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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第三話 月占う 不覚の先

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 カフェを出て、なだらかな坂道の終着点を眺めると、灰色の道路と落下防止用のガードレールを挟んで、雄大な緑の谷を見下ろすことになります。人間側が油断すれば、この街ごとパクリと飲み込まれてしまいそうな、力強い自然に圧倒されます。先ほど行った結婚数減少への考察など、重箱の隅の方に付けた些細な難癖に過ぎず、少子化、無気力化も含めて、人類が自然に敗北し始めているのが根幹的要因ではないかと、心胆が寒からしめられるのです。

 同時に、素足で立てもしないのに、鳥になって飛んでいるのかと錯覚する。翼の幻肢痛がして、心が落ち着かなくなりますが、その浮遊感が素晴らしい。小暮さんの立地選択のセンスに感服いたします。

 松柄さんも、ここが好きだと仰っていました。理由は私とまるっきり違って、月に近い所にいると改めて実感するからだそうです。新月の日の、真っ昼間。まったく賛同出来ませんでした。これくらいの高さで(ヤツ)に近づいたとは到底思わないと、内心で強がっておりました。

 アホ面下げて言うデルタ。


「うわあ。一眼レフで撮ったら、バズりそう」

「まあ、頭が悪くてつまらない感想ですこと! そんな月並みな子に育てた覚えはありません。『雪が降ったらどうなるんだろう』くらい言いなさい」


 絶景になります。

 ふと、頭の中に松柄さんがニュッと出てきて、「雪と月と、あと私たち『花』が揃って『雪月花』だね」と仰られました。いつもなら──終わってしまった日常ならば、「花なのは私だけです」と、小生意気な口を利かせてみせたのですが、たとえ想像の世界であっても、そうやって会話を咲かせてくださったのが本当に嬉しかったので、相槌を打つに(とど)めました。

 坂道を下ります。目指すのは、駅前の商店街。来た道を戻っても行けるのですが、小暮さんのカフェからならば、崖沿いの道路をぐるりと回り、ドライブスルー御用達のファストフード店やガソリンスタンドが点在する大通りに合流して、そのまま駅までまっすぐ向かった方が早いのです。

 車椅子を押す手が妙に慎重になりました。坂を前にして、デルタは及び腰になっているよう。手を離されても、車輪が重力に負ける角度ではないのですが。彼女の変わらぬ本質を見て嬉しくなります。横から湯ノ原が、「防人さんなら崖から突き落としても大丈夫だよ」と口を挟みました。デルタの緊張を和らげようとしたのでしょう。一切の曇りなき声音、私への強い信頼。冗談ではなく、本気でそう思っているようでした。お前を崖から突き落とすぞ。

 勾配がなくなりました。ガードレール外側にある、谷が纏う空白のせいで、ただでさえ幅のある道路がより広々と見えます。街に入る貨物トラックとすれ違い、びゅうと風を切りました。去り行く車の後部に、こんな高い所までお疲れ様ですと会釈しました。どうせ運転手さんからは見えないでしょうが。


「線路。見えてきた」

「ええ、もうすぐですよ」


 押され始めて四十分、駅に到着しました。塗り替えられたばかりの外壁が白く輝いていて、古くなったまま放置されない建物で良かったと安心します。駅が綺麗、それが示唆するすべての幸福を、この街に住む私は享受しているのです。点字ブロックは剥がれてましたが、すぐに修復されるでしょう。

 学区(こちら)側から見て反対側──中心区域側にある出入り口の方に行くと、正面に「朧煙商店街」の門が現れます。いつ見ても、足を伸ばされただけのバリカーのような、気の抜けたデザインです。長い足も嫌いじゃありませんが、筋肉(にく)にメリハリがあった方が好ましい。

 門の隣には郵便局があって、綺麗に磨かれたガラス張りの壁に、「大賞」と銘打たれた飛脚の絵が飾られていました。あの「飛脚」ですよ! 腿から下を大胆に露出しながら懸命に走る姿は、なんとも破廉恥極まりなくって、欲望がダイレクトにくすぐられます。

 商店街の門よりも、逞しい足の股下を潜りたい。


「ベータ、息が荒くなった。歩いてないのに」

「魂風さん、疲れたの? 押すの交代しようか?」「うん」


 駅側の門付近には、彫刻細工の工芸品店が複数陣取っています。細工物の原材料はもっぱら黒色系の大理石で、この辺りではよく採れるそうな。真っ白な石英が漆黒の鉱石を次々と貫く様は稲妻の軍勢を彷彿とさせ、素人目にもめちゃくちゃ格好いいです。その道の人たちには垂涎モノの品々とのこと。鯉、カマキリ、フクロウなど、大小様々なモチーフの造形物が置いてありますが、気になるお値段はどこにも書いていません。怖すぎます。

 ヒヤヒヤする一画を抜けると、雑貨や食品を扱うお店が増えます。干物屋もあります。凝縮された旨味の香りは、嗅ぎ慣れたものでした。松柄さんは干物が大好物で、ここで買った貝ひもを、よく歩きながら噛みちぎっていました。つい先日のことなのに、もう懐かしくなってしまって、衝動的に購入します。記憶よりも塩っ辛くて、緑茶が欲しくなりました。

