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白春秋  作者: 浅海知貴
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夏夜の出会い

 生ぬるい風が走る少年の足にまとわりついた。

 十三夜がでた夏の夜。王都から離れた西の山中に、生い茂る草木を掻き分けながら走る少年がいた。年の頃は八つ。年のわりに背は低く、痩せていた。小さな体に不釣り合いな首輪から、奴隷のものだと分かる。

 山中を走っているにも関わらず裸足で、すでに足には無数の傷が走っている。 血が流れているものもあった。しかし、少年は気に留めることもなく、ただただ走ることだけを考え、汚れた髪を振り乱し、拳を振って駆けた。


 逃げていたのだ。


 彼は、親に売られ奴隷になったものだった。十人の兄弟がいたが、飢饉や貧困による人身売買で5人にまでに減っていた。食うに困った彼の親は、彼を僅かな金と引き換えに人身商人に渡した。


 この世界で子供を売るという行為は、それほど珍しいことではない。避妊方法が確立されていないために、子供はよくでき幼いながらも立派な労働力として産業と家庭とを支えていた。が、当然ながら生まれた子供をすべて養いきれない家もある。もはや口には出さぬものの、子供を売るために生む親とているのが現状である。成人未満の子供の売り買いはカダ王国も認め、貧しい農家や貧民の間ではよくある話だった。


 口減らしで殺すよりも、売ってお金に代えたい。もしかしたら、生きて奴隷の身分から脱し幸せに暮らしてくれるかもしれない。そんな希望的観測を抱いた貧困層の親たちが子供を奴隷として売ることはすでに歯止めが聞かなくなっている。


 奴隷は、労働や色売り、稀ではあるが人体実験もさせられることがある。


 子ども故に、まだ何も知らないし、逆らうことを知らずに成長する。使い勝手の良さで、市場はいつも品薄状態であった。






 彼は拾われ子だった。珍しい色の抜けた雪より白い髪と血のように深い赤の目は村のなかでも浮いた。育ての親は、拾うときから、すでにこの奇異な存在を売り物としか見ていなかった。


 8つになった少年は親の予定通り売りに出された。いい子にしていなさい。決して逆らってはいけない。そういわれて見知らぬ中年の男について行かされた。


 頭のてっぺんがはげて、腹に脂肪がたまった男だった。


 アメを渡され、食べるように言われ空腹に耐えかね口に含んだが、余りおいしいものではなかった。


 その男についていき、馬車にのせられそのままどこかへ連れて行かれた。


 途中のことは記憶にない。いつの間にか眠っており、意識が戻った時には知らない牢屋のようなところだった。薄暗くて視界がぼやけていたがよく見ると、自分の他にも何人かの子供がいる。


 皆やせ細って、自分と同じように痩せ細った体をしていたものばかりだった。


「おい。」


 隣にいた自分よりも年上のような男の子に声をかけた。しかし、彼は微動もにせず、押し黙ったままであった。


「おい。ここどこなんだよ。お前もつれてこられたのか?」


 先ほどよりも少し大きな声で問いかけると、彼は少しだけこちらに視線をより、鬱陶しげに答えた。


「お前何も知らないんだな。奴隷は街の外にある奴隷小屋で一回しまわれて、これ着けられてから売られるんだよ。」


 そう言って彼は、自分の首を指差した。


 子どもには似つかわしくない、分厚く大きな首輪と壁に繋がる鎖が付いていた。


「奴隷の枷つけられたら次の日の馬車で、街に行って売られる。」


「奴隷だって!?そんな……?嘘だろう!!!???」


 両親が自分を売ることなんてするはずがないと、少年は根拠もないことを今まで信じてきた。どんなに苦しい生活でも、両親は自分を保護し、愛情を注いで育ててくれると勝手ながらに思っていたのである。


「……父さんと母さんがなんで俺を!!??」


 わめく少年を、彼は疲れ冷えた目でしか見なかった。大人しくしてろ。とそれだけ言うと、あとは何も答えることはなかった。


 暫くして少年にも彼と同じように重くて冷たい首枷がつけられた。彼は自分が奴隷になったという事実を、理解せざるを得なかった。








 数日後、彼は薄暗い石造りの部屋にいた。奴隷競売の場である。


 彼は俯いていたが、周りの大人やそのやり取りに耳を澄ませていた。時々視線を動かし、自分の髪の隙間から観察もしている。


 部屋は広い石作りで、何人もの大人が出入りできる扉があり、いくつかの椅子とテーブルが木でできた台座を取り囲んでいる。壁際にも簡素な椅子があるが、そこに座っているのは黒く大きなベールを被った者一人しかいなかった。


