最終回:修行とは「自分を好きになるための時間」だった――連載を終えて【完結】
20数年前を思い出しながら、お届けしてきた私の修行記も、今日で本当に筆を置きます。
振り返れば、私の修行生活は決して「高潔で立派なもの」ではありませんでした。
二十九歳で家族を置いてお山に入り、月給三千円の現実に打ちひしがれ、慣れない厨房仕事に右往左往し、暗闇の自販機に心を奪われ、肉の入っていないカレーに一喜一憂する。
悟りとは程遠い、あまりにも情けなく、不器用な一人の男がそこにいただけです。
けれど今は思います。
あの「格好悪さ」こそが、私にとっての修行だったのだと。
自分の弱さを知り、足の痛みを知り、孤独を知った。
その経験が、誰かの痛みに気づくための感覚を、ほんの少しだけ私に与えてくれました。
永平寺の龍門に刻まれている「杓底一残水」。
一杓の水はわずかでも、流れに返せばやがて大河となる。
あの山を下りた日、私は「立派な僧侶」になれたわけではありません。
ただ、自分の未熟さから逃げなくなっただけです。
今も失敗は尽きません。
それでも、あの一年が教えてくれたことがあります。
修行とは、完璧になるための時間ではなかった。
自分の不完全さを抱えたまま、それでも歩き続けられる自分を、少しだけ好きになるための時間だったのだと。
修行生活の記録はここで終わります。
けれど、私の修行は、今日も続いています。
合掌
蒼龍寺住職 佐藤堅明 九拝
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
過去の自分を振り返りながら書き綴ったこの修行記を、これほど多くの方に読んでいただき、また温かいコメントまでいただけたことは望外の喜びです。お山を下りてからの二十数年、あの張り詰めた孤独な日々を言葉にして放流できたことで、ようやく私自身の修行も一つの節目を迎えられたような気がいたします。
この連載はここで幕を閉じますが、私の「人生というお山」の修行は、これからもまだまだ続いていきます。
みなさまと共に歩む日々に、心からの感謝を込めて。
それでは、また次の作品でお会いしましょう。
合掌
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