響くんとの出会い(2)
「――あんた、いい加減にしなよ」
あどけなさの残る――だけど冷たい怒気を孕んだ声が、闇の中から投げられた。
何度も設定資料を見ていたからすぐにわかった。闇の中からゆっくりと姿を現したのは、私が探していた響拓斗くんその人だった。
「響くん――!!」
見つけた嬉しさのあまり、今の状況も忘れて思わず歓喜の声を上げてしまう。その瞬間、響くんは私を見てわずかに眉を寄せ、それからすぐにホストくんに視線を戻した。
「あんたの指導官先生が、すぐそこであんたのこと探してたぜ。俺、さっき連絡先聞いたから今すぐ電話してやってもいいんだけど」
響くんの言葉に、ホストくんはぐっと唇を噛んだ。明らかにうろたえている。きっと彼の指導官はすごく厳しい人なのだろう。
まあ、教え子がこれでは指導が厳しくなるのも無理もない。だって彼は、乙女ゲームのなんたるかも理解していないようだから。
恋愛ゲームの登場人物なのに、女性に恐怖しか与えられないなんて。萌えについて基礎からみっちり教え込む必要がある。
「い、言っておきますけど、私も一応指導官よ」
思わず声が震えてしまうのを必死で押さえ込みながら、身分証を提示する。ホストくんは眼前に突きつけられた攻略対象指導官証を見てぎょっとすると、興ざめしたとばかりに片手を上げて、早々に闇の中へ立ち去って行った。
後に残された私と響くんは、しばらくの間黙ってホストくんが消えて行った方向を見つめていた。
彼が戻ってこないことを確認してから、私は車を降りると響くんに駆け寄った。
「響くん! 助けてくれてありがとう!!」
恐怖から解放された私は、聖人に縋り付く乞食みたいな勢いで響くんに縋り付いた。
助かった。本当に助かった。だって危うく成人向け乙女ゲームのバッドエンド行きになるところだった。しかも愛が全然ないやつ。ルートの途中で落とし穴みたいに用意されている唐突に死とか不幸とか訪れるやつだ。
半泣きの形相でお礼を言う私を見て、響くんは乙女ゲームのキャラクターにはあるまじき気の抜けた声を漏らした。
「……は?」
心なしか、顔の造形も崩れている。これではせっかくのイケメンが台無しだ。
「何でお礼なんて言うんだよ。あんた……俺を探してたせいでこんな目に遭ったんだろ?」
「え……?」
どうして知っているのだろうと響くんを見上げると、響くんは不機嫌そうな顔でそっぽを向いたまま答えた。
「俺、あんたがここに来た時からずっと後つけてたから」
ということは、結構長い時間尾行されていたことになる。
「そうだったんだ。全然気がつかなかった……」
「そうだったんだって……怒らないのかよ!? 俺はあんたが自分のこと探してるって知っていながら、黙ってあんたのこと観察してたんだぞ?」
響くんは自分の腕を掴む私の手を、うざったそうに振り払った。
響くんはとっても不機嫌のようだ。
あまりの剣幕に気圧されつつ、何とか質問してみる。
「えーと。観察って、一体何のために?」
「もちろん、俺の担当指導官がどんなやつか確かめてやろうと思ったんだよ。結局、とんだオトボケ指導官だったけど」
「おとぼけって……」
可愛らしいワードに思わず吹き出すと、響くんは益々苛立った顔になる。
「だって本当にオトボケ指導官だろ? 俺が後ろにいることにも全然気が付かないし、俺のせいで恐い目にあっても、お礼とか言い出すし」
「それはーーだって響くんは私のことを助けてくれたから」
「だからそれが……っ!」
そこで苦虫を噛み潰したような表情で言葉を飲みこむ響くんを見て、やっと彼が何に苛立っているのか理解できた。おそらく、私が今まで自分を探していたことや、そのせいで恐い目にあったことを申し訳なく思ってくれているのだろう。
ちゃんと罪悪感があるのなら、彼は大丈夫だ。さっきのホストくんに比べたら、私が今指導するべきことなんて何も無い。
「別に、響くんは何も悪くないよ。そりゃ、今日一日探さなきゃならなくて大変だったけど……私は響くんの指導官なんだから、探すのは当たり前だし。それにさっきのホストくんだって、響くんのせいじゃないでしょう? こんな時間にこんな所に一人でいた私がいけないんだから」
響くんは何か言いたそうな、でも言いたくないみたいな表情で、何かに耐えるように私を見ていた。
