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自慢ではありませんが、「ルナ・チルドレン」九人の中で最も上手く力を扱えたのは、私でした。単位時間当たりに生み出せる震動の数も、震動エネルギーのレンジも、震動処理の精緻さも、全部私が一番上だったのです。
だから驕ってしまったのでしょう。月によって引き出された新たな可能性を隅々まで把握出来たと思い込み、見える範囲でその価値を割り出しました。超常の力であることに疑いの余地はありません。しかし、普通の人たちが連綿と繋いできた、雑多で美しい世界の形を改善するほどのものは見出せませんでした。
翻って現在、想像すら及ばなかった極致の暴力に、価値観の転換が迫られております。血を失ってぼんやりする頭で、クソジジイの目が眩んだ訳が、初めて納得されました。なるほど、コレは確かに、平坦でつまらない世界の摂理を根本から捻じ曲げ得る。
でも、たとえそうであったとしても……。
「先達として、そなたに幾許か講義をしてやろう」
上から話しかけられます。「月の使者」の声音は、高三の部長が中一の新入部員を諭す類の優しい調子で丸みを帯びていて、闘志の昂りは完全に消え失せていました。油断ではありません。両方の肩と二つの肺、加えて肝臓をもやられた満身創痍の私には、反撃の目などないのですから。
私の反骨精神も、急速に萎んでいきました。体の修復に力を注ぎつつ、彼または彼女の言葉に耳を傾けます。
「はるか昔、価値の源は、人と土地のみであった」
無性別の小さな体が、私の頭の横に腰を下ろしました。
「文字はなく、数の概念は薄い、知の面では今とは比較にならぬほどお粗末な時代。生命に躍動もたらす刺激とは、すなわち、良き隣人と良き土壌を囲うこと。糧を作らせ、宮を建てさせ、雑事の世話をさせ、喋らせ歌わせ、見目良き者を侍らせる。滋養が足らず浅慮非力で、一寸した病気で死ぬ只人にそれは叶わぬ。しかし、月の寵愛を受けし、只人とは隔絶した力を持つ者たちには、手を伸ばせば届く望みであった。我らの選択肢は、より穏健な守護と管理か、より過激な支配と略取か」
懐かしむように遠くを眺める「月の使者」。彼または彼女の視線を追っても、黒大理石の上に打ち立てられた、白い粒子の川がいくつも流れる、摩訶不思議な領域しか見えません。文章も計算もない社会とか、アナログ・デジタルの情報に塗れた、生粋の現代人であるところの私には想像もつかない。
「ほとんどの使者は支配と略取を選んだ。力を誇示し、逆らえば殺すと脅す。恐怖で以って只人に尽くさせる。理に適う部分はあろう。何せ分かりやすい。使者は月の力を鍛え、あとはふんぞり返っておれば良い。されど、踏みつけられし脆き只人は死にやすくなる。死なずとも暗くなる。適応障害になると言えば、深刻さが伝わりやすいか。すると、生み出される価値は味気がなくなる。さながら、絞り尽くされ渇いた果実が如し。故に我は、守護と管理を選んだのだ」
彼または彼女の昔語りは、淡々としていて、かつ理性的でした。ひょっとしたらこの人は、話が通じるのではないかと期待させるほどには。
「我が邑は栄えた。人は殖え、地は実った。人は我を春天の月と称え、地の利を喜んで納めた。頂にありて只人を瞰望する我が宮には、平らげ切れぬ価値が集まった。盈月が夜には、献じられた品と美少年を啄みながら、蒼黒に映し朧げなる白き光に浴した」
昔はオレ凄かったんだぜ自慢。老害仕草は鼻につきます。しかし、嘘を吐いている、あるいは話を盛っている感じはせず、力を持たざる人々にとって、こいつは良き主君だったのではないかという印象が芽生えます。
認識を、改めるべきなのかしら。こいつは、強者による弱者の蹂躙をあるべき秩序と発言しました。でもそれは、口語コミュニケーションにはよくある、意図したよりも強い言葉を使ってしまうミスだったのかもしれません。「月の使者」を平和にとっての毒と決めつけて喧嘩を売ったのは早とちりだった? 彼または彼女の要求を呑み、月の紛い物を召喚して明け渡したとしても、テキトーに王様ごっこでもさせて、少しだけ大きそうな自尊心さえ満たせば制御出来る?