 はじめこの部屋に連れてこられたのは、彼を合わせて20人ほどであった。年齢や性別、髪の色や目の色まで皆それぞれ違う。全員台座に並ばされ、それからひとりひとり競り落とされていく。競りの終わったものは奥の部屋に連れて行かれていった。


 彼の順番は最後から2番目であった。


「さあ、カダ人の少年だ! 色は黒いが、珍しい白髪! 病気も欠陥もない優良品だ! 労働鑑賞愛玩など様々なことに映えてつかえますよ!」


 自分の特徴が言われているが、すでに奴隷らしい品扱いである。司会をしているらしい、仮面をかぶった男が客らしい奴らを上手くあおっている。


「50銀から始めましょう!」


 安くない金額。自分の家族が2年は食べていける額から、次々と値は上がっていった。はじめの禿わしのような男を皮切りに、たやすく100を越えて金の代に入った。1金、1金5、1金15。自分の値段が決められるのを台の上から見ていると、自分が商品のように思えてきて複雑な気持ちになった。自分を売った両親のことは別に嫌いではなかったが、売られたという事実に腹の中が沸騰するような感覚に陥った。


 頭の中をピリピリとした思いが染み渡るように覆っていく。


 自分を競り落とそうとする、貴族や金のあるものがひどく汚く、卑しく見える。


 食べるものがなくて、植物の根や藁をかじって飢えをしのいでいた弟たち。冬のさなか着るものがなくて寒いと言いながら、震えていた妹たち。家族のために色売りさせられていた姉。


 何の力も持たない弱者をなぶる周りにいる人間がすべて死んでしまえばいいという考えが頭の中を駆け巡った。


 そうだ。骨と皮しかない身体になって死んでしまった弟の代わりに。雪の降る日に熱を出して腕の中で動かなくなった妹の代わりに。大戦のおり敵国兵士にさらわれた姉の代わりに。




 こいつら全員死んでしまえばいい。




「1白金」


 あたりがしんと静まった。少年は途切れた音に顔をあげた。すぐにざわりと声の交わりがよみがえる。


 声のしたほうを見ると、先ほど椅子に座っていた人物だった。見慣れない大きなベールを被っている。


「いっ、1白金! お客様他にございませんか!?」


 最初に声を上げたハゲワシの男が、その黒ベールの人物を睨んでいる。が、再び声を上げることはなかった。


 鎖で引かれ、台を下ろされ裏の部屋に連れて行かれる。


 振り返った先、ベールの人物がわずかに見える口元で何かつぶやいていた。


「おめでとうございます! 1白金で落札です! さて次は最後のルファナ人の女……」








「ええ、ここにサインと。こちらにもお願いします」


 ランプが一つだけの部屋は薄暗く、高価な紙を覗き込んで手続きの説明をしている商人以外の声はなかった。部屋の隅の小さな鉤に首枷をつながれながら、商人の前にいる、先ほど自分を競り落としたベールの人物を見た。中肉中背の商人とは違い、背が高く、束ねてはいるが床に容易くつくほどの黒い長い髪を持っていた。男か女かはわからない。


「はい。はい。結構でございます。ユルディア様ですね。こちらが証書と商品の概要でございまして、呼び笛はこちらでございます。」


 ユルディアと呼ばれたベールの人物は、無言で巻紙と小袋を外套の中に入れた。そしてこちらに目をやった。


 少年はしばしあっけにとられた。若い顔立ちだった。その上、少年が生きてきた中で比べるものが出てこないほどの美しい顔のつくりをしていた。しかも、少年と同じ赤い目をしていた。血のように深くて濃い赤。合わせられたその目は薄暗い部屋の中でも鮮やかにその存在を主張している。が、その綺麗な顔に浮かぶ表情は無に近い。


