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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第五話 空漂う めくれぬ月

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 文芸部の活動日は水曜日と金曜日の週二日となっていますが、これはあくまで表向きの決まりであり、部員であればいつの放課後でも特別教室102を使ってもいいことになっています。とは言っても、そのルールが積極的に利用されるようになる時期は、「朧煙学園祭まであと◯◯日」と書かれた看板が正門に掲示されるぐらいから。フランス語同好会が前方の広い黒板を占拠する月曜を除く、火曜と木曜の特別教室102は、基本的にガランとしております。

 昨晩、寮母ババア対策に、太陽光電池ぶっ壊れの経緯に関する笑いあり涙あり嘘ストーリーを考える傍ら、仮入部員の反応を聞くという名目の下、石黒御影さんに会えないかとメールで打診し、即座の快諾をいただきました。レスポンスの速さは、彼女の防人都(わたし)に対する注目度の高さを表しています。石黒家は、商店街広場を襲った破壊現象の渦中に私がいたと暴き出し、その情報を警察から隠して独占してしまうほどの興味を持った。一歩間違えれば平和なJKライフが取り上げられかねない要注意案件です。放置するわけにはいきません。春はあけぼの、馬耳東風とばかりに通り過ぎていった木曜授業を背中で見送って、御影さんと二人きり、特別教室102にて顔を合わせております。

 後ろの黒板では、妙に絵の上手い中三の横坂さんによって手掛けられた美少女キャラクターが「リンゴは下に落ちるのに、なぜ月は落ちてこないのか」と真剣な表情で疑問を呈しています。萌えキャラ化したアイザック・ニュートンなのでしょうか。日本には、偉人が片っ端から可愛い女の子になる強い万有引力がありますからね。もしかすると、可愛い私も、元は偉人だったのかもしれません。

 月が落ちてこない理由? とっくの昔に堕落しているからでは?


「リンゴは美味しいですよね、防人様。冬になると、青森の方からいただいた蜜入りのリンゴで、付き人がコンポートを作ってくださいます。とろけるように甘くて、とても幸せになります」


 言いながら御影さんは、朗らかな笑みを浮かべました。微視単位でうねりのない流麗な黒髪が、まだ新しい制服の上部を彩る亜麻色の生地をサラサラ撫でます。美しくもあどけなさの強く残る彼女の顔に、蜜入りリンゴならコンポートにしなくても美味しいのではないか、と庶民的な意見をぶつけそうになりました。相手が野々島さんのような有象無象であれば問答無用で正論顔面ケーキしていたところですが、よりにもよって街一番の名家の娘ですので、心の内に留めるだけにします。


「でも私、リンゴよりも梨の方が好きです。ふふ、何故だと思いますか?」

「えー気になりますね。『利』の生る『木』で『梨』だからですか?」

「なんて強欲でがめつい発想……お金がないと心まで貧しくなるという噂は本当でしたのね……ゴホンッ! す、素敵な回答です」


 引かれました。結構辛いです。別に、ジジくさい言葉遊びとかではなく、字の成り立ちからしてそうなってるじゃないですか。水っぽいだけの梨で一番縁起が良いところじゃないですか。あんまりです。


「正解は──梨にはシャリシャリ食感の源、『石細胞』があるからです! 先祖代々石細工職人である石黒家は、神聖視して止まない石を体内に取り込みたいと日頃から思っております。しかし人体の構造上、石の摂食など頻繁には行えません。そこで我々は、石の名を冠する物質を代わりに摂取することで石のパワーにあやかります。『石細胞』は石の細胞と書きますからとりわけ魅力的です。どうです、腑に落ちましたか? ストーンと!」


 御影さんは言葉の締めで、ドヤ顔を披露しました。言いつけを守って誇らしげにする後輩のような可愛らしさと、不快な加齢臭が同居しております。この子は赤ちゃんだった頃、男物用洗濯カゴの中でおしめを取り替えてもらってたのかしら。

 私の好き嫌いは抜きにすると、独自の験担ぎを守る名家の実例は、なかなか興味深かったりします。実質オカ研の文芸部と御影さんは、かなり相性が良いのかもしれません。石黒家の好感度は、節目節目に石と付く物を送っておけば稼げそうです。とりあえず、お中元に石鹸、暑中見舞いにストーンアイスキューブ、お歳暮には大納言小豆を寒天で包み込んだお菓子「紫雲石」、バレンタインには義理の小石チョコレートを用意しましょうか。


