響くんとの出会い(1)
響くんがこの指導所に来たのは、一週間ほど前のことだ。
初めて顔を合わせることになっていた日の朝、響くんは始業の時間になっても教室に姿を現さなかった。
その日は初日ということもあり、立会いのためにエリオット先生も教室に来てくれていた。そのまま二人で丸々一時限待っていたけれど、それでも響くんは一向に現れなかった。
それから私とエリオット先生は指導所中を探して回った。商店街や遊興施設の方まで見に行ったけれど、響くんの姿はどこにも無かった。
響くんの世界には携帯電話が普及しているので、響くんも持っているはず。そう思って連絡してみても、電源を切っているのか繋がらなかった。
午後遅くになると、エリオット先生は何かあったらすぐに連絡するように言い置いて自分の仕事に戻っていった。それでも、きっとかなり無理をして一緒に探してくれていたのだと思う。
それから夕方まで一人であちこちを探して回ったけれど、やっぱり響くんを見つけることは出来なかった。
夜になり、エリオット先生が心配して連絡をくれた。
どうしようか迷って、結局私は先生に噓をついた。
響くんは無事に見つかり、もう時間が遅いので始業は明日また仕切りなおすことにした――と。
エリオット先生に本当のことを言えば、きっと一緒に探そうとしてくれただろう。でも先生の忙しさは、研修時代傍で見てきた私が一番よくわかっている。先生の負担になるようなことはしたくない。
それに何より――エリオット先生に早く一人前だと認めてもらいたいから、その優しさに甘えたくなかった。
エリオット先生との電話を切り、気合を入れなおした私は自動車を走らせて海まで向かった。
夜の海岸は真っ暗で、歩いている人の姿なんて一つもなかった。
静まり返った浜辺に一人でたたずんでいると、打ち寄せる波の音が地響きのように大きく聞こえて、心細くて、恐ろしかった。
たかが授業をサボったくらいで、生徒を一日中探し回るなんておかしいのかもしれない。
一日放って置いて、明日になったら厳しく注意すれば良いだけなのかもしれない。
だけど――響くんも、この夜空の下のどこかで、同じように心細さを感じているんじゃないか。そう思ったら、やっぱりどうしても一人きりにしておくことなんて出来ない気がした。
この世界は特殊だ。どこの世界からも切り離されていて、家族もいなければ友達もいない。あるとき急に魂の面接を受けて、乙女ゲーム世界へ行く前にここで自分の属性を身につける訓練をしなさいと一方的に送り込まれるのだという。
自分の世界に行けば、自分が何者なのかすんなりと受け入れ理解することが出来る。だけどこの世界は宙ぶらりんなどこからも切り離された世界だ。自分のことはなんとなくしかわからないし、生い立ちや、これから自分がゲームで辿るルートのこともよく知らされていない。過去も未来もわからなくて、ただ今だけを一方的に突きつけられては、戸惑うのも当然だ。
それはなんだか、人からも時間からも――世界からもぽっかりと切り取られてしまったようで、ものすごく孤独なのではないか。私はそんな風に思ったのだ。
暗くて視界の悪い砂浜を後にして、駐車場に停めてあった車に乗り込む。
こう暗くては、人探しは難しい。とりあえず他に探していない場所は無いかどうか、もう一度昼間回った辺りを探してみようかと、車内の明かりを灯してエリオット先生からもらった設定資料に目を落とす。
ここにはゲームのキャラクターとしての響くんの特徴が事細かに書かれている。生年月日や身長体重、星座に血液型、好きな食べ物や嫌いな食べ物、趣味や特技ーー。
その中の一つにある、『よく行く場所』と書かれた項目に指を這わせる。
この世界に来たばかりで『よく行く場所』も何も無いと思うが、これはあくまでも響くんの世界での話だ。
設定資料に書かれたことはキャラクターの本能のようなものなので、この世界でも無意識に同じような場所に行く可能性は十分にある。