「そち」


 少年は自分のことだろうとユルディアを見つめ返した。


「名は?」


「……ロフ」


 親から与えられた名を答えてすぐ、顔をつかまれ引き寄せられた。後ろで鎖がぴんと張って繋がれた自分の首が、かなりしまって苦しい。


「ぐっぅ……!」


「そちの名は、今の時からシロじゃ。それ以外の名はそちの名ではない。よいな?」


 首輪で気管支が絞められ息ができない中、シロは必死にうなずいた。ユルディアはそれだけ言うと、手を放し、いつの間にか持っていた杖をつきながら部屋を出て行った。


 せき込みながら、首をさすると、かすかな音を立てて後ろにあった首輪の鎖が外れた。


 商人は、商談が終わったためか、ランプを持って別の扉から部屋を出ようとした。いつまでもせき込んでいるこちらが気に障ったのか、苛立ちの声を上げた。


「おい! 小僧、さっさとご主人様について行かねえか!!」


 痛む首元をさすりながら、ロフ改めシロは出て行ったユルディアという人を追った。






 薄暗いレンガ造りの廊下を硬質な音を立てて歩くユルディアにつきながら、シロは歩いた。


「ユルディア」


 何か聞こうとしてユルディアの名を呼んだ。ユルディアは歩を止め、シロのほうへ振り返った。


「そち、何か勘違いをしているのではないか?」


「え?その」


「わらわは、そちの、主人であるぞ?」


 言われて、少しの間考えた。何か気に障ったのだろうか。


「えっと、……ユルディアさ、ま?」


「馴れ馴れしくするでない、たわけが」


 低い声で叱責され、怒鳴られたわけでもないのに身が竦んだ。この自分の主人になった人は、表情が全くうかがえない。それが無性に怖かった。


「わらわのことは……そうじゃな」


 暫くユルディアは沈思した。


「アーテルがよいか。アーテル・ド・ミネガンと呼ぶがよい」


「アーテル・ド・ミネガン様」


「そうじゃ。普段は御前と呼ぶがよかろ」


「御前?」


「ふむ。まあ、当分はそれでよかろ」


 ユルディア改めアーテルはまた歩き始めた。暫く廊下を進み、いくつかの階段を上ると地上に出た。日はすでに落ちかけており、空がオレンジに色づいている。


「シロ、これを持て」


 そういって、アーテルは外套の下から黒縁のカンテラを取り出した。少し小さなもので、中にはちびた白い蝋燭がそこにへばりつく様にして入っていた。シロが受け取ると、ジワリとにじみ出るようにしてひとりでに火が付いた。


「御前」


「なんじゃ」


「御前は術使いなのか?」


「それがどうした」


「いや、ただ……」


 術使いというのは都などでは珍しいものではないと聞くが、今まで山間部の集落から出たことがなかったシロにとって、神の御業のように見えたのである。驚きでつい口にしたことであって、だからどうするという事ではない。


 無言でアーテルはどこかに歩き出した。




 今いる所は大きな街なのか、高い建物が幾重にも連なっていった。その建物の間、人一人がやっと通れるような細い路地を、アーテルはシロを誘導するようにするすると歩いて行く。いくつもある岐路を迷うことなく進んでいく。途中乞食のような老人や子供にあったが、声をかけられてもアーテルは歩を止めることはなかった。


「シロ」


 街のはずれらしい門に近いところまで来たとき、アーテルはやっとその足を止めこちらを向いた。


「ここで待っておれ」


 シロを置き、アーテルはどこかへいこうと踵を返した。人気のない路地へ置き去りにされる。咄嗟に彼女の外套の裾をつかんだ。


「どこへ行くんだ?」


「そち、言葉使いがなっておらんの。まあ、今は良いか。はなせ」


 裾を離すと、アーテルはカンテラを指しながら何かつぶやいた。アーテルの唇が動くたびに、火は青や水色の寒色に変わっていく。その光景にまた、息をすることすら忘れるほど目を奪われた。物語でしか聞いたことのない奇術が、自分の手の中で起こっていることに、シロはしばし夢中になった。