「御影さん、前置きはこのぐらいにして、本題に入りましょう」


 時間も無限にあるわけではありません。夕食までのタイムリミットは刻一刻と近づいております。呼び出した表向きの要件について、早々に片付けてしまいましょう。見学に来た新入生たちが文芸部に抱いた印象だって、私にとって重大事項ですし。


「楽しんでらっしゃいましたよ皆様。贔屓目もお世辞もなしに。オーギュスト・ロダンの『Eternal Springtime』のように生き生きとしておりました」


 どれだけ命の躍動を意識していたとしても、あくまで静的な物に過ぎない彫刻作品で生きた人間を喩えることには、本物のタレントをモノマネ芸人のようだと讃えるのに似た違和感がありますが、まあ、有意義な時間を過ごせたのなら良かったです。二十五人の仮入部員のうち、二十人弱は文芸部に名前を入れてくれるのではないかとの所感もいただきました。信じますからね。

 入ってくれそうな子の人柄について探っているうちに、時刻は午後四時を回りました。話題がひと段落ついて、束の間の静寂が、特別教室102に舞い降ります。向かいの特別教室104から、「ほととぎす、鳴きつる方を、ながむれば」と歌う声が、ぼんやりと聞こえてきました。百人一首部です。


「ただ有明の、月ぞ残れる」


 御影さんが七七の部分を呟きます。教養のある少女です。ほととぎすの鳴く声に、夏の訪れを予感して振り返ると、夜明け前の月があるだけだった。まるでプロジェクト「月嫡再臨」の最期を詠んだ歌のようで、背筋がゾワッとします。

 小さな恐怖を振り払うべく、低い音になるよう努めて、彼女が三日前に仕掛けてきた質問を繰り返しました。


「土曜日、広場で起きた爆発から、どうやって逃げたのか? ですっけ」


 わざわざ二人だけで集まった真の理由へと軸を移します。

 御影さんの表情が驚きに歪みました。すぐに取り繕ってしまわれましたが。普通の中高生なら見逃してしまっただろう僅かな表情の変化も、「ルナ・チルドレン」になって強化された私の目は誤魔化せません。

 多分ですけど、彼女は、こちらが場を設けた裏の動機について、石黒家が何故私に近づいてきたのかの事情を探ることだと予想していた。つまり、秘密を喋っても良い相手かのテストが行われると考えていたのです。

 にもかかわらず、防人都(わたし)の方から核心に触れた。

 月曜日の昼休みに御影さんと接触した直後は、私も腹の探り合いから始めようと思っていました。しかし、その日の夕方に、事態は一変したのです。湯ノ原が解読した暗号から、月の紛い物(・・・・・)が現れたことで。


「教えて差し上げても良いと思っております。ただし条件付きですが」


 今度こそ、御影さんは目を見開いて、驚愕を隠そうとしませんでした。このリアクション、やはり石黒家は私に興味津々ですね。いや、私にではなく、私の右胸に巣食う「発受信体(ラジオ)」にかもしれません──これは深読みし過ぎでしょうか。石黒家が「月の使者」関連の情報についてどこまで掴んでいるのかは分かりませんが、広場での事件で一緒にいた湯ノ原ではなく、私に決め打ちしてアプローチするだけのエビデンスを握っているのは間違いありません。

 特に石黒家と関わりがなかったはずの松柄さんが、月の紛い物を暗号に残せた事実と繋ぎ合わせると、一つ見えてくるものがあります。朧煙の地には、「月の使者」と連なる何かがある。必然的に、松柄さんの死は、クソッタレな月の魔力からもたらされたのではないかという疑惑も出てきます。現代科学に制約された警察では手に負えないかもしれない。

 もはや、験担ぎに代表される非科学(オカルト)の領分です。日に一メートル成長する竹を彷彿とさせる速度で、内に使命感が育っておりました。他の誰でもなく、この私が、謎を解明するために動かなければならない。

 御影さんは、恐る恐ると口を開きました。


「条件とは?」

「解決に協力していただきたいのですよ。先週の火曜日に学校外れの丘で起きたと見られる、松柄風水の死亡事件について」


 しばらく悩んだのち、自分の一存では決められないと彼女は言いました。さもありなんと私が頷き、この日の会合はお開きとなりました。


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