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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第六話 昼の月 己を探して

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 旅の格好をした十五、六歳ぐらいの少年が、微笑みながら小さく呟く。


「ふふ、懐かしいな」


 彼はおよそ十年ぶりに、朧煙の街を訪れた。昔、ここに祖母と住んでいた時分、彼はまだ年端もいかぬ幼児だった。過去に視覚で捉えた映像は、だいぶ風化が進んでしまっている。しかし、幾度か見る機会のあった景色については、現実との照合が出来るくらいには記憶が残っていた。駅前もその一つだ。味気も統一感もない建物が点々と立つ大学も、こぢんまりとしたバスのロータリーも、同じ姿のままそこにある。駅の反対側にある商店街の素っ気ない門も、きっと変わってないだろう。しかし、大学とロータリーに挟まれた大通りの顔ぶれには、若干の入れ替わりがあった。特に、祖母が頻繁に連れて行ってくれた味の濃い唐揚げの店が、有名なラーメンのチェーン店に取って代わられているのを見て、彼は一抹の寂寥感を覚えた。

 脳に直接、声が届く。


「ガンマ、聞こえてる? もう着いた?」

「聞こえているし、ちょうど着いたところだよ。アルファ姉さん」


 横断歩道の信号が青になった。「カッコー」の音が響く。紫のスーツケースを引きずって、ガンマは向こう側の歩道に渡った。大学の塀に寄りかかる。キャンパス敷地の縁沿いに植えられた木の陰の下。彼の頭上では、緑の葉っぱが朝の柔風に揺られている。長旅で疲れた心が癒されるのを感じた。

 小休止して、それから宿に行こう。ガンマはのんびりと計画を立て始める。荷物を置いて、近くの銭湯で身を清める。閉まってないのはスマホで確認した。汗の匂いを落とさなければ、来訪する相手にも失礼だ。


「来てるって、デルタに伝えなくてもいいの? 案内してくれるかもよ」


 案内はいらないんだ、アルファ姉さん。ガンマは心の中だけで返事をする。回線には乗せなかった。彼は、朧煙が自身の故郷であると、仲間には伝えていなかった。言う必要はない。僕らの計画には無関係な話だ。


「数学の補習を宣告されるくらい抜き打ちテストの点数が悪かったんでしょ? 反省して猛勉強してるだろうし、邪魔しちゃ悪いよ」

「それはあの子を買い被りすぎ。まあでも、せっかくの日曜日、怠惰の貪りを邪魔されたら恨まれるかも。じゃ、もう切るね。北京土産はありがと」

「うん。何度も聞いた」


 通信が切られる。スーツケースを塀の壁にくっつけて、その上に腰を落とした。掌を組んでハンモックを作り、自身の後頭部を支える。四月も下旬、朧煙の高地は春の真っ盛り。快適な涼しさに加えて、空気の清浄さが素晴らしいと、彼は心の底から絶賛する。つい先日までいた北京は、十余年前と比べて改善したとは言うものの、地方の長閑な街と比べれば、大気の質は劣悪だった。疎らに行き交う人々の顔を眺める。総じて朗らかで、少なくとも、絶望や焦燥感に駆られている様子はない。「平和だなあ」と彼は呟いた。

 最後の安らぎだ。ガンマはごくりと唾を呑み込んだ。僕たちがこれを壊す。現行の社会体制に反旗を翻し、「月の使者」たちによるそうでない(・・・・・)者の絶対的支配を前提とした世界に変える。「月嫡再臨」プロジェクトの進行に伴って、朧煙は渦の中心の一つとなる。決して無事では済まされない。

 ガンマは胸を抑えた。迷うな、疑うな。アルファは言った。この一手こそ、長期的には最善の結果を人類にもたらし、「ルナ・チルドレン(われわれ)」を救世主たらしめる方策なのだと。彼は彼女を信じた。そうしなければ、「ルナ・チルドレン」の兄弟姉妹が、荒屋朔一郎とベータがいなくなって一度分解しかけた最後の寄る辺が、今度こそバラバラになると考えたから。アルファや僕、シータなら、仮に一人になったとしても、表面上は上手くやっていけるかもしれない。でも他の四人は? あの子たちに大人のふりは難しい。普通から逸脱した力を持ってしまった彼ら彼女らが、普通の人たちと月並みな日々を過ごす姿は、ガンマには想像出来なかった。いずれ暴走し、危険分子と見做されて迫害を受ける。破滅の運命を避けるには、仲間との確固たる繋がりが必要だ。そして、僕たち「ルナ・チルドレン」が我慢せず、大手を振って表通りを歩くためには、出る杭として打たれることがないくらいに突き抜けるしかない。

 そろそろ移動しようと、スーツケースから立ち上がる。マスクと伊達メガネの位置を調整し、藍色のバケツハットを被り直した。この街で暮らしていた頃とは、ガンマの纏う雰囲気は随分違っている。気づかれるとは考えにくいが、念のための変装だった。

