響拓斗くん(1)
私がヤンデレに重んじていることはただ一つ。
『そこに愛があるか』
ーーそれだけである。
ヤンデレ属性のキャラクターは、愛が無ければただの危険人物だ。一歩間違えればただの変態であり、一方的な思い込みの激しい精神倒錯者である。
その危うい一歩を踏み外さないために必要不可欠なのが、ヒロインへの愛、そしてヒロインからの愛なのである。
私はヤンデレには、大きく分けて二種類のタイプがあると考えている。
生来そういった執着嗜好を持つ者と、ヒロインへの愛ゆえに結果的に病んでしまった者の二種類だ。
前者は言うまでも無く危険だ。かなりの確率でメリーバッドエンド――もといただの異常な性的嗜好を持つだけのヒーローとの恋愛エンドへ行き着いてしまう。独りよがりなことも多く、ヒロインのことを愛しているから病んだのか、あるいは病んでいるからヒロインに固執するのか、その違いが曖昧になってしまい大変わかりにくい愛情の形を描いてしまうのが特徴だ。
後者はいわば行き過ぎた一途であり、ヒロインを愛するがゆえに純粋にヒロインのためにと思って為した行為が、客観的には異常な執着と偏愛に見える場合だ。こちらは大抵無自覚なために盲目的に突っ走ってしまう傾向があり、最終的に愛がこれ以上なく重いという結果を導いてしまいがちだ。
だからこそ、どちらの場合も重要になってくるのは、『そこに愛があるか』なのだ。
「――私は、あなたの理想論が好きですよ」
教室の椅子に腰掛けたエリオット先生が、手渡したばかりの分厚い論文を読み終え、そう感想を述べてくれた。
先日最終確認中にレイモンドに接触しそうになった(まあしてしまったのだけれど)反省として、私の理想とするヤンデレ論を論文にして提出するように言われていたのだ。
原稿用紙二十枚ほどにもなるその論文を、エリオット先生は手渡してすぐに目を通してくれた。
読み終わったエリオット先生の笑顔に冷たい色が滲んでいないのを見てほっとする。エリオット先生はめったに声を荒げることはないし、常に微笑んだ表情をしているので一見感情がわかりにくいが、よくよく観察してみれば、不快や憤りを感じているときには、笑顔に若干冷たい雰囲気が滲むのだ。
「私も、あなたの考えに賛成です。よく言いますものね。『ヤンデレ』と『病んでる』は違うと」
「――そうなんです!!」
最も言いたかったことが伝わっていたことが嬉しくて、つい身を乗り出して返事を返してしまう。
取り乱してしまった気恥ずかしさに慌てて姿勢を正すと、エリオット先生はおかしそうに小さく笑った。
「乙女ゲームはあくまでも恋愛を楽しむ趣旨で作られた世界です。そこに愛が無ければ、ただの猟奇的な異常行動に振り回されるだけの悲劇になってしまいますからね」
エリオット先生の同意を得られたことが嬉しくて叫び出したいが、同じ失態を繰り返すわけにはいかないので、唇を噛んでうんうんと大きく頷く。それでも、つい喜びに顔が綻んでしまうのを必死に堪えていると、唐突にばたばたと廊下をこちらへ駆けて来る音が響いてきた。
「先生ー!! さくら先生ー!!」
足音が止んだと思った直後、勢いよく教室のドアが開かれる。
姿を現したのは、私が今担当しているヤンデレ教育中の生徒、響 拓斗くんだ。
「先生!! やっぱりここにいたんだね!!」
エリオット先生の隣に座る私を見つけると、響くんは眩しいくらい満面の笑みを向けてきた。
響くんは学園もの乙女ゲームの攻略対象キャラクターになる予定の、高校一年生の男の子。
乙女ゲーム世界の住人なので、アイドル並の容姿と母性本能をくすぐる愛らしい声は標準装備だ。柴犬みたいな明るい色の髪に、よく動く大きな鳶色の瞳、伸びやかな全身から溢れ出る溌剌さは見ているだけで微笑ましい。
性格もクラスにいるムードメーカータイプで、人懐っこくてとっても素直な良い子なのだ。
彼のような明るく快活な性格のキャラクターを、なにゆえヤンデレ枠にしたのか。製作者を問いただしたい所だが、残念ながら私にその権限は無い。
私には、彼が過たずヤンデレ枠としてのルートを全うし、ゲームで彼なりの幸せな結末を迎えられるように教育してあげることしか出来ないのだ。
十六歳の少年の、キラキラとした笑顔に当てられて軽い動悸を覚える。二十五歳の独り身のお姉さんにとっては、彼の無邪気な微笑みすらちょっとした破壊力がある。
軽く目を瞑って無駄に落ち着かない心臓を鎮めると、至って平静な声を出した。
「響くん、廊下は走らないようにって、いつも言っているでしょう」
「はーい、すみませんでしたぁ」
全然反省していない態度でそう言うと、直後にはまたキラキラした満面の笑顔を私に向けてくる。
「それより先生! これ見てよ!! さっき庭園で見つけたんだけど、これってあれじゃないかな――幻の、ツチノコってやつ!!」
急に真剣な顔になって、響くんは握り込んだ両手をずいっと突き出してきた。
ツチノコって――。
さすがの私も、小学生じゃあるまいしそんなことを簡単に信じたりしない。
――というのは現実世界での話だ。
ここは異次元に位置する何でもありの世界だ。あちこちの乙女ゲーム世界の住人だって普通に存在しているくらいだから、ツチノコが存在しても不思議はない。
「すごいじゃない! 私ツチノコって見たことないよ!」
当然のことを口にして素直に感心の声を上げると、響くんは誇らしげに頬を染めた。
「へへー。そうでしょそうでしょ?」
「それにしても、ツチノコって意外に小さいんだね。もっと大きい生き物かと思ってた」
男の子の両手とはいえ、握り込んだ手はせいぜい十数センチとかそのくらいだ。てっきり蛇のような尾の長い生き物を想像していた私は首を傾げた。
「そ、それは! 俺の捕まえたのはきっと子供だったんだよ! ていうか、先生! 見せてあげるからもっと顔近づけてみてよ! すごい早い動きだったから、もしかしたら手を開いた途端逃げちゃうかもしれないからさ!」
「そ、そうなの!?」
じゃあ、と響くんの突き出した手にぐいと顔を近づける。
「もっとだよ!」
「もっとって……」
言われるままに顔を近づければ、響くんの手はすぐ鼻の先だ。
こんなに近くては逆に見えないのではないかと抗議しようとしたそのとき――。




