第79話 鴉城家はたいてい空回る
2027年4月18日、未明。
鴉城朝輝の率いる退魔師五百余名は京都府北端、天狗峠と呼ばれる場所に布陣した。
天狗峠は“峠”と呼ばれているものの、ピークを有する立派な“山”である。
標高およそ930m。
兵庫県の六甲山に匹敵し、どういうわけか未だに正式な登山ルートが確立されていない。
すこし足を踏み入れれば原始境じみた光景が広がり、その中を手探りで進むこととなる。
傾斜もきつく、京都では登頂が難しい山のひとつとして知られていた。
ここを戦場に選んだ理由は3つ。
人里から十二分に離れており、また、登山客が寄り付くことも滅多にない。
何より天狗峠は古くから鴉城家が修行場として用いており、朝輝や白夜、そのほか分家の退魔師にとって庭のような場所だった。
(孟子曰く『天時不如地利。地利不如人和』――地の利は間違いなくこちらにある)
春とはいえ朝の冷気は刃のように鋭い。
大柄な身体をわずかに震わせつつ、鴉城朝輝は大きく深呼吸した。
吸って、吐く。
それでも肺の底に、重いしこりのようなものが残っていた。
(ただ、人の和がな……)
山頂部には朝輝のほか、伊城木芳人に縁深い女性たちが集まっている。
彼女らこそ黒獣を止める要なのだが、一致団結には程遠い状況だった。
「……………………」
「……………………」
神薙家の姉妹は互いにむっつりと押し黙ったまま、視線ひとつ合わせようとしない。
とくに玲於奈のほうは憔悴しているというか、どこか危うい空気を漂わせている。
「綾乃、だいじょうぶ?」
「へいきだよ。うん、へいき…………」
真月綾乃は虚ろな表情で立ち尽くし、吉良沢未亜が気づかわしげに話しかけているものの、返答はどうにも頼りない。
フィリスイリスは“黒獣を誘き寄せる儀式”の準備にかかりきり、水華とアルカパは少し離れた場所で何やら話し込んでいるし、相鳥静玖は物陰でやたら深刻そうな溜め息をついている。
どうにも先行き不安な現状であり、
(俺がしっかりせねば……!)
それが逆に鴉城朝輝を奮起させた。
司令塔としての仕事を吉良沢未亜に押し付けた負い目もあり、いつになく張り切って声をあげる。
「みんな、聞いて」――くれ! それぞれが何かしら問題を抱えているのはわかるが、今は心をひとつにするべき時だ。伊城木芳人を助けるに頑張ろう! さあ掛け声だ! エイ、エイ、オー!
だが残念なことに、彼の言葉はすぐ遮られてしまう。
大きな異変が起こったのだ。
* *
少しだけ位置関係について補足しておく。
実のところ天狗峠の“中”にいるのは朝輝ら9名(8名+1柱)だけである。
五百余名の退魔師たちは“外”――山の四方に布陣しており、その役割は大きく分けて2つ。
ひとつは結界構築。
黒獣の出現とともに天狗峠を封鎖し、周辺への被害を最小限に抑える。
そしてもうひとつは――
「うー、さみいさみい。コートでも着てくりゃよかったぜ」
「着流し姿にそれは似合わないと思いますよ、兵衛さん」
横槍を入れようとする何者かへの警戒である。
「しっかし、襲撃なんてあるのかね。おまえさんはどう思うよ、和己」
「そうですね……」
斎王和己。
013はそのように名乗っていた。
由来は己の型式番号であり、31013。
彼個人としては会心の出来と思っていた。
「たぶん来ると思います。……なんとなく、ですけど」
和己がそう呟いてからしばらくの後、木々の向こうからスーツ姿の青年がひとり近づいてきた。
「お久しぶりッス、兵衛サン」
「金剛寺じゃねえか。おめえも参加してたのか」
「あーっ、気付いてなかったんスか? ちょっとマジで傷つきましたよー」
2人は旧知の仲なのだろうか、親しげに話をしている。
「で、こんなところをほっつき歩いで何してんだよ。そっちも見回りか?」
「いやいや、オレは結界を張る側ッス。ちょっと朝にコーヒーを飲みすぎちまったんで、木陰で、その……」
「ったく、小学生かよ」
「スンマセン、じゃ、持ち場に行きますんで――」
「――待ちやがれ」
突如として日本刀を抜く兵衛。
切っ先を、青年の喉元に突き付ける。
「えっ? ちょ、なんスかコレ? じょ、冗談ッスよね?」
「冗談じゃねえ。おい金剛寺、おめえさんの持ち場ってのはいったい何処だよ?」
