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特製歩行補助ロボットで登った先、視界の開けた明るい高原では、強い風が吹き荒れておりました。名も知らぬ高山植物たちが、飛ばされないかと心配になるくらいに激しく煽られています。私たち女性陣の髪と同様に。朝の起床後、盈さんに整えてもらったセットがグチャグチャです。巻き癖のある髪質なので、帰って鏡を見るのが怖い。サラサラストレートな御影さんが羨ましいです。
少し話が脱線しますが、高山植物については無知な私でも、園芸植物であれば人気な品種くらい分かります。何故かというと、寮の出入り口で花壇の世話を焼く寮母ババアに捕まってしまった場合、土の質や苗の育ち具合、花の出来栄えなどについて延々と自慢されるからです。無視しようとすると飯の量が気持ち5%弱減ります。極悪非道です。とにかく、興味の範囲外に関する記憶力は無に近いにもかかわらず、寮母ババアのガーデニング話をちょっとは覚えてる私、偉すぎでは? あ、高山植物について無知と言いましたが、低地の草木と比べて根の強度が大きい傾向にあることは知っています。人間も、山育ちは良い足が多い。
さて、高原地帯に入ってしばらく、一人だけバックパックを背負う黒乃さんが、風に負けじと張り上げた声で言いました。
「ここが、松柄風水さんの死亡現場になります」
案内された場所は、学校から直線距離で500メートル離れた丘の頂上であり、朧煙台地で最も高い地点に当たります。海抜なら1,100メートルだそう。道理で風が冷たいわけです。慣れない歩行をこなしたばかりのせいか(周りとペースを合わせるのが地味に疲れます)、今は涼しく感じるくらいですが、ここに止まったまま動かなければ、直に凍えてしまうでしょう。
背の低い植物たちが疎らに生える地べたを見下ろします。白い十字の印が三つ、釘によって縫い付けられていました。それぞれ頭、胸、腰を表すのでしょうが、向きは判別出来ません。ミステリージャンルに分類されるフィクション作品の影響で、遺体の位置取りにマスキングテープが使われているイメージがありますけども、そうした措置を講じられないのは、やはり、頻繁に吹く強風のせいなのでしょう。手向けの花束すら無慈悲に蹴散らされそうですし。
気が済むまで黙祷したいところですが、連れ立ってきたパトロンに悪いのでやめておきます。黒乃さんは許してくれそうですが、御影さんや夏端さんはだいぶ寒そうにしてますから、私の用事はなる早で済ませてしまいましょう。右胸に備わる「ルナ・チルドレン」特有の器官「発受信体」に集中し、震動の波紋を広げ、返ってくる波によって周辺の詳細を把握します。どんな小さな違和感でも逃さぬ心づもりでしたが、松柄さんの死因は地形に作用するものではなかったようで、サーチは空振りに終わりました。しかし。
「……っ!?」
目を見開きます。二つのチーズが衝突し、混ざり合ったかのような感覚でした。ぞわりと怖気が走ります。九人の中の「ベータ」だった日々、特に、「月嫡再臨」最後の実験、「ルナ・チルドレン」同士で協力し、月の紛い物を呼び出した記憶が想起されます。驚愕によって、機械仕掛けの足元に視線を集中させました。分かりやすい反応だったのでしょう、御影さんから尋ねられます。
「どうされました? 防人様」
「『返信』がありました。明確な意思の下で為された応答です」
呼ばれています。精神の弛んでいた部分に冷や水をぶっかけられて、無理矢理に引き締められた気持ちになりました。自覚すると恥ずかしいものの、認めるほかありません。真面目にやっていたつもりだったのですけれど、私としたことが、特別な力を持つ者として恭しく扱われて、心のどこかで悦に浸っていたようです。
返事の主は何者なのでしょうか。少なくとも、波の機微を利用して情報を伝達出来る、そして、こちらが発した震動に意味を見出すくらいの知性がある。後者は特に大きな問題でした。どういう目的で私を呼び出そうとしているのでしょうか。単に、おかしな能力を行使した存在に興味を引かれたからか、あるいは、石黒家が私に接触を試みた理由と同じ?
