【魅了】だ。
俺はすぐに対抗術式を組もうとしたが、しかし。
それよりも先に、右手の甲が熱を帯びた。
半年前。
マーニャが刻んでいった、守護の紋章が力を発揮していた。
「うそ……」
戸惑うフィリスイリス。
【魅了】を弾かれるなど予想もしていなかったのだろう。
よほど動揺しているらしく、グラグラと視線を彷徨わせている。
頬が紅潮しているのは屈辱のためだろうか。
やがて。
「――ねえ」
彼女はだしぬけに、こう問いかけてくる。
「年上の女性って、どうかしら……?」
は?
今度は俺が、混乱する番だった。
* *
――魅了を弾き返す。
思い返してみれば、マーニャは自分の加護についてそう説明していた。
「魅了無効」ではなく「魅了反射」。
その結果。
「あっ、えっと、今のはそういう意味じゃなくって……ごめんなさい、こんな年上の女、嫌に決まってるわよね」
なんだか事態はものすごい勢いで迷走を始めていた。
フィリスイリスは俯き、つま先で地面に「の」の字を描いている。
「と、とりあえず私の隠れ家まで来てくれないかしら。事情を説明したいし、その、《泥》の影響も気になるから……」
彼女の表情は、先程とはまるで別物だった。
本気で俺の身体を案じてくれている。
それが明確に伝わってきて……断るに、断れない。
静玖をチラリと見る。
「行きましょう、ご主人様。フィリスイリスにも害意はなさそうですし」
静玖はフィリスイリスを追っていると言ったが、それは彼女が何かしらの罪を犯したから――というわけではないらしい。
「要するにただの勧誘ですよ。いま、わたしたちの業界は大変なことになってますから……」
「どこも人材不足なのでしょう? おかげであちこちからスカウトが来て大変なの」
ここは新松来駅から少し離れたところにあるアパートだ。
四畳半の部屋で、真ん中にはちゃぶ台。
そこに並ぶ顔ぶれは、ちょっと異様かもしれない。
幼稚園児、すなわち俺。
黒いロングコートの中二病少女――相鳥静玖。
ドレス姿の銀髪美女――フィリスイリス・F・クラシア。
彼女らの語る内容をまとめると、こうだ。
・半年前の飛行機事故には、隠された真相がある。
・あの飛行機には、世界各地の退魔師・魔導師の重鎮が数多く乗っていた。
・墜落によってそういった人物が一斉に亡くなってしまったため、「裏」の業界は大混乱に陥っている。
・組織間あるいは組織内の対立も表面化し、どこも新たな人材を欲している。
・そんな中、優秀な研究者であるフィリスイリスにも白羽の矢が立った。
静玖は日本でも最大規模の退魔組織――『宮内庁神祇局』なる機関に所属しているらしいが、ええと。
彼女をスカウトマンに起用したのは、どう考えても人選ミスじゃないだろうか。
……と、思っていたら。
「貴女のロングコート、センスいいわね。私もその『罅割れた十字架』のマーク、使ってもいい?」
「どうぞどうぞ。フィリスさんも綺麗なドレスですよねー。わたしも着てみたいです」
「仕立ててあげましょうか?」
「いいんですか!?」
「もちろん。可愛い子に可愛いものを着せるのは楽しいことだもの」
なんだか二人してやたら和気藹々としている件について。
「ところで、勧誘の件なんですけど……」
「ごめんなさい、私は組織と関わらないことにしてるの」
きっぱりと断るフィリスイリス。
「それに、彼の身体が心配だもの……」
俺のほうに気づかわしげな視線を向けてくる。
魅了を反射した結果なのだろうが、「年の離れた優しい姉」といった雰囲気を醸し出していた。
「あの黒い怪物は何だったんですか?」
静玖の質問は、まさに俺が知りたいことそのものだった。
フィリスイリスはしばらく目を伏せた後、
「あれは、実験で偶発的に生まれたものなの。私は《無貌の泥》と呼んでいるわ」
と、答えた。
《無貌の泥》。
それは不定形の生物であり、どんなものにも変化しうる可能性のカタマリだという。
ここに「異世界の英雄」という情報を流し込んで生まれたのが、あの黒い騎士なんだとか。
「私の言うことを聞くように調整してたはずだけど、今夜になって急に暴走したの。それで貴方たちに迷惑をかけてしまって……ごめんなさい」
すっ、とその場で頭を下げるフィリスイリス。
魔道研究者と聞いていたが、いわゆるマッドな性格ではなさそうだった。
「特にヨシトには取り返しのつかないことをして、私、どう償っていいか……」
フィリスイリスは、痛ましげな表情でしゅんと項垂れる。
どんな慰めの言葉をかけたものか、と思っていると。
『なんだかわたしの知る《赫夜の月姫》とは別人なんですけど』
静玖からそんな念話が届いた。
『そうなのか?』
『さっきご主人様を【魅了】で連れて行こうとしたじゃないですか。あっちが本性です。自分の好奇心を満たすのが第一で、人体実験もなんのその。自分自身の身体もあちこち弄って、もうかれこれ数百年以上生きている魔女ですよ、この人』
『数百年だって?』
俺はつい、フィリスイリスの顔をまじまじと見てしまう。
シワひとつない、瑞々しい素肌だ。
見た目の年齢は低く見積もって18、高くとも22に思える。
「どうしたの、ヨシト」
「ああ、いや、若々しいな、と思って」
「か、からかわないでちょうだい。私なんてもう、何百年も生きてるおばあさんなのに……」
そう言いつつ、満更でもないのか口元は嬉しそうだ。
「で、俺の身体はいまどうなってるんだ?」
このアパートまでやってきた最大の理由はそれだ。
検査をするつもりらしいが、やっぱり血を採ったりするのだろうか、と思っていたら。
「待たせてしまってごめんなさい。あと少しで終わるわ」
へっ?