(繁華街、遊興施設……うーん、めぼしい所は全部回ったはずだよね……)
あらゆる項目をもう一度確認して、どこかにヒントがないか探す。
最後の資料の欄外に『夜の海』という走り書きがあった。
それを見て、急いで浜辺に来て見たのだけれど、少し遅すぎたのかもしれない。
こんな時間だ、もしかしたらもう寮に戻っている可能性もある。
とりあえず響くんの部屋を訪ねてみようと決め、車のエンジンをかけた所で、足元が砂だらけなことに気が付いた。
浜辺を歩いたせいで、湿気を帯びた砂が靴についたまま車に乗り込んでしまったのだ。
早く寮に確認に行きたいのにと逸る気持ちで靴裏に付いた砂を払っていると、こつこつと外側から窓を叩かれた。
この世界にいるのは、私たち指導員や攻略対象キャラクターたちだけではない。商業施設などを運営して暮らしているほかの人たちも、普通の町人のように生活している。
だから誰かがいても不思議は無いのだけれど、それでも、こんな夜半の海岸でまさか窓を叩かれるなんて予想もしていなかった私は、驚きと恐怖に小さな悲鳴を上げてしまった。
「――おねーさん、こんな所で何してるの?」
ヘッドライトに照らされた顔は、酒気を帯びているのか仄かに赤い。モデル並みに整った容姿とカラーシャツに黒いスーツでびしっと決めた身なりから察するに、ホスト系乙女ゲームの攻略対象キャラクターか何かなのかもしれない。
私が担当するヤンデレ属性ではあまりいないけれど、ナンパなチャラ男タイプのキャラクターは時折このように接触してくることがある。
もちろん本人はもう性のようなもの――というか、そういう属性を訓練するためにここにいるので、いわば彼は自分に与えられた役割を忠実に実行しているよくできた生徒とも言える。
「ごめんなさい。今、人を探していて忙しいの」
無視することも出来なくて、細く窓を開けてそう答えると、ホストくんはにっこりと微笑みながら窓の隙間に掌を挟み込んできた。
――困った。これでは窓を閉めることも出来ない。早急に立ち去ろうと考えていたのに、このまま車を発進させたら、怪我をさせてしまうかもしれない。
そんな私の迷いを見透かした顔で、ホストくんは機嫌良さそうな声を出した。
「おねーさんみたいな優しい人にこんな時間まで心配かけるなんて、そんなろくでもない奴は放って置いて俺と一緒に楽しいことしようよ。俺の指で、おねーさんを満足させてア・ゲ・ル」
声は良いし顔の造りが無駄にイケメンなので、普通に言ったら頭がおかしく聞こえる発言もそれなりにかっこよく決まる。乙女ゲームって本当に偉大だななどと内心で感心しつつ、自分の置かれた状況が思っているよりまずいかもしれないと思い始める。
だって、この発言――この人って、もしかして成人向け乙女ゲームのキャラクターじゃないだろうか。
それはやばい。かなり危険だ。
成人向けは恋愛ゲームであることを忘れそうになるくらい恐ろしいホラー展開が待っていることもままある世界だ。当然攻略対象キャラクターも、一癖どころか二癖も――鬼畜レベルの行いをやってのける者もざらにいる。
生前の私は成人向け乙女ゲームだっていくつもこなしてきたけれど、あれはあくまでもゲームだから楽しめたのだ。リアルで巻き込まれるとか考えるのも恐すぎる。
実年齢は二十五歳でも、二次元以外の恋愛とはほぼ無縁の日々を過ごしていた私には、C◯ROでいうとCまでが限界だ。いやいや、もしかしたらBだって厳しいかもしれない。
なんてことを考えている間に、ホストくんは器用にも窓の隙間からするすると肘までを差し込んで、窓の開閉ボタンを押してしまった。
窓と一緒に降下していく私の血の気の音がするのは、おそらく幻聴ではないだろう。
遮るものがなくなって、すぐドアの横にはむき出しのホストくんの顔がある。
――どうしよう。恐すぎるんですけど。
これは、このまま彼の腕を引きちぎることになっても逃げるべきかもしれないと思い始めたその時――。




