第35話「地上界の常識」
「なんか、やっぱり納得いかねぇ! 何でもかんでも呪い呪いって……」
ライガは不満げに、ぶつぶつと小言を漏らしていた。ノクスから見ても、すっかりふてくされた様子だ。
すると、その背後から静かな声が響いた。
「それが、“テラアース”の常識なのです」
ノクスとライガがそちらへ振り向くと、小柄な少年が立っていた。眼鏡を掛け、肩には大きなかばんを提げている。その立ち姿は頼りなさげにも見えるが、どこか知性の香りを漂わせている。
「……おや、君は?」
ノクスが穏やかに問いかけると、少年は何度も頭を下げながら慌てたように名乗った。
「あ、あのどうもですっ! ボク、エルトと申しますです」
その礼儀正しい態度に、ノクスは微笑を浮かべ、肩の力を抜く。
「エルト君……ですか。初めまして、僕はノクス。この子は僕の従者で、ライガと申します」
グリオールとレオンも、軽く挨拶を交わす。
「ど~も~! グリオールちゃんどぇっすぅ! よろしくねん?」
「……レオン、と申します」
エルトは少し戸惑いながらも、ためらいがちに尋ねてきた。
「あ、あの。つかぬ事をお伺いするのですが……、もしや皆さんはアルフレイルの……天人の方達ですか?」
思いがけない質問に、ノクスは目を瞬かせる。
「え……? どうしてそれを? 認識齟齬の術式は有効のはずですが」
エルトは興奮気味に頷いた。
「やっぱり! この世界で、テラアースの常識に疑問を持っているなんて、そうじゃないかと思ったのです!」
ライガはその言葉よりも、先ほどエルトが口にした「常識」という単語に引っかかった様子だ。
「なぁ、それよりも! さっきの常識って何の話だ?」
エルトは少し表情を曇らせ、広場の端を指差した。そこでは、転んで騒いでいる女性が見える。
「いったぁ~! もう、最悪! こんなちょっとした段差で転ぶなんて! きっと冥王の呪いだわ!」
「おいおい、大丈夫かよ? まったく、冥王は俺達に何の恨みがあるってんだよなぁ~」
やり取りを見て、ライガが眉をひそめる。
「……何だよ、あいつ等。ただ転んだだけなのに、何で冥王の仕業になってんだ?」
エルトは静かに息を吸い込み、真剣な面持ちで語り出した。その声音から、彼がこの話を重く受け止めていることがノクスにも伝わってくる。
「五百年前、この地一帯を治めていたのはアルベール王朝という王族だったのです。当時の国王はそれなりに民を治める手腕を持っていたとされていますが……問題はその息子、ヘタル王子でした」
そう前置きすると、エルトはかばんから古びた手記を取り出した。
「……それは?」
「僕のひいおばあ様が残した手記なのです。ひいおばあ様は学校の教師をしていたのですが、歴史に疑問を持ち、自ら色々調べていたそうです」
エルトは丁寧に古びた手記を広げると、語りだした。
「この王子は、とても横暴な性格だったそうなのです。国民の生活には無関心で、何か問題が起きても“貧乏なのは自分の血筋が悪いからだろう”といった無神経な発言を平然としていたとか」
ライガが顔をしかめる。
「なんだそいつ、どうしようもねぇ野郎だな」
エルトは同意するように頷き、続けた。
「さらに、王子は賭博や派手な遊興に明け暮れて、国の財政にも大きな影響を与えました。その結果、税が引き上げられ、生活が苦しくなった民たちは王室に対する不満を募らせていったのです」
ノクスは冷静に質問を挟む。
「そんな状態では、民衆が蜂起しそうですね。それを王族はどうやって防いだのですか?」
エルトはわずかに口ごもった後、言葉を続けた。
「王族が行ったのは、真実を隠し、責任を転嫁するというものでした。民衆の怒りが頂点に達し、国王に直接詰め寄ったとき、国王はこう答えたそうです――“これは全て冥王の呪いによるものだ”と」
ノクスは思わず眉を寄せる。エルトはさらに説明を重ねた。
「国王は王子の行動を、“冥王が我が息子に呪いをかけたせいで理性を失った”という形で庇いました。その後、王室の支持者や宮廷の占い師たちが、この嘘を強化するための噂を流したのです。“冥王は地上界テラアースを憎み、その怒りを具現化するために呪いをばら撒いている”と」
ライガが拳を握るのが、ノクスの視界に入った。
「でたらめな話だな。それで民衆は納得しちまったのか?」
「最初は半信半疑だったようなのです。でもちょうどその時期に、理屈では説明できない出来事がいくつか起きました。天変地異や流行病、謎の不作……。それらすべてを“冥王の呪い”と結びつける噂が広まり、やがて多くの人が信じるようになったのです」
「なるほど。偶然の不幸が重なったことで、王室の嘘が“真実”になったのですね」
ノクスがそう言うと、エルトは頷いた。
