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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第七話 宵の月 螺旋を巻き

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 視界に広がる黄土色。まっさらで味気のないいつもの天井とは、まったく異なる趣がありました。横からはコポコポと、水場らしき音がします。そちらに視線を転ずると、羽衣みたいなヒレを纏ったお腹の丸い金魚たちが、オオカナダモ漂う水槽の中を悠々と泳いでいるのが見受けられました。エアポンプから浮上した空気の泡が水面で弾ける音こそ、コポコポの正体です。寝起きのぼやけた頭に沁みる、安らかな光景でした。首から下に被さる掛け布団は、私の体温でポカポカとしております。

 ここはどこ?

 意識を失う前の記憶が唐突に蘇ります。暴走した子機(わけみ)から仲間を守るため、命を振り絞って我武者羅に戦った。しかし、奴の放射展開攻撃を完全に抑えられた自信も、そして手応えはあったものの、最後の一撃で仕留め切れた自信もない。みんなは無事なのか。

 布団を跳ね除けます。上体を起こそうとしましたが、上手くいきません。這ってベッドを出ようとしました。端に伸ばした手が誰かに掴まれます。邪魔をするなと、圧を込めて睨みつけました。握る手がビクリと震える。けれども、離そうとはしませんでした。

 毒気を抜かれます。瞼の傘がなくなった瞳では、私を止めた女性の顔をはっきりと見とめることが出来ました。


「アルファ……?」


 ほんの一瞬だけ、彼女の輪郭が、我らが「ルナ・チルドレン」の長姉のそれと重なりました。期待はすぐさま落胆へと変わります。長姉とはいえ、アルファは九歳の私より一つ上なだけの子供です。一方のこの女性は、高校生から大学生くらいの、知的な風貌をした立派なお姉さんでした。


「香月瑠奈ちゃん、だよね?」


 問いかけられます。ポカンと呆けてしまって、反応が遅れました。特別な力が内に芽生えて三年、私はずっと「ベータ」でした。本名で呼ばれたのは久しぶりだったのです。

 逡巡しながらも、肯定の印に頷きました。


「私は荒屋盈(あばらやみちる)。あなたを誘拐した男、荒屋朔一郎の曾孫」


 ……誘拐?

 意味が分かりませんでした。確かに私は親元から離されておりましたが、でも、スカウトされてあの場所にいたのです。朔一郎様や研究所の皆様から特別な才能があると言われて、普段は私を無視するお母さんが熱心に背中を押してくれて、私は、望んであの場所に行ったのです。この女は何を馬鹿なことを仰っていらっしゃるのでしょうか。

 カッと頭に血が上り、ミチルと名乗った女の胸ぐらを掴もうとしました。しかし、腰の下から先が動かせず、しかも体に力が入らず、腕はただただ空を切るばかり。「ご飯を持ってくるから」と、女は部屋を出て行きました。その間、足の指を操ろうと試みます。まったくというわけではありませんが、しかし、ほとんど思い通りにはなりませんでした。

 与えられたのは、お粥とバナナ、あと水。もっとたくさん食べられる。最初はそう感じました。倉庫を空にする勢いで掻っ食らって、女を怖がらせてやろうとほくそ笑みます。が、一口目の重さ(・・)にびっくりしてしまいました。ズシンと来たのです。よく噛んで食べないと咽せるし、すると布団が汚れてしまう。どのくらい眠ってたのでしょうか、私。便意が一切ないから判別が難しい。あるもの全部、無駄なく肉体の再生に使われているのでしょう。酷い怪我を負いましたから。

 出された分は完食しました。強い睡魔に襲われます。しかし、横で勝手に私を憐れむ荒屋盈への敵意から、眠気を払い除けました。女に向かい合おうとします。ちっ、足が動けば、もっと堂々と対峙出来るのに。体に意識を巡らせると、なぜか脊髄下部の神経だけ再生が遅れていることが分かります。

 異状はあっても私は生きている。だから、最重要事項は仲間の安否。


「単刀直入に聞きます。私のきょうだいたち──他の『ルナ・チルドレン』がどうなったのか、あなたは知っていますか?」


 一縷の望みを懸けて尋ねます。朔一郎様は、私たちを守ろうとして目の前で亡くなった。他のスタッフさんたちの生存も絶望的でしょう。でも、私と同じく特別な力を持ったきょうだいたちならば、あるいは。

