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遊の表情

「ショウジかわいそう。あとさ、ハッピーバースデー!」

「俺の誕生日は先週。さっきの、昨日の話じゃないから」

「わかってるって!」


 学生でごった返す学食の窓際。


 俺と遊はよくここに座る。一連の騒動を話し終えた俺は、カツカレーをバクバクと口の中に流し込み盛大にむせた。


 さくらの彼氏が現れた翌日も、そのあとも。腹立たしさゆえ上手く伝えられる自信がなく。


 やっと話す気にはなったものの、いかんせん喋りが得意ではない。頭の中で整理をしたく、中庭のベンチでぼんやりしていたというわけだ。


 ……余計な記憶まで思い起こしてしまったが。


 過去を含めた一から十まで、さくらの横暴ぶりを暴露する気にはなれなかった。めちゃくちゃ愚痴っぽくなりそうだし、それはダサいし気が引けた。


 遊が複雑な気持ちになるのも嫌だった。だから、さくらについては軽いタッチで伝えてしまったかも知れず――


 だが、いい。これでいい。


 むせた俺は、ぺらぺらと罵られた胸板をドンドンと叩き(気にしてる)カツカレーを喉奥へと追いやり、コップの水をガブガブと飲んだ。


「ショウジってば落ち着いて食えよ。ほら!」


 洒落た黒いリュックからポケットティッシュを取り出し、口元を拭けと促すこの男。


 フルネームはミハマユウ。漢字は『美浜遊』と書く。

 入学式後のオリエンテーションで仲良くなり、毎日の行動を共にする友達だ。

 

 遊はその麗しい名に恥じないビジュアルの持ち主だ。綺麗な二重瞼に、茶色の瞳。横から見ても前から見ても、めちゃくちゃ高い鷲鼻で、ウェーブのかかった天然パーマ。

 地毛の栗毛色も相まって、外国人の少年のような見た目だ。話すとこれが、なかなかのイケボ。色々とずるい。


 俺は遊よりも声が低く、同時にどうやらこもっているらしい。高確率で「え?」と聞き返されてしまう。


 …………。


 あれ?ひょっとして、バイト先で()()()()って間違えられてるの、俺のせい……?否!


 遊はイケメンだが、かなりの天然ボケである。自分の魅力に気づいていない。知らない女子に「おはようございます!」と、ときめきながら声をかけられても、ハテナいっぱいの顔をしている。小声で「あれ誰だっけ?」と、焦りながら聞いてきたりもする。

 

 お前のファンだから。

 あの女子から俺、恐らく見えてないから……。


 男の俺でさえ見惚れてしまうくらいだから、それはそれはカツカレーでむせる俺に、ティッシュを差し出す姿なんぞ見た日にゃ、近くのテーブルの女子たちが「いまの見たあ?」なんて、黄色い声をあちこちから飛ばしてくるわけで。


「ひょろリーマンとねーちゃんはさ、そのあとショウジに謝ったの?」

「まさか。謝ってこないよ」

「失礼だな! ショウジのこと『金ナシ筋肉ナシ棒人間め』とか言ったくせに!」


 そこまでは言われていない。そして結構ひどい。


 俺たち、友達だよな?


 俺は人差し指で眼鏡を持ち上げた。さくらが俺の怒りを受け止め反省するだなんて、天と地がひっくり返らない限り、あり得ないことだ。


 ……さくらは謝らない。

 昔からずっと、謝らない。


 そして、何事もなかったかのように笑顔で話しかけてくる。


 ——ショウジ、いらないって!——


 ……俺は、どうしてもそれが許せなかった。


「なあ、ショウジ?」


 遊は目をぱちぱちさせて、茶色い瞳で上目遣いをした。


「なんかさ、話まとめすぎてない? 愚痴っぽくならないようにさ、俺に遠慮してない?」


 遊は天然で、天真爛漫で。だが時々、とんでもなく大人なところがある。

 人の表情の変化に敏感で、洞察力もかなり鋭い。

 

 そんなところもまた、遊の魅力のひとつなのだ。


「俺はさ、ショウジになんでも言って欲しいんだけど。俺たち……友達だろ?」

 

