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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第二話 水面の月 照らす湖底

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 来年の三月、松柄さんは卒業してしまう。あの人と、そのまま疎遠な関係になってしまいたくない。週一以上の連絡について了解を得て、遊びの約束もきっちり取り付けて、後腐れなく、気持ちよく門出を祝えるようにしましょう。

 ここ二ヶ月の間、寂しさを紛らわせるために練り上げてきた決意が、屋根まで飛んだシャボン玉のように、壊れて消えました。高校卒業を待たずして、松柄さんは、亡くなってしまわれたのです。昨日の夕方、大泣きする私を寮に連れ帰る(みちる)さんの雰囲気は、沈痛の辞書的意味合いを現実世界に映し取っていました。巻筒さんの話によると、横たわる松柄さんに外傷の類はなかったそうですから、遺体という認識が間違いで、実は生きているのではないかと、楽観すぎる希望を僅かに抱いていたのです。しかし、警察からの話をすぐに聞ける立場にある盈さんがこれでは、逆転は期待出来そうもありません。

 盈さんに食べさせてもらった夕食は、味がしませんでした。唇の隙間からシャンプーが流れ込んできても、(ゆす)ぐ気力すら湧きませんでした。


「来週の月曜日まで、授業はお休みとなります」


 湯の火照りを冷ましがてら、学習机の棚に並べた陸上競技の雑誌をぼんやり見ているところで、盈さんからそう伝えられました。生徒の死亡事故が、敷地外とはいえ近隣で発生したわけですから、学校側も本腰を入れて対応する必要があります。木金土日の四連休。関わりのない生徒が発端の休暇であれば、不謹慎でも、心の中で喜ぶくらいはしたかもしれません。無論、今の私の心が浮つくはずもなく、大切な先輩を失くした余波に打ちひしがれるだけです。


「……眠りましょうか」


 心も体もへとへとでした。松柄さんの親しい後輩だった私は、警察からコンタクトを受ける可能性もあり、明日以降に疲労を残したくありません。夜更かしする理由はないでしょう。腕の力でベッドに潜り込むと、上段の台に書かれた、古ぼけた「またどこかで」の文字が目に入ります。初めて、これを残した人物に恨みを向けました。「またどこかで」、そんなあやふやな再会の意思表示すら、私たちは出来なくなってしまった。

 死んだ人間には二度と会えない。

 翌朝には、私と盈さんとの相部屋に、警察の方が訪ねてきました。案の定です。吉谷と名乗った女性の刑事は、張り付けたような笑顔で、松柄さんとの関係性や、最後に顔を合わせた時間と場所などについて質問してきました。どことなく事務的な口調は、私という存在が、事件とはほとんど無関係だと見做されていることの顕れでしょう。遺体が発見されたのは、足場の悪い雑木林や急峻な坂で囲まれた丘の上。下半身を満足に動かせない少女に何が出来るのか。私でも、真っ先に捜査線上から外します。


「こちらからは以上ですが、防人さんからは何かありますか? 松柄さんのご家族から、あなたにはなるべく便宜を図ってあげて欲しいと言伝をいただいています。開示していい情報であればお伝えしますよ」

「あの、まず、これについて。松柄さんが、亡くなる前に、文芸部の活動場所に残していったものなのですが」


 線がぐちゃぐちゃ描かれた紙と、多様な表音文字の書き込まれた紙の二枚を、吉谷さんに提示します。大きな反応はなく、彼女は淡々と言いました。


「同様の印刷資料が、松柄さんの自宅私室からも発見されています。パソコンからは、オリジナルのパワーポイントファイルも。しかし、わざわざ外に持ち出したものであれば、何らかの手がかりになるかもしれません。お預かりしても?」

「はい。ですが、後で必ず返してください」

「分かりました。念のため、(くだん)のファイルデータは、あなたの所属している部活の共有ドライブにアップロードされているようです」

「そうなのですか? 確認します。次にですが、その、松柄さんが亡くなった要因については、お尋ねしても良い情報なのでしょうか?」

「秘匿すべき理由がない限りは。しかし、彼女の死因は、現時点ではまったく明らかになっていません。偶発的事故なのか、あるいは作為的事象なのかすら」

「ありがとうございます。昨日の今日ですから、仕方ないでしょう。お仕事中に長々と拘束するのは申し訳ないので、最後に一つだけ。自意識過剰かもしれませんが、あの人は何か、私宛てにメッセージなど残していたりしませんでしたか?」

