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殴り方を私に教えてくれたのは、荒屋朔一郎を主犯とする大規模児童誘拐事件の調査官であり、そして盈さんのヒーローでもあるムキムキのおっさんこと鵜飼さんです。彼の指導に則って、指の付け根に爪を食い込ませる形で右の拳を握りました。通常の三倍の硬度になった鉄拳が、「月の使者」の左頬を精確に捉え、その矮躯を吹き飛ばします。ビリビリと伝わってきた反動を「発受信体」の震動で相殺し、ダメージになることを防ぎます。
あれ、と不思議に感じました。綺麗に当たったぞ?
おかしいな。格上の相手なのに。そりゃあ、当てようとしましたけども。
まるで、何千年も山奥に鎮座する巌を打ち付けたかのような重さでしたが、手応えはありました。安心します。黒大理石の大地から飛び出た白雷を浴びても無傷だったため、ひょっとすると彼または彼女は、少なくともこの空間では攻撃無効になるのかもという懸念がありました。
さすがにそこまでチートではなかった。
「……ほう。疾い。避けられなかった」
空中で体勢を立て直し、危なげなく着地した「月の使者」でしたが、反応からして驚かせは出来たみたいです。左頬を触った彼または彼女の指に、焼け爛れた皮膚がぐっちょり張り付きました。
「水を成す細かな粒に震動を与え、熱を呼び沸騰させる。接触した箇所のみとはいえ、使者相手にこのような芸当。ありし日の我であっても困難であろうな」
「すごいでしょう。『ルナ・チルドレン』でも、『発受信体』の自動防御を抜けられるのは私だけでした」
「只人ならいくらでも焼けるのだがなあ!」
「それは逆に無理ですね。心理的に」「つまらぬ」
話を交わす間に火傷は治癒されました。顔半分を炭化させるつもりでやったんですけどね。年の功というヤツで、習熟度に差があるのでしょうね。いや、それだけではなく、このつきがむらなる固有空間の中では、乗数効果的なメカニズムが働き、むらの長に備わっている「発受信体」の基礎出力が底上げされるのかもしれません。対照的に、私の方は少し調子が悪い気がします。部外者にはデバフが掛かる?
それと、使者の肉体に直接干渉するのは困難だと宣言されましたが、能力を過小申告していらっしゃるのでしょうか? 本当だとすると、先ほど私の歩行補助ロボットに干渉したことに説明が……、付きますね。ロボットが「発受信体」による自動防御の対象でなければ。抜かりました。暇な時にでも検証しておけば良かったです。宣言の真偽は重要で、もし本当なら安心して仕掛けられますが、嘘ならば、安易に近づくのは危険です。電子レンジで温められた殻付き卵みたいになるのはごめんですからね。
攻め方を吟味する最中。
「迷うたな」
足元、黒大理石に走る白線が倍増しておりました。それらが白雷となり、私に向かって続々と発射されます。ようやく狙いに気づきました。敢えて相手に取っ掛かりとなる情報を与えて思考させ、次弾装填のための時間稼ぎとする。
「……っ!?」
「ひよっこめ。ブタを掴まされおってからに」
殺意の殺到、360度。
甘さは毛ほども残されていない。生物的な母親とのカスみたいな生活から始まる走馬灯を全力でキャンセルし、歩行補助ロボット右の脛から足首までの部分を刃に変形するよう念じました。七年も連れ添ってきた相棒こと車椅子は、私の命令に即応し、望んだ通りにメタモルフォーゼします。
金属切断用のマルチツールを想像しながら、刃先に高速かつ微細な往復振動を与えます。右足を大きく蹴り上げました。前方の白壁が切り裂かれる。軸の左足を大地から離して背中側に倒れ、頭を打つ前に両の掌で体を支えます。曲げた腕を伸ばして跳ね飛び、無理矢理作った殺意の隙間に体を押し込みました。
脱出成功。
待ち受けるのは第二の白壁です。突破された場合の備え。慎重です。意表は突かれました。でも、明らかに薄っぺらい。ウエストをぐにゃりと捻り、胸を下に向けた反動を使って、右足の鎌を落としました。裁断された雷の編みレースは、形を保てずに崩壊します。
「ふぁっ!?」
目玉がこぼれ落ちそうなほど、瞼をかっ開く「月の使者」。紛れもなく本物の感情でした。人体の活発な躍動に驚いておられるご様子。こんなの、「ルナ・チルドレン」が末っ子のイオタでも頑張れば出来ますよ。多分。
ははあん、と内心でニヤつきます。さてはステゴロ苦手だなお前。生身のポテンシャルを信じていない。そりゃあ、12000年前の世界から来たなら、栄養不足とかの問題もあって、運動能力の基準とかもだいぶ下がるのでしょうけども。