「防人都様」
黒乃さんが話しかけてきました。
「ここから西に百メートル離れた場所に、石黒家の、それも台地の地下にひしめく殺意に耐性のある者専用の採石場があります」
「高ければ高いほど、質の良い黒大理石が採れるとお聞きしましたが。どうして、最も標高のあるここにそれを設けなかったのでしょうか」
「初代当主が忠告したからです。劇毒が過ぎる、やめておけと」
指し示された方角へと進みます。見るからにコンクリート製と分かる、直方体型の地味な小屋がありました。中に入ると、真っ先に目についたのは、小窓から差し込む陽光に照らされた鉄製のハッチ。それ以外には何もない。
夏端さん、ドライバーの中年女性さん、あと盈さんは外での待機を薦められておりました。大人しく従うようです。真冬ならともかく四月も末、小屋を風除けに使えば山の寒さも我慢出来ます。
黒乃さんの分厚い掌がハッチの取手を掴みました。重そうな蓋がゆっくり開かれます。真っ暗な穴から匂い立つのは、濃厚な異常の気配。嗚呼、と喉から声が漏れました。確かにコレは、普通の人には耐えられないでしょう。石切りの場を露出したままにしておけないのも頷けます。
「少しでも違和感があれば申告していただくよう」
ライト付きの鉱山用保安帽をこちらに渡しつつ、黒乃さんはそう言いました。神妙に首肯します。穴の縁に腰掛けて、元車椅子の補助具を纏う右足の先を、闇の始まりに漬けました。健康状態に変化はありません。行けそうです。
風でボサボサになった髪を、ヘルメットに抑えさせます。頭のライトを点けた途端、正面の御影さんが「眩しっ」と顔を逸らしました。なんだか滑稽で可愛くて、つい笑ってしまいます。良い意味で緊張が解れます。幅の広いハシゴに足を掛けると、硬いもの同士のぶつかり合う音が穴の中で反響しました。深くはなさそう、十メートルくらい? 土の層を通り抜ければ、すぐ大理石のフロアにかち当たるのでしょう。降りながら、「切り出した石の持ち運びが大変そうですね」と、つい素直な感想を述べてしまいます。すると御影さんが教えてくださいました。小屋の天井には滑車を取り付けることが出来て、井戸で水を汲み上げる要領で石を地上に持ってこられる。それでも昔は重労働だっただろうが、今では電動式滑車のおかげで、非力な少女の身であっても運搬作業が可能になったのだと。
ハシゴが終わりました。岩盤に立ちます。
「電気はどこから?」「太陽光発電です」
「なるほど。過信は禁物ですよ。壊れるかもしれません」
御影さんに続き、黒乃さんも足場に到着しました。彼は背中のバックパックを下ろし、ゴツめの懐中電灯を二つ出しました。それらが地面に置かれた時、暗黒に白雷を走らせる鉱物の床、壁、天井が、人工的な光に照らされて妖しく煌めきます。まるで、百物語のトリを務めた語り手がフウと吹き消す寸前の、蝋燭の炎が如く。
ゴクリと唾を飲み込みました。
見られています。確たる輪郭を持った存在が、私を観察しております。気圧されるわけにはいきません。睨み返して、挑戦的に発語しました。
「招待されたので、来てあげましたよ。朧煙の化け物さん」
束の間、静寂が訪れます。無視ではありません。嵐の前の静けさです。
鉱物が小刻みに震え始めます。揺れは徐々に強まっていきます。くぐもった低音が空間を支配し、骨と鼓膜をビリビリ叩き鳴らしました。恐らく、私の来訪報告に対して反応を行っているのでしょうが、伝達フォーマットが人間のコミュニケーションと違いすぎて、何を仰りたいのかさっぱりです。
御影さんが私の手を引き、興奮してキャイキャイ叫びます。
「怪異様が防人様を歓迎しております! 石は喜びに満ち溢れています!」
「……あなたは、化け物の言葉が理解出来るのですか?」
「石黒家の血が成せる業です、防人都様。ああ、そう言うことか。依代をご希望されたのは、防人都様とお話しするためだったのですな」
得心がいったとばかりに、黒乃さんは微笑みました。再びバックパックをいじり、抜き取ったのは丸い造形物。目と鼻と口があって、社会的に成功した実業家がSNSのプロフィールに選ぶ写真のように、不気味に口角を歪めている。
それは、月の紛い物のミニチュアでした。
「はあ?」と頓馬な声を上げて、眉根を曲げざるを得ませんでした。
「なぜあなたがこんなモノを」
「少々趣味が悪く思われるが、会心の出来栄えなのです。夢でお告げがありまして。防人様をお連れする際、持ってくるようにと」
「ぶっ壊します」
「え?」
噴出する憎悪に任せて、破壊宣言に惚ける老人の手から、悍ましい石像を奪います。握り潰そうとしました。私怨だけではありません。世界のために粉砕せねばならないと、強い衝動と大いなる義務感に駆られたのです。
刹那、白く鋭い雷の光が、背後から閃きました。激しい痛みが走るとともに、全身から力が抜けて、立っていられなくなりました。胸の左寄り──心臓が貫かれたのです。うつ伏せに倒れました。
血で服が濡れていく。引き金が引かれた。賽が投げられた。まだ終わっていなかった。手から転げ落ちた月の紛い物のミニチュアに、おどろおどろしい震動が収束するのを、私は、防ぐことに失敗したのです。