 いいことを言う。


 イケメンだから、性格がいいのか。性格がいいから、イケメンなのか。卵が先か、鶏が先か。どっちがどっちかわからんが。


 遊は、いいやつだ。


「サンキュー。あれから、ひょろりーマンもさくらも現れてないから」


 ぺらぺらに対抗しての、ひょろりーマンの命名——遊、ナイスである。俺は残りのカツカレーを頬張り、福神漬けをバリバリと噛んで、ごっそさんと両手を合わせた。


 同時に尻ポケットでスマホが振動した。


『ミヤモトくん、ヘルプに入れない⁉ まかないはボリュームアップするよ!』


 店長からだ。誘惑の一文が付いている。あと、()()な。


 了承した俺は、さくらからもメッセージが届いていることに気がついた。さくらの通知は、常にオフにしている。


 上京前、連絡がしやすいから家族のグループトークを作ろうと母親に言われ、渋々合意。

 だが、そこから派生してさくらに友達追加され、ゾッとした。……まあ、俺の脇が甘かったなと反省。


 まかない、なんだろう。ミートソースとか?まかないにしちゃ贅沢か。ヘルプだし、そんな希望も通ったりして……。


 なんて考えながらスマホをいじっていたら、誤ってさくらのメッセージをタップし、既読にしてしまった。


『ショウジの大学で友達とランチしてるんだけど。モバイルバッテリーとかある?』


 読んで硬直。なぜ俺の大学にいるんだと。


 そんでもって、アイコンの顔おかしいだろ。どんだけ口角上がって、どんだけ目尻下がってんだよ。


 ……加工が下手くそすぎて、軽くホラーになっていた。美術の授業で苦労した俺さえも、これはさすがに不正解だと思うのだが。


「ショウジ? どうした?」

「さくらが、うちの大学で飯食ってるらしい……」

「えっ! なんで!?」


 学食を見渡したが、さくらの姿は確認できず。どこで食ってるのか知らないが最悪である。


 遊は向かいの席から素早く、隣に移動してきた。俺の手に握られたスマホを横から覗き込んでいる。シャンプーか何か知らんが、遊よ、お前はいつも爽やかな匂いがするな……。


 俺とさくらは別の大学だが、同じ駅にキャンパスがある。

 ……当初から、それが不吉でしかなく。


 賃貸物件を探していたとき、さくらが住んでるマンションに空き部屋が出て。そんな折、母親からされた提案に俺は絶句した。


「ショウジ。不動産屋が少しおまけしてくれるみたいだから。さくらと同じマンションでいいわよね? 北向きでも何でもいいでしょ?」


 俺は強く拒否をした。不

 動産屋が値引きする分を、俺が払ってもいいからと。


「無理。別のマンション探すから」

「そんなに嫌? お母さんはさくらがいてくれてよかったわよ、あんた一人じゃなくてね」


 まあ、息子はつまらないだろうなと。俺、あんまり話さないしなと。


 ましてや俺がさくらを嫌う理由なんて、二人を産んだ母親には伝わりようがないなと。

 

 ……そうやってどこか、諦めたりもして。


「あんた二番目でしょ? 一番目の苦労なんて知らないじゃない」


 母親からそう言われるたび、偏見なる二文字が浮かび。


 どうあがいても、俺は一番目にはなれない。順番が逆転するなどあり得ない。

 

 どう言い返せばいいというのだ。


 ——無駄だ。


「ミヤって弟がいるんだっけ?」

「元宮くんって長男?」

 

 学校でもバイト先でもそう聞かれていた俺は、わがまま放題のさくらを見ながら、それを許す母親を見ながら、ますます二人と話さなくなり。ますます目つき……が悪いのは、俺のせいか。


 親父は唯一、話が通じたし。俺一人が浮いていたわけではないし。

 つまりはまあ、別にいいのだが……。


「なあ、ショウジ?」

「ああっ……?」

「このアイコンが、()()()()()なの?」


 え。


 つい先ほどまで「ねーちゃん」呼びだったはずでは。やさぐれてテーブルに突っ伏していた俺は、体を起こした。


 遊は頬杖をつき、茶色い瞳でぼうっと前を見ている。窓際の影響か、自動で勝手に暗くなったスマホの画面を俺は最大限に明るくした。


 そして遊にスマホを向けたのだが、全くこちらを見ようとしない。

 

