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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第一話 月隠す無情の雲
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 おはようございます。私です。薄桃ふんわり系コーデが似合う儚げ可愛い女子高生、防人(さきもり)(みやこ)です。名前が雅? よく言われます。

 朝に目を覚ますと、まず認識するのは、二段ベッドの上の台に油性ペンで書かれた、「またどこかで」という文字です。随分昔の使用者が残していったのだろうそれからは、寂しさと決意が強く感じられ、見るたび切なさを覚えてしまいます。この部屋で暮らし始めて、すでに三年と少しも経過していると言うのに、です。書いた人は、今も生きていらっしゃるのでしょうか。またどこかでと、再会を願う人に、また会うことは出来たのかしら。


「デルタ、アルファ……」


 私にも、会いたい人たちがいます。生きているかも分からない、私の大切な親友たち。会話と呼べるのは、ホコリひとつなく清潔な──されど、家具の配置から、あるべき人の意志が抜け落ちたかのような不気味な──部屋で行われた、互いの感覚と体験を共有するだけの、無機質なやりとりぐらいでした。それでも通った心だけが、あの頃の私の、唯一の光で──いけません。おセンチな気分に浸っていては、朝食を取り損ねたまま授業に臨む羽目になります。

 諸事情あって、自身の腰から下を操ることが難しい私にとって、起き上がるだけの作業も一苦労です。肩と腕をフルに使ってベッドから這い上がり、部屋用車椅子の座面に乗っかります。ベッドに引っ掛けられた制服に着替えてから、グルリと車椅子を回転させて、今日のカリキュラムに必要そうなモノを鞄に詰め込みます。その他諸々も済ませてしまって、一人で準備を終えました。(みちる)さんに手伝ってもらえばもう少し楽も出来ますが、「普通」のことは自分でやりたい、だからなるべく手を出さないで欲しいと、私が彼女にお願いしたのです。


「よく出来ました」


 約束通り、見守ってくださっただけの盈さんはそう言って、私の髪を整え始めました。こういうのも自分でやりたいのです。しかし、「都さんの感性は独特ですから」と、ヘアスタイリングや化粧の類は、どうしても私に任せてもらえないのです。

 解せませんよね? 美術の授業で皆に「スゴイねぇ」「型破りだ」「爆発している」と恐れ慄かれる私のセンスが、芸術のげの字も知らない彼女には理解不能なのでしょう。


「私が本気を出せば、美容界に革命が起きますよ」

「はいはい都さん。じっとしてましょうね。羽化なきサナギのように」


 軽くあしらわれました。サナギに羽化がないって、それはもう、死んでいらっしゃるのではないでしょうか。浮かばれませんよ、このままでは。

 髪を弄られ、手持ち無沙汰な間、鏡の裏の壁に目の焦点を合わせます。

 昨晩のアレ(・・)は、いったい何だったのでしょうか。

 上昇する黄土色の光。車椅子に乗る成熟した女性。あの人の顔、どこか私に似ていたような。


「考えれば考えるほど、タチの悪い幻覚としか思えなくなってきました」

「都さんの『アート』とやらが?」

「だまらっしゃい。今に私の芸術魂の虜にしてみせますから」

「精神干渉系の呪い効果もあるとは、なんと恐ろしい。あ、終わりました。髪のことですよ。朝食に行きましょうか」


 私が通う公立中高一貫校「朧煙(おぼろけむり)」の女子寮は、朝と夕の食事付き、昼はお弁当を支給と、食糧事情についてはとても親切な設計になっております。「朧煙」はお金持ちの子息子女向けに創設された学校ではなく、メニューの方はお世辞にも豪華とは言えません。しかし、盈さんによると、プロもびっくりなくらい栄養バランスは整っているらしく、寮母ババアの愛情を感じます。


「今日の主菜はグリルチキン……鳥の脂はいいですね。マヨネーズにどっぷり浸した唐揚げをキメたいものです」

「都さんの欲望に素直なところ、私は好ましいと思ってますよ」

「おはよ、サッキー。朝から唐揚げ食べたいなんて、肉食系女子だねぇ」


 受け取り列に並んだ途端、背後から声をかけられました。

 挨拶を返します。


「おはようございます、野々島さん。唐揚げに思いを馳せただけで、肉食系女子のレッテルを貼られるのは極めて遺憾です。言っておきますが、私は植物も嗜みますよ。ライス最高。米は大盛り、Miyako Sakimori」

「海外で活躍する日本人アスリートのキャッチーな紹介フレーズ?」


 三人で卓を囲み、男性スポーツ選手に何をされたらトキメキそうかで、会話に花を咲かせます。小柄な野々島さんは、筋肉ムチムチの肢体に優しく抱えられ、懐にすっぽり収まりたいという可愛らしい願望があるようでした。足がこんなになってしまった私としては、盛り上がった腿の筋肉を枕に寝転がらせてもらうシチュが最高に滾ります。盈さんのお話については、生真面目クールなお顔から、こども安心フィルターに余裕で引っかかりそうなワードがバキュンバキュンと繰り出されたため、ここでは割愛させていただきます。

