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第83話 フィリスイリスは恋を知らない

 戦いが始まる少し前、フィリスイリスは神薙真姫奈にこう訊ねた。


「ねえ貴女、どうしてヨシトを蘇らせようと思ったの?」


 その問いに大した意味はない。

 なんだか空気が重たいので、それを切り替えるきっかけになれば、と思ったのだ。


 ただ、最初の話題としてはいささか踏み込んだものかもしれない。


 フィリスは魔導研究者であり、イギリス近海の小島に結界を張って引きこもっている。

 たまに弟子を取ったりもするが、その場合も研究がらみのやりとりだけ。

 そのため「日常会話スキル」というべきものが恐ろしいまでに低下していたのだ。


「前世のヨシトが死んだのは2007年だから……もう20年も死者蘇生の研究を続けてきたのよね。普通だったら投げ出すところだわ。貴女が諦めずにいられたのは、やっぱり、愛とか恋とか、そういう気持ちのおかげなの?」


 恋愛というものを、いまだにフィリスは理解できない。

 かつての【魅了返し】によって芳人に好意を抱いているものの、これはあくまで“お遊び”。

 自分の感情はニセモノ、たとえるならば養殖品に過ぎず――だからこそ、ホンモノを知りたかった。

 時としてヒトを狂奔へと追い込む、ナマの情動。

 それは果たしてどういうものなのだろう。


「どうだろうな」


 わずかに疲労を滲ませたような声で答える真姫奈。


「自分でも、何がしたかったのか思い出せん」

「ああ、健忘症ってやつね」


 ポン、と手を叩いて納得するフィリス。


「私も最初の200年くらいは困らされたのよ。いい魔法があるけど教えましょうか?」

「いや……そういうことではなくてだな……」

「じゃあ、ナオキとやらに記憶操作されたとか?」


 これは別に真姫奈をからかっているわけではない。

 フィリスは本気である。マジメに会話しているつもりだった。

 だが色恋の概念がひどく薄いため、真姫奈の、やや自己陶酔的アラサーちゅうにびょうな言い回しが分からないだけである。


「違う。今までに色々なことがありすぎて、私の感情はもうとっくに原型を留めていないんだ」

「たくさんのものが混じって頑丈になったのね、合金みたいに。それが貴女の支えになった。素敵な話だわ」


 ニコニコと微笑むフィリス。

 それは皮肉ではなく、心の底からの賞賛だった。

 

「……どうなっているんだ」


 真姫奈はにわかに混乱する。

 言葉の裏に込めた意図、いわゆる“行間”というべきものがまったく伝わっていない。

 察してほしい部分がすべて誤解されており……こういう場合、人間のとる行動はふたつ。


 躍起になって分からせようとするか、唖然として立ち去るか。

 そして真姫奈は前者だった。

 なんとか言葉を尽くして、フィリスに己の考えを伝えようとした。


「私は芳人を蘇らせる実験台として、親兄弟まで手に掛けたんだ」

「昔から多いわよね、そういう研究者。でも命は平等だし、血縁者を犠牲にしても実験のクオリティは変わらないわよ。むしろ隠蔽で手間取るからやめたほうがいいと思うけど」


「芳人への後悔、直樹への後ろめたさ、犠牲にしてきた者への罪悪感――そういうものが混じり合って、私自身、私の気持ちが分からなくなってしまったんだ」

「うんうん、自分の感情をもてあますのが恋愛よね。本にもそう書いてあったわ」


「貴女は私を責めないのか。100人以上殺しているんだぞ」

「いや、たった三桁で誇られても正直困るのよね……。魔女業界じゃ四桁が最低ラインだし。まあ、そんなことしてるから私以外はみんな滅ぼされたのだけど。あっ、でも屍の数を愛情の証明にするのはやめたほうがいいわよ。昔、私の弟子がそれをやってドン引きされてたもの。これ豆知識ね」


「ともかく、私はもう引き返せないところに来てしまったんだ。この胸にあるのは、もはやただの執着だけかもしれん」

「要は失恋したってこと?」


 真姫奈は年甲斐もなく泣きそうになった。

 それから、フィリスイリスの二つ名を思い出した。

 ――最悪の魔女。

 ああ、確かにその通りだ。

 本人にはまるで悪意がないものの、的確にこちらの心を抉ってくる。

 

「ねえマキナ、貴女ってもしかして説明とか苦手なタイプなの? 話がどっちらけて分かりにくいんだけど」

「……すまない」


 いや、謝らねばならないのだろうか。

 疑問に思いつつも、いつのまにやら会話の主導権はすっかりフィリスに奪われていた。


「私のほうから質問していったほうが早そうね。――結局のところ貴女、蘇ったヨシトとどうなりたいの? 恋人? 夫婦? それとも日本で流行りのセフレとかいうやつかしら?」