 今いる南北ストリートと、垂直に交わる東西ストリートとを合わせて、私たちは「朧煙商店街」と呼びます。結節点には広場があり、地域のコミュニティセンターと化しています。目的地の一つである模擬店レンタルストアがある場所は、この広場の手前。部長の永眠により代わりの渉外役が一度伺いますと、予めメールはお送りしておりました。しかし、店主に改めて事情を話すと、彼女は初めて現実を呑み込み、ひどく衝撃を受けた様子で、半ば暴走気味に弔意を示してくださりました。

 現在、私の膝上に乗っかっている山ほどの駄菓子が、訪問の結果です。処理を試みれば、一日の活動を締めくくるのに重要な夕飯が入らなくなるでしょう。「小学校の遠足を思い出す」と湯ノ原は言いました。理解は出来ませんが、春の優しげな青空に当てられたのか、すとんと腹に落ちました。


「石、すごかった。もう一回見たい」


 デルタはそう言って、来た道を一人で戻っていきます。大袈裟な身振り程度で傷つけてしまえそうな繊細な石細工の宝箱に、車椅子で突っ込む勇気はありませんでした。ゆったりとした通路を備える博物館にならついていったかもしれませんが、ここでは背中を見送ることにします。朧煙の町を開拓した人々の子孫で、地元の名士でもある店のオーナーたちとデルタがトラブルを起こした場合には、町の会合でも顔の利く寮母ババアに仲裁を頼みましょう。

 干物が入っていたビニール袋を湯ノ原に持たせ、お菓子を詰めていきます。フットサポートを上げて、座面下の収納スペースに入れました。この作業中、湯ノ原は目を背けていて、私もなんだか恥ずかしくなってしまいます。

 珍しく、広場には他に誰もいませんでした。先ほどお邪魔した模擬店レンタルストアの屋根にスズメが何羽か集まって、仲間同士でチチチとやり取りを交わしております。西側のカードショップから、中学生くらいの少年たちがワラワラと出てきて、遠ざかっていく。中央区域側に建つ公立学校の生徒さんなのでしょう。東側の肉屋や八百屋の前にも人の姿が疎らにあって、夕方の混雑を避けたのかしらと推測します。うららかでのどかな昼時。

 無意識に視線を彷徨わせて、探すのは松柄さんの姿。


「俺、松柄さんと、ここに来てみたかったな」


 背筋に稲妻が走りました。ありったけの注意が湯ノ原に引き寄せられる。胸の内側に広がった感情は、言葉にするにはあまりに複雑だったのですが、その中にひとつ、好奇心が含まれているのは明らかでした。彼がその言葉を呟くまでに辿った思考の過程を知りたくなって、間断なく尋ねます。


「どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味しかないよ。でも、そうだな。あの人の在り方に、あまり踏み込もうとしなかった自分に気づいて、嫌気が差した。それで、事前に立てた遊びの計画が、あの人によってどう乱されるかを、体験してみたくなったんだ」

「松柄さんをデートに誘って、相性を確かめたかったってことですか?」

「違う! いや、うーん。そうなのかもしれないけど、防人さんの言い方は、どうもしっくり来ないなあ」

「ふぅん」


 肘掛けに右肘を突き、頬を手の平に乗せます。納得したような、そうでもないような。紛らわしくてヤキモキします。しかし、「しっくり来ない」との言い分に、嘘の雰囲気はありません。届かぬ死者の背中に未練はあっても、焦がれているわけではなさそうです。


 ──刹那のことでした。


 危機を察知しました。コンマ一秒がたくさんに分割され、処理可能な情報量が急激に拡大します。「ルナ・チルドレン」の実験で培った鋭敏な感覚が、空気の微細な振動を捉えました。ノイズで済ませられそうなソレは、たちまちに大きくなって、すぐさま異常域に到達します。

 地震でしょうか。直感に過ぎませんが、少なくとも、断層やプレートの運動で説明可能な、地球固有の揺らぎではないように思われました。

 広場の端、吹き飛んだタイルを起点に、津波のように捲れる地面。

 咄嗟に前に出て、湯ノ原は私を庇おうとしました。しかし、その突発的な災害は、どう見ても人体に止められるものではありませんでした。座して眺めるだけでは、共倒れは不可避です。

 仕方がありません。能力を使います。

 右胸部の「発受信体(ラジオ)」から、月のエネルギーを引き出しました。車椅子を分解し、形態変化させた部品の数々を別の形に組み替えて足に纏わせます。金属の管が伸びて、ダメになった腰椎の上に接続されました。ロボティクスのアシストで立ち上がり、湯ノ原を抱きかかえます。そして、広場を見下ろせる高さまで跳躍し、文芸部の仲間と度々訪れた、アニメグッズを販売する小型ビルの屋上に着地しました。

 高負荷のGが掛かれば、慣れないうちは失神してしまうもの。しかし、さすがは将来を嘱望されるアスリート、限界は近いものの、湯ノ原はまだ意識を保っていました。


「ありがとう……」


 しっかりお礼を述べられてから、彼は瞼を落としました。


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