祓い屋レイコと『失われた恋心』
『失われた恋心』
危険度★☆☆☆☆
可愛らしいぬいぐるみに扮した置物型の怪異。
身近な人物の「恋心」を食らう。
怪異に意思はなく、ただ有るもの。
コンコンコン。
ノックをしてやってきた青年。
彼を事務所に上げ、茶を入れる。
彼は語った。
「恋人がおかしくなった」と。
「そもそも恋人とか作るのが頭わりぃんだよ。時代は無機物。アタシにとっちゃ煙草さね」
「は、はぁ」
「人間は意思があるからダメだ。こう、運動神経を殺しても精神が生きてるだろ? 身動きの取れなくなった人間は未知を恐れ、慣れた頃には更なる未知を求める。だから監禁とか上手くいかねぇんだよねぃ」
「あの、そこまで彼女に強いてはないんですけど……」
「あ? じゃあどこまでだよ。ABCのアルファベットで言い表してみ」
「そ、それは……付き合ってから、数年経つので……Cまでは……」
「バーカ。恋愛のABCと言や、嫉妬・束縛・軟禁だろーが。やってんじゃねぇか」
「そのABCではありません! というか何ですかその物騒なABC!」
「その点、煙草は楽だぜ。A、火をつける。B、煙草を吸う。C、吸殻を捨てるだかんな」
「最終的に捨ててるそっちのABCの方が最悪じゃないですか!」
「お前オモロいな」
ネコの姿になって話を聞いていたチビは溜め息を吐いた。
話が一向に進まない。
これでは情報も集めるに集められないじゃないか。
はぁ。再び溜め息を吐いたチビが、コンに目配せをした。
コンは静かに頷くと、用意していた追加の茶菓子を乗せた盆をバランスよく頭の上に乗せ、二人の元へ向かう。
「コンっ」
コンの鳴き声に、二人が振り向いた。
「うわっ狐!」
「エキノコックスとか持ってねぇし雑菌とか付いてないんで大丈夫だ、多分。知らねぇけど」
コンは不服そうに黎子を見上げた。
「じゃ、詳細がわかったら連絡すっから〜」
「どうかよろしくお願いします、祓い屋さん!」
口と態度では真剣に頼み込んでいるのに、依頼人――川上高雄の目は不信感に満ちていた。
それもそうだろう。自分と彼女の交際にグチグチと口を挟まれたのだから。
その後ろ姿がゴマ粒のように小さくなったのを確認してから、チビとコンは顔を見合わせて、それから黎子を見て言った。
「恋人って何?」
「恋人とは何だ」
と。
黎子は取り出した煙草に火をつけ、ふぅ、と煙を吐く。
そして、顔を顰めて言った。
「人間の繁栄を担う、最悪な関係性だよ」
ここ、『祓い屋レイコ』では現在、黎子による【恋愛講座】が行われていた。
というのも、人間という種、そしてその繁栄に興味を持ったチビとコンがまとめて黎子に「教えてくれ」と願ったからである。
当然黎子は嫌がった。これでもかというほど嫌がった。威嚇で煙草の煙も吹きかけたし、ライターの火も向けた。
嫌煙家のチビは煙で撃退できた。しかしコンは平気なようで煙を払われた。
獣の姿をしているコンは火で撃退できた。しかしチビは獣(?)でありながら気にせず火を吹き消した。
そうして仕方なく、【『高額祓い屋』橋渡黎子による恋愛講座】が開かれることになったのだ。
「あー……人間っつーか他の生物もそうだけど、オスとメスがウンタラカンタラして子孫を残すんだよ。人間特有なのは、苗字とか戸籍とかか。両親の名前の片方を引き継いで、自分の存在を更に確立させる。まあその分、一度結婚……あー、番った相手と別れるのに手順が必要なんだがな」
「黎子に番はいるのか?」
「黙れ。今この場、お前らに発言権はない」
「はいレイコせんせ! 質問! 質問!」
「はいそこのよくわかんねぇ生命体のチビ」
「オスとメスが子孫を残すウンタラカンタラってなんですか!」
「やっぱ黙っとけお前」
