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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第一話 月隠す無情の雲
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人類が空想する月にはそれはもう色んなヤツらがいますが、その中でも特段メイワクなヤツを書きたいと思います。よろしくお願いします。


 今からおよそ12000年前まで、月は魔力を帯びていた。

 現在の文明が到達した叡智であってもまるで説明のつかないその力は、月の母たる命の星・地球にまで届き、波長の合う人の子に気まぐれな寵愛を与えた。彼ら彼女らは月の使者となり、地球土着の法則でのみ成り立つ小さき者たちに許された範囲とは一線を画す、超常の能力を得た。戯れに火を吹き、水を降らし、金を練り、土を操り、木を生した。月の使者たちは、人間元来の摂理を無視して自らの複製()を作り、その仔らもまた月に選ばれた。絶えぬ月の系譜に、月の眼鏡に敵わなかった者たちは首を垂れて恭順を誓うほかはなく、使者たちはその頭を容赦無く踏み付けにした。絶対的権能を振り翳し、只人から生活の糧を搾り上げ、贅の限りを尽くした。力なき奴婢を駆使して、月の光を濃く浴びる丘の上に宮殿を作り、その頂に踏ん反り返る夜の王の姿は、当時は珍しくもなかった。

 ある時、突然、月の魔力が枯れた。

 月の使者たちは、その力失くしては維持出来ない特殊な器官を体内に抱えていて、皆、呆気なく死に絶えた。彼らが無造作に築き上げた死体の山と同じくらいに高く積もった憎悪、そして、一万年もの長きに亘る月日は、使者たちが存在した証を尽く破壊し、消し去り、歴史の闇に葬った。どれほど栄華を極めようとも、人の命の輝きは、ほんのりと夜空を照らす月の光に遠く及ばない。


 月の使者が「発見」されたのは、第二次世界大戦後の日本における考古学ブームの折だった。

 月に愛された者のほとんどは、その傍若無人な振る舞いによって下々の民から嫌われたが、高潔な精神によって世を慈しみ、その庇護を受けた只人によって丁重に埋葬された系譜もあった。彼らを祀る祠が、集落の遺跡とともに発掘されたのだ。関係者たちは驚愕を禁じ得なかった。ビー玉のように滑らかな表面の、極めて丈夫な黒い容器の中に、尋常ならざる人骨が収められていたのだから。劣化とは無縁らしき銀色の骨は、ピッケルで打ち付けた衝撃に耐え、心臓とは逆、右胸部の前面を覆う甲殻には、何かが嵌まっていたような丸い跡がある。それは、悪戯で片付けられる遺物ではなかった。発掘に携わった学者と学生、村役場の担当者の誰もが、とんでもないものを見つけてしまったと鼻息を荒くし、世間から集まるだろう注目に胸を熱くした。

 しかし、翌朝には全員死亡した。

 操舵手なき月の魔力の残滓に、憑き殺された。

 行方不明者の捜索隊も同じ末路を辿った。一人の青年を除いて。幼き頃、空襲ですべてを失った彼、荒屋朔一郎は、弟の燃え滓に優しい鎮魂歌(ひかり)を送ってくれた唯一の存在である月に、魂を魅入られた。彼にとって、月の魔力の残滓は、ひんやりとして心地の良い霧雨だった。山の高原、剥き出しにされた土の通路の奥、黒い玉座に横たわる遺骨の前に跪き、彼は、12000年前の声に耳を傾ける。


 ──あな懐かしや、なつかしや。

 ──伺ってもよろしいでしょうか。いったい、何が?

 ──月が笑っている。再び輝く日も近い。


 青年の脳裏に、月の使者たちが浸った、在りし日の栄華が閃く。

 月に釣られて笑った。クソッタレな地球の摂理が捻じ曲がる予感に、震えた。


◇◇◇


 皆さんこんばんは。こちらは夜の時間です。

 初めましてと頭を下げまして、手前勝手に名乗らせていただきますれば、私、防人(さきもり)(みやこ)と申します。

 冒頭いきなり挨拶と名前が言える礼儀正しさ、気まずい沈黙を率先して避ける雑談力、そして、十人すれ違ったら控えめに言って七人は振り返るだろう絶妙な美貌が取り柄の新高校一年生女子。人類を絶望させ得るあらゆる艱難辛苦から守護すべき、花も恥じらう乙女です。勉強もそこそこ出来て、特に数学に限れば学年トップの俊才を誇り、この大人材不足時代においてかなりの有望株であるとの自負を持っておりますが、そんな私にも、スポーツはちょっと苦手という可愛らしくお茶目な弱点があります。