 炎は渦のように激しく混ざり、濃淡明暗さまざまな青が入り乱れていく。跳ねて踊る火に目が離せなくなった



 ふと気が付いた時、アーテルはいなくなり、暗い路地に一人きりだった。


「御前! アーテル様!!?」


 たまらず声を上げるが、返事はなかった。岐路の多い路地に彼女の影を見つけようとしたが、アーテルがどこに行ったか皆目見当もつかない。

 どこにいる。

 シロは、カンテラを手に薄暗がりのなかを手当たり次第に動き回った。細い路地を覗き、曲がりくねった道を無闇に進む。


 やみくもに走っているうちに、待っていろと言われた場所まで帰ることすらもかなわなくなっていた。


 あたりが暗くなり、心許ないカンテラの青い明りを抱いて右へ左へとするうち、疲れて道端座り込む。


 いっそ、逃げてしまえばいいんじゃないか。そんな思いがシロの脳裏をよぎって膨らんだ。


(まだ完全に日は沈んでいない。街の門があいていれば出られるはずだ。追ってきたらどうしよう。遠くまで逃げれば大丈夫かもしれない。隠れて行けば見つかりっこない。村へかえろう。家に帰ろう。帰りたい。奴隷なんて嫌だ。けど……。)


 カンテラを握りなおした彼は、街の門を見上げた。




 街を出た時、あたりは闇に包まれていた。周りの物もおぼろげにしか見えない。シロは辛うじてわかる街道をひた走った。あるかないかの風が時折近くの木を揺らし、不気味な音を立てて彼を不安にさせた。


 走っては歩き、歩いては走って。疲れてもシロは止まらなかった。


 こんな夜中に子供一人が歩いていれば、野犬や野獣、魔獣に遭遇することも珍しいことではない。街道はまだいい。森や薄暗い月明かりの届かぬ場所に入れば、入ったが最後、日の目を見ることはできなくなる。


 彼がまだ走っていられるのは、たまたま彼の持っている運が良かったからである。




「おい。」


 突然そばで聞こえた声に、シロは体を跳ねさせ足を止めた。


 カンテラをかざして、あたりを見回したが、雑草と踏み固められた街道があるだけで、声がするようなものは見当たらない。


「アッホウ! ここだガキンチョ!!」


 先ほどより大きな声がしてその音がしたほうを見ると、やはり己が持つカンテラしかない。


 魔物の類かとシロの背中にいやな冷たさが走った。


「バッカだなガキンチョ! 黒角灯が主カック様じゃアホンダラ!」


 見ればカンテラの中の火が勢いを増して顔のような模様を作っていた。


「うわ!」


 思わずシロは手を離したが、カンテラは重力に従うことなくそのままシロの周りを浮遊した。


「お前、シロっつーんだろ? 朝に親方様がシロってつける奴隷を連れてくるって言っていたからな。お前そいつのことだろう!? 親方の新しい手下! つまり俺の弟分みたいなもんだ! カック様って呼んでいいぜ!」


 やけに軽薄そうなカックという火は、カンテラの中で小刻みにゆれながら笑声を上げた。


「親方様はどこ行ったんだ? なんか起こされたけど眠くてよ。なんか言っとられたか?」


 よくはわからないが、多分路地裏で置き去りにされたときに起こされていたのであろう。二度寝していたのだろうか? 何も知らないようだ。今のシロにとってそれはありがたいことである。


「村に帰れって言われた。カック様も連れて行っていいって。」


 当然のことだが、嘘である。シロは心の中で自分を諭した。村に帰るため家に帰るためには致し方ない嘘である、と。


「カック様だってよ!? ああ!! この炎に染み渡る快感! 俺にもついに底辺雑用係から卒業の日がきたか! って、あ? なんでわざわざ買った餓鬼を……? 親方ほかに何も言っとられんかったのか?」


 一瞬、何か言うのをためらったがシロはその言葉を肯定した。


「うん、村に帰れって」


「親方が言うならまあ、なんか考えがあってのことなんだろうが……。ま、いいか! お前、道わかってんのか? あ、だから俺か! 親方に道はこの俺様に聞けって言われたんだろ!?」


 その通りです。実際そんなことは言われていないが、シロは異論を唱えることなくうなずいた。


「親方様の頼みとあっちゃあ、断れねえな! おし! お前の村はどこだ!?」


「カム村です」


「カム村は……東にあと23キロってとこか。しばらく道なりで……、って、それじゃあお前の足じゃ遠すぎるか。森を抜けてくか? なあに、カック様は火の精! 魔獣なんて追っ払ってやるさ! おら!!!」


