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「ごめんよぉ。休日ルールは明日金曜日、自治委員からミスミちゃんに説明させるつもりだったんだよ。それが、イレギュラーが重なっちまって……、いや、言い訳だな。あたしのミスだ。ホント申し訳ない」
常に勝ち気な寮母ババアがこんな誠実に謝ってるの、初めて見ました。フライの油をキャベツと水で流して、米と味噌汁を口に含みます。美味い。自分のミスを後悔する人間特有の、表情に滲み出る焦燥と罪悪感は、グルタミン酸を超える旨味成分として、脳にじんわり染み込むのです。
写真撮っとこ。
厨房から出てきた寮母ババアの謝罪対象は、デルタこと魂村美澄。昨日から転校してきたクラスメイトで、しかも、私の昔馴染みでもあります。昔馴染みとは、より具体的には、言葉にするには憚られるような違法プロジェクトの実験体仲間。意図せず化け物を呼び出して、アレは失敗に終わりました。クソジジイがぶっ殺されたのはしっかりこの目で確認しています。デルタに頼れる身内はおらず、この学校に通うなら、女子寮に住まうしかありません。
ババアの話から察するに、デルタは寮のルールを知らず、空いてそうな頃合いを見計らって来たら締切の時間を越していた、というところでしょうか。本来、今日は普通に授業がある日でした。デルタの休日ルール体験は明後日の土曜日が初めてで、説明など明日に回しても問題なかったはず。
フルリと首を振るデルタ。ボサついてますね、髪。
「私が、悪い。他の人に聞かなかったので」
「悪いのはあたしだよ。飯ならすぐよそってやるから、先に座ってな」
デルタが座ったのは、私の側でした。正面や隣ではなく、まさしく「側」と表現するほかない、私が通路側に押し出していた椅子に、彼女は腰掛けました。
車椅子用テーブルは便利ですが、肘掛けに設置したままだと窮屈に感じるため、食事やデスクワークには、普通の机の方が好ましいです。元々置いてある椅子は邪魔なので、どかす必要があります。混雑時には、どかした椅子をどうするかに気を使うのですが、今の食堂は人が疎らだからと、ちょっとズラすだけで放置していました。もちろん、その椅子に誰かが座ることなど考慮していません。
目測30cmの距離からジッと見つめられ、困惑します。
「あの。こっちは食べづらいですし、デルタも食べられなくないですか?」
「ここがいい。生きてるベータが、近い」
「ダメです。食事の妨害は許しません。正面か隣に行ってください」
「……私のこと、嫌いになった?」
「はあ? なぜそうなるのですか。友達にベタベタされると、手元が狂ってこぼさないかと心配になって、食の楽しみが減ってしまうタイプなだけです」
「でもベータ。昨日、私のこと睨んだ。とても、怖かった」
一挙に罪悪感が襲いかかってきます。
言う通り、私は彼女を睨みつけました。仲の良かった先輩の訃報を聞き、足元が崩れ去ったような気分になって──車椅子ユーザーの私が言うと少し滑稽かもしれませんが──、部室から逃げ出しました。一人になろうとして、弾丸は素通りする分厚い壁を築き、しかしそれをデルタは乗り越えて、私についてこようとしました。転校して来たばかりの少女が、見知らぬ人間の巣窟に取り残されまいと、知己の私を頼るのは当然の話です。にもかかわらず、睨んで追い返してしまった。気が動転していたのは確かですが、それにしても未熟な行為です。
素直に謝りました。
「ごめんなさい。私ばかりになって、デルタの境遇を考えられませんでした。デルタのことを嫌いになるわけがありません。嫌うとしたら、自分だけです」
「……松柄という人のこと、大好きだった?」
「はい。とても。だからとても悲しかった。でも、その悲しみを、あなたにぶつけていいわけがなかったのです。本当に、ごめんなさい」
