17
自分はこれから死ぬのだと、松柄さんが知ってたみたいじゃないか。
夜が通り過ぎて、日曜日になりました。タブレット端末の画面にタッチペンを走らせます。お絵描きアプリの定規に従って、真っ直ぐな黒い線が引かれました。イレイサー機能を使って、余計な部分を消します。下書きレイヤーを非表示にして、バランスが悪くなっていないかの確認。現在の私は、新入生呼び込み用のポスター作りに着手しています。文芸部と言われれば真っ先に思いつくイメージだろう、開かれた状態の本を描きました。まだまだ完成には遠いですが、休憩にはちょうどいい区切りです。
冷蔵庫から麦茶を取り出し、飲みました。ほのかな苦味が冷たさを伴って喉を通り抜けます。昨日の別れ際、湯ノ原が口にした言葉を想起しました。メッセージに焚き付けられて、前に進むことばかり考えていた私が、すっかり看過していた疑惑。後輩に後を託した。自分の死を予知して。常識の枠組みでは、平和な世を生きる健康な女子高生が死期を正確に悟れる状況は、次のような場合のみでしょう。自殺か、殺害予告があったか、あえて死出の冒険に飛び込んだか。超常の領域まで踏み込むのなら、例えば、予知に関する訓練はクソジジイのプロジェクトでも行われており、確定した未来であれば私でも読み取れます。ただし、確率的事象や人の意思決定が絡んでくると、判別可能な情報はほとんど得られなくなってしまう。松柄さんが予知に特化した超能力者だったとしても、個人レベルの未来予測が出来るとは思えません。
本を舞台に音楽を奏でるロックバンドメンバーのうち、ドラムの担当を清書しました。ちょうど昼食の時間です。食堂に向かうと、野々島さんと呉林さんに出会いました。二人は相部屋です。入学時、どちらが二段ベッドの上を取るかで争い、勝利を掴んだのは野々島さん。しかし、奴は横着して下のベッドで寝てしまうことが多いのだと、呉林さんがキレ気味に話していました。私は「上段の台の下に『宿題』と書いたガムテープでも貼っておきなさい」と助言しました。以来、不当な占拠は起こらなくなったようです。
「おっ。サッキーじゃん。爆発事故あったの知ってる?」
「爆発事故? 初耳です。物騒ですねぇ」
しらばっくれます。まさにその時その場所にいたのだと、エアロゲルより軽いフットワークと口を持つ野々島に知られたら、立ち所に噂を流され、警察にお節介を焼かれる羽目になりかねない。あと、商店街の広場をめちゃくちゃにしたあの現象は、爆発に類するモノではなかったような気がするのですが、まあ言葉の綾でしょう。
「またまたぁ。商店街の話じゃないよ。どうせ、新入部員勧誘ポスターで爆発事故を起こしてるくせに。中一の廊下をホラー仕立てにするつもり? 文化祭の予行演習的な?」
「このマスに止まったプレイヤーは、ゲームマスターの地雷を踏み、献立の主菜を失った上でスタート地点に戻って赤ちゃんからやり直しです」
「返してよぉあたしの白身魚フライ! バブう! 転生しても野々島でした」
「言い過ぎたんだって野々島。荒屋先生の検閲があれば大丈夫でしょ」
「呉林さんは信用しているのですか? 盈さんのゴミカスフィルターを」
「そりゃあフィルターはゴミカスを取り除くもんだし」
ピキります。呉林のヘイトカウントが1進みました。こいつの白身魚フライもいつでも奪えるようにさりげなく体勢を変えつつ、現実を教えてやります。
「検閲など、今年は華麗に通過してやりますよ。ボンクラ審美眼のなんら正当性のない規制に引っかかりそうな箇所を描いたレイヤーだけ、別のファイルに保存してやればいいのです。実際に飾られるのは、見せデータとペインティング・オブ・ザ・ソウルを統合し、真の意味でのアートに昇華した、完成形の勧誘ポスター! 文学から飛び出すロックバンド、そのボーカルのシャウトが広げる無限脚線美空間は、鑑賞者の奥底に眠る足の筋肉への渇望を表に噴き上がらせて、大腿下腿の果てなきビルドに生涯を捧げさせることでしょう!」
「悪夢じゃん。今年のお化け屋敷、教室にサッキーだけ置いといて、フェチズムに纏わる虚妄を延々と語らせとけば成立する気がしてきた」
ボコボコのテメェを展示するぞ野々島。
野々島さんと呉林さんの美意識は、スタート地点に戻るまでもなく赤ちゃんレベルだったようです。伝道師として二人を大人にしてあげなければと、足の良さについて滔々と語っていたら、寮母ババアに食堂から追い出されました。ええ、迫害です。日本では禁止されていると思います。
4世紀頃の欧州でのキリスト教と同じく、大衆への布教には、一目で神々しさが伝わりやすい宗教画が必要なのでしょう。部屋に戻って黙々と絵を描きます。好きを形にするのに、輪郭だけでパッションは収まりきらないことを中一のひよっこどもに示してさしあげたい。
