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side:響

 俺は自室のベッドに横たわりながら、いつまでも寝付けずにいた。


 目の前にあるのは無機質な白い天井。でも俺の目に映るのはついさっきまで一緒にいた、担当指導官の顔だった。


 自分よりもずっと年上で、しかも特別美人というわけでもない。

 それなのに、なぜか今日会ったばかりの彼女の顔が瞼に焼き付いて離れなかった。


(眩しい太陽を直視した後みたいだ……)


 何度目か分からない寝返りを打ちながら、ぼんやりとそんなことを考える。


 今朝本当は、始業時間よりも少し遅れて指導所の教室に行っていたのだ。


 そこで自分を待っているはずだった担当の指導教官は、若い男と二人で楽しそうに談笑していた。

 それを見た途端、一気にやる気が冷めた。



 ある時突然わけのわからない面接を受け、わけのわからない説明を受け、わけのわからない世界にたった一人で放り出された。


 どうしてと問えば、疑問を抱く必要はないとだけ教えられた。ただこの世界で、自分の世界ゲームで生きるために必要な属性を身に付ければ良いのだと。そうして自分の世界ゲームへ行けば、ここでのことは全て忘れて幸せに暮らして行けるのだと。


 説明を聞いても、わけがわからなかった。

 乙女ゲームって何だよ。そんな世界、俺は全然行きたくない。


 そう言ったら、面接官たちは急に眉を潜めた。

 彼らは異質なものを見るような目で俺を見た。まるで、そう言う俺の方こそわけがわからないとでも言いたそうに。


 結局、面接官の一人が「まだこの世界へ来たばかりですし、様子を見ましょう」と他の面接官たちをなだめて、その場は収まった。


 結果、こうして俺は、自分の担当指導官に会うようにとの指示通りに指導所に足を運ぶことになったというわけだ。



 別に、自分専用に充てがわれるという指導官に特別な何かを期待していたわけではない。

 ましてや、彼女が自分以外の男と親しげにしていたことにやきもちを焼いたわけでも断じてない。


 ただ、教室で親しげに笑い合う他人の姿を見て、自分がいかにこの世界で孤独であるのかを思い知らされた気がしたのだ。


(俺だけ、一人ぼっちみたいだ)


 そのことに気がついてしまったら、もう教室のドアを開けることはできなかった。


 かといってそのまま立ち去る勇気も無く、俺は文字通り所在無さげに廊下の隅にうずくまった。


(何やってるんだろう、俺……)


 虚しい自問自答に答えはなかった。


 そうしているうちに、突然教室のドアが慌ただしく開けられる音がして、件の指導官が心配そうな顔で飛び出して来た。


「ーーそれじゃあ、エリオット先生はそちらをお願いします。私は街の方を探してみます」


「待ちなさい。ただ闇雲に探すのでは非効率です。こちらの設定資料に彼の事が詳しく書かれていますから持って行きなさい」


「ありがとうございますーー!」


 焦った声と同時に早足で歩く足音が近づいてきて、俺は慌てて階段の陰に身を潜めた。


 そのすぐ後に、目の前を自分の指導官が駆け足で通り過ぎていく。


(あれは……もしかして俺を探している?)


 そう考えると、なぜだか少し気持ちが救われる気がした。


 俺はそのまま彼女の後を追うことにした。

 自分ならここにいると名乗り出る気にはならなかった。

 ただ純粋な好奇心と、自分をないがしろにした事へのささやかな報復のつもりだった。


 何より、誰かが自分を探す姿を観察したかったのかもしれない。


 彼女が車に乗り込んだので、俺は登校してきた自分のバイクで少し後ろを走って後をつけた。

 車を降りれば、俺も慌ててバイクを降りてその後を追う。


 商店が並ぶ繁華街に着くと、彼女は薄暗い細い路地まで躊躇わずに入り込んで俺を探した。

 ゲームセンターの中では、人目もはばからずに大声で俺の名を呼びながら歩いた。

 丘の上にある公園や、美術館や博物館、動物のいる牧場や墓地まで、彼女は時折片手に握りしめた資料らしき紙束に目を落としながら、あらゆる場所を探し回った。


 ヒールで登山を始めた時には、流石の俺も危うく彼女を呼び止めそうになった。


 ーー結局そのまま、ずるずると斜面を滑り落ちてくれたので声を掛けずに済んだけれど。


 てっきりすぐに尾行に気付かれると思っていたのに、予想に反して彼女はまったく自分に気が付く気配がない。


(どんだけ鈍いんだよ……)