「はい。私も、最後にお見せしようと思っていました。彼女の胸ポケットに、このような手紙が」


 吉谷さんが持つ小型電子端末に、一枚のスキャンデータが表示されました。鉛筆で記されているためか、薄くて読みづらいですが、間違いなく松柄さんの筆跡でした。綴られるのは次の短い一文。


『ミヤコ、祭りは任せたよ』


 名指し。

 胸の真ん中に灯った小さな火が、じわりと熱を広げます。

 固まったキモチがほぐれていきます。中学に入学してから三年間、文化祭企画の無茶なスケジュールをやり遂げてきて、変質して燃えやすくなった私の心で、小さな火はたちまちに、大文字の送り火が如くの華を咲かせました。心拍数が上がります。突然の雷雨を浴びて、落ちてドロドロになっていた凧が、地の奥底から湧き上がる熱波に煽られ、空高くまで一気に舞い上がりました。

 握りしめた拳の中の、受け取ったバトンの感触を確かめます。


 先輩の分まで、私、頑張りますから。


 吉谷さんが去ってしばらく、学校支給のタブレット端末で文芸部のドライブにアクセスして、前部長が松柄さん向けに作成した引継資料に目を通し、毎年お世話になっているという模擬店レンタル業者方のサイトを吟味していたら、気づけば午後一時前でした。

 午後一時とは、授業がない日の、昼間の寮食受付締切時間です。背筋がゾワッとしました。ランチを取りっぱぐれちまいます。餌にありつけず、ひもじい思いをしたい育ち盛りの少年少女がいるか? いるわけがありません。仮に「朧煙」の敷地が全面封鎖され、外部からの食糧供給が途絶えた日には、人数を減らすための強硬手段に出る覚悟があります。慌てて部屋を出て、車輪で廊下を滑ると、すれ違った下級生から「爆走車!?」と慄かれました。

 食堂に入った途端、降りかかるのは寮母ババアの怒鳴り声。


「ミヤコォ! 廊下は高速道路じゃねぇんだよ!」

「時速30km(キロ)リミットは守ってますがあ?」

「生活道路でもねえよ! んなもん人間が短距離走以外で破るな! 作んなきゃダメなのかい!? お前専用の交通標識を!」

「締切が早すぎるんですよ寮母ババア。もっとゆとりある経営を心がけなければ、過熱する飲食店間競争に、あっという間に置いて行かれますよ」

「こちとら採算度外視の百パー善意でやってんだが? あたしにも飯の支度以外の、寮母ババアとしての仕事があんだよ! いやミヤコ、また寮母ババアと呼んだのかい? 皿洗いをご所望なのかい!? 受付時間を絞ってるのは、食いもん寝かせたら風味が落ちるからだよ!」

「知ってます。お皿洗いは遠慮しときます」


 肘掛けにテーブルを取り付けて、うるさいババアから料理を受け取ります。本日のランチメニューは、ミックスフライ定食でした。唐揚げ、エビフライ、カレーコロッケ。どれも大好物です。しかも、フライとキャベツの審判を務めるディップ用マヨネーズの塊が大きくて、テンションアゲアゲ腹減り音フルスイングです。

 寮母ババアは、金属製のカウンターに寄りかかり、攣り足みたく強張っていた眉間を緩めて、一安心したように言いました。


「昨日の夜はしょげ返ってたのに、威勢が戻ったね。辛そうな子見てるとこっちまでハラハラしちまう。空元気でも嬉しいよ」

「任されちゃいましたから。お祭り」

「そうかい。……ん? どうしたんだい? そんなとこに突っ立って」


 車椅子ごと振り返るのと同時に、所在なさげな様子で、入り口から食堂を覗き込む少女と目が合いました。

 デルタでした。


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