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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第六話 昼の月 己を探して

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 まだ一ヶ月以上は先だが、高校インターハイの予選を兼ねたやり投げの県大会が近づいてきた。自宅周りの住宅街を縫うように走り込みながら、湯ノ原零時は、練習のプランを組み立てる。残り時間で何が出来るのか? 彼の肉体はまさに成長の途上にある。彼にとっての最適なフォームは、肉体の漸進に伴って少しずつ変わってくる。難しい時期だ。本番までにどこまで詰め切れるのか。正式なやり投げの大会への出場は初めてだということもあり、肩にプレッシャーがのしかかってくる。逸る心臓の鼓動は背筋を通じて熱くなりがちな脳を冷やし、思考の排熱は汗で冷えた胴体を温める。よし、イーブンな状態だ。大丈夫。

 しかし、どうしても思い出してしまう。中学まではジャベリックボール投げの全国大会に出場していた。ジャベリックボールの形は米軍が日本本土の空襲に用いた焼夷弾に若干似ており、松柄が湯ノ原を「ボマー」と呼んだ所以だ。彼女はもう死んでしまった。ズキリと心を突く痛みに苦しみながらも、ペースを乱さず走り続ける。夜道には白い部分と黒い部分が交互に現れ、縞模様が浮かび上がっている。今年三月の終わりまでに、明かりはすべてLED製のものに刷新された。一方、足元のコンクリートは劣化したまま放置されていて、そのせいで靴に入ってくる砂つぶがいつもより煩わしく感じられる。

 小さな公園の出入り口に到着して、彼は走る足を止めた。またもやブランコが揺れていたからだ。様子を探ると、予想通りの人物がいた。彼のクラスに転校してきたばかりの少女、魂風美澄。先週の木曜日も、同じくらいの時間に一人でブランコを漕いでいた。


「レイジ!」


 魂風は湯ノ原の名前を呼び、立ち上がって彼に駆け寄った。あたかも、待ち合わせ場所にやってきた友人、あるいは恋人を歓迎するかのように。無論、彼と彼女の間に、如何なる逢瀬の約束も交わされていない。戸惑ううちに左手を掴まれた。ブランコの方に連れて行かれて、二つある座面の片方に座らされる。子供用に設計されたそれは、引き締まった彼の尻にはひどく窮屈だった。


「レイジ、待ってた。お前に聞きたいことがある」


 どうも向こうは本当に、自分の出現を待ち構えていたらしい。もし来なかったら、彼女はどうしただろうか。明日のどこかの休み時間で理不尽に詰ってきそうだ。走り込みを選んで良かったとホッとする。それで、聞きたいこととは何だろう、と湯ノ原は考えた。並の質問だったら、転校以前から友人だったらしい防人さんにするはずだ。そうでない以上、あの人では答えられない問いかけがされるのだろう。湯ノ原は緊張する。歴史系科目の勉強の進め方など、防人さんの不得意分野について尋ねられるだけなら良い。しかし、世間一般の物差しで測って難しい相談をされた場合、対応出来る自信は皆無だ。一度休憩を取り、冷たい水を飲んで喉を湿らせたくなった。ただでさえ、持久走のメニューを消化したばかりで、多くの水分を失っている。

 魂風は、相手の男に警戒される可能性を微塵も考慮していないようだった。躊躇なく言葉を続ける。重力に引かれた水が、上から下に落ちるように。


「私たち『月の使者』が持つ人ならざる力を、お前は受け入れられるか?」


 一瞬、自分が何を聞かれているのか、彼には理解出来なかった。フィクションの作品について友人と語り合う時間以外に、「人ならざる力」という単語と遭遇するとは思ってもいなかったからだ。実にかっこいい概念だが、それよりはるかに引っかかる固有名詞も登場した。

 月の使者(・・・・)だって? 冗談か、あるいは空耳か? 魂風と目を合わせて、彼は眉を顰める。違う、この子は本気で尋ねかけている。湯ノ原は言語的思考を宙空にリリースした。しかし、実は入学以降のテストでずっと学年一位を取り続けている俊才の頭脳は、言葉を失った程度では止まらない──たとえ勉学の才能がなかったとしても止まらなかっただろう。


 つい先日、現実に目撃し、体験したばかりなのだから。

 謎の破壊現象から自分を救った、防人都の「人ならざる力」を。


 魂風はそれに言及した。つまり、と彼は自然的に推察する。防人都と魂風美澄の旧交は、超能力を基盤とするものだ。成熟した民主主義社会において、超能力者の子供が秘密裏に集められるポジティブな理由は、せいぜい保護目的ぐらいしか思いつかなかった。悪い想像が頭を巡る。ベータデルタと、昔のあだ名で呼び合って微笑ましいなと今まで感じていたが、話がだいぶ変わってくる。もしギリシャ文字が、超能力者たちの識別番号だったとしたら?