 要領の悪さに、苛立ちを通り越して呆れてくる。


(それとも、それだけ必死になっているってことか……)


 仄かな罪悪感を覚えながらも、結局は尾行することをやめられなかった。


 あちこち歩き回りながら、時折足が痛むのか、彼女は何度も靴を履き直して、また歩き出す。


(馬鹿だな、ヒールなんて履いてくるから)


 そう考えて、思い直す。

 彼女はきっと、そんなつもりじゃなかったのだ。

ごく普通に教室で俺を迎えて、授業をするだけのつもりだった。


 だからパリッとした黒いスーツに身を包み、少しかかとの高い靴を履いて、朝家を出たのだろう。


 その黒いスーツも、今では見る影もなく、砂埃で白くまだら模様が浮かんでいた。


 今朝、教室で談笑していた時に見た時よりも、だいぶみすぼらしい姿になった担当指導官の姿がそこにはあった。


(俺のせい、だーー)


 それなのに、ここにいるよと彼女の前に出ていけないのは何故だろう。


 どうして俺は、必死に自分のことを探すあの人の姿をまだ見ていたいと思うのだろう。


(あと少し。もう少しだけーー)


 やがて辺りが暗くなった頃、彼女は海にやってきた。


(よりによってなんでこんな時間に……)


 明かりのない海を探すなら、もっと明るい時間に探す方がいいに決まっている。

 そもそも、こんなに暗くなってしまっては人探しなど困難だ。


 それなのに彼女は、まだ諦めずに自分を探している。


(もう諦めて帰ればいいのに)


 そう思いながら、どこかで諦めないでほしいと思っている自分がいる。


 しばらく浜辺を探してから、彼女は車に乗り込んだ。やっと帰るのかと思ったら、全然動き出す気配がない。

 そうこうしているうちに、ふらりと現れた若い男が、彼女に声を掛けた。どうやらナンパしているようだ。


 若い男に声を掛けられて浮かれるどころか、男を見上げる彼女の顔色はみるみる蒼白になっていく。


(ああもう、さっさと車出せばいいのに、何やってるんだよーー)


 気付ば俺は、彼女の前に進み出ていた。


 ーーそうして、俺と彼女はついに出会うことになった。


 初めて対面し言葉を交わした俺の担当指導官は、散々迷惑をかけた俺を叱ることも責めることもなく、ただ良かったと言った。


 響くんが見つかって良かった。

 響くんを探して良かった、と。


 そう言った笑顔が眩しくて、鮮烈に瞼を焼いたのだ。


 そして彼女は、何故俺を探したのかという問いにあっさりとこう答えた。


 だって私には響くんが必要で、あなたにも私が必要でしょう、と。


 その答えは、俺の空洞だった心の中にストンと落ちてきた。


 散々孤独だなんだと難しく考えていた事が馬鹿らしくなるくらいのまっすぐさで、彼女は当たり前のように自分が必要だろうと俺に言ってのけた。


(その通りだ。俺には、あの人が必要なんだーー)


 だって俺は、あの人に指導してもらうためにここにいるのだから。


 ただ、それだけでいいのだ。俺がこの世界に存在している理由なんて、そんな単純な事なで良い。


 俺にはあの人が必要で、あの人には生徒である俺が必要なんだ。


「星崎……さくら、先生ーー」


 あの人が教えてくれた名前を声に出してみる。


 その時になってようやく、俺はこの世界の地面に初めて足をつけたような気がした。




    *  *  *  *  *




 翌朝、俺はかなり早い時間に寮を出た。


 昨夜、結局バイクで来たことを言い出せずに、そのまま帰りはさくら先生の車に乗せてもらったため、今朝は徒歩で登校するつもりだった。


 もともと歩いて通えない距離ではないし、寝不足の身体を動かして目を覚ましたかったという気持ちもあった。


 睡眠はほとんど取れていなかったけれど、不思議と頭は冴えていて、むしろ昨日よりもはるかに身体が軽いくらいだった。


 寮の駐車場を通り抜けようとした時、俺は目に留まったものを見て思わず息を呑んだ。


「なんで……」


 そこには、昨夜海に置いてきたはずの俺のバイクが、何事も無かったかのように元の位置に収まっていた。


 駆け寄って細部を確認するも、そこにあるのは間違いなく俺のバイクだった。


 俺は自分の世界ゲームでバイクを乗るキャラクターらしく、この世界にきた時に当然のようにこのバイクも与えられた。デザインも型も俺の世界ゲームの物と同じらしいから、見間違えるはずがない。


