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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第五話 空漂う めくれぬ月

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 水曜日の放課後になりました。文芸部の正式な開催曜日です。そして、文化祭のためにどれだけの人手を確保出来るかの分水嶺でもあります。舵取りを誤り激流の方に入ってしまったが最後、荒れ狂う水に容赦無く転がされたのち、船と一緒に爆砕する運命を辿ることでしょう。喉の奥へと張り詰めた緊張により、眠れそうもありませんでした。授業中の話です。昨晩は快眠でした。

 野球部、サッカー部、吹奏楽部などといった表通りの部活動ならともかく、文芸部を選択肢に入れる人間は、よほど読書や作文が好きという訳ではない限り、基本的には「サブカルオタク寄りの無党派層」と評すべき連中です。引きこもりに優しい現代においては、若年人口におけるボリュームゾーンの一つ。格好付けようという欲望がなく、そのせいで滲み出る不恰好な本性が笑われない居場所を求めて、本やネットを彷徨う幽霊たち。臆病で寂しがり屋な彼らは、ひょっとすると現実にも自分の生息地があるのかもしれないと、新しい環境に所属したばかりの節目で、なけなしの勇気を振り絞ります。世間知らずな稚魚たちを、どれだけ「文芸部」の疑似餌でルアーフィッシング出来るかが、勧誘成功の鍵となります。騙された彼らに発動するのが、『ワイ陰キャ。文芸部の看板と車椅子の美少女に吊られて入部したら、文化祭ホラー系企画ガチ勢の実質オカルト研究会で涙目』トラップなのです。松柄さん命名。近年著しい価値観のアップデートに対応し、事前の魅力的な要素として車椅子の美少女が加えられました。


「ククク。入部届に血判を押した後、いくらでも恨み言を吐くがいい」


 陰キャの労働力を骨の髄までしゃぶり尽くす想像が、疲労時に摂取したブドウ糖の勢いで脳に染み渡り、自然と笑みが浮かびます。これが、世間知らずのガキどもに労苦という概念を教える大人の愉悦なのでしょうか。いけませんね、キャラどころか、魂まで陰の領域に浸ってました。特別教室の廊下では、採光経路が少ないせいで、蛍光灯の明かりが鋭い白を纏っているからでしょう。車輪の下の暗黒へと、自己の主体が乗り移ったように錯覚します。


「血判、いる? ベータ。カッター貸して」


 文芸部への縁故入部を決めたデルタから、トンチキな要請を受けました。冗談で刃物を貸したら、本当に親指の腹を切ってしまいそうな無知さが染み付いています。眉間を押さえました。どこの誰がこの子を引き取ったのかは知りませんが、勉強に関する知識はさておき、最低限の常識ぐらいは身に付けさせておいて欲しかった。


「言葉の綾です。武士の決意表明じゃあるまいし、たかが学校の書類で傷と痛みを求めるなんてあり得ません。まあ、同じくらい重い誓いと見做しますが、サインだけで結構ですよ……、ん? デルタ、あなたの苗字『たま風』の一文字目、『魂』ですよね? 丸い『玉』ではなくて」

「そうだっけ。そうだったかも」

「実験から解放された後に付けた名前なんでしょうけど。変に怪しまれますよ? 自分で名乗ったんでしょう? ちゃんと把握しておきなさいな」

「ん。考えたの私じゃない」


 推測が否定されます。じゃあ誰が。解答が示されたのは、疑問を抱いた矢先のことでした。


「シータ」

「──え?」


 デルタの口から軽く発せられたギリシャ文字に──他の「ルナ・チルドレン」との交流を仄めかす言葉に、私は、驚愕を禁じ得ませんでした。

 思考の行き交う全路線が麻痺します。もちろん、シータの生存に驚いたからではありません。デルタが生きている以上、他の仲間が生き残っていても不思議ではない。デルタとシータが私を差し置いてやり取りしていることにショックを受けたというのも、違います。複雑な気持ちがないと言えば嘘になれど、微笑ましい感情が優ります。

 単に、想像もしていなかったのです。「月嫡再臨」プロジェクトが廃され、クソジジイという軛が無くなってなお、「ルナ・チルドレン」が、自分ら同士で連絡を取れる状況に身を置けると。

 タブー視していた、他の七人の行方に関する話題。口に出そうとしたその時、特別教室102の鍵を持った野々島さんが、職員室から戻ってきました。

 部屋に入り、後ろのホワイトボードに仮入部希望者の名前記入用紙を貼り付けます。実はこの書類、去年まではデジタルだったのですよ。生徒にタブレット端末の配布を決定した際、学校は紙利用の削減にも意欲的に取り組んだそうですが、私が入学した頃の記憶と照らし合わせると、明白な「揺り戻し」が発生しています。居眠り生徒を小突くのにちょうど良い名簿、サボり魔から凝り性まで生徒の個性を詳らかにする日直日誌、視界に入れるだけでゲンナリする時間割、他にも委員会や体育祭などでの役柄の割り振りなど。処理の過程に算数的作業がない場合、デジタルファイルの埋もれやすさが、紙書類の紛失リスクを上回ると判断されたのでしょうか。