 宿に向かって歩き始める。


「昭吾……?」


 ガンマは足をピタリと止めた。靴裏のゴム底がコンクリートと溶け合ったように、彼はその場に釘付けになった。

 昭吾。忘れもしない、ガンマになる前、彼がまだ普通の子供だった時の本名。無視して去るべきだったが、しかしもう遅い。反応してしまった。振り向く以外の選択肢はない。

 呼びかけ主と視線を交わす。互いに大きくなった。でも君は、真っ直ぐ成長したんだね。後ろにいたのは、間違えようのないかつての親友だった。


「零時くん」


 湯ノ原零時は息を切らしていた。かなり遠くから昭吾(ガンマ)を目掛けて、全速力で走ってきたらしい。目頭が熱くなる。喉から言葉が出てこない。一番会いたくて、一番会いたくなかった人。決意が鈍りそうになる。ガンマが内心で「月嫡再臨」に消極的な理由は、偏にこの男を知っていたからだった。

 十年の時を経てすっかり燻んでいた昔の思い出に、一気に色が付く。やっぱり彼だけは殺したくない、ガンマはそう強く願った。今夜にでも皆に共有して「生存リスト」に入れてもらおう。「ルナ・チルドレン」に従兄弟枠を作って仲間にしたいぐらいだ。零時くんと一緒なら、僕は地獄にだって行ける。

 彼を巻き込むのか? 脳の、酩酊を司る部分のど真ん中に、赫赫と熱が滾る焼きごてを張り付けられた心地がした。一瞬にして炭化する、七歳の零時と七歳の昭吾(ガンマ)が互いの手を取り合う絵。兄弟姉妹を縛る鎖は、月が地球に送った化け物たちの衝動と狂気でしかない。歪にも、その状態で安定してしまった。他の誰も入る余地はない。そもそも論だけれど、きっと零時くん自身が、僕たちのあり方を嫌悪するだろう。マグマの川が冷えて固まる。道はもう分かたれた。

 ガンマの肩に軽いチョップが落ちる。


「いてっ」

「どうしてフリーズするんだよ。俺だけ喜んでるのが馬鹿みたいだろが」


 白い歯を見せながら、湯ノ原は笑う。その声には、動物たちの長く苦しい冬眠を覚ます、春の太陽のような暖かみがあった。嬉しさを微塵たりとも隠そうとしていない。十年の歳月は、生まれてきて十六年目の彼らにとって、分厚く険しい壁である。二人の間には、時間が作った確かな隔絶が横たわっていた。にもかかわらず、別れた日の続きみたいに、零時くんは僕に親しげに話しかけた。壁がないはずはなかったのに、躊躇せず飛び越えてきた!

 君には敵わないな。ガンマは口を開く。照れ隠しの会話を始める。


「どうして僕だと気づいたのかな? 顔に色々装着してるし、そうでなくても、僕は昔とだいぶ変わってしまったのに」

「懐かしい気配がしたからな」

「気配って。君は野生動物なのかい? まだゴリラを目指してるのかな」

「まあ一応。ゴリラはさ、最も美しい霊長類だから。昭吾も頑張れよ」

「なんでだよ! 一人で勝手に森に帰れ!」

「ここ、森」「人里だよ!」


 喉の奥から湧き上がってきた慣れない高音に、ガンマは、我に返って恥ずかしくなる。いつ以来だろう、こんなに声を張ったのは。それこそ、朧煙を離れてからは、初めてではなかろうか。

 いや、とガンマは否定する。一度だけ、喉が裂けるのも構わず絶叫したことがった。ベータと月の化身(・・・・)が繰り広げた目にも止まらぬ闘いの末、脇腹に化身の破片をめり込ませながら、空に消えゆく彼女を見た時。


「でもこの森には、俺を圧倒的に凌ぐボスゴリラがいるんだ。本当に強くて、本当に格好良くて、世界で一番美しい。昭吾も挨拶しておくか?」

「だから森じゃないし、文明社会の住民として断るよ」

「それでも霊長類かよ、昭吾。遠慮はして欲しくない、けど、ごめんな。俺はこれから、大学の競技場を借りてトレーニングしないといけなくて。人を待たせてるんだ。この街にはどれくらい?」

「明日の朝には発つかな」

「残念。でも、せっかく再会したんだし、また連絡を取ろうじゃないか。というわけで、じゃじゃん。俺のアカウントID一覧」

「うわ、このゴリラ、各種SNSに自分の縄張りを持ってるんだ。というか手書きじゃないか。lと1の判別つくかな」

「登録したらシュレッダーに掛けといてくれよな! じゃっ」


 湯ノ原がいなくなる。短く濃い邂逅だった。名残惜しさは、半日付けっぱなしだったイヤホンを取り払った後のそれに似ていた。数秒立ち尽くす。踵を返し、予定通り宿に向かった。シャワーを浴びてから、部屋で瞑想する。「発受信体(ラジオ)」の交信網からデルタに繋がる道を選び、彼女の「媒線島(ルータ)」に入った。物理的距離が近いため、繊細な経路情報を高解像で認識出来る。

 目的地への道はすぐ見つかった。リクエストを送る。


「もしもしベータ。ガンマだよ。今会えるかい?」


零時と昭吾は、もちろん0時と12時です。

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