(でも、どうしてここに……)


 それに昨夜付けっ放しにしていたはずの鍵は取り去られていた。


 乗り物が勝手に所有者の元へ戻るなんて。それともそれが、この世界での『仕様』なのだろうか。

 そうだとしたら、なぜ鍵だけが無いのだろう。


 一抹の気味の悪さを覚えながら、俺は仕方なく元の予定通り徒歩で指導所へ向かった。



 その気味悪さも、指導所に着く頃にはだいぶ薄らいでいた。

 もしかしたら、バイクを見つけた誰かが指導所に連絡して、さくら先生がバイクを戻してくれたのかも知れない。


 もしそうなら、その時には昨日のことを正直に話して謝ろう。

 多分彼女なら、少しだけ怒った後に、「もういいよ」と笑って授業を始めてくれる気がする。


(あの人、いかにも生徒に甘そうだから)


 彼女があの小さな体で背の高い生徒キャラクターたちを見上げて叱責する姿を想像すると、つい口元が緩んでしまう。


 そんなことを考えながら歩いていたら、あっという間に教室の前にたどり着く。

 ドアのガラス窓から中をのぞけば、教室の中にはまだ誰も来ていないようだった。

 少し早いけれど、このまま先生を待って驚かせてやろう。


「ふふっ」


 彼女の驚く顔を想像しながらドアを開けようとした時、不意に背後から声が掛けられた。


「響拓斗くんーー」


 丁寧に一音一音を綴る優しげな声と、撫でるように柔らかい口調。これほど穏やかに響く声質でありながら、その男の声にはどこか底知れない冷たさが滲んでいた。


 振り返れば、昨日教室でさくら先生と談笑していた銀髪の男が立っていた。

 この男の顔には見覚えがあった。確か面接の時にいた気がする。


 男は俺の返事など最初から待っていなかったようにつかつかと歩み寄ると、目の前に銀色の小さな何かを差し出した。


「これ、お返ししますね」


 そう言うと、こっちの準備もお構い無しにその手からぽとりと銀色の何かを落とす。

 俺は慌てて両手で椀の形を作ると、それを受け取った。


 鍵だーー間違いない。これは昨夜俺が、浜辺に置いてきたバイクの鍵だ。


 サーっと血の気が引く気配がして、俺は慌てて男の顔を見上げた。

 だがそこにあるのは、感情の読み取れない仮面のような笑顔だけだっ。


「ダメですよ、鍵をつけたまま乗り捨てて行くなんて。この世界にだって、盗難事件が起こらないとは限らないのですから。もっとも、おかげで返却は容易でしたけれど」


「なんであんたが……」


 返却するのか、と言いかけた言葉は、男の銀色の瞳の奥にあるものを認めた途端、声になる前に口の中で消滅した。


 ーー違う。この男は初めから全て知っていたのだ。


 俺が教室の外にいたことも、その後一日中さくら先生を尾行していたことも。


 全て知っていて、俺を咎めるためにわざと今こうして、俺に鍵を返したのだ。


「嫌な奴だな……」


 男は俺の悪態を意に介した様子もなく、無駄に整った顔を緩めて破顔したーー繊細な飴細工が、音もなく崩れるように。


「ーーそれは、お互い様でしょう?」


 細めた双眸にあるのは、猜疑と不信だ。

 そして同じものがきっと俺の瞳にも宿っている。


 男はそのまま、何事もなかったかのように身を翻すと、片手を挙げてひらひらと振って見せた


「星崎先生を呼んで来ますね。昨日の分もありますから、早朝課外授業でも始めてもらいましょう」


 俺はそのまま廊下の角を折れて見えなくなるまで、その背中を見つめて立ち尽くしていた。





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