 おい。どうしたんだ。


「さっき画面暗かっただろ? アイコンもちっこくて、よく見えなかっただろ?」

「でも、ポニーテールと白い服は見えたよ……」


 超絶うわのそら。どうした美浜遊。


 俺は遊の肩を掴み、体をぐいっと自分のほうへ向かせた。どうでもいいが、肩の筋肉すごくね?


「まさか……さくらを気に入ったとか言わないよな?」

「え? いやいや! 違う違う! そういうことじゃなくて!」


 めちゃくちゃ挙動不審になっている。

 

 これはまずい。非常にまずい。

 

 俺は自分と遊のリュックを片方の肩にかけ、カレーの皿とコップが乗ったおぼんを返却口に置き。

 ひと気のない渡り廊下へと、遊の腕を引っ張って移動した。




「遊、確認させて……?」


 そして、壁際へ遊を追いやった。渡されたリュックを両手で抱きしめ、遊が俺を見上げてあわあわしている。


「お、おい! ショウジ! なんだよ、人がいないところに連れてきて……!」

「人がいないほうが集中できるだろ?」

「しゅ、しゅうチュー……ちょ、ちょっと! ショウジ!」


 俺はスマホを取り出して、さくらのアイコンをタップした。よく見ろと、そう言いたくて。


「え……なんだ、そういうこと? いや、見せなくていいってば!」


 遊はリュックを地面に落とすと、両手で俺の腕を押さえつけた。どんだけテンパってんだよ。怪しすぎるだろ。


 もっと問い詰めねばと思った俺だが、鋭い視線がグサグサと背中に刺さり、振り返った。

 通り過ぎていく学生らが、ヒソヒソ話をしながらこちらを見ている。昼休み終了が迫ってるようだ。


 ……ん?ちょっと待てよ?


 軽く屈んで、イケメンに迫る俺。そして、そのイケメンがめちゃくちゃ怯えているという、この構図。


 異常事態では。アウトだろ、完全に。


「では、遊! 午後の授業で!」


 引きつった笑顔を作り、俺は白々しくその場をあとにした。

 

 遊が追いかけてくる。

 俺は追いつかれないよう、全速力で中庭に向かってダッシュした。

 

 太ももをあげ、地面を蹴るようにして走り、チーターのようなスピードで爆走した——



 ——つもりだったが。



 桜の木の下に到着する頃には、いとも簡単に遊に追い付かれてしまい。なんなら、遊が速すぎて俺を追い抜き、Uターンして戻ってきたという。

 

 足も超絶速いのかよ。天は二物どころか、遊にナンモツ与えたんだよ。

 もはやバグだろ、これ!


「ショウジさ、なんで逃げるんだよ?」

「遊こそ……んで……そんな必死に追いかけ……ぐぇっほごっふぉっ!」

「ショウジの呼吸器ってさ、ミジンコレベルだね!」


 ゼエゼエしてる俺とは対照的に、遊は何ともない様子で身なりを整えた。超人か。


「俺さ、今日ショウジに聞きたいことがあったんだよね!」

「ハアハアッ……なんだよ?」


 イケメンに興奮する変態みたいである。まずい。


 俺はリュックからペットボトルを取り出し、お茶を喉に流し込んだ。遊は何も言わずに、俺を見上げている。


 お茶を飲み終わってキャップを閉め、リュックに再びペットボトルをしまったが、遊は俺をじっと見上げたままである。


「なんだよ? 聞きたいことがあるんだろ?」

「なんだっけ? 走って忘れちゃったや! へへっ!」


 俺の呼吸器を笑ってる場合じゃない件。


「大切な内容だったんだけどなあ? ショウジが急に逃走するからさあ?」

「俺のせいかよ」


 去ろうとしたが、遊が両手を広げてゴールキーパーのような動きで通せんぼをしてきた。

 そして、そのまま俺をベンチへ座らせ、やたらと密着して腰を下ろした。


 これ、また誰かに見られたら誤解を生むやつでは……。

 