「それだけではありません。王室は自分たちの立場を守るために、地位のある人間に裏で金を渡して言説を広めました。そして時が経つにつれ、この“冥王の呪い”という概念がテラアース全体に広がり、ついには文化の一部として根付いてしまったのです」
エルトの説明に、グリオールが鼻で笑い、皮肉めいた声をあげた。
「ふぅん、なるほどねぇ? 影響力のある王族が自分たちを守るために作った方便が、いつしかテラアース全体に広まったってわけね」
エルトは深いため息をつき、再び手記に目を落とす。
「それ以来、テラアースの地上人達は自分たちの責任を認めず、冥王に全てを押し付ける風潮になったのです。転んだのも、病気になったのも、作物が取れないのも、全て冥王の仕業――そうすることで、自分達を守っているのです」
ライガが憤然とした声を上げる。
「ふざけてやがる。それで全部冥王のせいにして、誰も自分の責任を取らないで済ませるってか」
「はい……。そして、この文化が深く根付いてしまったことで、今となっては“常識”として誰も疑問を持たなくなっているのです」
エルトは少し肩を落としたように笑みを浮かべながら続けた。
「実は僕、もともとこの歴史に興味を持ったわけではなかったのです。ただ、子供の頃に一つの疑問を抱いたのがきっかけだったのです」
彼は少し目を細め、思い出を振り返るように言葉を紡ぐ。
「あの勇者様を讃える石碑ですが、そこにはこう書かれています――“勇者、この地上界テラアースを救うべく冥王の討伐に赴く”と」
ノクスは首を傾げた。
「それがどうしたのですか?」
「最初は何とも思わなかったのですが、物心ついた頃ふと疑問に思ったのです。“勇者様は、何故冥王を討伐しようと思ったのだろう”と。冥王がテラアースにどんな害をなしたのか、その記述がどこにもないことに気付いたのです」
ライガが眉をひそめる。
「んぁ? どういうことだ?」
「普通、悪者が討伐されるなら、どんな悪事を働いたのかが書かれているはずなのです。でも、どれだけ文献を探しても、冥王が具体的にテラアースに害を及ぼしたという記録が一切見つけられなかったのです。丁度その頃、ひいおばあ様のこの手記を見つけて……それが僕が歴史に興味を持つきっかけになりました。それ以来、古い文献や記録を集めて調べるようになったのです。そして、次第にわかってきたのです。冥王という存在が、このテラアースの文化や常識の中でどう位置付けられてきたのか」
エルトは、大事そうに手記を撫でながら続けた。
「五百年前の事件――王族の不祥事を冥王の呪いに責任転嫁した経緯と、やがてテラアース全体に根付いていった過程。歴史は文化として定着し、今では誰もそれを疑問視しなくなってしまったのです。“冥王のせい”と言えば全てが片付く。それが地上界テラアースでの常識なのです」
ライガは苛立ちを隠せない様子で言った。
「くだらねぇ。そんなもん、ただの逃げじゃねぇか。そもそも、地上界って4つあるんだろ? テラアースだけ呪う意味ねーじゃん!」
エルトはライガの言葉に小さく頷く。
「そう。テラアースの他にも別次元に地上界があることは古代より伝えられているのです。なのに、冥王がテラアースだけを標的にするなんて、少し考えても意味不明なのです。けれど、テラアースの人々は一度思い込むと頑なに考えを変えようとしない傾向が強い。だから、それを変えようとしたのが、あの勇者様だったのではないかと僕は考えているのです」
ノクスは驚きを覚えた。
「勇者が……何を変えようとしたと?」
エルトは石碑に視線を向ける。
「きっと、勇者様はこのテラアースの常識を変えたかったのだと思います。冥王を討伐することで、もう“冥王のせい”という言い訳ができない世界を作ろうとしたのです」
「つまり、冥王を倒せば、責任を押し付ける相手がいなくなるってことか」
ライガの言葉にエルトは深く頷いた。
「はい。冥王を討伐できるのは勇者だけなのです。勇者の≪適性≫に選ばれた者は様々な加護と呼ばれる力を得られるとの話なのです。だから冥王を殺せる力もあるそうなのです」
さらにエルトは力強く手を握り、目を輝かせて言った。
「そして、逆に勇者を殺せるのも冥王だけなのです。討伐に成功すれば人々は自分たちの過ちを認め、自らの力で未来を切り開いていけると勇者様は考えたのではないかと。僕はそう信じているのです」
そのとき、グリオールが皮肉っぽく笑いながら、隣のレオンに視線を向けて声をかけた。
「フフッ。冥王からしたら、迷惑極まりない話よね~。そうは思わない? レオン」
「……はい。グリオール様」
呼びかけられたレオンは、まるで機械のように淡々と答えている。
無表情で虚空を見つめているような顔。
もはや何も感じていない、意思のない人形のように見えた。
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