ヘロウアゲイン
はじまり、はじまり。
===================
『あー…、あー…』
『やっほー、■■からでーす!こっちあったかーい!実はもう泳いでます!羨ましい?もう感動!』
『酔っ払ってるから言うけどよ…給料上げろ!バカ上司!…もー、ほんっと嫌んなるよね、サラリーマンとかさぁ。いい加減彼女欲しいんだけど。結婚しろって親うるさいけど、 そんなの関係なしにさぁ』
『こっちに引越してきてから、知り合いもできなくて寂しい毎日です。夫ともご無沙汰。子どもは中々帰って来ないし…もう少ししたら慣れるかな。はぁ~、憂鬱。誰か~~』
『●●学校はバカばっか。早く気付けよ、俺が一番頭いいんだっての』
『お願い…もう別れさせて。もう嫌だよ』
『こちら、ウルトラヘブンそうほんぶ!あおやまそうさかん、こむらそうさかん、きこえるか?シュワッチ!』
『あの…、ん、その、◆◆市で起こった誘拐、私犯人知ってるんです。隣の町の▲丁目、スーパーの裏に住んでる、××××です!お願い、誰か通報して!私じゃできません!』
===================
(1)
昨年の十一月、とあるベンチャー企業から、ヘロウアゲインというオモチャが発売された。手の平に収まるサイズの、小さな機械。スイッチを入れて、マイクに向かってしゃべるだけ。一回の録音につき、三分間まで。取り込まれた音声は、自動的に発信される。行き着く先は指定できない。本体を持っているどこかの誰か。
送られて来たメッセージは、発信元が分からないようになっている。一度再生すると消去される。返信はできない。もちろん転送もできない。たったそれだけの、泡のようなオモチャだ。泡のような気持ちを、大きな川へ洗い流すオモチャだ。
元々この会社は、友人登録や返信機能の充実した携帯電話的な商品を開発していた。コミュニケーションツールとしての機能をあえて失うことで、このオモチャは売り上げを飛躍的に伸ばした。
(2)
「好きな物をいくらでも流していい」と無限に広がる川を提供され、そんなもの、あっという間にゴミで、ヘドロで埋もれてしまうだろうと、多くの人は思ったはずだ。事実、発売当初は「お前死ね」「今▼▼にいるから、Hしたいやつ早く来い」「これ聞いた人は三日後に恋人失くす」「(三分間無言)」など、受信者への敵意をむき出しにした罵詈雑言や、悪態めいた誘い言葉などが一面を埋め尽くしてしまった時期も存在した。
ところがその川の使用には、一つ大きなルールが定められていた。届いたメッセージを再生しなければ、新しいメッセージを送信できないのだ。
足元へ果てしなく流れ着くゴミやヘドロを前に人々は、自分も含めたこの汚れた連鎖に嫌気が差したらしい。決定的だったのは、偶然にも自身のメッセージを受信してしまった女性が、自らの悪魔のような発言に動揺し、自殺を図ったというニュースだった。
やがて、ごく少数の猟奇的なもの、あるいは突発的なイタズラ的なものを除いて、大半のメッセージが受信者を意識しない、“独白”に近いものになっていった。無意味な日常の報告、自慢、不満、悩み、喜び、怒り、悲しみ、秘密…誰に対してでも、何に対してでもない無数の小さな、一方的なつぶやきの気泡が、手の平から手の平へ、ただただ生れては流れ、着いては消えた。
それが現代日本において、トレンドからカルチャーへと変化し定着することにたいした時間はかからないのではないかと、不思議とそう感じている人々も多かった。それほどまでにこのオモチャに吸い寄せられた人々が、かなり早い時期から少なからず存在していたことが伺える。
(3)
4月末日。発売から半年で、実に一二〇〇万を越える出荷台数を記録している。男女比はおよそ四対六。購買層は十代と二十代前半が半数を占めるが、年齢の幅は広いようだ。 現在は、私が三ヶ月前に購入した機種よりも、更に一回り小さなものが市場に出回っている。
私の使い方はと言うと…非常に悪趣味な話だがまず、自分のヘロウアゲインに“漂着”したメッセージをレコーダーに保存し、次に、そのメッセージに対する“返事”を流すという行為を繰り返す。それによって後に到着する漂着物に何らかの変化が起きているかどうか…。全く無意味な研究のように思えるが、趣味のように続けていた。
余談だが、先日「あー…、あー…」という男声による意味不明なメッセージが漂着した。これは、おそらくではあるが…私と同年代かそれ以上の人間が購入し、初めて発声したものだと想像される。実は、私も同様のメッセージを送信してしまったから分かってしまうのだ。このメッセージを聞いたとき、自身のものが巡り巡って戻ってきたのかと驚いてしまった。
このように、普段はなんとなく楽しく、ドキドキする日々を過ごしているわけだが、そんな私を他所に、ヘロウアゲインの川は、その姿や色や香りを実際のところかなりラディカルに変容させている。
(4)
三週間前のことだ。午前七時半、メッセージが私の元に漂着した。
「そんなことない、大丈夫。今日も頑張ろう!」
不覚にも私は、その不意の一言に救われてしまった。珍しく私が、メッセージへの返信ではなく、いい歳にも関わらず、思い出すだけで恥ずかしくなるような素直な愚痴を流した直後の出来事だったのだから。
私はこれによって、前日までの精神的なストレスから嘘のように解き放たれてしまった。
その夜、私はインターネット上のあるサイトを訪れた。そこでは、それぞれが“自分の出会ったメッセージ”を公開し合っていた。私は掲示板を眺める内、どうやら現在、“応援メッセージ”を流すことが流行していることを知った。それも、特に応援メッセージに注力しているのは、これまで依存的に不満や悩みを独白し続けていた人であるように見て取れた。独白色に染まった川は、依存者に何を見せたのだろうか。