 俺はベンチの上をスライドした。ひと一人分、離れておこう。


「ショウジ! さっきから、なんで逃げるんだよ!」

「シャンプーのいい匂いを漂わせてくるなよ……」

「え? なんの話?」


 遊が目をまん丸くして、きょとんとした。確かに、今のは俺がおかしかった。


「もう一回ちゃんと言うけどさ? 俺、ショウジのねーちゃんに惚れてないからな?」


 遊は足を伸ばして、バタバタさせながら言った。

 何か言いたげで言いづらそうな、そんな歯がゆい表情をしている。


「なら、なんだよ? あの反応は」


 目の端で見下ろしていたら、遊が茶色い瞳で俺をじっと見つめ、次第にほっぺを膨らませた。


 ほほう……。なるほどね。


 つまりは、俺に何か不満があると。不満があると表現する方法が、そのムニムニほっぺを膨らませるというそんな仕草だと。


 ハッ!イケメンは何やっても許されるってか!俺がやったら間違いなく通報されるぞ!


「ショウジこそさ、俺に何か隠してるじゃん!」

「何かって?」

「赤ネクタイ高級時計チラ見せスーツフィットマンのことばっかり話して、ねーちゃんについては全然話そうとしないじゃんか!」


 ニックネームが長すぎて覚えられない。


 そして、ひょろリーマンについての情報を事細かに吸収できている。地味にすごい。


「まあ、それは遊が聞いて面白い話ではないし……」


 ——家族と仲が悪い人って冷血そうじゃない?——


 そういう偏見、遊はないだろうけど。


「俺さ、ショウジが何を言っても、嫌いになるとかないよ?」

「おう」

「ショウジが何を言っても、俺は引かないよ?」

「俺もだよ」


 遊は口を尖らせたままである。可愛いのかよ。


「さっきも言ったけどさ。俺たち……友達だろ?」


 いいことを言う。


 付き合いが深くなるごとに、イケメンというよりも遊が可愛く見えてくる。性格に引っ張られるのだろうか。


 俺は、ふうと息を吐いて立ち上がった。いい友達ができたもんだ。遊に出会っただけでも、俺は東京に来た意味がある。オリエンテーションで、茫然自失の隣の遊にシャーペン貸したのが吉だったな。


「遊、ありがとう。じゃ、あとで」

「え? どこ行くんだよ?」

「次の授業、俺たちバラバラだろ? その次が一緒だからな?」


 遊がふわふわの天パを両手で掴み上げている。


「やべえ! 次の講義室、ここから遠いじゃん!」

「あっ、いたいた。ショウジ」


 耳障りな声が聞こえ、俺はつまずきかけた。


 ……あの騒動のあとだってのに、よく平然と声がかけられるな。その都度、記憶を抹消してんのかよ。


 信じられねえな、マジで——


「既にメッセージでご存じの通り。モバイルバッテリーは?」


 さくらは片手を出し、俺を見上げた。


「持ってない」


 実はリュックに入っている。

 だが、貸すわけがない。返却だってどうせ、ポストにボカン!って雑に放り込んでくるだけだろう。


「一言ないとか返事くれてよくない? 既読スルーとか迷惑なんだけど!」


 迷惑なのはこっちである。


 イライラするな、落ち着け。相手にするだけ無駄だ。

 心を無にしてさっさと去る、それが一番の対処法だろ……?