「そりゃこの先の――」
「いいや、ありえねえ。テメエ、黒獣が鷹栖家を襲ったときに巻き添えでぶちのめされてるだろうが。今は入院中で、退魔師としても再起不能のはずだ。……フリーランスの情報網、あんまり舐めんなよ」
「ッ……!」
ギリ、と歯噛みする金剛寺。
徐々に苛立った顔つきへと変わり――さらには、人間のものではなくなった。
スーツが破け、筋肉が膨れ上がる。
皮膚が青白い体毛に覆われた。
それを一言で表現するのなら、狼男。
数秒のうちに金剛寺という青年は怪物に変化していた。
「――シャァァァァァァッ!」
眼にも止まらぬ速さのバックステップ。
さらにそこから兵衛へと飛び掛かった。
「危ないッ!」
和己は庇うように飛び込む。
だが、彼よりも先に兵衛が動いていた。
自分から狼男に向かっていき、すれ違いざまに、一閃。
狼男の首が落ち、断面から血飛沫が噴き出した。
……だけではなく、数秒後、その全身が弾け飛んだ。
「奥義・《頸落飛紅》……ってな」
それは二段構えの必殺剣である。
刃が触れた瞬間、敵の体内へと霊力を叩き込む。
これによって内部破壊を引き起こすのだ。
「……月も出てねえのに狼男とか、意味不明すぎだろ、おい」
呟いて目を伏せる兵衛。
それは金剛寺に向ける黙禱だった。
数秒の後、和己のほうに向き直り、
「他でも似たようなことが起こってるかもしれねえ。行くぞ」
険しい表情のまま、走り出した。
兵衛の懸念通り、あちこちで同様の事態が起こっていた。
同じ退魔師であるはずの相手が突如として狼男に変わり、牙を剥く。
それによる混乱は大きく、中には同士討ちを始める者さえ出ていた。
「やはり偽装戦術はよく効きますわね」
これを仕組んだのは伊城木月である。
黒獣によって再起不能となった鷹栖派の退魔師。
彼らを攫い、眷属の狼と融合させたのだ。
「Nはそのまま前線の攪乱を続けるように。Rは突撃の準備をなさい」
月は狼男を5種類に区分していた。
眷属との適合率――つまりは強さの準に、N、R、HR、SR、UR。
いわゆるソーシャルゲームのレアリティと一致しているが、実際、彼女にとってこの行為は娯楽に等しいものだった。
「さあ、たくさんの屍を積み上げてくださいまし。貴方がたの死は無駄ではありません。すべてが神への供物となるのですから」
『落ち着け! 落ち着いて対処するんだ!』
鴉城朝輝は全員に向けてそんな念話を飛ばす。
使い魔から送られてくる映像によって「いま何が起こっているか」は把握できているものの、彼自身、いきなりのことで冷静さを失っていた。
彼の声はただ焦りを伝播させるばかりであり、事態の解決にはまったく寄与していなかった。
そこに、
『――聞け、貴様ら』
あらゆる理性も、感情も、およそ心に浮かぶものすべてを押さえつけて跪かせるような、ある種の“威”に満ちた声が響き渡った。
それは吉良沢未亜の発したものである。
先日と同様、綾乃と融合して十代半ばの姿になっていた。
『もともと敵の襲撃は告げてあったはずだ。狼狽える必要はない』
表向き、この作戦のトップは鴉城朝輝となっている。
今まで未亜が前に出てくることはなく、ゆえに、彼女の声は退魔師らにとって初めて聞くものだった。
普通ならば不審がられるところだろう。
何を偉そうに、と反感を持たれるかもしれない。
だがつまらない常識理屈を当然のように踏み越え、戦士兵卒に信仰じみた想いを抱かせることこそが王の資質と呼ぶべきものであり――吉良沢未亜には、それが備わっていた。
『死にたくなければ私に従え。全員、生きて鴉城邸に帰らせてやる』
もしもこの場に彼女がいなければ、退魔師の半数があえなく命を散らしていただろう。
細かい裏設定
・天狗→本来は半人半鳥の「鴉天狗」を意味する言葉
・天狗峠→鴉天狗の集まる場所
・鴉城家→鴉天狗 (なかでも役行者の薫陶を受けた者) の末裔を自称。
→天狗峠は彼らにとってルーツというべき場所
・ちなみに天狗峠にはいくつか岩戸があり、役行者が祀ってあります(本当)
みなさんお忘れかもしれませんが、いちおう本作、タグに伝奇を入れてます。
まあ、そのへんの要素が濃くなるのは9章以降かな……




