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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第八話 空っぽの 月

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 約束の時間、女子寮の出入り口で盈さんと一緒に待っていると、石黒家のポンコツ使用人、夏端さんがいらっしゃいました。眉を顰めます。恐らく盈さんも似たような表情をしてらっしゃったでしょう。不安と警戒で心がいっぱいになる理由は、この女のドライブ技術がカスだからです。もしや、毎回彼女に送迎役をさせるつもりなのか。正気なのか石黒家。復路の運転は盈さんに任せれば良いとして、往路で盛大に事故ってないかの懸念が、どでかい心痛の種になるのですが。心配は杞憂に終わります。先週も見た角刈り車の横に物腰柔らかなおばさんが待機しており、その方が操縦を務められたのです。ドライバー歴三十五年を謳った腕は伊達ではなく、道路をスイスイ、滑るように進んで行かれました。

 本日の目的は、松柄さんが亡くなった現場を訪ねることです。学校敷地の西、地べたぬかるむ雑木林を越えた先にある丘の上。近隣では最も標高のある場所です。直線距離では女子寮から近いものの、御影さんと使用人の方々、加えてなんと、御当主様もついて来られるらしく、一先ず石黒家の屋敷に馳せ参じております。私が先輩の死の真相を知りたいのと同様に、石黒家もまた、古くから朧煙台地の上座に巣食う、内側に潜り込んできた者へ死罰を与える化け物の正体を探りたがっているのです。

 応接室で待つ間、夏端さんに尋ねます。


「御当主様は御影さんの祖父と伺っておりますが。彼女のご両親は?」

「え? ええと、まず御影さまのお母さまは、石黒家の血族ではあられませんで、黒い大理石に纏わる悲劇すらもご存じないとか。お父さまはその、職人気質(かたぎ)な当主さまとは全然違う人でして、石とは距離を置いて実務全振りなのです」


 もったいぶらず、素直に内部事情を教えてくださいました。喋り方のニュアンスで、御影さんのお父上は、今日は多忙で同行出来ないのではなく、行きたくないから来てないのだと分かります。腹芸は苦手そうですねえ、ニヤニヤ。多少突っ込んだことを聞いても答えてくれそうです。


「芸術に興味がなくとも、希少な黒大理石の供給を握る家の後継者なら、産地でとぐろを巻く危険な呪いの真実に近づきたいと考えるのが普通では? 御当主様との役割分担意識を徹底なさっているのか、あるいは、番人の責任に辟易されているのか、どちらなのでしょう?」

「あー、そのう。多分、どっちもありそう──」

「こらこら夏端さん。『多分』でおかしな憶測をお客様に語るんじゃありません。緋黒様、つまり御影様のお父上は、超常的な事象を仮定するお話がお好きではないようでして。無論、ご自身のお勤めはしっかり果たされておりますよ」


 ドライバー歴三十五年のおばさんが、苦笑いをしながら内緒話に割り込んできました。声のボリュームは小さく抑えたはずですが、耳聡く聞いてらっしゃったようです。彼女は言葉の裏に、弱い者いじめを咎めるような警告を滲ませていました。石黒家に関する情報収集が目的でもなし、遊びは程々にしておきましょうか。

 木の床を足で踏む音が大きくなってきました。そして、引っかかりなく襖が開かれます。御影さんと微風(そよかぜ)を引き連れて、眼光の鋭い白髪の老人が堂々と入ってきました。研ぎ澄まされた刃を思わせる雰囲気は、誰かを傷つけるための鋭さではなく、素手では太刀打ち出来ない硬質な無機物と巧みに交渉するための真摯さでした。間違いなく言えるのは、この老人には、一つの壁と向き合い続けてきた人間特有の凄みがあることです。クソジジイに少し似ている。しかし、あの男が内に秘めていたような狂気や焦燥は、あったとしてもごくわずかの量で、嫌悪感はありませんでした。

 方向性なら、やり投げの練習に精を出す湯ノ原の方が近いかも。と言っても、まだまだこれからの彼では、完成度の面で遠く及んでいないのですが、でも伸び代は無限大なわけで、石黒家当主にも絶対負けてないのです! ……どうして私は、急に湯ノ原を擁護しているのか。


「お待たせして申し訳ありません。石黒黒乃です」

「お会い出来て光栄です。防人都と申します。本日はお忙しい中、私のような小娘の要望をお聞き入れいただき、大変嬉しく思います。若輩者でございます故、至らぬ点も多々あるでしょうが、呪いの調査も心血注ぎ誠心誠意の協力をさせていただきますので、どうかご寛恕いただければ──」