「授業行くぞ、遊」


 うつむき加減の遊の腕を、俺は引っ張った。とにかくここから立ち去らねば。


「ユウくんっていうんだ? 私は元宮さくら! よろしくね!」


 さくらのほうを見ず、遊は少しだけ頭を下げた。続けて、ものすごいちっこい声で「あとで」と俺に告げ、猛ダッシュで姿を消した。


 遊は女子にシャイである。

 だが、そのレベルを超えていた。好き避けとやらだろうか?……勘弁してくれ。


 一人すっきりしないまま授業を受け、その後の講義で遊と合流した。だが遊は、まばたきさえ忘れているようだ。え、おい……。


 授業終了の鐘が鳴ったが、遊は電池の切れた人形のようである。正門に向かって歩いていても、全く会話がない。


 おかしい。非常にこれは、おかしい。


 いつもならば、めちゃくちゃ話しかけてくるはずだ。そして唐突に俺の腕にくっついてきて、それを俺が肘で「暑い」と突っぱねてるはずである。


「遊。昼飯しっかり食ったのに、腹減ったな?」

「そうだったよね……」


 なんだ、そのズレた反応は。


 俺は遊の前に立ち、遊の両肩をがっしりと掴んだ。

 そして、前後に乱暴に揺さぶった。遊の整った顔が、ぐらぐらと揺れている。


 ……どうでもいいが、肩の筋肉やっぱすごくね?


「遊、しっかりしろ! 朝からずっと変だぞ!」

「え? 俺、朝は普通じゃなかった?」


 遊がきょとんとしている。そこは反応するのかよ。


「とにかく……さくらはやめておけよ?」


 遊はいいやつだ。俺の大切な友達だ。


 だから嫌なのだ。さくらと接近などさせるものか。


「俺と考え方も性格も違うし血が繋がってるとか信じられねえし協力とかしねえからな」


 感情が高ぶると早口になってしまう、俺の癖。

 治したくてもなかなか治らない、最悪な癖。


「いや、本当にそういうのじゃなくて……」

「アイツと遊が付き合うとかマジで無理だし俺はなんとしてでも認めねえからな」


 俺の言葉に、遊はうつむいて頭を掻いた。そんなんじゃないんだけど……と繰り返し否定する割には、どこか煮え切らない態度である。


 もどかしさと焦りからか、俺は冷たい言い方をしてしまった。


「世の家族が全員仲良しだとか思ってんのかよ? それ偏見だから。夢物語すぎんだよ。偏見とか俺はこの世で一番大っ嫌いなんだよ!」


 うつむき加減だった遊が、ぱっと俺を見上げた。


 いつも上がっている口角が下を向き、ひらがなのへの字のような形になっていく。茶色い瞳を潤ませて、眉尻を下げて、遊はものすごく寂しそうな表情をした。

 

 ——それは、遊が初めて俺に見せる表情だった。


「思ってないよ、そんなこと。世の中の家族が、みんな仲良しだったらいいけどさ。俺だってそう願ってるけどさ。現実は違うって、そんなの前から知ってるよ……」


 俺は思った。しまった、と。


 ……さくらなんかより、もっとタチの悪い家族がいるのかもしれない。勢いにかまけて余計なことを言ってしまった。


 押しつぶされそうだ、罪悪感に。あの日と同じ、罪悪感に……。


 ——私、好きになった人には、好きになってもらえなかったよ?——


 俺は、誰かの悲しむ顔を見るのが——泣き顔を見るのが。

 

 非常に、苦手なのである。


「……遊、ごめん」


 俺は謝った。即座に謝った。

 謝らない人間が、どうしても嫌いだからだ。


「家族と何かあった? だとしたら、俺のあの言い方はなかった。ごめん」


 遊は白い歯を見せてニッと笑い、親指を立てた。茶色い瞳は潤んだままで、高い鷲鼻の先も赤かったが、笑顔はいつもの遊だった。


「俺の家族はさ、じーちゃん含めてみんな仲良しだよ!」

「そう……?」

「ショウジ優しいよなあ。ドSなのに優しいとかさ、最強だよなあ!」


 最後はよくわからなかったが、じゃあなんだ、さっきのは。異様な空気だったのだが。


 気にはなったが、俺は詮索しなかった。さくらが発端で友情にヒビが入るなど、まっぴらごめんだ。


「そうだ! 俺、ショウジに聞きたいこと思い出したよ!」

「おう。何?」

「ショウジさ、モデルやらない?」


 俺は顔を突き出して、口を開けて、眉をひそめて、「は?」という表情を作った。


 カアカアとカラスが鳴いて、俺の真上を横切って行った。そら、カラスもびっくりだわ。


「俺の先輩の誘いなんだけどさ。マジで優しくて、いい人で。ショウジに紹介したかったんだ! やるだろ? よっしゃあ!」

「待て。なんでやる前提なんだよ。俺がモデルとかないだろ」


 ……というより、あり得ないのでは。

 