「まさか」


 大きくかぶりを振る真姫奈。


「それはもうとっくに諦めた。すべて玲於奈に託してある」


 ならば、自分自身の望みは何か。

 決まっている。


「20年前のあの日、芳人をひとりで直樹のもとに向かわせたことを謝りたい。もし彼が死んで償えというのなら、私はそれに従うつもりだ」


 


 


 * *

 





 真姫奈が答えを口にした後、しばらくの間、フィリスは明後日の方向を向いていた。

 やがて、ぽつりと、


「始まったわね」


 小さく呟いた。

 狼男の襲撃である。

 フィリスは使い魔を何匹か飛ばしており、それを通して状況を把握していた。


「儀式はひとまず保留にしておきましょう」


 その足元にはジュラルミンケースが置かれており、内部には細かな装置がいくつも詰め込まれていた。

 赤、白、黄色――。

 色彩豊かなコードが交差し、装置と装置を繋いでいる。

 一見すると爆弾のようにも見えなくない。

 中央にはやや小型のシリンダーが据えられ、黒い球形の物体が浮かんでいた。

 

 これはアルカパからの依頼で作成したものであり、ある種の魔導回路としての機能を備えていた。

 フィリスの意思ひとつで起動し、黒獣を出現させるための儀式を代行する。


「話を戻すけれど」


 再びマキナに向き直るフィリス。


「要するに貴女、ヨシトに救ってほしいのね。許されたい裁かれたい、罪に染まったこの身を彼に清めてほしい――――冗談じゃないわ。そんなの他人に押し付けていい仕事じゃないでしょう」


 すっ、と目が細められる。

 たったそれだけのことであたりの空気が帯電したかのような、ヒリついた雰囲気が現出する。


「私が子供のころ、パンを分けてくれたおじさんがいたの。彼はちょっと説教好きのお人好しさんで、助けを乞われたら応えずにいられなかった。もともと人徳もあったのでしょうね、いつのまにか周囲から崇め奉られるようになったわ。神聖視されて、神格化されて、最後はヒトではないモノに押し上げられて――本人はそんなこと望んでなかったのに。

 彼とヨシトを同一視する気はないけど、マキナ、少なくとも貴女は、あの人の信奉者と同じよ」


 それは誰の話なのか。

 明言はされていないものの、聞き手である真姫奈もある程度まで予想がついていた。

 フィリスが2000歳を越えるというのなら、おそらく――


「ヨシトには自分を救えるほど大きな男性であってほしい、いや、そんな男性に決まってる。――無自覚でしょうけど、願いを押し付けてるの。きっと貴女みたいな人間がたくさんいたから、別の時間軸のヨシトは神様になるしかなかったのでしょうね。もしここで黒獣から彼を助け出せても、いつか同じことが起こるわ。必ず」


 そしてフィリスは最後にこう付け加えようとした。

 ――貴女はヨシトを蘇らせたいんじゃなく、「理想のヨシト(王子様)」を作りたかったんじゃないの?


 だが、その前に。


「あらあら、真姫奈さんをいじめないでくださいまし。彼女、見た目ほどメンタルは強くないのですから」


 戦場に不似合いなくらい柔らかな声が響く。

 果たしていつの間に現れたのか。

 フィリスと真姫奈のすぐそばに、和装の女が立っていた。


(ゆえ)……」

「お久しぶりです、真姫奈さん。どうやら玲於奈さんとケンカされたみたいですけど、あれはちょっと擁護できませんわ。わたくしと貴女の“子供”ということだけ教えれば角も立たなかったでしょうに、どうして、芳人にい(従兄)さまの()()()として作ったことまで明かしたのやら。ねえフィリスさん、分かりまして?」

「私に色恋の質問をするなんてナンセンスだわ」

「まあ、冷たいお返事だこと。わたくし、貴女のことはそれなりに好いておりますのに」

「ありがとう。ええと、こういう時、日本人はこう言うのよね。……ぶぶづけ食べる? 英語で言うとYou are welcome」

「フィリスさん、この戦いが終わったら京都弁を勉強したほうがいいと思いますわ」


 ともあれ、と口にしつつ、再び真姫奈に視線を向ける月。


「真姫奈さんはくだらない嫉妬で玲於奈さんの恋路を邪魔したわけですし、ここはひとつお仕置きタイムとまいりましょう。……HR、SR、好きに暴れてくださって構いませんわ。皆さんにはもっと芳人にいさまに縋って頂かないと困りますので」


 その言葉とともに。

 月の影から、何匹もの狼男が飛び出した――。


芳人復活カウント6

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