とにかく、理解しました。あなた、近づかれるのが相当嫌なんでしょう? 強者オーラに無意識に気圧されて、一度ノされる前は、まんまと引っ掛かりました。肉弾戦を挑んだ時には、ブランクと不自由な足への不安があったことに加えて、強烈なカウンターを恐れてしまって、イマイチ踏み込めなかった。得体の知れない相手に一先ず様子見する姿勢、それが間違いだったのです! 中途半端な打撃など、躱すだけなら難しくなかったでしょうね。スピードはあるようですし。でも、戦い方を思い出した私の方が速い。
彼または彼女にとって、頬を殴られたのは想定外も想定外。そして確信したのです。スピードの分は敵にあると。白兵戦を挑まれるのは不味い、だから咄嗟に、直接干渉の不可能性に敢えて言及した。ブラフを匂わせ戸惑わせ、その隙に勝負を決めるために。もし出来ると嘘を吐かれていれば、即座に見抜けておりました。ヒットの瞬間に拳を灼かれなかったので。
最適解は明らかでした。思い切り良く肉薄します。
狼狽えず、恐怖せず、引かず、捨て身で。
「余裕ぶりやがって。すっかり騙されましたよ! 誰がひよっこですかぁ、この演技派もやしっこ! ひょっとして、虚勢っ張りにつきがむらとやらを拵えたせいで、もうスッカラカンなんじゃないですか!?」
「仕方なかろう! 久方ぶりの寝起きぞ」
「先輩風吹かせる前にきっちり無力化しとくべきでしたねえ!」
「そなたがここまでの豪傑と知っておれば……、痛ぁい! やめんか!」
形勢逆転です。やめろと言われてやめる馬鹿はいません。手足を満遍なく振るい、あらん限りの乱打を叩き込みます。もちろん、火傷ダメージも忘れずに。回避は許しません。
しかし、苦痛に泣き叫ぶ情けない姿とは裏腹に、「月の使者」が現世に留まるためのエネルギー的なモノは、勘ですけども、さほど減っていないように推察されます。「巌を打ち付けたかのよう」という感想に変化はありません。同類だからこそ断言しますが、元からこんなに硬いというのは、いくら超常の力を持っていたとしてもあり得ません。やはりつきがむら主催者の特典でしょう。ズルい。
削り切れない。焦りが募ります。有限の時間に引き出せる震動は無限ではありません。このままでは、歩行補助ロボットの変形が解除され、元の車椅子に戻っちまいます。ジリ貧を回避するには、大技に賭けるしか──ああ、また! 反撃を始めてからずっと、足ロボットの操縦に何度も妨害が飛んできます。初見殺しも来ると分かっていれば防げますが、実にうざったらしい。
「なぜ靡かぬ、使者らの傑作【月ヶ邑】をくれてやると言うたのだぞ。痛い痛い、と言っておろうが、調子に乗るな小娘がぁっ!」
近接戦闘はまるでダメらしく、足ロボットへの介入以外はロクな対処をしてこなかった「月の使者」が、クレーマーたらしく吠えました。十歳くらいの見た目もあって、ガキの癇癪みたいですねと煽ろうとした瞬間、彼または彼女を中心に、空気が、黒大理石の大地ごと撓みます。人間の体は軽く、大質量のダイナミクスが持つ物理的強権には抗えません。遠くに弾き飛ばされました。
舞い降りた先で即座に体勢を立て直し、腰を溜め、「月の使者」に向けて一直線に跳ぼうとします。が、足ロボット左側の接地面より、擬似神経を伝ってきたのは、岩盤にあるまじきブヨッとした感覚でした。力が分散して逃げてしまい、ジャンプ距離は格段に縮みます。
「はっはっはっは! 戦士は足場を弄られれば終わりよの!」
クソジジイの下では、「発受信体」の力で周囲の環境にどの程度影響を及ぼせるかの実験も頻繁に行われました。温度や組成の変化など、色々やらされた記憶があります。その中には、床の構成分子たちをバラバラに震動させて可塑性を付与するといったものもありました。デルタが得意でしたね、あれ。私はあんまりで、すぐ近くならともかく、十メートルでも離れたら、ちょっと柔らかくするぐらいが限界だったのですが。
だから、「月の使者」が見せた力には素直に感心します。美しいという印象すら抱きます。こんなことが出来るなんて知りませんでした。つきがむらのバフがあったとしても、広範囲を把握し環境に作用し続けるなど、並大抵の業ではありません。あなたが積んできたのだろう研鑽に敬意を払います。言葉にはしませんがね。
ええ、あなたに賛同しましょう。月の力は凄いです。
故にこそ、表に出してはいけないという信念が、さらに強くなるのです。