 黒だの紺だの、似たような服ばかりがクローゼットに並んでるのも、服装を考える時間が無駄だという、俺のファッションへの興味のなさを物語っている。ボートネックだのサマーニットだの、遊から聞いて最近知ったくらいだ。


「え? なんでショウジがモデルとかないの?」


 時折見せる、遊のきょとん顔。

 遊がこの表情をするときは、本気で俺の言ってることが理解できないという、そんな状態である。


「俺、ファッションに興味ないし。無地ばっかり着てるし。背だって俺じゃ足りないよ」

「無地似合うじゃん。ショウジって何センチなの?」

「一七六センチだったけど。大学で測ったら、数ミリ縮んでたよ……」

「え! いいなあ!」

「話聞いてんのかよ? 縮んだんだってば」

「でもさ、俺より全然でかいじゃん。あとさ、ガチなモデルじゃないから大丈夫だよ!」


 ……ガチなモデルじゃないって、なんだよ。

 ダメだ。さくらの一件で、遊も疲れたのかもしれない。俺はスタスタと歩き、駅へ向かった。


「ショウジ、待ってよ! ガチなモデルじゃないってば! 今日ってさ、バイト?」


 遊が俺の腕を引っ張って、無理やり足を止めさせた。小柄なのに凄まじい力である。


「バイトだけど」

「ちょっとだけ待って! 直接、先輩と話したほうが早いから!」 


 電源オフモードだった姿はどこへやら。遊はスマホを耳に当て、楽しそうに電話の向こうの先輩と語らっている。

 

 これ、もし俺が陽キャだったら……遊の唐突な誘いにもウィンクして、ハートでも飛ばすんだろうか?


「ショウジ! 明日さ、ウィンク・ハートで先輩と会うことになったよ!」


 遊は超能力者なのではと、震える件。


「どこだよ、それ……」

「喫茶店! すげえいい感じの店なんだ!」


 俺の妄想も手伝って、チャラチャラした男が店主なのではと疑ってしまうんですが。


 ……まずい。これ偏見だ。ストップ、ストップ!


「昼飯はさ、学食で食ってから行こうよ! ショウジ、明日な!」


 遊は爽やかに手を振って、去って行った。……俺もこれから駅に行くという。なにこれ。ホームで再会して気まずくなるやつ。

 

 と思ったが、遊とは結局会わず。

 どんだけ俊敏に電車乗ったんだよ。足の速さも、すばしっこさも、俺にはとてもついていけないようだ。



 俺はそのままバイト先へ向かった。店長からヘルプを感謝され、「まかないは好きなものでいいよ!」と言われて。

 ボリュームアップしたミートソースを希望し、それをたらふく食うことにした。


「元宮くんって彼女いるんだっけ? 俺、これ前も聞いたっけ?」


 シフトを入れまくっている陽キャの先輩。カラッとしていて、いい先輩だが……俺への質問が多いのはいささか困る。


「元宮くん、クールだからモテそうだよね? どんな子が好きなの? 可愛い系?」


 俺はミートソースを頬張った。うめえ。


「美人系? 癒し系? 俺の彼女は何系だと思う?」

「どれから答えたらいいんですか……」


 爽やか男子高校生が、俺たちのテーブルの横を通過。


「お疲れ様です! ()()()()さん!」


 笑顔で退勤していった。いや、名前な。


 まあ、いいや。……いいんか?



 家に着いてシャワーを浴び、ドライヤーをかけ、ドロドロの海外ドラマを見て。


 俺は電気を消し、ベッドに寝転んだ。


 夢の世界に入る頃には、詳細不明なモデルについても、遊が親しげに話す先輩についても、あまり深くは考えていなかったように思う。


 ——遊を傷つけたようで、そこだけ物凄く気になったが。



 それでも俺は、強引に目を閉じて眠った。

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