「しかし、豊かであれば狙われる。他の使者からな。そして、力を持つ者同士の争いを前にすれば、只人の命なぞ風前の灯、土地にとっては災害である。価値の源を徒らに失うのは面白くない。我含む、守護と管理を旨とする少数の使者は交信を行い、密に相談を重ねてこの【月ヶ邑】を練り上げた。使者の戦いから人を守るための隔離空間としてな」
長々とした説明は、私を当惑させた魔術の誕生秘話にまで辿り着きます。
「化身の器に移り、我がそなたの相棒となった暁には、【月ヶ邑】を教えよう」
「……はあ。これ、覚えられるもんなんですか?」
「無論。ゼロから術を作り、試行錯誤しながらの習得には、百年以上の月日が掛かった。が、型はもう完成しておるし、そなたなら半年もかかるまい」
一瞬だけ、「月の使者」の視線が足の補助ロボットと化した車椅子に向けられます。つきがむらとやらは、「発受信体」による道具の眷属化、シータが呼ぶところの「月喪神」化の応用技術なのでしょうか。
傷は徐々に回復してきました。釣られたばかりの魚みたくビタビタ跳ねまくるぐらいなら支障はないでしょう。もうすぐ戦えるようになる。
尋ねました。
「私に修行をつけ、強くしたいと。目的は?」
「決まっておろう」
即答。迷いなく。寸分の遅れすら、彼または彼女の存在意義を失わせるということ。相対する中性的な顔の中、眼輪筋が下の瞼を押し上げます。
「そなたを介して世界を支配し、略取するため」
余裕のある爽やかな微笑み。額縁に飾るなら、表題は『絶対悪』とするでしょう。雄々しく美しい足を千本書き加えたとしても、吐き気を中和出来そうにありません。直感はまったく間違っておりませんでした。さすが芸術肌の私、実に頼りになるセンス。
「昔は穏健派だったとお聞きしたばかりなのですが、理由を伺っても?」
「只人を生かし扱き使う技術が進歩し、物が残るほど溢れる現代ならば、そうでなかった時代の抑圧に封じられし本性の解放にも耐えるではないか!」
奥歯が軋みます。反吐が出る。分かり合う余地は微塵もない。
かつて良き主君を演じたのは合理性から、それは理解出来ます。優しさも手札の一つですからね。しかし、優しくする必要がなくなった段階で暴虐に走る心を止めるストッパーというか、プライドがないのはいただけません。
一時的に萎びていた内の火種が、また熱くなってきました。痛苦を堪えて再び立ち上がり、小柄な「月の使者」と対峙します。彼または彼女の表情が、どんどん不機嫌そうに歪んでいきました。
醜いですね。雰囲気が剣呑になります。
「チンケな誇りよの。我らと只人の間には、巨人と小人の隔たりがある。自由な小人の国で、常に身を折り畳む巨人は滑稽ぞ?」
「いいえ。私はそうは思いません。愛する小人と丈を合わせようとする姿勢、美しいじゃないですか」
「小人を圧倒する巨躯に不審を抱かれれば、直ちに街を追われよう」
「遠くに離れ、パースの妙で目線を並べれば、通じ合えるかもしれません」
「小人どもはありのままを賛美する。それはまさしく、自己満足の遊戯に水差す不都合の黙殺なり。小人の慢心は巨人の献身を顧みず、ただ等閑に付すのみ」
「小人たちの健気なお遊戯会を陰から楽しみ、努力を讃えて拍手を送る。真に大きな者は、大きさで以って小さきを脅しません。外から愛でて余白を慰めるのです」
「余白だと? 我ら月の使者と只人の、埋められざる格の差を、慰めるべき不足と申すか? 道理を弁えぬ青二才が」
キレた老害、自ら始めた問答から脱線。レスバは私の勝ちです。イェーイ。
腕を組んだ「月の使者」が、左手の人差し指でトントントントン、二の腕を叩き始めました。ガチでイラついてます。煽り耐性低い。生意気な態度で上の世代をムカつかせる、なかなかない貴重な機会です。世界史で満点を取った気分、平均ライン越えたことないですけれども。
「そなたはなにゆえ只人を愛する? 恋人でもいるのかや? 欲の発露は強者の本懐。世界を傅かせれば、好みの男を侍らせ放題ぞ?」
「対等じゃないのは嫌ですねえ」
特に湯ノ原とは、と口を滑らせそうになって、慌てて唇を閉じました。
はあ? むしろ湯ノ原なんか、奴隷にして首輪を付けたいが? いやでもそれは普通に、「月の使者」が言う支配と略取じゃないですか、息を合わせて二人三脚でやっていくべきです。綺麗事では? 二人の足首を繋ぐバンドがあるなら、湯ノ原の両足を縛って逃げられないようにしろ。
脳内に勃発した天使と悪魔の喧嘩に、うるさい! と一喝します。そんなことをしている場合ではないし、第一、かわいい私を「足が動かない代わりに車輪を手に入れたゴリラ」などと宣った男なぞ、どうでもいいの極みなんですからね! すると、天使と悪魔は、やれやれと肩を竦めつつ、こちらを鼻で笑ってきました。なんやねん。
解せません。
「解せぬな」
「月の使者」は嘆息し、あらんばかりの憐憫を垂れ流します。心なしか、周囲を取り巻く白い粒子の川まで、流れが遅滞したように感じます。
「月の覚えがめでたき我らと、そうでない有象無象が、対等? 冗句も大概にせよ。ハァ……、惜しいがもう良い。そなたは死ね」
「私を殺す機会はもうありませんよ」
「ははは。死にはせぬとたかを括っておるのかや? 使者とて不死ではなし。そなたを殺して代わりを当たる」
「代わり?」
「でるたよ」
お前、デルタに手を掛けるつもりか。問うより先に、私は、不遜な化け物に踊りかかっておりました。