 物理の先生は、力やら速さやら密度やら、根を詰めて説明しようとすると分厚い辞書みたいになりそうなコンセプトを、たった一つの文字に押し込める。数理モデルの世界ではそうやって、本質的な意味を噛み殺し、無味乾燥な表音文字に置き換えてしまう作業も許容される。一々質的な解釈を繰り返していたら、頭がパンクするわ時間も足りないわで最悪だ。しかも、文字だけで構成された計算結果は、定量的な示唆を与えるだけでなく、言語だけのアプローチで辿り着くには途轍もなく長い旅路を要する、定性的な物語まで再現してくれる。もちろん、「すべて」ではないとしても。

 堆積する不満が熱を帯び始める。ある人をその人たらしめる結晶を、物理の諸々のように、意味のない記号にまで堕落させてはいけない。実験群として束ねられた子供たちはきっと、互いの区別が曖昧になって、ぐちゃぐちゃになる。元の名前を当てはめ直し、存在をきちんと再定義したところで、果たして健全な自己に戻れるか?

 少なくとも俺には無理だろうと、湯ノ原は結論づけた。


「それとも、ベータ限定?」


 湯ノ原が我に返ったのは、魂風が悲しそうな声音で異なる選択肢を掲げたのとほぼ同じタイミングだった。彼女はまるで、自分ももらえると思っていたおやつが他の子だけに与えられている光景を、この世の終わりかのような表情で眺めている犬みたいで、大いに同情を誘われた。ここで頷いたら、彼女はきっと泣いてしまう。防人都と魂風美澄がともに超能力者だったとして、前者だけ受け入れる選別的傲慢さなど、湯ノ原は元から持ち合わせていない。


「クールで最高じゃん『月の使者』! 魂風さんを忌避するなんてあり得ない、もちろん防人さんもね」

「ホントッ?」


 魂風は嬉しそうに声の調子を張り上げた。良かったと湯ノ原は安心する。彼女の異質性に起因するのだろう、一時の煩悶を払うことが出来たようだ。しかしこれは、表面にまで浮かび上がった問題へと対処したに過ぎないのだと、彼は自分を戒めた。癌に伴う激痛に緩和を施すだけでは、癌そのものを消滅させられないのと同じだ。根本の腐食が解決されていない。

 とりあえず、彼は尋ねる。


「どうして俺が、防人さんだけ優遇すると思ったんだ?」

「ベータがそう言った」

「防人さんが? あの人が理由もなく魂風さんにマウントを取りたがるわけないんだから、前後の文脈を教えてもらえないかな」

「能力の練習をしてた。そしたら、寮の設備を壊してしまったらしい。ベータが言った。そんなもの、受け入れてもらえないって。私は考えた。レイジは受け入れてくれるはず。だってチョロそうだし」

「チョロそうとは失敬な。優しそうとかにしてもらえないか」

「でもベータは、受け入れてもらえるのは私だけと主張した」

「それはあれだろ。チョロそうな奴に理解してもらえる。ならば超能力で無体を働いてもいい、イタズラしてもいいんだと、筋の通ってない不届きな屁理屈を採用しそうな魂風さんに釘を刺したんだ」

「ダメなの?」

「ダメに決まってるじゃん。防人さんの懸念通り、超能力が世間に受容されるとは限らないんだぞ。迷惑をかけたらその分、排斥される可能性も高くなる。そもそも論として、超能力を使わなかったとしても迷惑はかけちゃダメだ」

「むう。窮屈」


 拗ねながら、魂風は膝を揺らして、ブランコのジョイントパーツをギコギコ鳴らした。防人さんは大変な妹分を持ったなと、湯ノ原は苦笑する。情緒面から見たこの少女の成長は、同世代と比べて明らかに遅れている。恐らく、「人ならざる力」に絡んだ特殊な生い立ちのせいで。

 記号の一つに押し込められて、自我の発達が十分に進んでいない。これは深刻な後遺症なんじゃないか。尤も、自分の心配は全部的外れで、魂風さん生来の気質が天然であるだけかもしれない。実に悩ましい。

 ただ、と湯ノ原は推測を行う。「ベータ」のまま上手くやれている防人さんでは、魂風さんにとって「デルタ」が楔となっているという仮説を立てられないのではなかろうか。幼稚な精神の直接的な原因が識別番号の割振ではなかったとしても、魂風美澄は「デルタ」を卒業した方がいい。そうなるように影から導くことが、俺がなし得る防人さんへの献身の一つだ。

 ブランコの座面から立ち上がった魂風が、湯ノ原に微笑みかける。湯ノ原の目にくっきりと映る、背後の街灯に照らされた綺麗な顔立ち。


「レイジは私をちゃんと見てくれる。とても感謝」

「どういたしまして」

「じゃあ、また明日」「うん、また明日」


 彼女は公園から小走りで去っていく。

 ああ、防人さんの役に立てるかもしれない。彼の心は喜びに満ち溢れていた。


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