45
スマホの充電で例えるならば、10%を切った残量が赤く表示された頃合いでしょうか。戦闘があと三分も続けば、足の歩行補助ロボットは維持出来なくなり、いつもの車椅子に帰ります。車椅子の儚げ可愛い系ヒロインは当然戦えませんから、敗北は必至です。状況、割とウ◯トラマンじゃないですか? 血が滾ります。
私と「月の使者」、彼我の差は百メートル強。超常の力を持つ私なら、一足飛びが出来る距離──ただし、足場がマシュマロみたくフワフワになってなければ。見た目は格調高いというか、それこそ各国指導者が集う国際会議場に使われても恥ずかしくない荘厳な黒大理石なのに、シュールにも程があります。
まあ、一歩でダメなら数歩刻むのみです。当初の見込みよりも小粒なジャンプを軽いタッチダウンで締めて、私は、またぞろ地面を蹴り上げました。あと二回も踏めば、マシュマロ大地を移動するコツも掴めそうです。
安全に練習を積まさせてもらえるはずないのですけども。
柔っこくなったはずのステージにバキバキと亀裂が走り、山折りの要領で盛り上がって、行手を塞ぐ塀となりました。それは見上げても端が見えないくらいになって、うねりを伴いながら倒れてきました。精鋭を揃えた軍隊であっても、二次元的な展開しか出来ない場合は壊滅を免れない、超大質量の津波。
ちっぽけな私の体は、瞬く間に影に覆われます。
「洒落臭いですねえ」
物理的な範囲攻撃、私には有効じゃないんですよね。押し寄せてきた弾性ある岩塊に拳を突き当て、発生した私由来の振動を増幅します。すると、固体を形成する分子同士の結合でも、特に弱いものについては外的な撹乱に耐えられずにぶちんぶちんとちぎられていき、マイクロ単位に砕かれる。「発受信体」の自動防御がない存在なら、どうとでも料理出来ます。一般人含めてね。やりませんよ?
パラパラになった結果、光を通すようになって白くなった黒大理石の粉末が、髪・皮膚・服にかかります。差し詰め、今の私は灰かぶり姫。ピュアな心を持つビューティフルヒロイン。ガラスの靴は、履くより履かせたい側なのですが。サイズを測ると称して足を触りまくりたい。えへへ。
凸凹になった大地のあちこちから白い雷のビームが飛んできます。こちらは実体がなく、殴打に伴う自然的振動の増幅で分解出来ないから厄介です。白い雷を消すに足る震動を、自ら作ってぶち当てなきゃ消せない。しかし防御にMPを割く余裕はありません。ブヨブヨの心許ない足場では、上半身を主体にした重心移動で舞い踊るように躱すのが吉です。
突如として舞踏会に咲いた美しき花、シンデレラさながらに。
「ちょこまかと! ハエかそなたは!?」
「誰がハエかっ野糞の化石がぁあ!!」
ブチギレます。おのれ、12000年前の、ダンスのダの字も知らぬ愚昧な未開人風情が。存在だけで死刑の癖に罪状の上塗りまでかましやがって。来世も死刑をご所望ですか? 予約入れてるんですか? ぶっ殺してやる。ぶっ殺してやる。
清らかなる正義の炎に薪を焚べて燃え盛らせる一方、周囲の変化を把捉し分析にかける冷静さもまた鋭くなります。私のつぶらな瞳は、戦争地帯の谷を挟む急峻な坂、点在する白い川の干上がりも、きちんと認識しておりました。川を構成していた粒子が、「月の使者」の手に集まっていきます。
背筋がゾワります。アレはヤバいです。
避ければ済むってもんじゃない。必殺技ってヤツですかね。決めにきましたねえ。「月の使者」は戦いを長引かせたくないようです。足ロボットの制限時間には気づいていない模様。それだけ見れば大変素晴らしいニュースですが、アレを打たれたら終わりです。
都合の良いことに、私を襲う白い雷の展開が甘くなっていきます。あの技の発動には凄まじい集中力を求められるのでしょう。表情はなるべく険しく保ちながら、内心でほくそ笑みます。
さて、私もいっちょやったりますか、必殺技。
自信はありますよ。デルタたちが生きていた、それすなわち、暴走する月の紛い物を仕留めた実績があるということですからね。
自分自身を銅鑼に見立てて、「発受信体」の震動でガンガンと打ち鳴らします。壊れそうになるくらい掻き混ぜながら輪郭だけ綺麗に保つのです。破壊と創造の両立、無法と秩序の並列。陰と陽とを同値にしながら、ゼロ測度での不突合を許容します。
出力の形が定まったのは、互いにほぼ同時でした。
「鳴神祓──」
「β崩壊放出」
けれど、こちらの方が僅かに速かった。「月の使者」が起こそうとした奇跡は、真の意味での完成を前に消失します。彼または彼女の奥の手だったのだろう、高密度のエネルギー体は、冷えた灰色の砂となって崩れていきました。質量を置き去りにする神速に乗り、彼または彼女の胸部に威力なき掌底を喰らわせた私の隣で、熟成に熟成を重ねて腐り切った泡沫の夢はただ萎んだのです。
「勝利の女神は私に微笑みましたね」
「なにを……した……?」