 しかし、こういう記入用紙が実物で存在されると、記入欄の空白に緊張感を覚えちまいますねえ。であるが故に、最低でも一人は埋まる安心。石黒御影さんから入部の言質は取ってます。まさか名家のお嬢様が、約束を違えるなんてあり得ません。ああ、高一であるデルタは名前の記入を求められませんが、禁止されているわけではないので、見栄えのために書いておきましょうかね。


「なあタマ。数学の補習さ、時間決まったらしいんだけどいつか分かる? あたし眠すぎて、意識飛んでて聞いてなくてさ」

「行くの? バックれちゃ、ダメ?」

「だよね、二人でサボッちゃおっか」「ベータも一緒」

「私はそもそも補習の対象になってないんですが」

「抜き打ちテストで満点とかズルくね? サッキーって数学だけ得意なのホント腹立つ。他は平均周りとか、歴史系なんて壊滅してるのに」

「野々島さんはすべての教科でカスでしょうが。進級出来たらいいですね」

「しん、きゅう……?」

「ベータ、テスト、机から落とすフリして見せて。私、速読は得意」

「速く読めるのはいいとして、内容を覚えられるんですか?」

「……ムリ。しょぼん」


 義務教育にはなかった留年という崖っぷちに怯む野々島さんと、堂々とカンニングの手法を提案するも前提条件を満たせず落ち込むデルタ。新入生を迎えるにはあまりにも暗い雰囲気。もはや夜です。まあ、見学者向けの説明が始まるまで三十分、それだけあれば元に戻るでしょう。おバカちゃんたちなので、三歩も悩みの中身を覚えられない。

 再び、仮入部希望者の名前記入用紙に視線をやります。より正確に言うと、貼った位置に注意を向けました。そこは、松柄さんが二枚組の暗号を残していった場所。湯ノ原によって解読されたソレは、トラウマに巣食う月の紛い物(・・・・・)の姿をより鮮明にしました。「月の使者」の遺骨がもたらした狂気の示唆、自己の複製たる仔を生成する技術の前段階、力の遠隔発動を可能とする子機の召喚。通過点だったはずの実験は、ものの見事に失敗した。安全マージンを取って九人全員で事に当たったことが仇になりました。制御責任の分散により、子機の暴走に歯止めをかけられなかったのです。一番初めにそれに気がついたのは、業腹にもクソジジイでした。使者仲間の子供を庇護する精神は持ち合わせていたらしく、杖を振りかぶって殴りかかるも、濃密な震動に体内をシェイクされ、血を吐いて死にました。月の紛い物に対抗出来る者は、私しかいなかった。怯え切って動けないイオタをガンマに投げ渡し、肉声と通信の両方で「逃げなさい!」と叫んで、出力可能な最大限の震動を紛い物にぶちかましました。五百メートル級の山であれば粉々に崩壊させられる威力だったと自負しています。しかし紛い物は、憎たらしい笑顔をほんの少し不快そうに歪めただけで、大した損害は与えられませんでした。

 ところで、背後に忍び寄る影の気配を感じます。もしも彼女が、獲物を狙うサメやヴェロキラプトルだったのなら緊急事態なのですが、喩えてもせいぜい人間を驚かせようとする猫でしかなく、警戒の必要性は皆無です。肉体言語の土俵であれば不意を突かれても負けません。まあ、口が裂けても、権力のステージで勝てるとは言いませんが。


「早速来てくださったのですね、石黒さん。ありがとうございます」

「あら、バレてましたか。さすが防人様、学園の裏番長『ワイルド・デスロール』と噂されるだけはあります」


 空耳でもしてしまったのでしょうか。ワイルド・デスロール? 野生のワニさんの必殺技ですかね。誰がそう呼んだのか、怒らないので名乗り出て欲しい。虚言の生成を防止するため、舌を掴んで捻じ切るだけにとどめます。


「裏番長どころか、閻魔王みたいな発想をごく自然に。石に愛される方は、一味も二味も違うものなのですね」

「石ではなく足に愛されたいです!」


 欲望が口を突きました。石黒さんはスルーし、代わりに問いかけてきます。


「防人様は先ほど、何か考え込まれているようにお見受けしました。考え込まれているからこそ、悪戯心が湧いてコッソリと近づいたのです。石細工職人の娘としての勘ですが、ひょっとして防人様は、石に思いを馳せておられましたか?」


 石細工職人の娘を枕詞に挙げるだけあって、石に関しては鋭い。正解とばかりに頷きました。


「ええ。不気味に笑う石ころについて、少し」


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