第10話 恋は戦争、ハーレムは紛争地帯
吉良沢家に来てからというもの、俺は未亜とともに魔力向上の訓練に明け暮れてきた。
そのおかげで、できることはかなり多い。
「きゃっ!?」
「静かにしてろよ、舌を噛むぞ」
ヒュ、ヒュ、ヒュン。
未亜を抱えたまま、屋根から屋根へと飛び移る。
気分は忍者、あるいはアサシンだ。
使い魔からの情報によると、マーニャ・ラフィルドは駅前のビジネスホテルに滞在している。
いや、潜伏と言ったほうがいいか?
警察署に連行された後、笹川氏 (28才 独身 アイドルオタク) 以外の警官を片っ端から魅了して逃げ出したようだ。
本来の予定では、マーニャをこのまま放置しておくつもりだった。
国家権力に盾突いた彼女に対し、退魔師と呼ばれる連中は動くかどうか。
そのあたりを観察するつもりだったんだが……まあいい。
個人的な遊びより、未亜の気持ちの方がずっとずっと大事だ。
知り合いかどうか確かめるとしよう。
ビジネスホテルの前に辿り着く。
ロビーを素通りし、エレベーターへ。
前に水華さんから教えてもらった《隠形》という妖術を使っているので、呼び止められることはなかった。自分の姿を消す効果がある。
別に透明化の魔法でもよかったが、せっかく習ったし使ってみないとな。
両者の比較は……ま、あとでいいだろ。
エレベーターは8階に辿り着いた。
このフロアの803号室にマーニャはいるはずだ。
「あの、兄さん」
 
遠慮がちな様子で声をかけてくる未亜。
「さすがにここからは自分で歩こうと思うんだけど……」
「おお、悪い」
俺はお姫様抱っこをやめ、未亜をその場に降ろす。
「いきなりすぎてビックリしたよ。あたしだって、心の準備とかしたかったのに」
「すまん、つい」
「全然悪いって思ってないでしょ」
なぜバレた。
やっぱり三年も一緒に暮らしてれば、呼吸も通じてくるものなんだろうか。
803号室の前に立つ。
「チャイム鳴らす?」
「いや、魔法で開ける」
「騒ぎにならないかな」
「大丈夫だ。マーニャなら気絶してるよ」
さっきゴースト・アイをハッキングした際、俺が厳選したグロ画像を脳内に直接叩き込んでやった。
マーニャに寄生させている使い魔からの情報によると、彼女は十秒ほどで意識を失ったようだ。
それにしても、なんでわざわざ魔物を使ってまで俺の様子を監視してたんだろうな。
ま、今から訊けばいいか。
客室に入った。
マーニャはベッドの上でぶっ倒れている。
昼間と同じ、ワインレッドのドレス姿だ。
「う、う……ウォーリーが、ウォーリーが……」
よほどショックだったのだろう、意識不明になってなお魘されている。
「未亜?」
俺は後ろを振り向く。
彼女はまだ部屋の入り口にいた。
ドアの陰に隠れ、顔の半分だけをこちらに覗かせている。
ものすごい警戒ぶりだ。
「大丈夫だ、マーニャなら寝てるぞ」
「わ、わかった……」
おずおず、といった様子でこちらにやってくる。
「恐いのか?」
「そういうわけじゃ、ない……こともない、かな」
不安げに呟く未亜。
「生まれ変わって三年経つけど、まだ、人間の身体に慣れてないの。魔族に比べて力も弱いし、傷もなかなか治らない。ちょっとしたことで死んじゃいそう。――前世と違い過ぎて、恐いよ」
「ま、そりゃそうだよな」
基本スペックが違い過ぎる。
例えるならガンダ〇からジ〇に乗り換えたようなものだろう。
むしろ魔王の娘だったことを考慮に入れれば、イデオ〇からジ〇だろうか。
実際に邪神の依代だったわけだし、わりと間違ったたとえではないと思う。
とはいえ、いずれにせよ、