 荒屋盈は目を伏せました。ヒュッと呼吸が詰まります。


「瑠奈ちゃん。落ち着いて、聞いてね」


 嫌だ。自分で尋ねておきながら、咄嗟にそう思いました。けれど、気の逆立つ耳以外のすべての部分が硬直し、集音を停止するための動作は取れませんでした。


「まず、ここは、誘拐事件の担当捜査官さんが荒屋朔一郎の拠点と目星を付けた場所に一番近い街。そして、常識では信じられない話だけど、荒屋朔一郎は『月の使者』の能力で一帯に『侵入防止用結界』としか言えないものを拵えていて、私たちは足を踏み入れられなかった。でもそれがなくなったの。一週間前になって突然」


 彼女は続けます。


「酷い有様だった。鬱と高熱がもたらすとびっきりの悪夢、放棄されたばかりの地獄。バラバラで、キテレツで、何もかも無茶苦茶だった。発見されたのは、十二人の大人と、押し潰されて判別が難しいけど、恐らく八人の子供の──」


 腹筋だけで無理矢理起き上がり、空になったお椀を投げつけます。荒屋盈の髪を掠って、壁に当たって砕け散りました。顔に当てないぐらいの理性はギリギリ残っていたのです。心臓の鼓動は激しく、汗も止まりませんでした。

 荒ぶる吐息で拒絶します。


「出ていけ」


 女は動きませんでした。頭に血が集まります。

 もう一度言いました。


「出ていけえっ!!」


 今度こそ、荒屋盈は、すごすごと部屋を後にしました。一人残された私は、極限まで熱くなった(まなこ)を、手ずから引き上げた膝に押し当てました。

 また眠ってしまうまで、ずっとそうしていました。


◇◇◇


 ガンマから過去について尋ねられた途端、盈さんとの出会いの記憶が、誤ってタップしてしまったSNSの釣り動画みたく再生されました。あーやらかしたという感じです。初期の頃は本当に険悪で、原因は「私が幼稚だったから」のみに収束します。クソジジイに様付けしてましたし、正真正銘の黒歴史。恥ずかしいったらありゃしない。


「誘拐事件の担当捜査官さんが、山林で倒れていた私を保護してくれたのです。その後、クソジジイの親族で、どちらかというと被害者側であったにもかかわらず負い目を感じていた盈さんが、私の身元を引き受けてくださいまして。生意気で、しかも足が不自由になって機嫌を損ねていた私をですよ? 素晴らしい人格者に拾われました。日頃の行いが良かったからでしょうねえ」


 邂逅の下りはぼやかします。詳しく語ったら、もう顔から火が出ちまいそうですからね。その火でカラオケを燃やし尽くせそうなほどです。


「そうだね。能力の発動で行き詰まった時、ベータの分かりやすい説明に何度救われたことか。ベータは僕たちの希望で、憧れだったんだ。君が良い縁に恵まれたのは天に愛されているからだという理屈は、とても説得的に感じるよ」


 自画自賛を茶化さず、(あまつさ)え肯定してくれる。ガンマは人をダメにする男のようです。実を言うと、私の周りにも湯ノ原という似たタイプの男がいるのですが、あいつとのやりとりを経て獲得した耐性がなかったら、今ごろ有頂天になってたやもしれません。


「盈さんとはまだ一緒に暮らしているの?」

「はい。車椅子の私を思って校舎と女子寮が併設された『朧煙』校を見つけてくれたのは盈さんですし、しかも、私と相部屋になるためわざわざ教師になられたのですよ。まあ、元々教職免許は持ってらっしゃったようですが」

「嬉しそうに話すね。感謝してるんだ?」

「当然です! 積み上げてきたキャリアを捨ててまで寄り添おうとしてくれた方に、感謝しない人間はいませんよ。そして、それだけではないんです。盈さんがいなければ、私は、溢れる力を持て余して意味もなく社会に反逆する非行美少女になっていたに違いありませんから」