ポスターテーマ「クク……貴様も脳内で文字をシャウトさせてみないか?」に従って、いよいよボーカル担当のメンバーを顕します。想像上で、彼らが命を削って紡ぐ旋律に耳を傾けていると、会場を支配する無数の音符が足となり、私に絡みついてきました。硬い肉の凹凸に撫でられる幻覚が刺激的な電気信号となって、脳の快感を司る部分にダイレクトに効きます。足の一つを抱き寄せて、普段は靴や靴下で覆われている、魅惑の足裏に頬擦りしました。「くすぐったい」と声が聞こえます。
その足の持ち主は、湯ノ原でした。
「えひゃっ!?」
見当違いの方向に走るタッチペン。慌てて「戻る」の矢印を押します。どうして急に湯ノ原が出てくるんですか。まったくもう。タブレット端末を膝に乗せ、机に突っ伏しました。体が熱い。お絵描きに集中しすぎていたのかも。冷蔵庫の麦茶を飲みます。
足の波が引き、空になったライブ会場で、松柄さんがニヤニヤ笑っていました。「かわいいなあミヤコは」と、おちょくるように言ってきます。伽藍とした淋しい心象風景。熱気はすっかり冷めていました。
松柄さん、と呼びかけます。あなたになら、いくらでも揶揄われても良いのです。私は彼女に問いかけました。自殺するような理由はなかったですよね。他者からの殺意を伴う憎悪に晒され、あなたはそれを受け入れたのですか? あるいは、これは妄想の類かもしれませんけれども、フィクションのデスゲームじみた催しに参加して、敗北してしまわれたのですか? あなたは死を予感していた。その死は、あなた次第で避けられるものではなかったのですか? それとも、如何なる努力を以ってしても避けられないものだったのでしょうか? つまり、私を置いて死んでしまっても構わないと思っていたのか、そうではなかったのか、それだけは教えていただきたいのです。
慈しむような視線以外、彼女は何も寄越してくださいませんでした。
盈さんが帰ってきました。学校の図書室で教材作成に勤しんでいたようです。
「ポスターは出来ましたか?」
「はい。ちょうど」
「見せてください」
ちっ、忌々しい検閲タイムが始まっちまいましたよ。しかし、データの分割保存は済んでいます。擬装はバッチリです。タブレット端末を渡しました。訝しむように眉を顰めたのち、カッと目を見開いて、盈さんは二段ベッドの上段に昇ってしまわれた。高速で指を動かし、端末画面をこちらに見せつけます。
表示物は、ポスターの完成図。
なぜバレた!? 驚愕に慄くより他はありませんでした。
「ぬわあぁ!?」
「馬鹿め! あなたの浅はかな考えなどお見通しです! 悍ましい方のファイルは削除させていただきますよ」
「やめなさい盈さん! それは高尚なアートです、消すなぞ世界の損失! タブレットを返すのです! キーッ」
必死で手を伸ばすも、二段ベッドの上には届きません。車椅子の身では、能力を使わなければ、一人で梯子を昇るのは難しい。
「いったいその絵の何が悪いと言うのか! 観音開きがあり、千手観音がいるのなら、本が千足観音開きしてたっていいじゃないですか! 物語の物質的制約から解き放たれた本の中のロックバンドなら、織りなす激しいリズムに幾千もの筋肉質な御足を生やして、観客の感性を奥底まで踏み鳴らしたっていいじゃないですかあ! なぜ否定するのですか!?」
「無垢な中学一年生たちを恐怖のどん底に叩き落とす危険性があるからです! デジタル作画なのに汚い執念がこもりすぎなんだよっゾーニングしろ!」
盈さんの指が再びタブレットに差し向けられます。本気でデータを削除するつもりです。一度も自分の創作と向き合ったことのない空虚な人間に、私のBig Loveが殺されてしまう! なりふり構ってはいられませんでした。車椅子のベルトを外します。脊髄の無事な部分で動かせる筋肉を総動員し、お尻の弾力をも使って、座面からロケットのように飛び上がりました。狙い通り、高みから私を見下していた盈さんの隣に着地し、タブレットに手を伸ばします。
「返せぇ……」
「ギャアァ!??」
飛び降りた盈さんの背中に枕を投げつけました。躱されます。運動不足に甘んじる社会科教師のクセに、なんという反射神経。慌てて腕力で車椅子に戻りましたが、時すでに遅し。渾身の芸術はデリートされておりました。勝利の雄叫びを上げる盈さん、悔しさに泣きながら肘掛けを殴る私。この後の展開も合わせて、現実は非情でした。
コンコンと、部屋の扉がノックされます。恐る恐るといった様子で盈さんが応じると、ドアの前には、極限まで口角を吊り上げた寮母ババアが立っておりました。冷や汗が止まりません。
「騒音公害の言い訳は?」
住民二人、首を横に振りました。「よろしい」と頷いてから、「反省文でもいいんだが」と少し思案し、寮母ババアは判決を言い渡しました。
「屋上のソーラーパネルがまた壊れてねえ。二日前に修理したばかりなんだがね。ちょっくら原因を調べてくれや」