「未亜のことは俺が守るよ。だから『おにーちゃーん (はあと)』って感じでベタベタに甘えてくれていいからな」
「うわ……」
普通にドン引きされた。
悲しい。八つ当たりでこのへん一帯をクレーターに変えてやろうか。
「うそうそ、ごめんごめん。……じゃあ、ちょっとだけ甘えるね」
ぎゅ、と俺のパジャマの裾を掴む未亜。
それからマーニャの顔に眼をやり、
「うん、間違いないよ」
小さく頷いた。
「ちょっと老けたけど、この人、前に魔王城で見たことある」
「オーケー。それじゃあ起こして、話を聞くとするか」
「ねえ兄さん、あたしが喋ってもいい? こっちがパパの娘って知ったら、ちょっとは安心するだろうし」
それもそうだな。
こういう時の俺はいろいろとやりすぎてしまう質だし、未亜に任せるのがいいかもしれない。
* *
俺は回復魔法をマーニャにかけると、そのまま死角から様子を見守ることにした。
もちろん気配は完全に殺している。
「うう、ウォーリーに食べられる…………はっ!?」
「気が付いたんですね、よかった」
側室と言えど自分より年上だからだろう、未亜は丁寧語で話しかける。
「どこか痛いところとか、変な感じのするところはないですか?」
「え? ええ、だいじょうぶ」
戸惑いつつ答えるマーニャ。
茶色い、ウェーブのかかった髪の毛をかきあげる。
「あなた、たしか芳人クンの横にいた子よね」
「義理の妹の吉良沢未亜――ミーア・グランスフィールドです。ご無沙汰しています、マーニャおばさま」
「……えっ?」
「信じられないかもしれませんが、こっちの世界で生まれ変わったんです。けど、『刻印』はありますよ」
未亜は右手を掲げた。
掌に浮かぶのは、「炎に包まれた薔薇」の紋章。
前に見たことがある。
魔王と、その後継者だけに与えられる刻印。
邪神の生贄にされなければ、彼女が次の魔王になるはずだった。
……転生したのに残ったままなのは、俺があちらで得た力を引き継いでるのと同じ原理だろうか。
「マーニャおばさまは、どうやってこっちの世界へ?」
「その、実を申しますと……」
「今のあたしは次期魔王じゃありません。普通の人間ですし、敬語なんて使わなくていいですよ」
「ですが――」
「いいんです。お互いリラックスして話しましょうよ。ね?」
「は、はい。わかりま――分かったわ。実はね……」
曰く。
今から20年ほど前、こちらの世界において魔法の実験が行われた。
詳細は不明だが、それによってあちらの世界との間にわずかな「繋がり」が生まれたらしい。
この「繋がり」に引きずり込まれ、マーニャはこちらへと転移してきたんだとか。
「向こうには娘もいるし、必死になって帰る手段を探したの」
けれど世界を越える方法は見つけられず、途方に暮れていたところに出会ったのがうちのオヤジ。
マーニャは弱ったところを優しくされてコロッと陥落、ハーレム要員となり今に至る、と。
えーと。
ちょっとツッコんでいいか。
子供いるのかよ!
それなのに現地妻ならぬ現地夫を作ってて、しかも愛人ポジションかよ!
淫魔の風紀乱れすぎだろマジで。
あ、でも淫魔だから普通なのか?
『ううん。いくら淫魔でも、既婚の子持ちでコレはちょっと……』
未亜の困惑した内心が、念話越しに伝わってくる。
 
『ただ、あっちに帰れない以上は仕方ないだろうし、パパも納得してくれると思うけど……』
マジでか。
魔王様、なかなか器がデカいな……。
そういや側近に裏切られた時も笑って済ませてたっけ。
なかなかイイ男とは思うが、俺のバックを狙うのはやめてほしい。
ま、転生したしもう大丈夫だろう。
大丈夫だよな?