いつの間に始まっていたのだろう。
「この部屋じたい、私のラボとして改造してあるの。ヨシトが入った時から解析を始めてるわ」
すごい技術力とは思うんだが、大家さんからは怒られないのだろうか。
とはいえ「部屋を魔術的に改造しないこと」なんて書いてある契約書はないだろうし、もしかすると大丈夫かもしれない。
「……はい、終わり」
チン!
電子レンジじみた音とともに、虚空から一冊の本が現れる。
どうやらここにデータが記されているらしい。
「ふうん、なるほどね」
うんうん、と頷きながら読み進めるフィリスイリス。
俺も横から覗き込んでみたが、見たこともない言語で書いてあった。
『静玖、読めるか?』
『これは……!』
ゴクリと息を呑む静玖。
『よ、読んでいいんですか。読んじゃいますよ、大変なことになりますよ』
『いいからさっさと教えてくれ』
『……残念ながら読むにはMPが足りません』
分からないなら最初から分からないと言え。
元ネタはイオナ○ンのガイドラインか?
俺が前世、日本にいたころ流行ったネタだぞ。よく知ってるな。
『ああっ、ご主人様の冷たい視線が気持ちいいです……』
もうやだこの子。
俺はどこで選択肢を間違えたんだ。
お姫様抱っこで助けたところか?
それとも中二病回路全開で会話してしまったところか?
人生にセーブ&ロード機能を実装してほしい。
静玖がクネクネと身をよじっている間に、フィリスイリスは本を読み終えていた。
結果は、というと。
「適合率100%。《泥》は完全にヨシトと同化してるみたい」
「つまり、危険はないのか?」
「短期的には大丈夫だと思うわ。ただ、長期的な影響は分からないから――」
「ときどき検査する必要がある、ってことか」
「ええ、本当にごめんなさい……」
「別にいいさ。フィリスイリスとも知り合いになれたしな」
俺はいま大きな課題を抱えている。
マーニャを元の世界に戻す方法だ。
オヤジの残した資料を解読しているところだが……正直、俺の手には余っている。
フィリスイリスも研究者らしいし、手伝ってもらえるとかなり助かるんだが――
「私も、ヨシトと出会えてよかった」
なぜか、潤んだ瞳で見詰められる。
「フィリスイリスって、言いにくいでしょう? フィリス、でいいわ」
「わ、わかった」
どこか有無を言わさぬ雰囲気に負けて、俺はうなずく。
「じゃあ――フィリス」
「は、はい……」
もじもじと身を縮こまらせるフィリス。
落ち着かなげに両手の人差し指を、つんつん、と合わせている。
「そ、そういえばヨシトって」
照れ隠しだろうか、フィリスは急に話題を変えた。
「私が《泥》のモデルにした英雄と同じ名前よね。そういうのも、適合率に関係あるのかしら」
「……どうだろうな」
さすがにここで自分の前世について話すのは憚られた。
そのへんは明日、未亜と相談してからでいいだろう。
「あとね、これはまだ推論なんだけど……」
なんだろう。
「黒騎士の概念情報が、ヨシトの中に格納されてるみたいなの」
「すまない、もう少し簡単に言ってくれないか?」
「方法はまだ分からないけど、黒騎士の力を使えるようになる可能性が――」
「ああ!」
なぜか目をキラキラとさせて声を上げる静玖。
「つまり変身みたいな感じですね、変身!」
やたらキレのある動きで右腕を左上に突き出す。
仮面ラ○ダーのポーズだった。
「……姿形まで黒騎士になるとは限らないけれど、イメージとしては近いかしら」
苦笑しつつ頷くフィリス。
「いずれにせよ、私はしばらくヨシトのことで手一杯ね。弟子の件は日本の退魔組織に頑張ってもらおうかしら」
弟子の件?
一体なんだろう。
静玖に視線を投げかけると、なぜかウインクで返された。
無視するとはぁはぁと息を荒げ始める。
病院に行くべきだと思う。
そんな俺たちの様子を見て、フィリスは言う。
「……まさかとは思うけれど、把握してないのかしら」
「何が、だ?」
「私が日本に来た理由よ。弟子のひとりが私の研究成果を盗み出して、悪魔か何かを呼び出そうとしてるみたいなの。だから制裁を加えるために追いかけてたんだけど――」
フィリスの言葉に、しかし静玖は首を振る。
「いま、日本の『裏』はどうしようもないことになっています。私の所属している神祇局も派閥争いでグチャグチャになってて……」
「だからこそ、儀式の場所として日本を選んだのかもしれないわね。――とりあえず、貴女はこのことを上に伝えてくれる? 組織に所属するつもりはないけれど、外部協力者としてなら手を貸してあげるわ」
「いいんですか……?」
「ええ。だって、ヨシトが暮らしてる国のことだもの」
そしてその夜は、静玖の報告待ちということで解散となった。
……なんだかとんでもない事態に巻き込まれ始めてないか、俺。
魅了反射って怖いですね。