(5)
「俺ガンバル!だからお前もガンバレ!」
「まぁ、天気いいし、今日くらいいいことあるんじゃない?」
「ひさびさに幸せな気分だから、おすそ分けします。この声であなたがちょっとでも幸せになれますように!」
私がメッセージを受け取ってから“応援ブーム”が広がるまでに、まったく時間を要さなかった。たったの一週間で、応援メッセージを受信する頻度は急激に高まった。インターネット上では、がむしゃらにとにかく応援する、そのような意欲を持つ有志サイトまで出来上がっていた。
しかし、さすがにそうなると段々とありがたみも薄れてきてしまう。そのような空気を、やはり皆感じたのだろう。その後二週間経ち、ネットを眺める限りではブームはすっかり冷めてしまったようだ。しかし、メッセージはまだちらほら届くことがある。「こういうのもあっていい」という認識が人々に根づいたのだろうか。
(6)
そう、重要なのはこのオモチャを通じて、何がどう流行るかではなく、「こういうのもあっていい」と認識されることと共に、その「こう」がどのように取捨選択されていくかであるように考えられる。
もちろんこれは、このオモチャが、インターネットのように人々の中にカルチャーとして定着し、成長していくという前提に立っているわけだが。
これはあくまで“オモチャ”としてできている。適当なことを言ってストレスを発散し、適当なことを聞いて何ともなく楽しむ。仕様としては、たったそれだけの、ツールでもなんでもないオモチャだ。
それにもかかわらず、人々は、その窮屈な環境の中で無理やりにコミュニケーションを発生、成立させようとしているように見える。誰に届くかわからない。しかし、この川の向こうに、誰かがいる。残念なことに、その誰かを特定したり、ずっと一緒にいることはできない。
その代わり、限りなく多くの誰かに存在を伝えることができる。誰かと誰かではなく、全体でつながっている感覚。そのような、微かで、けれども確かな感覚を共有しているとは考えられないだろうか?
このことは、発売から半年経って、未だ、そして広い年齢層に売れていること、悪態が流行しないどころか、秩序がなんとなくではあるが形成されていること、秩序の中で、他者を認識したメッセージが生れつつあることなどから考えられる。
(7)
来週、このオモチャに関する二つのケースについて、インタビューを行なう予定でいる。
一つ目は、全くの偶然にも、愛の告白が本人に届いてしまい、結婚に至ってしまったケース。もう一方は、一月の九州地震の際に、災害地の子どもの声が東京の大学生に届き、その学生が大学全体を巻き込んで募金活動を行なったケース。どちらも当事者にインタビューを行い、経過を記事にしようと考えている。
この“偶然、あるいは奇跡が生んだ美談”は、単純に読み物として楽しんでもらえるものになると思っている。しかし気をつけなければならない…私が考えていきたいのは、本来このオモチャがこのようなケースを生み出すようには作られていない、むしろその可能性を奪うような仕様になっていることだ。
仕様として、少なくとも従来のコミュニケーションを助長するものではないこと。全体でつながっている感覚を共有できる文化財になりつつあること。そのどちらからしても、この二つのケースは異質なものだ。
けれども、このような出来事が起きてしまった事実を知っておく必要があるように、私には感じられた。
(8)
最後に、冒頭文と同様、私の元に漂着したメッセージの中からいくつかを紹介したい。
本来受信者のみが聞けるように、さらに一度きりの再生になっているので、このように公開することは果たして好ましいことではないかもしれない。けれども、この“オモチャ”に対して得体の知れない、恐ろしい、意味不明なイメージを抱いている読者の方もいるだろう。良し悪しはさておき、正しいイメージで伝わればと思い公開することにする。
…しかし、“ヘロウアゲイン”。この、一見何か怪しい薬のような、むしろコミュニケーションを生み出しそうな名称。一体開発者は、このオモチャにどのような思いを託したのだろうか。発案者とされる大学生は未だ姿を現していない。
===================
『ときどき思うんだ。もしかしたらあのときの言葉、嘘だったんじゃないの?って。だったらいいのに、とか。別に、そう言うわけじゃないけどさ。でもなんとなく、あのときの言葉の、どれか一つでも、嘘だったんなら…今日よりも、昨日よりも、もっと、ずっと、早くに教えてほしかったな』
『あーっと、コブシの花って見たことある?白木蓮よりちょっと小さめの。知ってるかな?春っていうか…今咲いてるんだけど。木に。白い花。んー、ま、わかんなくてもいいや。聞いて。母親があれ好きでさ。一昨年に死んだんだけど。今日久々に実家帰ったから墓参りしといたのね。んで参って、帰ろうと思ってふり返ったらさ、あ、そこちょっとした丘だったんだけど…丘の下、一面そのコブシだったわけよ。で、そういや好きだったな~この花…って思って、なんかやっと、親父がわざわざここに墓作った理由がわかったのよ。あぁこれ見せたかったからか~~~って。あ、やべ。また泣けてきたんだけど。こういうの話せる奴いないから、わざわざ買ってみたんだけど、これでいいんだよね?あ、やべ。もう時間ねぇな。そんなところ。ほいじゃ。誰かさん、聞いてくれてあんがと』
===================
(おしまい)
初出はmixiの全盛期、twitterが登場する前でした。
これからネットはどうなっていくでしょうか。




