ただ君に伝えたい
ただ君に伝えたい
白い魚が高く高く、幾度あれを食べたいと思った事だろうか。
青く眩しい水たまりに泳ぐ白い魚。幾度捕えようとしただろうか。
狙った獲物は逃さない。それが我輩のポリシーであるが唯一捕えられない白い魚。
柔らかく暖かい日差しの中、鳴かぬ人間の膝の上でただ望む。
白い魚と、この膝の主。人間の雌の鳴き声を望む。 然し鳴かない。
他の人間は煩い程に鳴くというのに、この雌だけはただの一度も鳴かない。
最早老いたるこの体。命尽きるその日までに聴けるのだろうか。
鳴かぬ雌に拾われた昔。冷たい水が頭上の水溜りから落ち、
冷たい風が痩せ衰えた体に辛く、身を震えさせる我輩に差し出された暖かい手。
今もこの雌の手に残る我輩がつけた傷。今思えば何と愚かな事をしたものか。
我輩は、傷を見る度に舌で舐める。然し消える事も無し。
何か、我輩が残せる物は無いものかと、考えるも空しく日々は過ぎた。
頭の遥か上に、黒い魚が群れをなして泳いでいる日。
何気に人間の住む箱の上を歩いていると、我輩が主の鳴かぬ雌。
あろう事か、複数の雄達に襲われている。これはいかんと雄に飛び掛るが、
この老体では及ばず、壁に叩きつけられ、腹を蹴られて気絶する。
どれくらい時が過ぎたのか、空には赤い魚が群れをなして泳いでいる。
目の前には鳴かぬ雌の姿無く。然し匂いは残っている。
痛みと不快を覚える苦い味が口の中に広がり、
足取り重く匂いを辿り着いた人間の住まぬ鉄の箱。
灰色の硬い土の上に乗り、中を見ると鳴かぬ雌が嫌がって泣いている。
我輩は考えた、如何にして助けるか。この身でそれは叶わず。
ならばと、身を翻し近場に、無防備にも魚を外に並べている愚かな雄の居る
場所へと走り、その雄に判る様、我輩は魚を咥え込む。
気づいた雄は怒気を放ち、棒を持って追いかけてくる。
肥え衰えたこの身に余る雄の足の速さと距離。
容易く捕まるも、爪で腕を裂き逃げる。更に怒り狂い追いかける雄。
息も苦しく魚を加えるのも辛く、幾度も捕まりそうになるのを右へ左へ
跳ね避け、鳴かぬ雌の居る鉄の箱へと駆け入る。
咥えた魚を吐き捨てる代わり、我輩は鳴かぬ雌に掴みかかる雄の右腕を
力の限り咥え込む。上下左右に振り回され、我輩は喉を掴まれ地面へと。
苦い味が口に広がり、意識が遠のく中、我輩を追いかけてきた雄が目に入った。
白い魚をまた、我輩はあいも変わらず望んでいる。
いつもの如く膝の上。首に巻かれた硬い物が邪魔ではあるが、
我輩の望みが一つ叶ったので良しとしよう。
我輩は、あれから鳴く事が出来なくなった。
然しながら鳴かぬ雌が、鳴く様になり満足である。
また、我輩はいつもの様に我輩がつけた手の傷を舐めると、
この雌は鳴く。
「ありがとう」 と。