「現代風に喩えるならば、現世と桃源郷を繋ぐ動く歩道の電源を切断したといったところでしょうか。いや申し訳ない、あなたには通じない説明ですね。要は、月の湿潤なる幻想と渇いた現実を乖離させました」
「馬鹿な……、あり得ぬっ!? 12000年前の再現ではないか!」
褒められるのは吝かではありませんが、恐縮します。さすがにまだ、そこまでは到達出来ていないので。現に、あなたの生命活動はシャットダウンされておりません。死なれても困るのですがね。聴取したいことがあります。
異空間つきがむらのドームにヒビが入り、上の方から霧散していきます。結界の中の光を反射して煌めく塵たちは、北国の冬に見られるというダイヤモンドダストを彷彿とさせました。寮母ババア曰く、朧煙でも昔は観測されたらしいのですが、地球温暖化の影響で発生しなくなったとのこと。残念かと尋ねたら、水道が凍結しなくなって良かったと返されました。
周囲の光景がガラリと転換します。二つのゴツい懐中電灯が眩しいだけの、暗い採石場に戻ってきました。うつ伏せの「月の使者」を足ロボットで仰向けに転がします。元々十歳程度だった風貌が、もっと小さく縮んでしまって、五歳ぐらいになってます。雑魚ガキです。
「じゃんじゃん吐きましょう。まず、台地の地下に侵入した人を殺した理由」
「ふん。我の力の残滓にすら耐えられず、勝手に死んだだけよ」
鳩尾を蹴り飛ばし、洞窟の壁にぶち当てました。バウンドしてきた矮躯の頭を踏み付けにします。
「嘘は分かります。本当は?」
「……只人に棲家を荒らされ不快であった故、潰した」
「明確な殺意があったと。あなたを滅すれば朧煙の呪いは絶える」
「我を、月の寵愛を受けし我を殺すつもりか!?」
「はあ? 一万年よりも長い期間を生きてきたくせに、往生際の悪い奴。当たり前じゃないですか。物理法則から逸脱した力を邪悪な意思の下に振るう危険な異物。現代社会の撹乱因子が。置いておくわけないでしょう。今世に。後世に」
「そなたとて! なり得るではないか! 我と同じモノに──」
「見縊るなあっ!!」
声に滲ませた怒りが、狭い採石場にハウリングしてしばし留まりました。
「私は守ります。文芸部が憂いなく文化祭に臨める世界を。守るためなら死んでみせましょう。いつでもです」
「っ……。……。…………。なるほど、酔狂な。要領を得ぬ」
来ると思っていたよりも、ずっと弱々しい罵倒でした。疲弊しているのでしょう。月の力を剥がされかけて、石黒家当主の黒乃さんが作った核に、意識をしがみつかせるだけでも苦労してらっしゃるはずですし。
ふと、体のバランスを崩しかけます。「月の使者」のせいではありません。「発受信体」の限界が近づき、車椅子の変形が解けかかっています。急いで口を開きました。
「次、というか最後になりますが。松柄さんを殺したのは、お前ですか?」
私にとっては大本命の質問でした。足ロボットの踵を捻ります。頭蓋骨を軋ませて、呻きを上げる「月の使者」。絵面的には完全に子供の虐待ですが、子供側の実態は、長きに亘って朧煙の奥に巣を張り続けたまごうことなき怪物なので、誤解なきよう願いたいところです。
返答はありません。しばしの静寂。頭がカッと熱くなります。なぜ言葉を躊躇うのか。
早く言え。早く。私に事件の真実を教えなさい。
「焦っておるのかや? そなた」
絶体絶命のシチュエーションにもかかわらず、「月の使者」はそう煽ってきました。しまった、見抜かれた。喉がヒュッと渇くとともに、自らの失点を嘆きます。
「石黒の血が混じっていたからかもしれん。松柄風水には月の興を引く素質があった。我はあやつに夢で接触したことがある」
動揺してポンコツ化した私に、彼または彼女は情報を畳み掛けます。
「もし、あやつの死が、我の手を取らなかったが故の結末と言ったら、そなたはどうする?」
やっぱり貴様のせいなのか? にしては引っかかる言い方。湧き上がる憤怒と疑問によって、感情がオーバーフローを起こしました。もう訳が分かりません。
刹那、背後から死の気配を嗅ぎ取ります。大きな身振りで回避せざるを得ませんでした。結果、「月の使者」への拘束を外してしまいます。白い雷のビームは黒大理石の岩壁を穿ち、幼児なら通れるぐらいの穴を開けました。まだこんな力を。
私の咄嗟の反応含めて計算通りだったのでしょう、一目散に駆け出した「月の使者」は、小さな体を穴に滑り込ませます。
「待っ……!?」
恐れていたタイムリミットが訪れました。足ロボットが車椅子に戻ります。地べたに投げ出されて無様に転がる半身不随の私では、追いかけることは不可能です。
「そなたが住む世を見とうなった! まだ死ねぬのう! あはははは!」
「待ちなさい! この外道! 老害が! 大人しく首を差し出せっ」
「また会おうぞ防人都! あぁはははははははっ!」
無駄に響く高笑いのボリュームが、段々と下がっていきます。場に残されたのは、這いつくばりながらもあらん限りに手を伸ばす、哀れな少女だけでした。