「あっ、うん。非行美少女」

「あなたたちと別れた後の七年間、彼女がいつも側にいてくれたからこそ、私は朗らかに生きていられるのです」


 自分の太腿を(さす)ります。実験仲間を失ってから、私はしばらく塞ぎ込んでいました。下半身不随が治らないと判明した時、風雨に晒された廃墟のように、私の精神は荒れ果てました。障がい者として小学校に転入した際には、直接的な差別を受けた訳ではないものの、天地無用の割れ物に見られて遠巻きにされたが故に、私は独りの寂しさを改めて知りました。変に口が回るせいで集団からハブられた経験は、枚挙にいとまがありません。

 グレ得るポイントはたくさんありました。そのすべてで、盈さんの存在が私を支えてくれたのです。高速スピンを繰り返す子供の精神には欠かせない、掛け替えのない回転軸の役割を自ら買って出てくださった、正真正銘の大人。

 盈さんのありがたさを具体例を用いて力説していると、気づけば、カラオケルームに入って二時間半も経っていました。ハッとなって口を閉じ、緩くなった飲み物を口に含んでから仕切り直します。


「あなたたちについても聞かせてくださいな。この七年はずっと八人で?」


 ガンマは頷きます。


「うん。みんなで協力して、色々な問題を乗り越えてきた。尤も、ほとんどアルファ姉さんのおんぶにだっこだったけどね」

「アルファが(かなめ)? あなたではなく?」

「あははっ。もし僕がリーダーだったら、ゼータやシータが飛び出そうとするのを抑えられなかっただろうし、イプシロンのやんちゃは防げなかったし、イータのケアも出来なかった。『ルナ・チルドレン』は空中分解まっしぐらだったよ」

「逆に言うと、アルファはどれも解決してみせたと? マジですか? へー、人って成長するもんですねえ」


 本気で感心します。強気・自己中・負けず嫌いの三拍子が揃った昔のアルファは、人間関係の調整に長けた人物とはお世辞にも言えないガキンチョでした。きっと、クソジジイら大人の死亡と私の離脱をきっかけに、長姉の自覚が芽生えたのでしょう。超能力を宿す異端の子供たちが纏まって生きてこられたのは、彼女の導きがあったからこそなのですね。誇らしく思います。

 ……あれ?

 ふと、一つの疑問が頭を(よぎ)りました。盈さんとの出会いの場面を想起してしまったせいでしょう。私がきょうだいたちの生存を絶望視していた根本的な理由についてです。

 実験拠点に残っていた八人の子供の死体って、いったい何?

 だって、生きてるじゃないですか。デルタもガンマも、この目で確認はしてませんが、他の子たちも。それってつまり、彼らは死を偽装するために、別の八人の子供を生贄に捧げたということではないかしら?


「最後に数曲歌っても?」


 マイクを握って声を張り、悪い懸念を追い出します。そもそも、拠点の跡地で子供の死体が発見されたというのが、何かの間違いだったのよ。歌を囃し立てるガンマの姿は無邪気そのもので、陰謀を企めるような狡猾さは少しも滲んでおりません。身内の贔屓目かもしれませんが。

 疑念に蓋をします。テープでぐるぐる巻きにして封印します。だって信じてるから。予定の3時間が過ぎ、部屋を後にしました。精算を待つ間のことです。


「この街での暮らしは楽しい?」


 迷わず肯定しました。ガンマはニコリと笑います。カラオケから出ると、高く登った太陽が道を明るく照らしていました。近くの唐揚げ屋で昼食を取ります。ガンマは妙に懐かしそうな表情をしながら、生姜味の強い唐揚げを口に運んでいました。独特というか、中々ない味付けだと思うのですが。

 聞けば、「ルナ・チルドレン」になる前、彼はおばあちゃんと朧煙に住んでいたとのこと。この唐揚げ屋は昔、駅正面の大通りにあって、よく連れて行ってもらったのだと教えてくださいました。

 お皿を空にした彼は、一人で街を見て回りたいと希望します。


「次はみんなで会いにくるから。夏休みくらいに」


 そう言い残して商店街から去っていく彼の背中を、私はじっと見送りました。


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