俺が尻のあたりに寒気を感じている間にも、マーニャの話は続く。
 
「向こうの世界に帰ることは、もう、とーっくに諦めてるの。直樹さまがわたしを愛してくれればそれでいいわ」
ものすごいラブラブぶりだ。
とはいえ、オヤジがそれに応えてくれるとは到底思えない。
「でも最近、他の4人に比べて夜伽の回数も減ってきてるし……だから、芳人クンに声をかけたの」
「兄さんをどうするつもりだったんですか」
「別に痛めつけたりするわけじゃないわ。あの子と仲良くなって外堀を埋めれば、そのまま直樹さまと結婚できるかな、って」
いや無理だろ。
オヤジは俺を普通の人間として育てるつもりだし、マーニャが不用意に接触するのはむしろマイナスポイントではないだろうか。焦ってトチ狂ったのか、誰かに騙されているのか。
いずれにせよ、マーニャの未来は暗そうだ。
「ゴースト・アイで部屋を見張ってたのは、何のためですか?」
未亜が問う。
「夢の中で話しかけるつもりだったの。けれど急に回線がおかしくなって……あれ? そのあと、どうなったのかしら」
どうやら記憶が飛んでいるらしい。
たぶんグロ画像のショックが大きすぎたのだろう。
首を傾げるマーニャ。
はてさて。
今後、彼女をどう扱っていこうか。
俺がうーんと考え始めた矢先。
「少し、教えてください」
未亜は、いつになく真剣な声でマーニャに話しかけた。
「マーニャさんは、ほんとうに、直樹さんという人のことが好きなんですか?」
「当たり前じゃない。もう15年も一緒にいるんだもの」
「逆じゃないですか。15年も時間をかけたから、いまさら勝負を降りられない――意地になってるだけじゃ、ありませんか」
うおお。
未亜のヤツ、えらい踏み込んだな。
「伊城木直樹さん、でしたっけ。その人、マーニャさんをふくめて5人も恋人がいるんですよね。ちゃんと一人一人、大切にしてもらってますか?」
「それは……」
イエスと言えるわけがない。
今の扱いに不安を抱いているからこそ、マーニャは今回の独断に及んだのだから。
「単純計算で、愛情を5分の1ずつしか分けてもらえないんですよ」
「別に構わないわ。あなたは若いから理解できないでしょうけど、尽くす愛ってのもあるの。それに、魅力的な男性が複数の女性を囲うのは自然な事でしょう? 魔王様だってそうじゃない」
反駁するマーニャ。
しかし、未亜は淡々と、
「――マーニャさんは嘘つきです」
ばっさりと、斬り捨てた。
「さっきの自分の発言を忘れたんですか。『直樹さまがわたしを愛してくれればそれでいい』って。それなのに尽くす愛なんて言われても、正直、反論のためにひねり出した理屈にしか思えません。そもそも尽くすだけなら結婚なんか目指さなくていいですよね」
「……っ」
図星だったのだろう。
マーニャは何か言いたげな表情を浮かべつつ、けれど、何も言えないでいる。
「だいたい、一夫多妻は経済的・政治的な理由が背景にあってはじめて成り立つものです。伊城木直樹って人は、どこかの王様なんですか? 大富豪なんですか? そうじゃなきゃ、5分の1の愛情で我慢する理由なんてありません。お節介と思いますけど、マーニャさんは、他に素敵な相手を探した方がいいと思います」
すげえ。
俺はいま、人が堂々と正論を吐くところを目の当たりにしていた。
さすが魔王の娘。次期後継者として箱入りで育てられただけのことはある。
前世が魔族だったせいでちょっと人間の感性からズレてる部分もあるものの、まっすぐだ、と思う。
「……るさい」
マーニャがボソリと呟く。
「……なたに、何が分……のよ」
にわかに立ち上る、剣呑な気配。
そして。
「大人に偉そうに説教するなこの小娘がぁ!」
逆上したマーニャは、未亜へと襲いかかっていた。
人族から魔族本来の姿に戻り、手の鉤爪を振り下ろす。
まあ、未亜にまったく非がないとは言わない。
ちょっと容赦のなさすぎる追い詰め方だったと思う。
ただ、前世も含めりゃ20年も生きてない、まさに文字通り「小娘」のヨタ話だ。
マーニャも「大人」を自称するなら、もうちょっと余裕をもって受け流せばいいだろうに。
ともあれ。
この淫魔が犯した最大のミスは、俺の存在にまったく気づいていなかったことだ。
そして兄ってのはいつも妹の味方だし、特に俺はさっき未亜を守ると約束している。
――俺はあらかじめ仕掛けておいた術式のいくつかを発動させた。
未亜の尖ったところを、芳人がフォローするような。
そういう関係になってくれたらな、と思います。