 何せ、とある事情によって下半身が上手く動かず、文明の利器こと車椅子がなければ満足に移動も出来ないぐらいです。

 悲観はしておりません。車輪で以って移動する椅子さえあれば、そこらの女子よりもずっとアクティブに動けるつもりです。一昨日も、無理を言って駄々をもこねて体育のサッカーに参加し、膝上にボールを乗せて猛然とゴールに突進したら、「車椅子ラグビー?」と慄かれました。人を乗せる椅子に備わる車輪の速度は、サッカー部 (のマネージャー)も置いてけぼりにしたのです。授業後、廊下に泥の轍を描き、校長にこっぴどく叱られました。

 てへ。

 とはいえ、欠点を道具で補う花丸満点の如才なき身であっても、グラウンドを深く切り付けた車輪跡の整備手伝いを全力で回避する程度には体が不自由で、生活を一人で完結させるのは流石に難しいところがあります。寮ぐらしの私は、愛すべき隣人たちから常に助力を受けていて、そのことに「ありがとう」を欠かした時は一回たりともありません。そして、私が誰よりも感謝を捧げるべき相手は、車椅子生活の始まりからずっと寄り添い仕えてくれた女性、荒屋(みちる)さんを置いて他にいないでしょう。一人でこなせるようになるまで、トイレもお風呂も盈さんにかかりっきりで、車椅子を操作する練習や、上半身を駆使するための訓練にも、親身になって付き合ってくださいました。私が今、元気に生きていられるのは、ほとんどすべて盈さんのおかげと言っても過言ではありません。一人で出来ることが増えた今でも、部屋の床掃除は彼女の担当です。呼べばいつでも側に来て、話し相手になってくれます。寮から外出する時には、車椅子を優しく押してくださいます。

 都さんの腕がこれ以上太くなってはいけないからと言って。もう、アスリート級に引き締まった逞しい腕でぶん殴りますよ?

 荒屋盈には、返しきれないほどの恩があります。

 たとえ彼女の献身が、彼女の曽祖父が私たち(・・)「ルナ・チルドレン」に仕出かした悪事の、罪滅ぼしのためであったとしても──大体、盈さん自身は事件にほとんど関わっていないのですから、私の世話を焼く義務なんてないはずなんです。悪いのは、クソジジイとその取り巻きだけ。被験者仲間を失った絶望と不自由な足を抱えて心を閉ざしてしまった私に、手を差し伸べて下さった盈さんには、一億回お礼を言っても全然足りないぐらい。

 九人の子供の将来を台無しにした、戦後に限れば最悪級の児童犯罪。

 もう終わった話です。

 と、この夜の私は、まだそう信じておりました。

 楽観的願望が打ち砕かれるは、そう遠くない未来の話。


 話の焦点を今に当てましょうか。

 寮の自治委員に見つかったら即刻没収されかねない、過激なレディコミックを読み耽って悶々としていたところ、盈さんに咎められて仕方なく就寝しようとした頃合いのことでした。

 わずか数秒の間に、私はとても不思議な、誰かに語れば薬物の使用を疑われるような、奇天烈な体験をしたのです。

 窓の閉まった室内にぶわりと吹く風、舞い上がる学校のプリント。

 電気の消えた暗闇を駆逐する、強烈な黄土色の輝き。

 二段ベッドの逆側、勉強机に面した壁が消失し、代わりに、下から上に向かう光の奔流が現れました。

 流れが運ぶは、車椅子に座る大人の女性。

 彼女と目が合いました。


「!?」


 部屋のドアが開きます。寮生用の生活必需品を貯め込んでいる倉庫から、盈さんが帰ってきたようです。

 景色は元通りになっていました。まるで、何事もなかったかのように。ただし、散らばったプリントだけはそのままでした。

 パチリと電気が点きました。不出来な妹を見るような目で、「夜遊びはほどほどに」と注意を口にしながらプリントを集める盈さん。画伯(わたし)渾身の力作だった推しキャラの落書きを消しゴムで消してから(何してくれとんじゃゴラ)、二段ベッドの梯子を昇り、放心状態の私を置いて、スヤスヤ眠りについたのでした。


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