1話 カフェに訪れた依頼
長編を書いている途中なのですが、勢いで趣味全開の短編を書いてみました。
全5話で最後まで毎日1話ずつ公開していきますのでしばしお付き合いください。
楽しんでいただければ幸いです。
この街の片隅には、ちょっと風変わりな薬局がある。
何十年も変わらずそこにあり、近隣の人々にとっては欠かせない拠り所だった。
最近は店主が代替わりし、若い女性の姿を見かけるようになったが、それでも評判は相変わらず良い。
むしろ近ごろは、薬草に加えてカフェまで併設され、より一層居心地のよい場所になったと噂されている。
石畳の路地に面した小さな薬局からは、薬草の乾いた匂いと甘いハーブティーの香りが漂っていた。
カウンターの奥で帳簿をめくるクラリスの視線の先では、セイラが皿の上のクッキーをつまもうとしている。
「ダメよ、それはお客さん用」
「いいじゃん、一枚くらい減っても気づかないって」
「気づくわよ。私が」
セイラはむくれながら椅子に座り込み、頬杖をついた。足をぶらぶらさせ、落ち着きがない。
「ケチー。クラリスがもっと焼いてくれればいいのに」
「薬草屋がいつから菓子屋になったのかしらね」
そのとき、店の扉がからん、と鳴って常連の老婦人が入ってきた。
クラリスは笑顔で「いらっしゃいませ」と迎え、ハーブティーを用意を始める。
「こんにちは、マルグリットさん、今日はどんな御用かしら?いつもの湿布?」
「こんにちは、クラリスちゃん。今日も元気そうね。
そうねぇ、最近乾燥しているからか喉がいがらっぽくてねぇ。そういうのにいいハーブをお願いしたいわ。いつもクラリスちゃんのは他のと違って飲みやすいから助かってるのよ」
「ふふふ。飲みやすさには自信があるの。常に飲むことが大事なんだから、飲みやすくないと。おばあちゃん直伝に加えて色々試しているの。いつも感想をくださって助かります」
「それならよかったわぁ。あといつもの湿布もお願いね」
クラリスは棚の奥から薬草の束を取り出す。
ガラス瓶や陶器の壺が整然と並ぶ棚には、海から流れ着いた貝殻や見慣れない木の実が飾られていた。
窓から差し込む淡い光に照らされて、薬草の影が床に模様を描いている。
カフェの奥では煮出したハーブの湯気がゆらゆらと揺れ、ほっとする香りが店いっぱいに広がっていた。
薬を待つ間に楽しめるハーブティーと焼き菓子。
最初は気まぐれで始めたサービスだったが、評判は上々――今ではちょっとしたいい収入になっている。
「はい。お待ちどうさま。お体大事にね」
「ありがとうねぇ」
セイラが手を振り、「マルグリットさん、またね~」と明るく声をかけた。
そんなふうに何人かの常連を見送ったあとも、クラリスは薬草をまとめたり、新しいレシピに取り組んでいた。
試作品をセイラに飲ませては、渋い顔で「まずい」と返される。
「うーん、この不眠に効くハーブは、何と合わせても渋くなっちゃうわねぇ」
「んー……ごめん、ちょっと飲みづらいかも」
二人のやり取りに笑い声が混じるうち、外は西日に染まっていく。
――そのとき。
扉が無遠慮に開かれ、埃っぽい外套をまとった若い男が姿を現した。
「あら、ユリウスさん。いらっしゃい。お久しぶりね」
「久しぶりだな。またここに来ることになるとは」
ユリウスさんは最近この街に赴任してきた警邏団の隊員さんだ。
薬物事件(これは普通の事件だった)の折に一度だけ相談を受けたことがあったが、それ以来だ。
ユリウスは店内をきょろきょろと見回し、椅子の背に手を置いたまま落ち着かない。
鍛え上げられた体つきの若者が、薬草とハーブの香りに包まれたこの場所に立っているのは、どうにも場違いに見えた。
カウンターから身を乗り出したセイラが、にやりと笑う。
「ユリウスさんだ~。私に会いたくなっちゃった?」
「そんなわけあるか。団長命令だ」
「お、団長から?それはそれは......」
セイラの笑みがさらに深まった。
「それで?どんな事件があったの?」セイラが促すと、ユリウスは深いため息をついた。
「ちゃんと聞いてくれよ。――とある集合住宅の一室で不可解な死体が見つかった」
クラリスの表情がすっと引き締まる。
「……不可解?」
「そうだ。男が一人、部屋のベッドの中で死んでいた。窓も扉も閉じられていて、争った形跡はない。
ただ、床に黒い灰が散らばっていた。そして、強い香の匂いが残っていたらしい」
クラリスは帳簿を閉じ、セイラと視線を交わす。
セイラは口笛を吹き、にやりと笑った。
「へぇ、灰と匂いね。怪しいなぁ」
ユリウスは不機嫌そうに言葉を継いだ。
「俺には何かしら仕掛けのあるただの殺人事件にしか思えん。だが団長が“お前たちに見せろ”と。……何か意味があるのか?」
クラリスはゆっくりと立ち上がった。
「意味があるかどうか、確かめるのが私たちの仕事よ」
セイラは上機嫌に椅子から飛び降りる。
「おっ、出番だね! 今度は楽しめるといいけど」
こうして、また一つの奇妙な事件が彼女たちのもとへ舞い込んだ。
そしてユリウスは、まだ知らなかった――
この先、どれほど振り回されることになるのかを。
最後までお読みいただきありがとうございます。