「なんで!」
黎子は頭の隅がガンガンと痛むのを感じながら、恋人を愛する――煙草を吸うとも言う――。
ふと、コンが口を開いた。
「黎子は随分と恋人関係、ひいてはその延長線上である番関係を嫌っているようだが」
途端、コンの体を刺す鋭い殺気。
――黎子のものだ。
流石は祓い屋。否、高額の依頼料を請求するだけはある除霊師。
その殺気は、そこらの一般人とは比べ物にならないほどの……それこそ、裏社会で生きてきたような人間の持つものだった。
反射的に口を噤んだコンを見て、黎子は煙草に火をつける。
「変なこと言うなよ、コン。アタシの恋人は煙草。それで充分なんだよ」
そう言って、煙を吐き出した。
一組の男女がいた。
方や黎子に依頼した男、方や、その恋人。
――とあるマンションの一室。
「ただいま、華」
「おかえり」
男、高雄は困ったように笑う。
そして彼女――華に、問いかけた。
「なぁ、おかえりのハグ、してくれないのか?」
「いる?」
「……いや、いいよ」
高雄は玄関に立ち尽くしたまま、エプロンをつけたままの華を見た。キッチンで忙しなく夕食を作っている華の後ろ姿を見る。
以前は、料理の手を止めておかえりのハグをしてくれたのに。
ぐっと、手が白くなるほど握りしめた。爪が手のひらに食い込む。
……一週間。一週間前から、華は変わった。
「なぁ、華」
「なに?」
「……俺のこと、嫌い?」
「嫌いじゃないよ」
「……じゃあ、好き?」
「別に」
ギリ。奥歯から音がした。
そうだ、一週間もこうなのだ。
何かが変わったのだ。華の中で。いや……失われたのだ。
「それだけ?」
「……ああ、うん。ごめん、変なこと聞いて」
高雄は笑顔を作った。作り笑顔。
以前までの華なら、作り笑顔ですら見破った。しかし今は興味すらないように手元の包丁に目を落とす。
――おかしい。おかしいおかしいおかしい。
確実に華なのに、華ではない。
「……祓い屋」
あの怪しい女が、何か尻尾を掴んでくれれば良いのだが。
翌日、【祓い屋レイコ】。
黎子の朝は遅い。十時に起きて、煙草を吸って、コーヒーを飲む。そんなルーティンだ。
「レイコ〜! お昼何食べたい〜?」
「あー……適当に」
「いっつもそれじゃん!」
作りがいがないんだから! と憤るチビに目もくれず、黎子はパソコンを見た。
除霊師専門掲示板。普通の人物では辿り着けない、幾多の情報網を掻い潜ってようやく出てくる掲示板。当然、黎子はブックマークしている。
パチパチ。事務所にパソコンのタイピング音が響く。
「……チッ、引っかかんねーな」
煙草を吸う。部屋に紫煙が立ち昇った。
「換気してッ!」
チビが窓を開けた。ご苦労なことだ。
一方、コン。
白いフードとコートを着て、人型になって情報収集をしていた。ぴくりとフードの中に隠した狐耳が動く。音だ。しかも、ただの音ではない。……怪異の音。
きょろりと周りを見た。人影がないことを確認して、ぴょいん。屋根の上に飛んだ。
三階建てのマンション。三階の、南の角部屋。音がする。白い煙に包まれて、コンは狐の姿に戻った。普段の膝丈程度の大きさではなく、更に小さなサイズ。手のひらサイズだ。
そろりそろり。不用心にも開いている窓から入り込む。
「……臭いな。怪異の匂いだ」
鼻をひくつかせながら、小さな体で部屋を探っていく。清潔な女の部屋だ。
ぴたり。足を止めた。
写真立てだ。二人の男女が写っている。片方は部屋主だろう女と、もう片方は――。
「……こいつ、昨日黎子のところに来た男か」
川上高雄だった。
「ということは、ここは男の番った女の部屋か」
きょろりと辺りを見渡す。くん、鼻が動いた。
怪異の匂いを辿り、より濃い方へ。
棚を飛び降り、ベッドに登った。
