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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第二話 水面の月 照らす湖底

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6


プロジェクト「月嫡再臨」

第一回残滓共振調査:結果


目標振動数 35

備考)事前予測では、現時点での到達者はゼロ。


◯到達者

実験体「ベータ」 振動数 103

目標値を大幅に超過。最終到達振幅数見込100をも突破。本計画の始動前から「月童(ドウ)」の状態に達していた可能性あり (本人に自覚がないことは確認済み)。上記見込の概算用モデルを大幅に修正。結果は実験体に未通達。


◯実験体「ベータ」の口述記録

(初めに、他の実験体に向けて、自分たちに質問された内容について説明。詳細は割愛する。他の八人は実験に伴われた昂奮作用の後遺症によって放心状態にあったと見られる中、彼女だけが平常時の精神を保っていたことは特筆すべき事項である)

ベータ:目隠し後に起きた事象への感想を述べるならば、ザラザラとした包みを剥ぎ取られた瞬間、まさに上下の歯によって噛みちぎられるチーズの気持ちが分かった、というところでしょうか。

 皆様もご存じの通り、チーズを口に入れる時、歯が折れて痛い思いをすることはほとんどありません。虫歯や加齢などで歯が弱くなっていないか、スプリンツチーズのようなハードタイプのものを丸齧りしない限りは、ですが。プリンほどの柔らかさはなく、牛乳の喉越し部分をギュッと詰め込んだだけはある確かな固さに、若干の抵抗は覚えるものの、グミが持つような弾力はなく、肉に通っているような筋もなく、容易に裂け、人の体温によって口の中で溶けていきます。幸運にも、私たち健常な人間は、あの不思議な食感を楽しむ前に、如何なる覚悟も必要としないのです。

 私を覆ったソレにとって、私など、銀紙を剥がせば簡単に取り込める、チーズのような嗜好品に過ぎませんでした。噛む必要すらなく、ただやんわりと触れるだけで、私をドロドロに溶かしてしまえたでしょう。でもソレは、どういうわけか、私に病みつきになってしまわれたらしく、何度でも楽しめるよう、私の形を損なわず、あるがままにしてくださいました。

 チーズに意識があったとしても、噛みちぎられる際に痛みは感じないように、私も苦痛は覚えませんでした。なのでつい、ソレの好意を受け入れてしまったのです。そして、一体化した時の万能感と言ったら! イタリアチーズの王様と言われるパルミジャーノ・レジャーノか、ナポレオンも絶賛したエポワスにでもなった気分でした。危険ですね、あれは。

 溺れてしまったら、人間としてダメになりそうです。アレの虜にならないよう、心の防御壁をもっと厚く、もっと高くしたいと思いました。アルファたちもお気をつけて。

 以上です。


◇◇◇


「イータ、どうしました? 私の顔をジロジロと見て。ああ、ディナーの前にチーズを使った喩え話をして申し訳ありません。トップバッターなのに配慮が不足しておりました。お腹が空いてしまいますよね」


 ベータに見惚れていただけのイータ少年を除き、部屋にいた誰もが、ベータの異質さに精神を呑まれ、体を硬直させていた。アルファたちが実験後に感じていた高揚の熱を冷まし、育ちかかっていた増長の芽を折るのに、ベータの演説は十分以上の効果を発揮した。

 彼女が年齢の割に優れた語彙力を駆使し、長々と感想を述べるのは日常茶飯事だった。他の八人は、ベータの闊達な話し振りを、卓を囲む度に楽しんでいた。しかしその日は勝手が違った。子供は皆、自分たちが実験内容を共有していると知っていた。だからこそ、驚愕と混乱が彼らの心を支配した。アレを体験してなお、通常運転を続けられるなんてあり得ない。

 ベータ以外の誰一人として、自らの体験をすぐに言語化出来る状態の者はいなかった。しばらくの間、彼女に続く報告者は現れなかった。引っ込み思案な性格のデルタが、自分にお鉢が回ってくるのを恐れて、最年長のアルファに視線を向ける。そもそも、いつもであれば、我先にと話し始める子供はアルファだったのだ。しかし、この場で最も大きな衝撃に打ちのめされ、上の空になっていたアルファが、デルタの期待に応えることはなかった。

 気まずい沈黙に耐えられなかったのだろう。ベータが言葉を続ける。


「チーズと言えば、一度だけ、お母さんとカッテージチーズを作ったことがありまして。牛乳にレモンジュースやお酢などの酸性物質をかけ、ホエイと分離させれば出来る、簡単なチーズです。味はまあ、正直に言ってしまえば、三口目から気持ち悪くなってくる感じでしたが、お母さんをガッカリさせたくなかったので、我慢して食べました。今でも思いますが、あれ、素材のまま摂るタイプの食べ物ではないですよね。あはは。お母さん、元気にしてるかしら」


 ベータはまだ知らなかった。彼女の母親が、プロジェクト「月嫡再臨」の首謀者、荒屋朔一郎から一億円相当の物品を受け取り、娘の誘拐を黙認したことなど。家族の絆も、場合によっては、賄賂という酸性物質によって簡単に分離されてしまう。自身をチーズに見立てた当人にすら、野望を果たすための供物(チーズ)になったという自覚はなかった。停滞した日本経済の発展に寄与するだろう研究の、名誉ある参加者だと思い込まされている。晴れて実験が終了したら、母親が彼女のことを、大手を振って出迎えてくれるとも。

 子供たちの境遇は、誰もかれも似たようなものだった。ベータからイオタまでの八人は、欲に負けた保護者に見捨てられ、誘拐されて研究所(ラボ)に来た。彼らは月の魔力に適性がある稀な体質の持ち主だった。超常的存在に選ばれた、その特別感に抗える人間は少ない。子供であれば尚更である。君たち「ルナ・チルドレン」は、次世代を担う未来のスーパースターだ。まんまと甘言に乗せられた彼らは、違法な実験に嬉々として協力する哀れなモルモットと化した。

 アルファだけは事情が違った。彼女の本名は荒屋(まどか)。「月嫡再臨」を主導する荒屋朔一郎の曾孫だった。曽祖父が目指す真の目的地を知っていたし、自分以外の実験体が、騙されただけの可哀想な子供であることも分かっていた。プロジェクトの違法性や暴力性への認識も明確だった。しかし、地球土着の法則に縛られた社会の限界が徐々に明らかになる中で、朔一郎の主張が間違っているかどうかの判断は、九歳の彼女にはつかなかった。曽祖父の方針に反発し、父の殴打で畳を転がり、終いには勘当された姉、盈の姿を思い出しながら、円──アルファは、姉の二の舞にならぬよう努力するしかなかった。

 物心ついた頃から、彼女は実験体「アルファ」だった。他の実験体たちに芽生えつつある「発受信体(ラジオ)」を、プロジェクトの開始段階からすでに所持していた。その扱いには一日の長がある。「月の使者」の遺骨が纏う残滓との共振を占う初期モデルは、彼女のプレ実験データに基づいて作成された。此度の調査で最も優れた結果を出すのは、アルファであるはずだった。

 実験後にベータが見せた余裕が、彼女の驕りに刃を突きつけた。才能ある後進の方が、「発受信体」を上手く制御してみせた。

 集まる視線にようやく気づき、茫漠から回帰したアルファは、慌てて実験の感想を述べる。幼稚で凡庸な言葉しか出てこない自分の口に、改めて失望した。ペンダントランプの曇りなき光が、普段よりも眩しく感じられ、目に鈍い痛みが走る。取り繕った笑みの裏側に、仄暗い影が差した。


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