 さて、「朧煙」の女子寮は、学校の敷地内にございます。本当はもう少し歪なのですが、敷地を長方形に喩えると、直角を成す四隅のうちの一つに陣取っているのです。校舎からは程近く、車椅子登校でも五分とかかりません。余裕を持って起床すれば朝食時にお喋りが可能な、極めて素敵な立地と言えます。あまりにも便利すぎて、時間距離三十分以内に実家がある場合であっても、寮に引っ越してくる女子生徒は珍しくありません。逆に男子寮の方は、学校を乗せる台地の麓にあるものですから、登校の観点に立つと若干不便になります。まあ、あちらには、最寄駅や駅前の娯楽施設に近いという利点もあるのですが。とにかく、通学の移動が少なく済む学校を見つけて下さった盈さんは、とても気の利く方なのです。

 一年生の教室は、高校棟の三階にあります。これは不都合です。一階に変えてもらいたい。しかし、二年生や三年生にも車椅子の方がいらっしゃるため、呑みました。そもそも「朧煙」は中高一貫校ですから、中学入学の時点で既に一回通った道です。致し方なし。

 階段で、盈さんに運搬される私に、野々島さんが言いました。


「転校生が来るの、今日だったよね?」

「はい。そのようですね。普通の小学校中学校ならともかく、高校生にもなって珍しいですよね。魂風(たまかぜ)美澄さんでしたか?」

「男子が騒いでたよ。可愛いって」

「野々島さんとどちらが可愛いんでしょうね」

「そりゃ、あたしに決まってるじゃん」

「ならば私が優勝ですね」「こいつぅ〜」


 悔しさの滲む野々島さんの声に優越感を覚えます。その矢先、彼女は媚びた様子で数学の宿題を写させて欲しいと頼んできました。実に愛い奴です。快く了承の返事をして差し上げました。


「都さんはチョロいですね」

「なんですか盈さん。その生暖かい目は」


 教室に入ります。緩くカーブする黒板、焦茶色の教壇、側面の細かな傷が錆び付く教卓、六行五列に並ぶ学習机、まばらな視線、新年度が始まったばかりでニスの擦れが少ない床、斜めに差し込む朝日。真新しさはありませんが、後ろの黒板に描かれた森◯製菓のキョ◯ちゃんが、入口からの見栄えに良いアクセントを加えています。

 ここから先、教師の(・・・)業務終了時刻まで、盈さんの役目はクラス担任に変わります。大学在籍時、気まぐれで教員資格を取っていたらしく、彼女の担当教科は歴史系になります。それらは、暗記が不得意な私にとって、大の苦手分野です。そうと知っているにもかかわらず、彼女は頑なに、試験内容の横流しや成績の改ざんには応じてくれません。

 ドケチです。


「では私は、職員室に転校生を迎えに行って参ります」

「どのような方なのですか? 魂風さんは」

「まだなんとも。この二日間、事前の顔合わせ時間が取れなくて。高校一年最初の体育で大暴れしたどこかの誰かさんのせいで、グラウンドの整備や廊下掃除の業務が発生したもので」


 盈さんが教室を出て行ったのち、男女問わず、サッカー部や野球部、ハンドボール部などの面子からもお小言が飛んできました。あまりにもネチネチと鬱陶しかったため、「この可憐な美少女っぷりに免じて許していただけませんか?」ときゃるん♡付きでお願いしてみたところ、なんと、クレーマーの全員から鼻で笑われたのです。

 ただただ驚きで、キョトンとするしかありませんでした。

 チャイムが鳴ります。

 盈さんが入ってきた瞬間、喧騒は鎮まり、代わりに椅子のスタンピング音が鳴り響きました。


「おはようございます。連絡事項の前に、お伝えしていた転校生を紹介します。魂風さん、入ってきてください」


 足腰の立派な偉丈夫と言うならともかく、同性の転校生に特段の興味もなかった私は、出回っていたらしい写真のチャックを怠っており、それが仇となりました。引き攣りそうになるくらいに目を見開き、人生で二番目に大きい声で、あるいは声帯を押し潰す勢いで「えっ!?」と叫ばざるを得ませんでした。もしも足が自由であれば、私はその場で飛び跳ねていたでしょう。

 彼女は成長しておりました。会ってなかった七年分。しかし、その面影を、見間違えることなどあり得るはずもない。


「デルタッ!?」


 向こうも背中を仰け反らせ、返事をビリリと弾かせました。


「ベータ!?」


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