くんくん。くんくん。
そして、枕元のナニカに辿り着く。赤い三つ編みをした可愛らしいぬいぐるみ。これが匂いの元だ。
「……見つけたぞ」
コンの双眸が煌々と輝いた。が、しかし。
「貴様……意識がないのか」
怪異には二通りのモノがある。
一つ。コンのように意思があるもの。
二つ。そこに有るだけで害を及ぼすもの。
この怪異は、後者だった。
「……チッ。黎子に報告しなくては」
小さな狐影は、窓の外に消えた。
対して、『祓い屋レイコ』。
黎子は昼食のオムライスを食べながら、ぐでーっとソファに溶けていた。
「あー……情報がなぁんも出ねぇ。最悪だ」
チビは向かいに座ってお茶を啜りながら、ぽつりと一言呟く。
「ぼくの方も何も情報出ないよぅ……生まれたてなのかなぁ?」
「……可能性はあるな。生まれたての怪異なら対処も簡単だけどよォ……しっかし、恋心、か」
「ねぇレイコ。もし怪異を祓ったとして、恋心っていうのが戻る確証はあるの?」
「おっチビ、頭回んじゃん。ねぇよ」
「ないんだ? ヤバいじゃん!」
「おう。やべぇよ」
お茶を吹き出しそうになったチビを横目に、黎子は立ち上がり社長椅子に座った。
「あっこら! 煙草はご飯のあと!」
「うるせぇ」
カチッとライターの音が響いて、煙草の先に火種がついた。ほぼ同時に、玄関が開いた。
入ってきたのは、白いフードローブを着た、小柄な少年……コンだ。
コンは煙に包まれて元の狐姿に戻ると、チビの隣に飛び乗った。
「黎子、朗報だ。怪異を見つけた」
その言葉に、黎子の手が止まった。
ふぅっと煙を吐き切り、鋭い目がコンを射抜く。
「おう、どうだった」
「意識のない、存在するだけで害を及ぼす怪異だ」
黎子が天を仰いだ。紫煙が昇る。その先をぼーっと見ながら、一言。
「最悪のパターンだな」
意識がない怪異を祓うのは至極簡単だ。
しかし意識がないからこそ、祓った後にどうなるかがわからない。今回の依頼内容で表すなら、失われた恋心が当人に帰るのか不明な点が問題だ。
黎子が嫌う、最も最悪なパターンだった。
「依頼人は恋人の恋心を取り戻してほしいんだろ。その怪異を祓ったところで……博打だな、こりゃ」
「どうすんの? レイコ」
「どーすんもなにも……依頼人に相談だろ」
黎子は煙草を吸いながら、一枚のメモを取り出した。川上高雄の連絡先が書かれた紙だ。
そうして備え付けの固定電話で、連絡をする。
内容は簡単。「怪異の元を見つけたが、祓うかどうかはお前が決めろ」。
川上高雄は夕方、『祓い屋レイコ』に足を運ぶこととなった。
「夕方までひまだね」
「うむ」
「コンってゲームしたことある?」
「げえむ?」
「楽しいよ!」
わいわいと話を弾ませるチビとコンを尻目に、黎子は再び食事の席についた。
夕方。近所の家庭から夕飯の匂いが立ち昇る頃。
『祓い屋レイコ』のチャイムが鳴った。
黎子が扉を開ける。そこには、期待と困惑に満ちた表情の川上高雄がいた。
「あの、昼間の電話の件で」
「わかってる。上がれよ」
依頼人を上げれば、応接机の上には二人分の緑茶が置かれていた。
川上高雄は恐る恐るソファに腰掛ける。対して、黎子は向かいにドカりと座り込んでは足を組んだ。
そして、口を開く。
「単刀直入に言う。怪異を祓うことはできるが、テメェの恋人の恋心が戻るかはわかんねぇ」
「……は、解決、ということじゃなく?」
「あァ。こっからは専門の話になるが、怪異には二種類いるんだよ。意思疎通ができるやつと、できねぇやつ。今回は後者だ」
黎子は続ける。
「一週間前から彼女の様子がおかしくなったっつったな。一週間前、『ナニ』を手に入れた?」
川上高雄は思案した。何を、なにを、ナニを手に入れたか。