「本当に、澱みなくお喋りになるのですね。孫から聞いた通り」


 正面の和モダンソファに座りながら、老人は、まるで都会の発展と喧騒に驚く田舎の少年みたいに言います。


「しかし私は、石を削るだけが能の男でして。立板に水を流す綺麗な社交辞令をされると、正直困ってしまいます。幼い頃、必要なことだけは話せるようにと、母から厳しい訓練を受けたおかげでどうにかこうにかやって来れてますが、本来の私は聞くのも喋るのも苦手な、つまらない奴なのです。不躾な願いですが、口頭での発話はなるべくセーブして欲しい」


 神妙に頷きました。私の実母と同じタイプのようです。いや、並べて語るのはあまりにも失礼ですね。あの女は、モノ作りの才がないだけならともかく、傲慢かつ暴力的で、ブランド品と引き換えに娘を売る最低最悪の馬鹿でしたので。

 先週の土曜にも御影さんから聞いた、朧煙台地に根付く呪いについての説明を再び受けて、石黒家の問題意識を改めて理解します。同時に、もう一つ分かったことがあります。彼らは呪いを解決したい、けれども、台地に潜む怪異を排除したい気持ちはなく、むしろ、仲良く共存出来たら良いとすら思っている。家を繁栄させてもらった恩があるから。

 屋敷を出て、行きの車の倍はありそうな大きいバンに乗り込むと、消臭剤のフローラルな香りがしました。いよいよ台地の頂上に赴きます。朧煙の土地は、大雑把には鏡餅のような二段構造になっていて、駅や商店街、主だった住宅地は一段目に、我らが「朧煙」校や大理石の掘削場は二段目にあります。一段目と二段目を結ぶルートは複数存在し、先ほど私たちが通ってきた学校正門前の坂道もその一つです。屋敷から目的地に向かうには、石黒家が掘削場との行き来に使う道が最も近いらしく、車窓の外側では、見慣れぬ景色が後ろに過ぎ去っていきます。粉塵のせいか看板が白っぽい石材の加工場、機械用油の匂いがしそうな工具の修理店、妙に無骨な装いのスーパー、建設業者の資材保管用倉庫、畑と果樹園に、野菜と果実の販売所。ひび割れた道路以外の人造物がなくなってすぐ、車が斜面をジグザグと登り始めました。急カーブを突破する度に、車椅子の車輪を床に固定する金具がギシリと軋みます。「吐きそう」と呟く夏端さん。隣に座る盈さんは、彼女から距離を取ろうとしました。

 四十度超えの勾配真っ只中にもかかわらず、コンクリートの舗装は唐突な終わりを告げます。昔は小規模な採掘地だったらしい場所で、我々は車から降りました。ここからは徒歩が要求されます。

 私を含めて。黒乃さんに促されました。


「人目はありません。安心して力をお使いください」

「心得てます。昨日の部活終わりに、御影さんから伝えられてますので」


 自慢の相棒、車椅子への震動の浸透、つまり「支配」の度合いを強めて、分解と再構築の指令を発します。車椅子を足の稼働補助用機械にしてしまえば、昔のように自由に走り回れるのではないか。思い立った最初の頃は、変形プロセスのすべてを自分で行う必要があり、制御はとても大変でした。翻って現在、私が命じさえすれば、車椅子の側が私の意思を汲み取って、煮湯に浸かった形状記憶合金が如くスムーズに変わってくれる。ガンマの言う通り、クソジジイの杖みたく「月喪神(つくもがみ)」とやらに成ったのでしょう。ネーミングはホント良くないです。

 立ち上がると、目線がだいぶ高くなります。元々の身長が日本女子の平均よりも高いことに加えて、バランスを追求した結果なのですが、足の裏が厚底になっているためです。身長140センチ代前半の御影さんが小さく見えます。


「か、かっこいい〜!」


 興奮する彼女から手放しの賞賛を浴びせられました。基本は可憐系路線で行きたい私ですが、三歳離れた後輩からの憧憬には心地よさを覚えます。


「あまりのかっこよさに、石もスタンディングオベーションしてます! 防人様」

「はあ。石がスタンディングオベーション?」


 どういう意図の比喩なのでしょうか。考察モードに入りかけましたが、孫娘と同じく満足げな表情の黒乃さんに声をかけられ、中断します。


「直に見せつけられると、説得力が段違いです。制限時間とかはありますか?」

「移動だけならずっと保たせられます」

「素晴らしい! では、先に進みましょう」


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