「それにしても、響くんが見つかって良かった。今日一日、探した甲斐があったよ」
にっこりと笑顔を向けて見せると、響くんは怯んだように息を呑み、くしゃりと顔を歪ませた。
「馬鹿みたいだ……」
今日顔を合わせたばかりの男子高校生にこうも何度も馬鹿馬鹿連呼されると流石に複雑な気持ちになる。
「馬鹿はやめてよ……ちょっと傷付くから」
苦笑まじりに言うと、響くんはゆるゆると首を振った。
「違う……あんたじゃなくて、俺が馬鹿みたいだ」
どういう意味かと尋ねるより前に、響くんが早口に言った。
「ほんとは俺ーー」
しかし、そこでやっぱり言葉を飲み込んでしまう。
「ーーやっぱり、なんでもない」
それから少しだけ待ってみたが、響くんが再び口を開いてくれる様子はなかった。
彼がなぜ今日の授業をボイコットしたのか、どんなことを考えながらこんな時間まで海を彷徨っていたのかはわからない。
でもきっと何か思うところがあってそうしたのだということだけはなんとなく分かった。
(こんな時、エリオット先生だったらどうするだろう……)
ふと、いつもの整った微笑を思い浮かべる。なんとなく、エリオット先生も過剰な詮索はせず、ただ黙って側で微笑んでくれているだけのような気がした。
(そうだよね、こっちが知りたいからって、無理やり聞き出すのは何か違う)
想像のエリオット先生が自分と似たような対応だったことで、少しだけ正解に近いような気がして安心する。
結局、響くんの私に対する信頼が圧倒的に足りていないということなのだと思う。いつか私が信用に足ると思えば話してくれるだろうし、そうでなければ、いつまでも信用してもらえない私に責任があるということなのだ。
(まずは信頼関係が大事だよね)
そう結論に達し、私は気持ちを新たに響くんに向き直った。
「さてと。こんな時間だし、明日は授業もあるし。そろそろ帰ろうか」
響くんは口の中で小さく「なんで……」と呟いた。
私が責めることも問いただすこともしないことに驚いているようだった。
私は彼の戸惑いも聞こえなかったフリで車に乗るよう促した。
「寮まで送っていくわ」
車のドアを開けると、躊躇いがちに響くんが声をかけた。
「一つだけ、聞いても良い……?」
さっきまでの感情を剥き出しにした態度とは打って変わって、伺うように私を見つめる瞳は、迷子の子供のように不安気に揺れている。
「あんたは、俺が自分の生徒だからーーただそれだけの理由で、こんな時間まで俺のことを探してたの?」
「そうだよ」
即答すると、響くんは噛みつくように言葉を重ねた。
「見捨てようとか、諦めようとか思わなかったの? 明日また教室で待てば良いやとか、気が向いたら来るだろうとか、全然考えなかったの?」
私の答えを待つ表情は、何故か怯えているように見えた。
初めて響くんが16歳という年相応に見えた気がして、なんとなく微笑ましくなる。
「それは思わなかったなぁ。だって私たち、この世界に存在する意味があるでしょう。響くんは教官から指導を受けるためにここにいるし、私も生徒を指導するためにここにいる。だから私が響くんを必要なように、響くんにも私が必要だと思ったから」
ある日突然死んでしまって、体を失い心許ない魂になった途端に、面接を受けて見知らぬ世界に飛ばされる。そこで理由を与えられ、私たちはそれに従うことで存在を許されている。
一方的だし、不安だし、納得がいかない部分だってある。
だけどその理由に縋るしか、私たちは存在することを許されないのだ。
しかも、たった一人でこの世界に放り出されて、その運命を突きつけられる。
「ーーそれなのに、私に会えなくてきっと心細い思いをしているんだろうなって、それしか考えなかった」
響くんの顔が僅かに歪む。腰の横で握りしめた拳が、小さく震えていた。
「……俺があんたのことなんか必要としてないって思わなかったの?」
私はちょっと考えてみて、首を振った。
「だってーーこの世界で一人は寂しいでしょう?」
「ーー!!」
響くんは瞠目して私を見つめた。でもそれもほんの一瞬で、すぐに顔を地面に向けてしまった。
「やっぱり、馬鹿だよ……」
それが誰に向けられた『馬鹿』なのか、私には分からなかった。