目の奥に、影が落ちた。
「……骨董屋から、ぬいぐるみを買いました。彼女が……華が、好きそうなものを」
「骨董屋、ね。そりゃ怪異の温床だ。で、そのぬいぐるみは?」
「華にあげて、今は彼女の部屋に」
「十中八九、そいつが怪異の元凶だ」
川上高雄の顔から血の気が引いていく。
点と点が線に繋がる感覚。知りたくない、わかりたくない、のに、理解してしまった。
自分が、この出来事を引き起こしたのだと。
膝の上で組まれた指が、白くなるほどに握り締められる。
黎子はそれを尻目に、じっと川上高雄の目を見た。
「で、どうする。怪異を祓うことはできる。が、祓ったところで彼女に恋心が戻るかどうかはわかんねぇ」
奥歯がギリっと鳴る。静かな部屋に、嫌なほどに響いた気がした。
「……少し、考えさせてください」
「おう。決まったら連絡しろ」
ふらりと立ち上がった川上高雄は、覚束ない足取りで『祓い屋レイコ』を出ていった。
再び、静寂が部屋を包む。
ひょこりとキッチンから顔を覗かせたチビとコンが顔を見合わせた。
「帰った?」
「帰ったな」
「どうして即決しなかったんだろう」
「わからぬ」
鏡合わせのように首を傾げた二匹の視線が黎子に突き刺さった。
「ねぇレイコ。もしかして」
「即決できないのも、『恋心』の所為か?」
黎子はお茶を飲みながら、振り向かずに答えた。
「そうだよ。ぜーんぶ『恋心』の所為。……人間の思考を邪魔して歪ませる、最悪の感情」
平坦な声色だった。しかし静寂に、確かに雫を落としたのだ。
マンションに帰った川上高雄は、恋人、華と膝を突き合わせていた。
「なぁ、華。……本当に、俺のこと好きじゃなくなったのか」
低い声。怒りでなく、悲しみでもなく、ただひたすら怯えていた男の声だった。
対して恋人、華。ぽけーっとした表情のまま高雄を見る。
「えぇ。もう何の感情も湧かないの。『好き』という気持ちがわからないわ」
「それは……俺の所為か」
「どうして?」
「俺が……あのぬいぐるみを、華に渡したから」
「ぬいぐるみ……」
初めて、華が反応を見せた。
ぬいぐるみ。口の中で噛み締めるように反芻する。しかしすぐさま華は何でもない顔をして、高雄に向き直った。
「別に。あれが欲しいの?」
「……そういう訳じゃない。ただ……」
言葉を区切った。
俺は何を聞こうとした? 何を聞きたかった? どんな答えを欲していた?
あの、胡散臭い祓い屋の言葉が脳裏をよぎる。
『怪異を祓うことはできるが、てめぇの恋人の恋心が戻るかはわかんねぇ』。
まるで天気の話をするように、他人の人生を左右する言葉だと思った。
「……なぁ、華」
「なに?」
「俺のこと、どう思ってる」
この答えによって、高雄はどうするか、決めるつもりだった。
『好き』が返ってこないことはわかっている。『嫌い』が返ってこないこともわかっている。だが、あの言葉なら。
「なんとも思ってないわ」
頭上から、冷水を被せられたような気分だった。
すぅっと、高雄の熱かった部分が冷えていく。
しかし冷めたのは恋心でなく。
「わかった。……なぁ、華」
先程の硬さとは打って変わった、柔らかい声色。恋人に向ける、甘さを含んだ声だった。
「もし俺がまた、お前を好きにさせるって言ったら、どうする?」
華は、答えなかった。
けれども既に、高雄の心は決まっていた。
立ち上がり、スマホを操作する。
「……もしもし、祓い屋さん。川上です。……答え、決まりました」
そこに居たのは恐怖に怯える男でも、未知に震える男でも、過去を苦悩する男でもなかった。
ただ一人、愛しい女の為に突き動く男だ。
「華、明日休みだろ。一緒に来てほしいところがある」
「……わかったわ」