 カックは上空に向かってカンテラのふたを跳ね飛ばし、青い炎を噴き出した。決して小さくないその炎は一瞬ではあるものの、あたりを青く照らした。


 シロは、突然のことに思わず悲鳴をこぼし尻餅をついた。カックはさっきよりも揺れて笑った。


「見たか、カック様の凄さを! わかったらさっさと行くぞ? ほら走れ!」


 浮いたままカックは道を先に進んだ。シロは言われた通りカックの後ろを追った。








「アニージャ。やりすぎであったかの? 最初は肝心だが、躾と称して少々やりすぎのような気もするのじゃ。子供の扱いは初めて故、加減がわからぬ。」


 夜の暗い路地を明りも持たず歩くのは、シロと別れたアーテルである。


 はたから見れば独り言を呟いているようにしか見えないが、ちゃんと会話している。アーテルの頭の上にはベールではなく古ぼけた鍔広の帽子がある。それがわずかに動いた。


「ならばせめて、おぬしのその表情筋をも少し動かせばよかろう。上からでもわかる怯えようであったわ。今の主の情けない面を見せてやれば、今よりは関係が築けるのではないか? イスシャルティナス。いや、今はアーテル・ド・ミネガン。であったか?また新しい名前を覚えぬといかぬか」


 帽子は雑な縫い目を口のように動かしながらそう言った。辛辣な言葉の端々に嘲笑の響きが込められていたのは気のせいではない。カック同様、この帽子もアーテル所有の長い間使われ魂を宿したヤドリ道具である。


「子供にそのような醜態さらせるものか。甘味物も買って置いたほうがよいかの……。カックがおる故危険な目に合うことはないじゃろうが……。はよ用事は済ませるに限るの?」


「そうだなぁ。シロとやらのため、の服やら飯をな?」


 ためという部分をいやに強調してきたからかいは無視した。


「なに、むくれるな。家族が増えてうれしいのは主だけではないことよ。久方ぶりの人間。大切にするがよかろ。大切に、な」


 誰もいない路地に、しわがれた笑い声が響いた。




 街道をすでにはずれ、地図に載っているかさえ怪しい道にシロとカックは佇んでいた。


「カック様。この道をゆくのですか?」


「ああ? てめっ、新人のくせにこのカック様を疑うのかよ。この道が一番近道ってこたぁ、親方様の部下の中で俺が一番知ってんだ! 黙ってついてこい!」


 道は木々の生い茂る森へと続いている。鬱蒼とした、入ることをためらってしまうようなその道に、カックはシロを強引に進ませる。明りであるカックが進んでしまえば、シロも当然進まなければならない。シロはなるべく、カックの明かりに身を添わせた。


「っけ、さっそく居やがるぜ。」


 カックのその呟きに疑問を覚えたが、目の前の闇が揺らめいた事で理解した。魔獣である。


「そらよ!」


 カックがカンテラから身を乗り出し、口のようなところから火の球を吐き出した。青い火は辺りを照らしながら、魔獣の醜悪な姿を一瞬露わにし、絡み付いて、絶命させた。


「へ! カック様の前に姿を現したのが運のつきだぜ! 雑魚魔獣め。」


 カックは炎でも燃やしきれなかった魔獣の残骸を、自らの炎で舐めるようにカンテラの中に収めた。一瞬、青かった炎が毒々しい色に変わった。


「な? 大丈夫だったろうが。ここら辺は雑魚しかいねえから、安心しろよ?」


 カックは人のような形をした黒い魔獣がいた場所を咀嚼しながらしばらく照らした後、首をかしげた。


「シロ。お前、術の類いは全く使えんだろ?」


「はい。使えませんが、それが……?」


「いや。親方のことだから何かお前に保護でもかけられているかと思ったのだが。ほんとにお前、親方に帰れと言われたのか?」


 シロは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。


「はい、確かに。保護って?」


「保護魔法術のことだ。魔物を近づけないルッツァ系。気配を消すシャゲィ系……。親方あれで心配性だからな。てめえみてえなコッコのピーちゃんみたいなやつにゃ魔術符なんかしてると思ったんだがな……。あら、親方だ」


 カックの言葉で、辺りをはっと見回した。腹の中が冷水を注がれたように冷える。追いつかれたのだろうか。暗闇の向こうをじっと見つめたが、何かがいる気配はない。


「はいはい、親方。……え、シロなら一緒におりやすが? へ? シロを村に返すんじゃないんで?」


 宙を見つめながら独り言を言っているカックは、突然シドロモドロになりながら空中を右往左往する。


「そ、そんな滅相もない! はい、はい。ただちに!」


 よくはわからないが、どうやら自分の嘘がばれたことカックが自分に疑念の目を向けることでシロは理解した。ああもう、だめだ。シロは耐えられなかった。カックの明かりを背に、暗闇に駆け出した。