デルタは黙って頷きました。許してくださったのでしょうか。表情からは窺い知れませんでした。そもそも、最初から怒ってはいなかったように思います。
デルタの昼食が運ばれて来ました。
「クソガキも謝る姿は悪くない」
「なんと性格の悪い寮母ババアなんでしょう」
「誰が寮母ババアだ。あたしをそう呼ぶのはあんただけだよ」
「照れますね。見ての通り、ここ繋がってますから。私が案内します、寮」
「それは助かる。貸しを一つ消しといてやるよ」
手をひらひらさせて、ババアは厨房に戻りました。いつ私が、あんたから借りを作ったんでしょうか。それも複数あるような言い方。解せません。
食べ終わったのち、デルタに寮のアレコレを教示します。生理用品や備蓄用食品などが詰まった一階倉庫、災害時の避難経路。各階の掃除用具の置き場所や寮に出入りする各種業者スタッフさんとの接し方。共用風呂や食堂の使用法とエチケット。屋上に繋がる階段。寮内巡りを終えてからは、私と盈さんの部屋で、自室滞在が推奨される夜間時間帯などの細かい規則を読みます。
基本は男子禁制ですが、それを破る不届き者の存在について言及したところで、デルタから質問がありました。
「男を見つけたらどうする? 処す?」
「いやいや。無害そうなら見て見ぬフリですよ。恋人との逢瀬なら、邪魔しちゃ悪いじゃないですか。もちろん、少しでも有害性を感じたら、寮母ババアに通報することを躊躇しないでくださいね」
「自分で処せる」
「殺意高いですねぇ。まあ、私たちなら、やろうと思えば出来るんでしょうけれども。犯罪者でも、殺したり痛めつければ法律違反なんですよ」
「ベータは能力、どうしてる?」
突然、話題が転換します。
「もう、さすがにここで使うわけないじゃないですか!」
間髪入れずに返します。能力とは、私たち「ルナ・チルドレン」が実験の過程で手に入れた、現在の地球科学では説明し得ない超常の力を指します。離れた場所にある物へと干渉し、複雑な振動現象を通して、単に操るだけではなく、相性が良ければ組成すら変化させられる。
「本当? 全然、発動もさせていない?」
「ええっと。それは……」
詰められました。キョドります。獲得の背景こそ忌々しいですが、便利な力であるのは間違いありません。相手は実験仲間、同じ秘密を共有する者。観念するとしましょうか。自室を見渡し、口うるさい盈さんがいないことを確認してから、デルタに小声で伝えました。
「誰も見てないと思ったら、つい使ってしまうことはあります。でも本当に、ちょびっとだけですよ」
「メンテナンスは?」
「はい? メンテナンス?」
また話が飛びました。しかも、今回は意図さえ分かりません。メンテナンスというのは、パソコンとかの維持管理を表す言葉ですよね? 学校から貸与されたタブレット端末に関する講習で現れて、辛うじて覚えていますよ。尤も、英語の授業でmaintainなる単語と出くわすまで、綺麗さっぱり忘れてましたがね。ああメンテナンス君の親御さんでしたか、今後ともご贔屓にみたいな、違う形での再会を繰り返して、人は学習するのです。
「まあいいか」
「いいんですか? とりあえず、寮についての説明は、さっきのもので終わりです。聞き逃したことや、質問などありますか?」
「大丈夫。男は処す」
「早速不安しかありませんね。私はもう、知り合いの死は聞きたくありません」
「冗談が過ぎた」
「分かればよろしい。さて」
ベッド下の収納スペースを開けます。中にはたくさんのスナック菓子が。友人の歓待用に常備してあります。そのうちの一つ、芋と油のマリアージュが際立つうすしお味のポテトチップスを開けて、勉強机に乗せました。
午後二時半。夕飯までは長いのです。
「デルタさんから聞きたいことは山ほどありますが。まずは私の話をさせてくださいな。この学校で紡いできた、楽しい思い出のお話を!」