華は立ち上がり、自室に帰ろうとする。そこを引き留めた高雄は、弱々しく笑った。
「明日は俺があげたぬいぐるみを持ってきてくれ」と。
翌日。『祓い屋レイコ』。
二人の男女が扉の前に立っていた。
「上がれよ」
昨日と同じトーンで中を示した黎子の視線が一瞬、華の持つぬいぐるみに落ちた。
男女が事務所に足を踏み入れる。殺風景な部屋だった。
二人は黎子に示されたソファに隣合って座る。拳を三つ分ほど空けて。
「で、依頼人よ。アンタの答え、聞かせな」
「怪異を祓ってください」
ぴくり。黎子の眉が動いた。
「……理由は? 昨日言ったよな。祓っても恋心が戻る保証はねぇって――」
「大丈夫です」
高雄は、真っ直ぐに黎子を見つめた。
恐ろしいほどに一直線の目の奥には、ギラリと燃える炎があった。
「恋心が戻らなくても、俺はまた、華を好きにさせます」
それは、宣言とも違う、確信だった。
黎子は暫しの沈黙の後、華を見る。
「なぁ、アンタ。自分の名前と隣の男との関係性、言ってみ」
華は呆けたまま、口を開いた。
「斎藤華です。彼とは、恋人です」
「恋人のこと、好きか?」
「いいえ」
即答だった。
高雄の手がギュッと握り締められる。
「けれど」
華が言葉を続けた。
「寂しいです」
「……寂しい、ね」
黎子が反芻した。
好きではない。反応的に、嫌いというわけでもない。そして、「寂しい」と来た。
黎子の口角が上がった。
「依頼人。そのぬいぐるみ預かるぜ。んで、アンタは好きにしな。恋人の『空白』を埋めるのは、アンタしかできねぇからな」
これは、「当たり」の反応だ。
『祓い屋レイコ』からの帰り道。突如として、華が立ち止まった。
そして、ぽろぽろと涙を流し始める。
「ど、どうした? 華、どっか痛むのか?」
ふるり。華は首を振る。
そして胸の辺りを、ギュッと握った。
「違う……違うの。ただ、どうしてか……すごく、すごく……寂しいの……」
一週間。骸のように反応の薄かった華が泣いた。「寂しい」と。ボロボロと涙を溢れさせて。
高雄の体は勝手に動いていた。ただ、華を抱き締めた。
「大丈夫。大丈夫だ、華。その寂しさ、俺が全部、一から埋めてやるから」
しゃくりを上げる華の背を撫でながら、高雄も静かに涙を零した。
同時刻。『祓い屋レイコ』では無事に怪異を祓い終えていた。
「ねぇレイコ。あの二人の確認、しなくていいの?」
「いらん。興味ねェ」
「ふーん」
適当に相槌を打ったチビは夕食の準備に戻った。
入れ替わるようにしてコンがやって来る。そして、小さくぽつり。
「恋とは難儀だな」
「……あァ、そうだよ。めっちゃ難儀。複雑で、解けようにも解けない、絡まった糸みたいなもんさ」
「だがしかし、美しいと思ってしまった」
コンが玄関を見る。
思い返すのは、あの男の真っ直ぐな目。恋人の為なら自己犠牲をも厭わなさそうな、酷く真っ直ぐな視線だった。
かつて、自分が己の名前を求めて彷徨う獣だったように、あの男も好いた女の為に奔走する人間だったのだ。
黎子は口から煙を吐きながら、ちらりとコンを見た。そして、窓の外に視線を戻す。
「お前は、アタシより『恋心』がわかるかもねェ」
その声は侮蔑を含んだようであり、悲哀を込めたようでもあり。
しかしその行き先は、コンではなかった。
見えない矢が、黎子の胸に突き刺さる。
それを引き抜こうとするように、また、紫煙を吐いた。
「恋心なんて、知らねぇ方がいいってのに。なァ、煙草ちゃん」
長い睫毛に縁取られた目が、静かに伏せられた。
『祓い屋レイコ』の元に一通の電報が届いた。
ジジ、と音を立てて文字が可視化されていく。
「黎子、依頼だ。南区で土地神が目覚めそうだ」
たった一文。けれど黎子の顔色を変えるには、充分の文章だった。