「おおい!? ま、まて! え、あ、親方? は、はい!」


 明りに目が慣れていたせいか、木の陰や地面の凹凸を見分けられず上手く走れない。が、構わずシロは山の奥へ奥へと逃げた。途中裸足に鋭い小石や、とげのある植物を踏んだが構わない。カックは移動があまり得意ではないのか、逃げるシロに追いつく気配はなく、後ろで何か叫んでいる。振り向いたら捕まりそうで、ただ一心不乱に前だけ見て逃走した。


「うっ、あゎ!」


 十三夜の月明かりの届かない暗闇と、生い茂った雑草のせいか湿った落ち葉に足を滑らせ斜面を転がり落ちた。今までにつけた勢いのせいか、辺りの雑草をはねのけ落ちた先で大きな樹に体を強か打ちうけた。息が出来ずに蹲ってしまう。


「シローっ! 畜生! どこに行きやがった!」


 近くでカックの悪態をつく声が聞こえる。うめき声を喉の奥に押し込め、体をこわばらせた。見つかればきっと、ただでは済まないことは、幼い子供の思考でもはっきりとわかっていた。


「カック」


 全身から冷たい汗が一気に流れた。


 何でここにいるんだ?


「うぉ、親方様!?」


「見つからぬか?」


「アニージャ様! すいやせん! まだ森ん中で逃げてるようで……」


 一人初めて聞く声がした。低く、少ししゃがれた声にはカックが引け腰になるのが想像できるほどの威圧が込められている。


「なあに。幼子の足よ。簡単に森の中を歩けるものではなかろ。案外近くにおるでな。主にはわかるのではないかの? 奴隷の笛を持っておろ、アーテル・ド・ミネガン。」


 その場から一ミリでもシロは離れたかったが、痛みと恐怖で体が凍って動けなかった。


 息をすることさえ躊躇われるこの時。


 シロはにわかに、生まれて初めて自分の体から体温が消え去る心地を体験した。

 首にかけられた鉄輪が微弱に震え、今まで力を込めていた拳や足、顎の感覚が感じられなくなった。体が総毛立ち、氷水の中に入ったような悪寒が背中を駆け上る。


「そこであろ? シロ。」


 己の四肢が、上手く操れず声を出さずにあえぐことしかできない。居場所を知られたのか、アーテルの声とこちらに向かってくる雑音が近づいてくる。


「……つっ、……か、まる、かっ!」


 止まる気配のない首輪の振動を肩に受けながら、少しでもこの場から離れようと鉛のように重くなっていく体を引きずった。


「童よ、動くでない。後ろは谷底よ。」


 振り替えればそこの見えない暗闇が広がっていた。何もないその空間は大きく口を開けた奈落の底のように見える。


 青い光がシロの目を刺した。


「シロッ! てめ俺様をだましやがったな!?」


「黙れ。騙された主が愚鈍だっただけよ。」


 苛立った嗄れ声は、ピシャリとカックの声を妨げた。


 カック照らす光の中で大きな黒い影となって現れた主人を、シロは睨んだ。


「……シロ。」


 アーテルがぽつり、自分の名前を呼んだ。何も答えずにいると、アニージャの嘲りを含んだ笑いが響いた。


「諦めるのだな。奴隷になったらその生ある限り奴隷のままよ。「奴隷の笛」で魔力を吸い尽くされた感触はどうだ? この世のものとは思えまい」


「……アニージャ」


 アーテルは帽子に手を添えた。シロはそこで、今までアニージャと呼ばれていた声が、帽子から発せられていたことを察した。カックを先にみているからか驚きはさほどない。


 ただ、アニージャから告げられた残酷な現実を、シロは受け入れられなかった。このまま、何かあれば先程のようなおぞましい感覚を味わう、暗い未来しかない。心に充満し渦巻くあまりの絶望を抑えることができなかった。


「……ゃ…、やだ……。いやだぁああああああ!」


 制止の声を無視し、虫のように這いつくばりながら、シロは絶叫を残して後ろの谷底に身を滑らせた。

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